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『失われた時を求めて13 第七篇 見出された時? 』その4 2009.2.17

この作品を再読して、いちばん良かったと思うのは、最初の方の感想で書いたと思いますが、読みながら自分自身の事を考えた事だと思います。
以下引用です。

おそらくその本を読む人びとのことを思って、それを私の読者と言うのは、不正確でさえあるだろう。なぜなら私の考えでは、彼らは私の読者ではなくて、自分自身のことを読む読者だからだ。私の本は、コンブレーの眼鏡屋がお客に差し出すような、一種の拡大鏡にすぎないのである。私の本、それによって私は彼らに、自分自身のことを読む手段を提供するだろう。したがって私は彼らに、私のことを誉めたり、けなしたりしてくれとは求めないだろう。ただ、本当にこの通りかどうか、彼らが自分自身の内部で読んでいる言葉は、まさしく私の書いた言葉かどうか、それを言ってくれということだけを求めるだろう (この点で意見の分かれることもあるだろうが、それはかならずしも私の思い違いから起こるとは限らず、ときには読者の目が、私の本の適しているような目ではなく、彼が自分自身をよく読むことができないということから起こる場合もあるのだ)。

そして「あとがき」から引用して終わります。

『見出された時』のなかで語り手は何度も、読者は「私の読者」ではない、自分自身のことを読む読者だ、という趣旨のことを述べているが、それこそ作者プルーストが想定する『失われた時を求めて』の読者の姿でもある。つまりプルーストの小説はもともと、自分自身を振り返るすべての読者に開かれているはずのものだった。そうだとすれば、これをただ専門家のみが接近を許された聖域にまつりあげるのではなく、もう少し身近なものにすることはできないか。それが私の意図したことだった。



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『失われた時を求めて13 第七篇 見出された時? 』その3 2009.2.16

「偽善的博愛主義」に嫌気のさす自分としちゃあ、次の文は言えてるなあ、と思えるものでした。引用です。

私が図書室のなかで感じたもの、私が大事に守ろうとしたものは、これもやはり快楽だったが、しかしそれはもはや利己的な快楽ではなかった。むしろ、少なくとも他人が利用できるような利己主義を備えた快楽だった (なぜなら、すべて自然界の実りゆたかな愛他主義は利己的なやり方で発展するもので、利己的でない人間の愛他主義は不毛だからだ――たとえば、不幸な友人を家に迎えたり、公けの役職を引き受けたり、宣伝の文章を書いたりするために、本来の仕事を中断する作家の愛他主義がそうだ)。

うーーん、むずかしい。ちと私が書いた事とは意味が違うかも? (自分の理解力に自信ナシ)
今回短めですが、次回最終回につづきます。



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『失われた時を求めて13 第七篇 見出された時? 』その2 2009.2.13

はじめに「はじめに」から引用します。

 この大作は、最後に「完」という文字が記されているにもかかわらず、全体にさまざまな未完成の部分を残している。とくに本全訳第九巻の『囚われの女』から始まる死後出版の部分には、数多くの矛盾した文章が認められる。その主なものはその都度指摘しておいたが、もし生きていたら作者がこれを修正したであろうことは確実である。しかしまた〈時〉を引きずる人間を描ききろうとすれば作品はかならずや未完に終わらざるを得ない。それはこのような壮大な意図のはらむ宿命である。プルーストがそれをよく承知していたことは、本巻二四八ページにも明瞭に見てとれる。だから彼が残したさまざまな矛盾する記述は、どんなに書き急いでも完成するはずのない大作に挑んだ証しとこそ見なすべきなのであろう。

その248ページも引用しておきましょう。

そしてこのような偉大な書物のなかには、草案しか作る余裕のなかった部分が残るだろうし、そうした部分は、建築家の壮大なプランそのもののために、おそらく永久に完成されることがないだろう。

プルーストのいいかげんさについてはこちらに書きましたが、「はじめに」に書かれている事もわかるんですが、それにしてもあまりにも・・・って感じなんすよ。
正直言って「世界の名作」とするには、ちょっとなあ・・・という感想は、初読の際にも思ったことです。
だからこういう企画の時にも、この作品はまず上げないっすね。
あの企画以後に読んだ小説では、長編では、『チボー家の人々』『源氏物語』は、間違いなく世界の名作に入るでしょう。

次回ヘつづきます。



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『失われた時を求めて13 第七篇 見出された時? 』その1 2009.2.12

 

遂に全巻再読完了しました。
いやーしかし、ほんと、ああ、読むのダルイ・・・ってな事が正直多い読書でして。(^^;)
再読ですし、別に途中でやめてもかまわないのはわかってますし、どこから読んでも良い小説でもあるんです。
「あとがき」から引用しますね。

 プルーストは、とかく細部の微妙な描写や考察が特徴と見なされやすい。彼の小説はどこを開くも自由であり、読者はどの断章でも、自分の気に入ったところを読めばよい、といったことがしばしば語られたのはそのためだ。

一旦中断です。
なので、今回は例のフェルメールの所とか「スワンの恋」ぐらい読めば良かったのかもしれないのですが、どーも変に几帳面だったり、変に忍耐強い所のある性格なようでして。
本でも映画でも、つまらんなあ、どうしよっかなあ、やめようかなあ、と思いつつ、でも我慢して見てれば (読んでれば) これからおもしろくなるのかも、最後には得るものがあったりするのかも…ってな事を思って、よほどの事がなければ、我慢しちゃう所があります。
昔はもっと飽きっぽかった気もするんですが、いろいろ読んだり見たりしてるうちに、こうなった気もします。
しかし、上の引用の続き↓を読みますと、やはり最初から全部読んだのは、正しかったのかもしれない、と思います。

しかしプルースト自身は、この作品には「ヴェールで隠されているが厳密な構成がある」と言い、それは大きく開かれたコンパスの両脚のように隔てられているので、識別は容易でないかもしれない、と断っている (「フローベールの『文体』について」)。またこの最終巻で語り手が、自分は顕微鏡で真理を発見したのではなく、むしろ望遠鏡を用いて物を知覚したのだ、という趣旨のことを述べているのも、このことに通じるだろう。

次回へつづきます。



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『失われた時を求めて12 第七篇 見出された時I 』その6 2009.2.9

ブリューゲルに多大な影響を与えた、大好きな画家ボッシュ。
ずっと私「ボッシュ」と思ってきたのですが、ある時「ボス」表記になっていてとまどいました。
途中でこういう風に表記が変わる事って、結構ありますよね。慣れ親しんできた名前だから、実にとまどっちゃって、直しがたいのですが、変更された名前の方が正しい発音に近いのかもしれません。
って訳で、訳注より引用です。

Boschという綴りの名前は、ドイツ人なら「ボッシュ」、オランダ人なら「ボス」と発音する。直ちに思い浮かべられるのは、ピーテル・ブリューゲル (父) (一五二五頃―六九) に影響を与えたネーデルラントの画家ヒロエニムス・ボス (一四五〇頃―一五一六) で、彼は奇怪な動物や人間を描いた幻想的な画風で知られる。また、ファン・デン・ボスはフランドルの画家の名前でもある (一六七五/八一―一七一五)。

ちなみに、綴りは違うけど、ボッシュ (Boche) は侮蔑的にドイツ人を指す言葉です。



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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
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