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サド『新ジュスティーヌ』 2006.4.27

悪徳に生きた姉ジュリエットの物語と対をなすこのジュスティーヌの物語は、三つの異本があり、この『新ジュスティーヌ』はその最後の稿にあたる決定版です。
最初の稿である『美徳の不幸』の感想はこちらです~。
『美徳の不幸』と、マルキ・ド・サドの最高傑作ではないかと私は思っている『悪徳の栄え』の間に入るこの物語は、『悪徳の栄え』に近い、楽しいものでした。
『悪徳の栄え』は5回に渡って感想を書いてますので、こちらから飛んでみてくださいね。

『美徳の不幸』、『悪徳の栄え』と違う所は、客観描写になっている点であり、訳者の澁澤龍彦が「再版あとがき」で書いているように、それがサド作品としてはめずらしく、一種のユーモアが生じており、良い効果を出していると思います。

ちと読んでから時間経ってしまって(^^;)、たいした感想も書けず。_| ̄|○ 2箇所程引用して終わります。もう何だか時間におわれて、まともに感想文さえ書けにゃいだよ。

毒舌ぶりを発揮している箇所です。キリスト好きな方はごめんなさい。

詐欺師とぺてん師の典型であり、憎むべき大ぼら吹きであるイエス自身も、霊魂不滅については何も知りませんでした。彼はもっぱら唯物論者として、自説を述べたにすぎません。人間をおびやかすような彼の演説も、人間の肉体に関して語られたものです。けっして彼は、肉体と霊魂を分けたりはしませんでした。しかし、わたしがここで述べようとしていることは、こんなくだらないお伽話の起源を追求したりすることはありません。その愚劣さのすべてをみなさんに証明してみせることこそ、わたしの弁論の唯一の目的なのです。

ここ、会社で読んでいて爆笑しそうになりました。
*食事中、食事前の方はご注意ください。

ジェルナンドは、前に立った二人の少年に身体をあずけるようにして、ぐっと前かがみの姿勢になった。すると、やがて大量の糞があらわれた。いつも大量に食事をとるので、大量に排泄する習慣だったのである。便器を手にしていた少年は、主人の糞が出はじめたらすぐ、これを讃美することを命ぜられていた。「立派な大便でございますね ! 」と少年は叫んだ、「おお、旦那さな、みごとなうんこでございますよ ! さぞよい気持ちでございましょう……」

・・・・・・。
河出文庫 澁澤龍彦訳で読みました。

新ジュスティーヌ (河出文庫)新ジュスティーヌ (河出文庫)
(1987/07)
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マルキ・ド・サド『閨房哲学』その3 2006.2.18

もしサドの書物が本当に禁じられて、そのなかの1冊を救い出す権限が私にあたえられたとしたら、私が躊躇することなく選ぶのは『閨房哲学』であろう。と、マンディアルグは書いています。
さらにマンディアルグのボマルツォの怪物に入っている『ジュリエット』より引用。

その理由はまず第一に、この作品が堂々と、かつ好ましく書かれているように見えるからで、私がすべての小説にではないが、或る種の文章に捧げたくなる讃辞がこれなのである。

また、ウージェニーのジュリエットに対する関係は、あたかも一つの薔薇の、同じ薔薇の樹にやや遅れて花開こうとしている薔薇に対する関係のごとくであろう。( 同じく『ジュリエット』より) とは、実に上手く彼女達を言い表わしていると思います。
(ジュリエットについては、ココの『悪徳の栄え』の所を是非御覧くださいませ)

悪徳の栄え([正])
ジュリエット物語又は悪徳の栄え
悪徳の栄え(上)
悪徳の栄え(下)

サド文学は、正義感の強い方、まぢで頭来ちゃうような方にはお薦めできにゃいかも。
遊び心を持ち、強引な詭弁も楽しめるような方にはお薦めできるかもしれません。
エロスを求めるのなら、バタイユとかの方がいいかもしんない。

眼球譚 O嬢の物語 毛皮を着たヴィーナス新装版

ボマルツォの怪物
ボマルツォの怪物



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マルキ・ド・サド『閨房哲学』その2 2006.2.16

まず『道楽者へ』と題された序文がやたらとカッコイイ。
そして、詭弁の中にもキラリと光るい目というのがサド文学の特徴の1つであると思うのですが、おお、ほんまや ! と思った1文を。

この地球が遭遇した数々の大きな不幸のあとで、人類は近親相姦による以外に、どうして子孫をふやすことができたかね。その実例や、はっきりした証拠までが、キリスト教徒の崇拝する書物のなかに、ちゃんと書いてあるじゃないか。アダムやノアの家族が、はたしてそれ以外の方法で、存続することができただろうか。

徹底的に神の存在を否定しているのに、都合のいい時だけこうやって聖書から取り出してきちゃう所はやはりとんでもない詭弁家でありますが。(^^;)

次のがこりゃまた真実。ただし最初の視点はって事ですが。(笑)
サドったら、どうやっても悪の正当化に結びつけちゃうんだから。

残酷は自然のものであって、僕たちはすべて、残酷の一定量をもって生まれてきたのであり、これを修正するのは教育のみである。しかし教育は自然のものではなく、栽培が樹木を害するように、自然の神聖な効果を害するものだ。果樹園のなかで、自然の管理にゆだねられた樹木と、人為的に手を加えられ、強制的にねじ曲げられた樹木とを比較してみるがよい。どちらがより美しく、どちらがより立派な果実を生ずるかは一目瞭然であろう。

ジュネにかかれば盗みは美学になるわけですが (ココまたはこちらから飛んでくださいませ )、サドはあくまでも強引に、これまでをも正当化するのであります。

 盗みは、われわれの吟味しようとしている第二の道徳的犯罪である。
 古代史に一わたり目を通すならば、われわれはギリシアのすべての共和国において、盗みが許可され奨励されていたことを知るであろう。スパルタおよびラケダイモーンは公然と盗みを援助していた。また別の国民は、これを兵士の美徳の一つと見なしていた。盗みが勇気や力や器用さや、一言にしていえば、共和国政府すなわちわが国に有用なあらゆる美徳を培うものであることは、これをもってしても明らかである。ここにおいて、余は偏見を去って敢えて問う、いったい富を平等化するはたらきをもつ盗みは、平等を目的とする国家においても、やはり大きな害悪であろうか? 言うまでもなく、否である。なぜかと言うにそれは、一方においては平等を維持することになり、また他方においては、各自にその財産を厳重に守らせることになるからである。かつてある国民は、各自にその所有物を大切にすることを教えるために、盗んだ者をでなく、盗まれた者を罰したということである。これこそ、われわれをより深い反省に誘うものである。


次回、最終回です。



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マルキ・ド・サド『閨房哲学』その1 2006.2.15

サドの悪の哲学は、全くもってくどくてかったりい部分なのですが、この本のタイトルが『閨房哲学』ときちゃあ、こりゃ、そのくどくどしい詭弁オンパレードなのではあるまいか、と少し警戒しつつ読んでみたら、意外に楽しく読んじゃいました。
対話形式で書かれていて、サン・タンジュ夫人やドルマンセが、ウージェニイを立派な悪女へと教育するとゆー話です。
訳者の澁澤龍彦が「あとがき」で書いている通りの小説です。以下引用。

 さて、この『閨房哲学』は、サドの他の著作たとえば『新ジュスチイヌ』や『ジュリエット』のように、一種の恐怖にまで高まる強烈なエロティシズムの効果を全篇にわたって発揮しているものとは言いがたいが、その形式が対話体であるだけに、サドの反社会性の哲学が却って最も攻撃的、論戦的な形で露呈されている稀有な著作と言うことができる。つまり、空想的な残酷の場面が少ない代りに、抽象的な思想のエキスを読者はたっぷり吸収することができるというわけである。

しかしやはり『悪徳の栄え』のように実践の部分が多くあった方が断然楽しいに違いない訳でして、実に残念な事には、同じく澁澤氏の「あとがき」によれば、

 もっとも、この『閨房哲学』全七章のうちに、残酷淫靡な場面やエロティックな会話が必らずしもないというわけではない。それどころか、ドルマンセの講議の隙には、例によって登場人物入り乱れての淫行が何度となく展開されるのであるが、本訳文では、そういう部分は、残念ながら割愛せざるを得なかった。

・・・という事だそうです。
って訳で、次回につづきます。3回シリーズになっちゃいました~。

閨房哲学

それにしてもプーさんの次がサドって私はいったい・・・・・・プーさん、ごめんよ~。




閨房哲学 (河出文庫―マルキ・ド・サド選集)

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マルキ・ド・サド『悲惨物語』その2 2006.2.9

何度か書いてますが、すんごい詭弁の中に鋭く光るサド哲学。
「幸福」っつーものは、にゃるほどこーゆーものだよなあ…と、ちと (半分ね) 納得な箇所を引用。長いっす。

 「なるほど、しかしですな、ふかい研究と熟慮反省の結果、何ものにも悪のひそむ余地を認めず、すべての人間の行動を自若とした無関心をもってながめるに至ったひとが、人間の行動はすべて、よかれあしかれ、つねに圧倒的なある力の必然的な結果であって、われわれが善と見なすものも悪と見なすものも、要するにその力がわれわれ人間の心にこもごも吹き込むもので、それを乱したり狂わせたりすることはけっしてできないのだと、さように料簡していたとするならば----よろしいですか、もしさような料簡のひとがいたならばです----その人物は、あなたも認められるように、たとえ私と同じように行動していたとしても、あなたがあなたの送っておられる人生で幸福を感じるのと同じように、やはり幸福であり得るだろうと申さざるを得ません。なぜかというに幸福とはひとつの理想であって、想像力の産物だからです。それは感動の一形式であって、人間の見方感じ方にのみ関係するものです。必要の満足ということを別にすれば、すべての人間をひとしく幸福にするものなどはひとつもありません。他人にはこの上なく不快なものが、あるひとを幸福にするという例は、われわれが毎日のように見聞しているところです。これを要するに、確固たる幸福などというものはどこにもなく、われわれにとっての幸福は、ただわれわれの器官や道徳原理にもとづいて、われわれがわれわれ自身のうちに形成するもの以外にはあり得ないというのです」

長いよっ ! (←スケバン恐子の客のツッコミ風に)
幸福なんてものはどこにもないって意見に賛成ではないけど、同じ境遇でも人によって幸福だったり不幸だったりしますからね。
幸福とゆーものは、逆境に陥ってみてはじめてわかるものでもあるかもしれないと思います。病気になって初めてわかる健康の有り難み、みたいな。毎日すんごいいっぱい幸せは転がってるのに、気付かないんですよね。


悲惨物語

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Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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