【本】存在の耐えられない軽さ ミラン・クンデラ 2005.5.29
*ネタバレあり
プラハ行き直前に読了しました。
「軽さ」がテーマのこの小説の感想を書くのは、とても "重い" 感じがします。
いきなりニーチェの「永劫回帰」から始まり、全体に渡り、この永劫回帰が永劫回帰のごとく繰り返されます。
そして、これは、実に哲学的であり、(とは言え、コムズカシイ頭痛のしてくるよーな哲学とは違います) 心理小説とも言えると思います。なるほど、これは映像化不可能だと思っても不思議ではないですね。
それに、構成も見事 !
●トマーシュの女好き●
ドン・ファン的であるトマーシュの浮気が何の為であるかが、実におもしろいです。
あまりにもあまりな、トマーシュの女あさりは、抑えがたい医学的興味から来ているんですね。p.249~
トマーシュは彼女たちに何を探し求めたのであろうか? 何が彼を彼女らへとひきつけたのか? 愛し合うってことは、同じことの永遠の繰り返しではないのだろうか?
否、いつでもごく少ないパーセントながら、思いもかけなかったことがそこにあるのである。服を着た女を見るとき、裸のときはどうであろうか (ここで彼の医者としての経験が恋人としての経験を補った) ともちろん想像できたが、想像の近似性と現実の正確さの間には思いもよらない小さな間隔があり、これがトマーシュをほうっておかなかった。しかし、思いがけないことの追求は裸があらわれることでは終わらずに、脱いだあと、どんな素振りをみせるか? 彼女を愛するとき、何というか? 彼女の息づかいはどんな調子であろうか? オルガスムのとき顔にどのようなゆがみが刻まれるのか? と、続くのである。
彼は女に夢中になるのではなく、その女の一人一人の思いもよらないところにひかれるのだ。別なことばでいえば、一人一人の女を違ったものにする百万分の一の差異に夢中になるのである。
●ニーチェ●
この小説の冒頭が「永劫回帰」であるように、時々ニーチェが顔を出します。
次のくだりは気に入りました。ニーチェ好きなんで… p.363
ニーチェがトゥリンにあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。
それは一八八九年のことで、ニーチェがもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気 (すなわれ人類との決別) は馬に涙を流す瞬間から始まっている。
そして、私が好きなのはこのニーチェなのだ、
人生とは繰り返しであると言えると思うのですが、規則正しく繰り返される日常が、実は幸福なのだと思います。
この小説のラストで、テレザが自分のせいでトマーシュが住居を変え、医者の仕事にもつけなくなり、底辺まで落ちた事について悩み、トマーシュに言う所の会話。p.394
「僕がここで幸福なことに気がつかないのかい?」
「あなたの使命は手術をすることよ」と、彼女はいった。
「テレザ、使命なんてばかげているよ。僕には何の使命もない。誰も使命なんてものは持ってないよ。お前が使命を持っていなくて、自由だと知って、とても気分が軽くなったよ」
という場面がありますが、幸福とは何であるか、とても一言では言い表せない重いテーマがここにあるのではないか、と思います。
「人生」とか「死」とか……
『存在の耐えられない軽さ』とは、実に重い重い何かが残る小説なのでありました。
映画との比較を明日の日記にUPします~
クリックよろぴくー。

プラハ行き直前に読了しました。
「軽さ」がテーマのこの小説の感想を書くのは、とても "重い" 感じがします。
いきなりニーチェの「永劫回帰」から始まり、全体に渡り、この永劫回帰が永劫回帰のごとく繰り返されます。
そして、これは、実に哲学的であり、(とは言え、コムズカシイ頭痛のしてくるよーな哲学とは違います) 心理小説とも言えると思います。なるほど、これは映像化不可能だと思っても不思議ではないですね。
それに、構成も見事 !
●トマーシュの女好き●
ドン・ファン的であるトマーシュの浮気が何の為であるかが、実におもしろいです。
あまりにもあまりな、トマーシュの女あさりは、抑えがたい医学的興味から来ているんですね。p.249~
トマーシュは彼女たちに何を探し求めたのであろうか? 何が彼を彼女らへとひきつけたのか? 愛し合うってことは、同じことの永遠の繰り返しではないのだろうか?
否、いつでもごく少ないパーセントながら、思いもかけなかったことがそこにあるのである。服を着た女を見るとき、裸のときはどうであろうか (ここで彼の医者としての経験が恋人としての経験を補った) ともちろん想像できたが、想像の近似性と現実の正確さの間には思いもよらない小さな間隔があり、これがトマーシュをほうっておかなかった。しかし、思いがけないことの追求は裸があらわれることでは終わらずに、脱いだあと、どんな素振りをみせるか? 彼女を愛するとき、何というか? 彼女の息づかいはどんな調子であろうか? オルガスムのとき顔にどのようなゆがみが刻まれるのか? と、続くのである。
彼は女に夢中になるのではなく、その女の一人一人の思いもよらないところにひかれるのだ。別なことばでいえば、一人一人の女を違ったものにする百万分の一の差異に夢中になるのである。
●ニーチェ●
この小説の冒頭が「永劫回帰」であるように、時々ニーチェが顔を出します。
次のくだりは気に入りました。ニーチェ好きなんで… p.363
ニーチェがトゥリンにあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。
それは一八八九年のことで、ニーチェがもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気 (すなわれ人類との決別) は馬に涙を流す瞬間から始まっている。
そして、私が好きなのはこのニーチェなのだ、
人生とは繰り返しであると言えると思うのですが、規則正しく繰り返される日常が、実は幸福なのだと思います。
この小説のラストで、テレザが自分のせいでトマーシュが住居を変え、医者の仕事にもつけなくなり、底辺まで落ちた事について悩み、トマーシュに言う所の会話。p.394
「僕がここで幸福なことに気がつかないのかい?」
「あなたの使命は手術をすることよ」と、彼女はいった。
「テレザ、使命なんてばかげているよ。僕には何の使命もない。誰も使命なんてものは持ってないよ。お前が使命を持っていなくて、自由だと知って、とても気分が軽くなったよ」
という場面がありますが、幸福とは何であるか、とても一言では言い表せない重いテーマがここにあるのではないか、と思います。
「人生」とか「死」とか……
『存在の耐えられない軽さ』とは、実に重い重い何かが残る小説なのでありました。
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