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カフカ短篇集 / バベルの図書館『禿鷹』 2005.6.30

カフカの短篇を2冊読みました。
岩波文庫、池内紀編訳のカフカ短篇集と、細長の、洋書のような、かっちょいい、国書刊行会で出している「バベルの図書館」とゆー本の『禿鷹』です。こちらも池内紀訳。
ボルヘスが編纂していて、序文も書いています。フランコ・マリーア・リッチの装丁装画が素敵です。

禿鷹 (バベルの図書館 4)

カフカ短篇集 (岩波文庫)カフカ短篇集 (岩波文庫)
(1987/01/16)
カフカ

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バベルの図書館に入っているのは
『禿鷹』『断食芸人』『最初の悩み』『雑種』『町の紋章』『プロメテウス』『よくある混乱』『ジャッカルとアラビア人』『十一人の息子』『ある学会報告』『万里の長城』

岩波文庫の短篇集に入っているのは
『掟の門』『判決』『田舎医者』『雑種』『流刑地にて』『父の気がかり』『狩人グラフス』『火夫』『夢』『バケツの騎士』『夜に』『中年のひとり者ブルームフェルト』『こま』『橋』『町の紋章』『禿鷹』『人魚の沈黙』『プロメテウス』『喩えについて』『万里の長城』

です。
『判決』とか『田舎医者』とか、読みたいと思ってた作品がビッシリで嬉しかったです。
そして、カフカの短篇が、こんなにおもろいとはっ !
いやー、カフカ未読だけど興味を持っていたり、『変身』あたりしか読んでいない読者には、まずはこの短篇を強くお薦めします。
あまり難しく考えずに、気軽に読んでみてイイと思いますよん。

短いものでは、2ページほどのものもあります。『禿鷹』とか『橋』とか、見事なショートショートです。
果たしてカフカの言いたい事は何だったんだろう、と疑問に残るものも多数ですが、それにしてもキョーレツなインパクト、しっかりとした印象を残していきますね。
それに、なんつー奇抜な発想 ! !
『雑種』とか好きですねー。『中年のひとり者ブルームフェルト』も『雑種』と似たパターン。良くこーゆー生き物を考え出すもんだ、と感心したり不思議に思ったり。
『雑種』の出だしはこうです。

 半分は猫、半分は羊という変なやつだ。父からゆずられた。変な具合になりだしたのはゆずり受けてからのことであって、以前は猫というよりもむしろ羊だった。今はちょうど半分半分といったところだ。

「猫」の部分と「羊」の部分を持つ事によって、精神的にどーもキツイ所があるらしいこの動物。様々な解釈があるそうですが、私は、カフカの内面の分裂による苦しみを表わしているのではないか、と読んで思いました。
キリスト教の羊とユダヤ教の獅子を一身に受けついで苦しまなくてはならない西方ユダヤ人の運命を戯画化したものだという解釈もあるらしいです。その辺は良くわかりましぇん。

これらは、実に奇妙で奇抜で斬新な、<大人の読む童話>と言う感じもします。果たしてカフカを越える豊かな発想はあり得るだろうか、とまで思ってしまいます。
また、シュールレアリスム的要素もあったり、いきなりな終わり方には、一時期のフランス映画の臭いもちょっとします。

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カフカ『変身』再読 2005.6.29

*ネタバレあり

 ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。

という出だしで始まる、とんでもなく衝撃的な、あまりにも有名なこの小説。コレ、インパクト強すぎっすよね~。カフカの発想の豊かさには、ほんとに驚かされます。

『城』を読んだ時、至る所にカフカ流ユーモアを発見し、大変おもしろく読了したのですが、カフカのユーモアには、なにか人間の悲しさがつきまといます。そして、この『変身』は、大変おもしろくユーモアに満ち、そして、とんでもなく悲しい小説です。

セールスマンであるグレゴール・ザムザが、朝起きて虫になっていた。それから焦って、早く着替えて仕事に行かねば・・・と四苦八苦する所が、もう何とも可笑しいではありませんか。
と同時に、何かサラリーマンの哀愁も漂ってきちゃいます。

<解説>に、次のようにあります。

肝心なことは、グレゴール・ザムザが冷たい雨の振りつづいている、もの悲しい天候の朝、ふと目がさめてみると、自分が大きな、一匹の毒虫に変身してしまったことを、自分の目で発見して、しかも、自分ではそれほど驚いてもいないことである。

そうなんですよね~。ここがもう、何とも可笑しく、不思議な所なんですね。

ここなんかも、なにげに笑わせてくれます。

グレゴール自身は、だれひとり気をきかせてドアを閉め、この光景と、大騒ぎを見ないですむように計らってくれる者がいないので、これまた怒りをぶちまけて、聞こえるように舌打ちをつづけた。

こーゆー可笑しさがいっぱいつまってるんですよね、カフカの小説には。

そして、何が悲しいって、カフカはいわゆるサラリーマン生活をしながら小説を書いていた訳ですが、『変身』は、そんなカフカにしか書けない、悲しい小説だと思うのですよ。
グレゴールの家族の変化していく様が、もう悲しいのなんのって。
彼におんぶにだっこで生活していた家族が、虫になったグレゴールを頼りに出来なくなるのだから、とーぜん自分達の力で生活していく事になるのですが、なんだーやれば出来るじゃん、とか思いますよね。
そして、何とも残酷なラストが・・・。
明と暗の見事なコントラストを描いています。
これは実におぞましい奇怪な物語ですが、しかし、大変リアルでもあると思うのです。
そして、描写のリアルさがまた、悲しみもおぞましさも倍増させてますよね。
グレゴールは死に、家族は本当の意味で生きる (活きる) 事になる訳なのですが、ああ、これが人生なのか・・・って感じっすよね。

角川文庫 中井正文=訳で再読しました。
こんなイマイチな表紙になってるんだ~~

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『カフカ最後の手紙』 2005.6.26

原題は『1922年から24年にかけて両親に出された手紙』だそうです。
大方は母親に向けて書かれています。カフカと父親との関係は、なにやら複雑なものがあったらしいです。
死の前日の手紙まであります。弱っていって辛い中、それでも人への思い遣りを忘れないカフカの人柄が良くわかり、何だか胸がつまる思いがする本です。
カフカの最後の同伴者であった恋人のドーラ・ディアマントや、友人のローベルト・クロップシュトックが、実に献身的にカフカにつくしたそうです。手紙も最後の方は、ドーラ・ディアマントがまず書き出し、カフカが後につけたすパターンになっています。前半は逆。
このような人達に恵まれたのも、カフカの人柄でしょう。

カフカは大変な手紙魔だったそうですが、人生の最期には、友人でもなく、かつての恋人でもなく、常に両親にあてて書いたのですね。何か考えさせられるものがあります。

訳者あとがきに次のようにありますが、これには同感です。

<文は人> というけれど、繊細きわまりないくせに、こんなにつよく明解な文章をあやつれる人間に、恐ろしさのようなものさえ感じた。なぜ今のぼくらがカフカの書くものをこれほどまでに読み続けなければならないのか、あらためてその意味がわかったような気がした。プノイマのように文章に現れているその精神のつよさは、蔦のようにからみついてくるドーラ・ディアマントの文章と否応なく対比されるため、ここではいっそう際立ってくるように思われた。

これもまた、実に実に貴重な本でありました。

カフカ最後の手紙

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『カフカのプラハ』 2005.6.23

すっかりカフカづいてる今日この頃ですが、これも図書館で借りてきた、カフカ関連本の1つです。
大変な散歩好きだったカフカの、足跡を辿る一冊です。
カフカは、頻繁に引っ越しを繰り返したみたいで、この本にはカフカの住んでいた所が、きちんと地図と文章で綴られています。
私が見た、黄金の小路のカフカの家は、この本では「錬金術師小路」となってますが、ここの前に住んでいた、金のカワカマス館の部屋の騒音に苦しめられたカフカが、1916年夏に、夜間の随筆用に、妹のオットラと共に借りた家なのですね。

映画館について書いてある箇所があったので、ちと引用などを。

 プラハでは最初期の <活動写真> はホテルやカフェ、デパートなどの仮設会場で上映された。一九〇七年十月、カフェ・オリエントの裏庭に初めて同名の常設映画館が開館し、カフカも数ケ月後にはさっそく訪れている。そのとき上映されたのは『のどの渇いた憲兵』と『色好みの近衛兵』だった。このカフェと映画館はヒベルナー小路 (ヒベルンスカー) 二〇番地にあったが、一九九三年に取り壊されてしまった。
 一九〇八年からは映画館の新設ラッシュとなった。当初はウ・ヴェイヴォドゥ (エキディ小路/イルスカー二番地) のビオ (映画館の当時の呼称) のように、飲食店のホールを利用するところもあった。
 その後まもなくグラン・テアトル・ビオ <エリート> のような立派な映画館も建てられるようになった。この映画館はポジィチ五番地の今も現存そる建物に入っていて、カフカのオフィスのすぐ隣だった。カフカはここで『白い奴隷女』、『やっとひとり ! 』、『ドックでの惨事』を観た。メロドラマ仕立ての短編映画に対して何の偏見ももたなかった彼は日記にこう書いている。<<映画館に行った。泣く。<ロロッテ>。善良な司祭。小さな自転車。両親の和解。法外な喜び>>。


これらの映画を1つでも知っていれば、もっとおもしろいんですけどね。
『カリガリ博士』とかには間に合わなかったかなあ…あまりにも短い人生でしたよね。

カフカの足跡を辿る、大変貴重な本であると共に、この本は、大変すぐれたガイドブックでもあります。プラハに行き、自由時間もたっぷりあるようなら、実に詳しく出ている地図と文章と古い写真での説明を見ながら、プラハを散歩するのは、至福のひとときだと思います。
特にカフカが好きでなくても、プラハを愛したカフカの散歩道は格別に良いと思います。
昔の写真がまた、実に良いんですよ。今と比べてみるのもおもしろいですよね。

ココの自分で撮った写真を見て思い出しましたが、黄金の小路で購入したワニの本抑え、アレかなりイイです。役に立ちます。もう1個買えば良かった・・・。


カフカのプラハカフカのプラハ
(2003/05)
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『カフカ 実存と人生』その2 2005.6.21

コレのつづきです。
1914年の日記で、マックス・ブロートとドストエフスキーについて語った話が出ています。

 あんまりたくさん精神異常者を登場させすぎる、というドストイェフスキーに対するマックス (マックス・ブロートのこと) の異議。完全な誤りだ。彼らは精神病者ではない。病気であるとすることは、ただ性格づけをする一つの方法であるにすぎないし、しかもそれは、非常に繊細で効果的な方法なのである。たとえばある人物のことを、あれは単純でおろかな人間だ、とくり返しくり返し言ってさえいればいいのである。そうすれば、ドストイェフスキー的な核心がそなわっている以上、その人物はいわばその最高の効率にまでつきあげられてゆくのである。ドストイェフスキーの性格づけは、この点で、友だちどうしのあいだの罵り言葉と、だいたい似たような意味をもっている。友だちどうしがおたがいに、「ばかだなあ、きみは」と言っても、彼らは相手がほんとうにばか者で、その友情関係で自分たちが品位を落とした、などと思っているのではない。たいていの場合そのなかに含まれているのは、それがたんなる冗談でないかぎり、いや、冗談である場合でさえも、いろいろな意図のかぎりなくまじりあったものなのである。だからたとえばカラマーゾフの父親は、けっして愚か者であるわけではなく、悪くはあっても非常にかしこい、ほとんどイワンに匹敵するほどの男なのだ。とにかく例としてあげてみても、作者から攻撃されていない彼の従兄弟や、彼にくらべてずっと高尚なつもりでいる甥の地主などより、ずっとかしこい男なのである。

いやーん、また『カラ兄弟』再読したくなってしまうではありませんか。このカフカの視点で。

次のも実におもしろいです。

 人が探している者は、たいてい隣に住んでいる。これはかんたんに説明できることではないので、まずは経験的な事実として受け入れなければならない。この事実は、きわめて深い根拠をもっているので、たとえそうしようと目ざしたところで、それを阻止することはできないのである。なぜそういうことが起こるかというと、それは探している隣人のことを、人がなにひとつ知らないからなのだ。つまり人は、自分がその隣人を探しているのだということも知らないし、その隣人が隣に住んでいるのだということも知らないわけで、そうなればしかし、その探している者はまちがいなく隣に住んでいるのである。こうした一般的な経験的事実自体は、もちろん人が知っていてもかまわないのである。そういう知識は、ぜんぜん妨げになるものではないからだ。たとえ人がその知識を、意図して始終心に思いうかべていてもである。

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『カフカ 実存と人生』その1 2005.6.20

この前図書館で借りたカフカ関連本の中の一冊です。
まるでサルトルか何かの様なタイトルですが・・・カフカの日記やノートからの抜粋本です。あんましこのタイトル、いいと思わないんですが・・・。

ココココに書いた、グスタフ・ヤノーホの『カフカとの対話』と同じく、アフォリズムがつまっています。箴言集と言った感じです。

しかし・・・ムズカシイ~。良くわかんにゃーいってのがいっぱいでした。(^^;)

そんな中で、心に残った言葉をメモ。

 この世の中で、隣人を愛する者は、この世の中で自分自身を愛する者と、ちょうどおなじだけ不正を行なっている。問題として残るのは、前者が可能であるか、ということだけであろう。

 なぜわれわれは、アダムとイヴによる人間の堕落をなげくのだろうか? われわれが楽園から追放されたのは、この人間堕落のせいではなく、われわれが実をとって食べないようにとされた、生命の木のせいなのだ。

 ドン・キホーテの不幸は、彼の空想ではなく、サンチョ・パンサである。

 自殺者とは、監獄の庭に絞首台が建てられるのを見て、あれは自分のための絞首台だと早合点し、夜陰にまぎれて独房から脱走すると、庭におりていってわが身の首をくくる囚人である。

 (前後略) モーセがカナンの地に至れなかったのは、彼の生涯が短すぎたためではなく、それがすなわち人生であるからなのだ。


ドストエフスキーへの言及など、ちと長い引用を2つほどしたいので、次回につづきます~。

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シャルル・ペロー『長靴をはいた猫』澁澤龍彦訳 2005.6.17

「猫の親方あるいは長靴をはいた猫」「赤頭巾ちゃん」「仙女たち」「サンドリヨンあるいは小さなガラスの上靴」「巻き毛のリケ」「眠れる森の美女」「青髯」「親指太郎」「驢馬の皮」の9篇です。

世界的に、グリムの方が有名ですが、ペローを読むと、この話ってこんなにエロティックだったのか ! とわかり、大変おもしろいです。
好きです。
童話は子供だけのものじゃないんです。
特に「赤頭巾ちゃん」! !
この「狼」とゆーのは比喩で、実は人間なんじゃないでしょか。
ラストはグリムとまるで違いますね。

そして、何がいいって、話のラストに必ず載っている「教訓」と「もう一つの教訓」。
とりわけ「もう一つの教訓」がイイです。

河出文庫の澁澤龍彦訳で読んだんですが、片山健の挿し絵が、すんごいイイですね。このエロティック童話に実にマッチしてます。
表紙にもなっている、アイパッチをつけた猫の絵なんて、ほんと好きですね~。長靴もちょっとSMチックなよーな。

「驢馬の皮」という話は、「サンドリヨンあるいは小さなガラスの上靴」(シンデレラ) に大変似た所があると思いますが、次の話は、シンデレラで聞いた事のある話です。シンデレラでは確か、かかとや指を切ったりしてたと思うんですが。(おそろしいよ~)
こっちは指輪を合わせようとするんです。

ある女は指の一部を小さく切り落しました。別の女は指を締めつけて、小さくなったと思いこみました。さらに別の女は一種の水薬を塗って、肉を落して指を細くしようとしました。

「眠れる森の美女」は、眠りから醒めた所で終わりだと思っていたんですが、あんな後日談があったとは !

「初版あとがき」に、こんなおもしろい記述があります。

 この「赤頭巾ちゃん」や「眠れる森の美女」の物語が、精神分析学的解釈のための絶好の資料を提供しているということも、ついでに述べておこう。アメリカの心理学者エーリッヒ・フロムの解釈では、赤頭巾というのは血の色で、メンスの象徴なのである。つまり、赤頭巾ちゃんの物語は、思春期の少女の性の危険に対する、警告の書なのだそうである。また、眠れる森の美女が紡錘竿で手を傷つけられるというのは、フランスの女流精神分析学者マリー・ボナパルトの意見では、クリトリス・オナニーの罪の象徴であって、この物語は、少女がクリトリス段階から膣段階へ移るまでの、潜伏期間 (それが眠りである) をあらわしているという。


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増補版『カフカとの対話』手記と追想 グスタフ・ヤノーホ その2 2005.6.16

コレのつづきです。『城』の感想も是非御覧くださいませ。
心に残った、印象深かった言葉の引用集とゆーことで。

これはニーチェ的思想とも言えると思います。

「居心地よく家畜の群に投じて、人は都会の街路を仕事場に向かって行進します、飼葉桶と満足感に向かって。それはちょうど役所におけるように、一分の狂いもなく計測された生活です。奇蹟というものはなく、正確な使用説明書と、書式と、訓令の世界です。人間は自由と責任を怖れ、その故にむしろ、自分ででっち上げた鉄格子のなかに窒息することを、よしとするのです」

攻撃的な人=弱い人間って図式は当ってそうですね。

「あなたは沈黙のなかにどれほどの力が秘められているかが分からないのです。攻撃はただのまやかしであり、通常、自分にも世間にも弱みを見せまいとする
駆け引きにすぎません。本当に持続する力は耐えることにのみあるのです。弱い人間だけが、忍耐を失い、粗暴になるのです。彼はたいていそんなふうに、自分の人間的尊厳をすっかり投げ棄ててしまうのです」


例えば、よく私も「結婚しないの?」とか、「子供早くつくった方がいいよ」とか言われますが(-_-;)、病気に犯され、常に死と隣り合わせだったカフカも、無神経な質問に辛い思いをしていたと思います。ノーテンキな気軽な無神経さとは、憎むべき、蔑むべきものだと常々思います。
「幸福」については、にゃるほど ! と思いました。

「幸福は所有に左右されるものではありません。幸福とは、方角をどのように見定めるかという問題にすぎない。いいかえれば、幸福な人間には、現実の暗い隈取りは眼に入らぬということです。彼の生の感情の高鳴りは、死の意識という木喰虫の不吉な槌音を消し去ります。そして、自分は歩いているのではなく倒れるのだ、ということを忘れます。それは一種の麻痺状態だといっていいでしょう。だから、誰かが私たちに健康状態をたずねるのは、まさに不躾なことなのです。それが悪趣味なのは、ちょうど林檎がもう一つの林檎に向かって、『あなたが卵を産みつけられた芯喰虫のご機嫌はいかがですか』とたずねてみたり、草の茎がもう一つの茎に、『あなたの枯れ具合はいかがですか。どのようにお腐りでいらっしゃいますか』などとたずねるのに似ています。----どんな気がするでしょう」

次の一文にも、にゃるほど、です。

「周囲の間違った考え方や習慣に引きずられたり、振り廻されたりする人間は、自分自身を尊敬しなくなるのです。しかし自分を尊敬することなくして、道徳も、秩序も、不抜の精神も、生を促す暖かさもありえない。そのような人間は、ぼろぼろの牛の糞のように砕けてしまいます。せいぜい、糞喰い虫のような昆虫にとって多少の意味があるにすぎません」

ラスト近くに出てくる、とても印象的な言葉を最後に。
作者が、このカフカの言葉を思い出し、自分はそうしてきただろうか、と自問します。
この本を読むと、G・ヤノーホと父親とカフカは、実にいい関係だったんではないかと思います。だから、この本のラストは大変辛いものでした。

「生命は、われわれの頭上に輝く星空の深淵のように、測り難く偉大で底深いのです。人はその個人の存在という小さな覗き穴から、窺い見ることができるにすぎません。しかもそこに、人は眼に見える以上のものを感知するのです。だからその覗き穴を、とりわけ清潔にしておかなければなりません」

カフカとの対話 (ちくま学芸文庫)

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増補版『カフカとの対話』手記と追想 グスタフ・ヤノーホ その1 2005.6.15

小説ではわからない、カフカその人を知る事ができる、大変貴重な感銘深い一冊です。
当時17歳の、グスタフ・ヤノーホとカフカとの対話です。
ヤノーホの父親が、カフカとは労働災害保険局での職場の同僚で、文学に没頭し、自ら詩も書く息子と出会わせます。
このお父さんがまた、実に良いんですよ。
カフカが若いヤノーホに語る言葉の中に、おもしろいアフォリズムがいっぱーーーいつまっているんです。
そして、カフカの人となりが良くわかります。実にやさしく、思い遣りに溢れた、大変な人格者だったんですね。周りの人達にも好かれていたようです。
私、偏屈な変人で一匹狼で周りにも嫌われてるタイプだと勝手に思ってました。(^^;)(^^;)(^^;)

P.308の、労働災害保険局で掃除夫として働いた人の話等。

「ドクトル・カフカは立派な方でございます。あのお方は他の人たちとはまるで違っていらっしゃる。あの方が人にものをお与えになる、そのなさり方だけでそれが分かるのです。---中略--- ドクトル・カフカは、それがなにか不味そうな塊りみたようなままになさっておくことは決してありません。葡萄や果物をお皿の上にきれいにお並べになるのです。そして私が事務室に参りますと、ただ何気なく、もしこれが入り用だったら、とおっしゃるのです。そうです。ドクトル・カフカは私を掃除婆さんのようにはお扱いになりません。立派な方でございます」

ヤノーホに対しても「これをお取りなさい、これを差し上げます」とは決して言わず、「これはもう返して下さるには及びません」と言って渡すのです。

そしてまた、小説にも表れている、孤独と絶望に苦しみ、心を閉ざした人というのも、やはりカフカの一面であったようです。
カフカの事を「親しい知人」と言うお父さんに、ヤノーホは「なぜ友人と言わないのです」と聞きますが、お父さんは
「友達づき合いするには、あの人はあまりに控え目で、あまりに自分を閉ざしている」
と言います。また、カフカ自身、次のように言っています。

「私はいつも内部に鉄格子を抱いているのです」

カフカには先見の明もあったようです。正しく鋭く物が見られ、大変な頭の良さで、適格な判断をし、先の事も見ていた節があるように思います。
第二次世界大戦を予言したような、次の会話には驚かされます。

「私たちは、 <人間インフレ> の時代に生きています。兵隊や大砲より安い民間人を絶滅すれば、それだけ儲かるのです」
「それでもなお」と父は断言した。「私は戦争になるとは思わない。大多数の人間が反対しているのです」
「それがなんの役に立つでしょう」とドクトル・カフカは諦めの表情で言った。「多数が決定するのではありません。多数とは、つねに指図されたことをするだけのものではありませんか。決定的なのは、身をもって流れに逆らう個人なのです。---後略---」


マルキ・ド・サドについて言及している所もあります。
カフカは、「サド侯爵は現代の守護神 (パトロン) の第一人者です」と言っています。

「サド侯爵は、生の歓びを他人の苦しみによってのみ勝ち取るのです----富める物の奢侈が、貧しき人々の悲惨によって購われるように」

「その2」につづきます~


カフカとの対話 (ちくま学芸文庫)

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カフカ『城』 2005.6.14

カフカの死後に発表された未完作。
おそらく、『審判』とおなじく、不条理を主題とする、哲学的見方が主流なのでしょう。
いつまで経っても城に辿りつけないもどかしさ、永遠に辿りつけない孤独、絶望感を描いている。それは確かなのでしょう。そして見事でもあります。
昔『審判』を読んだ時に、いつ明らかになるんだ?というもどかしさと共に、結局わからずに読み終え、そして、それが<不条理>である、と言う事なのか、となんとなくわかった気になったものですが、今度の『城』、これはカフカだから、とーぜん城に辿りつけるはずはにゃい ! と、もどかしさもなく読み進んでいきました。
しかし、コレ、かなり笑える小説だったのです。こーゆーレビューは誰も書いてない?
これ、カフカのユーモア満載じゃないっすか。

バタイユの『文学と悪』では、<<子どもらしさ>>がキーワードのように繰り返し出てきたと思いますが、この小説の可笑しさは、まさに<<幼稚性>>だと思うんですよ。
それも、役人だとか、上に行く程に幼稚性が目立っています。どうしようもないダダッコですよ。赤ちゃんにしゃべる能力を付け足したら、このようになりますね。子供の気持ちを正確に説明しているような感じです。言い訳等は一切なく、明らかにそっちが悪いだろって感じなんですが、それが当然当たり前のごとく。そこがおもしろいです。
Kは、この幼稚性に、散々振り回される訳です。

ある映画を想起した引用を2つ。

役人の事務室の話です。

机の上には、大きな本をひろげて、順々にならべてあります。そして、たいていの本のそばにはお役人が立っていて、それを読んでいます。もっとも、いつまでもおなじ本のところに立っているわけではありません。しかし、それは、本をとりかえっこするのではなくて、席を交替するんです。バルナバスがいちばん感心するのは、席を交替するときにお役人たちがたがいにからだを押しつけあいながら移動する光景だそうです。ほかでもありません、場所が狭いためです。

笑えるB級ホラーの傑作、『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を思い出しちゃったではないっすか。(爆)
うろ覚えですが、会議中、いちいち席を移動したりするんですが、すんごい狭い部屋で、確か机の上這って移動してたと思うんです。
2004.11.17投稿 今日はB級ホラー話なんぞを。



そんで、コレ。

ここは、すべてが小造りだが、しゃれていた。場所は、利用できるかぎり利用してあった。廊下は、まっすぐ立って歩くのにぎりぎりの高さだった。廊下の両側には、客室のドアがほとんど切れ目なしにならんでいた。廊下の両側の壁は、天井まではなく、途中で切れていた。

これはまさに、●●●マルコヴィッチの穴●●●ではないっすかっ !

最後に…実にカフカ的な、自由についての一文です。

そのとき、Kは、これで他人とのあらゆるつながりが断ち切られ、もちろん、自分はこれまでよりも自由な身になり、ふつうなら入れてもらえないこの場所で好きなだけ待っていることができる、そして、この自由は、自分が戦いとったもので、他人にはとてもできないことだろう。いまやだれも自分にふれたり、ここから追い出したりすることはできない、それどころか、自分に話しかけることもできまい、とおもった。しかし、それと同時に、この確信もおなじくらいつよかったのだが、この自由、こうして待っていること、こうしてだれからも干渉されずにいられること以上に無意味で絶望的なことがあるだろうかという気もするのだった。

新潮文庫、前田敬作・訳で読みました。


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森鴎外『山椒大夫・高瀬舟 他四篇』 2005.6.12

映画『山椒大夫』を観る前の予習で読みました。
『山椒大夫』『魚玄機』『じいさんばあさん』『最後の一句』『高瀬舟』『寒山捨得』の6篇です。
それぞれが、大変印象深かったです。
『魚玄機』などは、ちと私には難しかったんですが・・・。古文じゃん、コレって感じで。(^^;)

『山椒大夫』は、有名な安寿と厨子王のお話ですね。これって大昔にNHKの人形劇でやってませんでしたっけ。

『魚玄機』、美人の犯罪者って、なんか惹かれるものがありませんか?
そして、フツーの美人ではなく、すごい才女で中身は男ぽい人のはずが、嫉妬に狂い・・・と言う所が、みょーに色っぽいのです。
そして、殺しの場面がまた色っぽい。乱歩の『パノラマ島奇談』だったかの、首絞める場面の描写の色っぽさを思い出しました。

『じいさんばあさん』、いいですね。『最後の一句』も、実に心に残ります。

『高瀬舟』は、今現在もつきつけられている、安楽死の問題ですね。
考えさせられます。

どれも、淡々とした見事な文章の中に、生と死について鋭くつきつけられる、そして、ほのかなエロスも漂う内容でした。

岩波文庫で読みました。


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ドストエフスキー『死の家の記録』その3 2005.6.9

コレコレのつづきです。

次のを読んだ時は驚きました。これは今現代、凄く増加している問題で、まさに「今」の問題だと思ってたのです。

たとえば、こんな殺人者のタイプがある。しかもそれがひどく多いのだ。この男はしずかに、おとなしく暮している。生活は苦しいが----がまんしている。この男は百姓でも、家僕でも、町人でも、兵隊でもかまわない。彼は不意に身体の中の何かがぷつりと切れたようになり、がまんできなくなって、自分を迫害していた敵をナイフで突き刺す。ここで奇妙なことが起こるのである。しばらくのあいだ、その男は不意にはめがはずれたようになってしまう。最初に彼が殺したのは迫害者だし、敵だ。これは犯罪ではあるが、わかる。そこには動機があった。ところがそれから殺すのはもう敵ではない、行きあたりばったりに殺す、言い草が気に入らんとか、目つきが気にくわんとか、数がちょうどにならんとか、あるいはただ、「道をあけろ、じゃまだ、おれの歩いてるのが見えんのか ! 」とただそれだけで、おもしろ半分に殺すのだ。

今と少し違うのは、今は、2度目とかではなく、最初からこのような殺人事件を犯す事が多いですよね。殺人事件まで行かなくても、いわゆる「キレる」とゆーやつ。現代の話だと思ってましたが…

世界の名作には、監獄から生み出されたものが多くあります。また、獄中体験をされた作家で、偉大な人がほんっっっとに多いんです。
世界文学100選の1位に輝いたセルバンテスだってそうですよね。
( 100選はココから見てくださいね。)
これは無視出来ない事実だと思うんですよ。ほんと、何故なんでしょう。この辺の研究をした人っているんでしょうか。

新潮文庫、工藤精一郎・訳で読みました。


死の家の記録 (新潮文庫)死の家の記録 (新潮文庫)
(1973/07)
ドストエフスキー

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ドストエフスキー『死の家の記録』その2 2005.6.8

コレのつづきです。

ドストエフスキーの小説を読むと、人間は100年前からちっとも変わっていないんだな、と思う事がよくあります。現代の事に置き換えても全く違和感のない事実があるんですよね。
100年前から存在している問題が、何も解決されていないという事に驚かされたりします。

何故こういう人間がいるのか?どうやっても理解に苦しむ人間というのは確かに存在し、しかも、生まれつき、そういうものを備えているというのが、FBI等の研究や何かで、いろいろわかってきてるんですよね。
そんな「サイコパス」の例が、1860~1862年に発表された『死の家の記録』に何度かに渡って出てきます。

p.25~

その男は貴族の出で、勤めはあったが、六十になる父親にしてみれば困った道楽息子だったらしい。彼はやることがまるでめちゃくちゃで、かなりの借金をつくった。父はうるさく叱言を言って、彼を抑えつけていた。ところで父には屋敷と農園があって、金もあるらしいと見られていた、そこで----息子は遺産ほしさに、父を殺害した。犯行は一月後にやっと明るみに出された。当の犯人が、父が行方不明になったと、警察に届け出たのである。その一月のあいだ彼は放蕩のかぎりを尽していた。とうとう、彼の留守のあいだに、警察が死体を発見した。裏庭を断ち切るように、板のふたをした下水が通っていた。この下水の中に、死体が横たわっていた。死体はきちんと服を着せられていた。白髪の頭は切りおとされていたが、胴体にくっつけられて、その下に枕があてがわれいていた。彼は自白しなかったが、爵位と官位を剥奪されて、二十年の流刑に処された。--中略-- 話のあいだに彼はよく父の名を出した。あるとき、わたしと話をしていて、彼の一族は代々体格がよく身体が丈夫だという話から、「たとえばおれの親父だが、死ぬ真際まで、どこが悪いなんてこぼしたことは、一度もなかったよ」と付け加えたものだ。このような野獣にもひとしい非情さは、もちろん、考えられぬことである。これは異常な現象で、そこには何らかの組織の欠如、肉体と精神のゆがみのようなものがある。そしてそれはまだ科学の上では明らかにされていないが、ただ犯罪でかたづけられるものではない。--後略--

次の人物なんて、まさに、サイコパスの典型テッド・バンディーの特色を備えた人物ではあーりませんか。

わたしの目に映ったAは、歯と胃をもち、もっとも粗暴な、もっとも獣的な肉体的快楽に対するあくことを知らぬ渇望をもった、肉塊のようなものであった。ごく些細な、ほんの気まぐれな快楽をみたすために、証拠さえ残らなければ、彼は冷酷きわまりない方法で殺したり、傷つけたり、要するにどんなことでもできる男なのである。わたしはすこしも誇張していない。わたしはAの人間をよくよく見きわめたのである。これは人間の肉体的な一面が、内的にいかなる規準にも、いかなる法則にも抑えられない場合、どこまで堕落しうるものであるか、ということの一例である。そして、彼のいつもせせら笑っているような薄笑いを見ることが、わたしにはどれほどいまわしかったことか。それは化けものだった、道徳面のカジモドだった。そのうえ彼が、ぬけ目がなく小利口で、美男子で、すこしは教養もあり、それに才能もあったことを考えていただきたい。ああいやだ、社会にこんな人間がいるくらいなら、火事でもあったほうがまだましだ、疫病や飢餓のほうがまだいい !

2つの引用だけで、とんでもなく長くなってしまいました。(^^;)
なので「その3」につづきます~


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ドストエフスキー『死の家の記録』その1 2005.6.7

ドストエフスキーを好きになって何年になるだろうか。今頃になってこれを読んだのは遅すぎるくらいでした。それだけこれは重要な作品だと思います。
あの『白痴』はここから生まれたんですね。
これは、ドストエフスキーの獄中体験記でありますが、「妻殺しの罪で徒刑囚となり、十年の刑期を勤め上げ、シベリアの小さな町でひっそりと死んでいった男の手記」という形をとっています。
そういう訳で、監獄の記録だけでなく、妻殺しの男の苦悩に充ちた恐ろしい物語が結びついていたことが察しられるのですが、これはのちに『白痴』のロゴージンとナスターシャの物語に実現されることになるのです。そしてこの作品では、シベリアの監獄の記録だけが残ったのだそうです。

『白痴』の感想は、4度に渡って書いてますので、興味のある方はこちらから~。

また、ドストエフスキーは、兄宛の手紙で次のように書いています。

「ぼくは監獄生活から民衆のタイプや性格をどれほどたくさん得たかわかりません。浮浪人や強盗の身の上話をどれほど聞いたかわかりません。何巻もの書物にするに足るでしょう ! 」

これを読んでも、この作品がいかに重要なものかがわかります。
シベリアの獄中記録という意味でも興味深い貴重なものであり、さらに、フィクションという形をとっているものの、事実上はノンフィクションに近いもので、ドストエフスキーの体験談で、その後の数々の名作を生み出した原点でもあるとう意味で、実に実に重要な作品だと思います。

序盤では、裏切りが当たり前の事であったりする事実等、同じ獄中日記であるジュネを連想したりもしましたが、読んでいくうちに、ジュネの事はきれいさっぱり忘れていきました。(笑)

ジュネについてもいっぱい書いてますので、こちらからよろしく~。

犬とのやりとりなどでもわかる、ドストエフスキーのやさしさ、貴族である事での獄中での苦しみ、孤独等が伝わってきて、ドストエフスキーがさらに好きになりました。

それと、注目すべきは、やはり人間観察の鋭さでしょうか。
後の小説にも、心理学的な鋭さが随所に見られますが、この作品にも、まさにこれは、今でいう「サイコパス」そのものじゃないかと言う人物の例が出てきます。
その辺、ちょっと長い引用になるので、次回にわけます。


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『ハンガリー"千年王国"への旅』その2 英雄話 2005.6.2

昨日ルービック・キューブ等について書きましたが、またまたこの本からです。

この前の旅行、ウィーン、プラハ、ブダペストのガイドブックを見ると、ハプスブルグ家と言うのは、戦争ではなく婚姻によって領土を広げていったと言う、なにげにいい印象を抱かせられていた気がするのですが、ハンガリー側から見ると、オスマントルコをやっつけてくれたハプスブルグ家だけど、トルコに支配されていた時よりも、さらに長く辛いハプスブルグ家による支配が続いたと言う事だそうです。
アンチハプスブルグとして戦った人達が英雄とされている事が多いです。
辛い時代を通って来たからこそ、愛国心もそれだけ強いのでしょうか。ハンガリー人の愛国心は、真直ぐで気持ちの良いものに感じられます。
それにしても、こんな国で生まれ育っていたら、私も愛国心が持てたかも・・・羨ましいと思ってしまいます。

数々の英雄の中でも、とっても心に残ったこの人の事を。
あの素晴らしく美しい「くさり橋」をつくったセーチェーニ・イシュトヴァーンです。

彼はハプスブルグと真っ向から対立するのではなく、上手に和協していくことが一番の得策であることを唱えた人だそうです。

世の中には、人様の税金で飲み食いし、海外旅行に何10万円も使ったりして遊ぶ金に使ったり、或はテレビの受信料を人から取っておいて、それを自分の遊ぶ金に使ったりする人達もいるわけですが、そーゆー人達はセーチェーニ・イシュトヴァーンの爪の垢を煎じて飲んでください。
彼は国の為に、自分のお金を費やした人なのです。

ブダとペストを結ぶ最初の石橋を建設するために、イシュトヴァーンは貴族たちに呼びかけて建設費を募り、自らも多額の寄付をしたそうです。
それがあの「くさり橋」です。
こちらに私の撮った写真があります。一番下の夜景の右側も多分…。ライトアップするとチェーンのように見えます。きれいだった~♪

そして、くさり橋のペスト側の袂にある、科学アカデミーの荘厳華麗な建物。これはイシュトヴァーンが自分の一年分の収入を、そっくりそのまま寄付しているとか。

しかし、1848年4月にスタートした独立内閣が、発足と同時に様々な問題を抱え、解決できないまま半年後の九月に分裂。イシュトヴァーンは失望のあまり精神病を患い、サナトリウムへ。
そして1860年にピストル自殺を遂げたそうです。

以下引用。

決定的に異なるのは、エステルハージやフェシュテティチュがハプスブルクとのつながりによって築いた富を主に自らのために使ったのに対し、セーチェーニは国民のために使ったことである。



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ルービック・キューブの生まれた所は? 2005.6.1

図書館で借りた『旅名人ブックス プラハ・チェコ』が良かったので、ブダペストもないかな~と楽天ブックスを探した所、品切れだったのですが、フリマで700円でゲトしました~♪
『ハンガリー「先年王国」への旅』。





『旅名人ブックス』は、ガイドブック的によりも、読み物として楽しめるのでオススメです。帰ってきてから読むのにイイね~こーゆーのは。
ブダペストってガイドブック見ても情報量少ないんですよ。でもコレ読んで、行った所もちゃんと確かめられたし、いろんな事がわかりました。

これはガイドさんも言ってて、へ~と思ってたんだけど、ふつー、欧米人って、名前を書く時は苗字より名前が先に来ますよね。しかし、ぬわんとハンガリーは、日本と同じように苗字が最初、名前が後に来るですよ !
何故かとゆーと、ハンガリー人は遠い昔、アジアのウラル山脈地方に住んでいましたが、五世紀頃から西へ移動し始め、ヨーロッパへ入って定住したアジア系の民俗だからだそうです。
結構親しみ持ってしまいませんか?

さらに、昔昔に日本で大流行りした、あのルービック・キューブは、ハンガリーの玩具制作者ルービック・エルネーによって考案されたんだって !
数学者で大道芸人のピーター・フランクルがハンガリー人って事で、なにげに納得。
あの人すんごい頭イイですよね。

さらにさらに、私たちが毎日使っているボールペンも第二次世界大戦中にビローという人が考案したビック・ボールペンの商標で売り出されたものだそうです。

報道カメラマンのキャパや、指揮者のゲオルグ・ショルティー、ユージン・オーマンディー、ジョージ・セルもハンガリー人。これは結構有名かもしんないけど、あとリストですね。リスト・フェレンツ (フランツ・リスト)。

って訳で、他にもいろいろ書きたいのですが次回UP予定。

プラハ→ウィーン→ブダペスト旅行日記

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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
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