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ドストエフスキー『鰐』 2005.7.30

ドストエフスキイ前期短篇集を読みました。
福武文庫、米川正夫訳。

ドストエフスキーの、あまり知られてない短篇、実は結構眠いのが多かったりするんですが…ドストエフスキー大好きさんが読むと、ここにあの小説の元になる鍵がある ! てな読み方をして楽しめる訳です。
しかし、やはりつまんないものはつまんない、と私は思うのです。読むのキツーって感じなんすよね~。
この前期短篇集、『初恋』『クリスマスと結婚式』『ポルズンコフ』『弱い心』『鰐 パッサージュにおける突拍子もない出来事』の6篇です。
一部は再読なのにもかかわらず、まるで覚えてないし・・・最初の三作あたりは、しんどいなーと思いつつ読んだのですが、『弱い心』はちょっとおもしろく、次の『鰐』、これが実におもしろかったのでR。

カフカはドストエフスキーの事を言及しているし、当然影響を受けていると思いますが、もしかしたら、この作品、カフカに多大な影響を与えているのではないか知らん……。カフカにドストエフスキーのどの作品が好きか聞いてみたいっす。

*ネタバレしますよん

これ、鰐に食われた人が、やけに冷静なのが笑えるんですよ。
ココなんて、『変身』クリソツではあーりませんか。鰐の腹の中で答えるマトヴェーイチ。

「生きているよ、健在だよ」とイヴァン・マトヴェーイチは答えた。「それに、神さまのおかげで、なんの傷もつかずに呑み込まれたよ。ただ一つ心配なのは、このエピソードを上官がなんと見るかだ。なぜって、外国行きの切符を手にいれながら、鰐の腹へ入り込んだのだからね、あまり気がきいてないもの……」

鰐に食われてるんですぜ、あーた。それどころじゃねーだろと。
そして、奥さんや周りの人達の動きがまた笑えます。鰐の飼い主のドイツ人とか。んなアホな…て感じですぜ。
鰐の方が同情される、とゆー結末も、『変身』と共通の悲しいものが漂ってるとゆー気がします。

他のつまんない作品の中にも、やはりドストエフスキーだと思わせる、鋭い箇所があったりします。
以下『初恋』より引用。

 幾たりかの人が、前面へはっきりと押し出された。悪態、陰口が横行したのはもちろんである。なにぶんこれが世界を支えているので、もしこれがなかったら、何百万という人が退屈のあまり、蠅のようにころころと死んでしまうだろう。


ドストエフスキイ前期短篇集 (福武文庫)

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テーマ : 読書感想文
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若泉さな絵『ティティの生活絵本』 2005.7.27

相互リンクさせていただいている若泉さな絵さんの本『ティティの生活絵本』を読みました。
ブログで、すんごいかわいい絵とユーモアとセンスの光る文章に参っちゃいまして、本を購入しちゃいました~。レビューの評価が高かったのも、購入を決心させる一因となりました。(ブログ、いつも楽しみにしています♪)

もう、なんと言っても、ネコのキャラさんのキャラ (クター) に参ってます。かわいすぎ~。
「電動はやっぱりラクだなー。」と言いながら、電動泡立て器でクリームを泡立てたり、おにぎりの海苔をねらったり、ちくわの木を育てようとするキャラさんのかわいい事と言ったら ! 顔がニヘラ~としちゃうではあーりませんか。
ティティさんとミケルくんとキャラさんの3人の生活が、素敵なかわいい絵で紹介され、その中に、生活の知恵や豆知識がいっぱいつまっているのです。
ちょっと物知りになれますぜ。
素敵な御夫婦でうらやますぃ~っす。(^^)
それと、栽培して失敗したトマトの話など、失敗もうまく利用し、工夫して楽しく乗り切る所など、ほんと、生活の知恵ですよね。すっぱいトマトも、ソースにすれば、かえって酸味が効いて美味しいのですね !
そして幸せはその辺にころがってるとゆーのは、私も常々思う事なので、 <はじめに> の文には大賛成 !
読んでいて、豊かな生活ってこういう事を言うんじゃないかな~と思いました。
時々パラパラと眺めて、なごみたい本です。素敵な本に出会えました♥

ティティの生活絵本ティティの生活絵本
(2004/11/27)
若泉 さな絵

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テーマ : 児童文学・童話・絵本
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プーシキン『オネーギン』(再読) その2 2005.7.26

*映画のネタバレもちょびっと。

これの映画の感想をココにUPしてますが、この映画観た時に疑問だったのが、決闘シーン。オネーギン、それはねーだろと・・・。ココすんごい気になってたんすよ。んで原作読んだら、違うんですね、やっぱ。原作の方がぜんぜん自然です。なんでだろなー、映画。後から撃つんならハズせばいいじゃないっすか、と思いますよね。オネーギンの嫌なやつぶりを強調したかったんでしょうか? 原作は映画ほど嫌じゃないので。

古本で読んだのですが…ちょうどこの決闘シーンの所で、「ここを読んでいた時、地下鉄日比谷線銀座で高校生の暴力沙汰があった」とのメモが。1975.4.11だって !
古本に線引いてあったり、関係ない落書きがあったりするのは嫌だけど、こーゆーのはおもろいっすよね~。
以前、なかなかの詩が書いてあったのもありました。

わかるな~と思った一文を引用。実に見事な文です。池田健太郎の訳がいいのかもしれません。

 だがどうだろう ! 眼は読みながら、思いは遠くへ飛んでいた。空想、希望、悲嘆などが、深く魂へ食い入っていた。魂の眼は印刷された行と行とのあいだに、もう一つの行を読んでいた。彼が没頭したのはその行である。それはなつかしい、ほの暗い古 (いにしえ) の秘かな語り伝えや、何のかかわりもない夢や、脅しや、噂や、予言や、あるいはまた長いおとぎ話の生き生きした一節や、若いおとめの手紙だった。

<後記> に、またまたドストエフスキーに関しての記述がありました。以下引用。

また、オネーギンが後の <<余計者>> の原形であること、ドストエフスキーがこの韻文小説の道徳的な意義を評して、タチヤーナのオネーギンに対する勝利は、信仰と確信の喪失から生じる知的空虚さに対する、ロシア人の正義感の勝利の象徴だと言ったことは名高い。

岩波文庫、池田健太郎訳で再読しました。





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プーシキン『オネーギン』(再読) その1 2005.7.25

*ネタバレあり

いやあ、これってこんなにおもしろかったけ?と思ってしまいました~。
前読んだ時、ツルゲーネフだとか美文的なロシア文学をいろいろ読んだので、ごっちゃになってるみたい。それにしてもなあ…自分の記憶力の悪さにビックリです。

これは現代にも充分通じる、しかも、そのへんによくある恋愛の形ですね。
ありがちなのは、昔自分に夢中だったオンナに見向きもせず、数年後に見違えるようにキレイになったその人を見て「もったいない事したなあ」とゆーオトコ。(笑)
そのくらいならまだいいが、その人が既に結婚したりなんかして手後れだっつーのに、惚れてしまふオトコ。それがオネーギンなのです。
もしかしたら、その人がキレイになったのは、あなたが振ったからかもしれませんぜ。オンナは振られると「絶対キレイになってやる ! 」って頑張っちゃうんですから。
感心しちゃうのは、振る時の優越感タップリな感じの表現です。もう、なんつーか、大人な態度な自分にうっとりって感じなんすよね~。

にゃるほど ! と思った一文を紹介。

 女性を愛する度合が少ないほど、それだけ容易にわれわれは女性に好かれ、それだけ確実に女性を、誘惑の網目のなかで滅ぼすものだ。

そして、タチヤーナの振るまいのカッコイイ事 ! それに比べてオネーギンのだめぶりと言ったら。かっこわる~。ここでもまた、男と女の違いがクッキリと出ているのです。
昔もらったラブレターをずーーーっと取っておく所が、また男だなあ、て感じです。
女はやっぱ強いっすよ。
この逆転劇は気分イイです。

それと、この小説のいい所は、ヒロインであるタチヤーナが、典型的ヒロインタイプではない所でしょうか。華やかさとは正反対な、繊細な文学少女なのです。なんかうれしっすよね~。

これらが実に見事な、詩的な、流れるような美しい文章で語られるのです。
韻文小説を散文訳にしたのだそうです。
そして、サイレントの弁士を思わせるような、言葉の調子なのです。いや~素晴らしいです。
チャイコフスキーがオペラ化したのもわかります。

映画での疑問と、引用を2つほどしたいので、長くなるのでまたまた次回へつづきます。





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寺山修司 さかさま世界史『英雄伝』その4 2005.7.23

ニーチェに対して、

 だが、「超人を目ざすもの」が、たかが四十四歳で精神病に罹り、五十六歳で死ぬとは、なんと悲しい冗談だろう。トレーニングをおこたり、ひたすら書物の谷間で木洩れ陽をあびながら、瞑想と惰眠にばかりふけっていたと思われても、仕方ないではないか。

とは、ひどすぎませんか?
ニーチェの狂気は、梅毒のせいだとする説もあるじゃないっすか。
例えそうじゃなくったって、セロトニンの不足など、物理的理由で精神病にだってなるんですから。(ドイツは陽がさす事が少ない為、セロトニン不足で鬱病が多いって聞いた事もあります。) 気持ちの問題だけにはできないでしょう。

リルケに対しては、

 リルケがなぜ母親を殺さなかったのか、ということを推理してみることは、興味深いことである。リルケがなぜ母親を捨てなかったのか、なぜ冷たい仕打ちを与えたり、養老院に売りとばしてしまわなかったのか?

って、あーた、フツーの暖かい心の持ち主なら、寺山さんのように、そう簡単に親を捨てたりはしないんですよ。(しかも母1人子1人ですぜ)

<解説> で、小中陽太郎が、
<<それは少年時代から孤独でだれにも愛されなかったエジソンが生涯かかってくりかえしつづけた人間関係の拡張といったことだったように思われる>>
 こう書くとき、寺山は、ほとんど自分のことを語っている。


と書いてますが、なんだか、これらの人格批判の中に、寺山修司その人のゆがんだ物が垣間見えちゃった感じでした。
しかし、そういうものを踏まえた上で、寺山の孤独とさびしさを感じつつ、こちらも寛大に理解しつつ読むというのが、案外正しいのかもしれません。
って事は、これ読む前に寺山ファンになってなきゃって事になるのですが・・・。

勿論多才な人との印象は変わらないし、文章もうまいし、源氏物語の現代バージョンとか、なかなか笑えた所もあるのです。
あと、表紙の女性の着物が素敵♪

・・・と、ぼろくそに書いてきましたが(^^;)、他のさかさまシリーズも読みた~い。(笑)
教えてくれたとこみんさんに感謝です。

関係ないけど、武勇伝 (お笑いの) は結構好きです。(笑) ♪ぶゆうでんぶゆうでん ぶゆうでんでんででんでん♪


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寺山修司 さかさま世界史『英雄伝』その3 2005.7.22

イソップに関しては、嫌悪感を露にしてますね。

このゾッとするようなエゴチズムが、小学生の教室で美しい女の先生の口から語られ、全国中に無数のイソップっ子が出来上がってゆくとき、世の中はますますアパシー (無感動) におかされてゆくことになるだろう。

と書いておきながら、

私はあらゆる処世術がきらいだが、とりわけイヌだのヒツジだのの名を借りて奴隷のモラルを説くイソップ物語は古本屋に叩き売りたい。

というのは、矛盾してませんかー?
古本屋に売るという事は、それを誰かが買って読む事を前提にしているのですから、人に広めたくないのであれば、捨てるか燃やすか、そのまま自分が持っているべきなんじゃないでしょうか。(ちと魔邪的ツッコミ?)

シェークスピアの『ベニスの商人』のユダヤ人差別には、私も苦笑しちゃいましたが、もし、この時代にシェークスピアと同じ環境にいたら、自分だってわかんないじゃないっすか。

ゲーテの『若きウェルテルの悩み』には、実は私も、これ読んだ時に「バカじゃなかろうか」と思ったのです。なので結構同意しちゃいましたが、寺山修司のように、それでゲーテが嫌いになったりはしませんでした。
この小説からの判断で、ゲーテの人格批判までするのは、いかがなもんでしょうか。
そして、北島三郎の『博多の女』という詩を例にとり、

人を愛する自由は、人間が獲得しうるもっとも基本的自由であって、何びとからも制約されるべき筋のものではない。「あの女はおれのものだから、どうか好きにならないでくれ」という仁義は、女を人間としてではなく、身のまわり品か愛玩物として考えることになるだろう。

と書いておきながら、

ひとの妻とも知らないで博多に来たなら、ひとの妻だと知ったときからこそ物語は始められるべきで、「あきらめて」「面影を抱いて」帰ってゆくのでは、パテント登録におくれた中小企業の商標メーカーとかわるところがない。

というのも、矛盾してると思うんですが…。最初の論理からいくと「諦める」べきなんじゃないっすか?

・・・とマイクをたたきつけながら <その4> へとつづきます。

↑ 当時マジャ・コングが「エンタの神様」でこれ ↑ やってた事からのネタです(笑)


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寺山修司 さかさま世界史『英雄伝』その2 2005.7.21

昨日のつづきです~。

コロンブスについては、だいたい同感です。てか、今ではこの意見が主流な気が・・・。(この本の出た頃は、斬新だったかは分かりませんが)
p.8の彼が持ち帰ったのは、梅毒と煙草である。梅毒はアメリカの風土病だったのだが、コロンブス探検隊員によって、スペインやイタリアに持ち帰られた。には、へえ~、と思いました。
昔は随分と大勢の才能ある人達が梅毒に殺されましたが、コロンブスのせいだったのねん。

次のベートーベンについては、これはあんまりだと思ってしまいました。
だって彼は、その気性の激しさゆえに苦しんだのではないですか。
ウィーンの森を散歩する時に、やっと安らぎを見い出したベートーヴェンの (ココを参照)、自分ではどうにもならない性質を攻撃対象にする寺山は、ちとイヤだな、と思いました。

余談ですが・・・、この前なにげにかけてたクイズ番組で、「ベートーベン」との字幕が何度も表示されてたんですが、この点は何ですかーーー?
これじゃ、ベートーが名前がベンか苗字じゃないっすか。
彼はルートヴィヒとゆー名前がちゃんとあって、ベートーさんではないんですが。

次のエジソン。p.37

 森の中をはだしで駆けまわり、自製の電信線を張っていたエジソン少年が、やがて大都会の孤独な生活者たちの声と声とのあいだに電信線を張りめぐらす電話を発明し、見えない人間を実在化し、スクリーンに光と影だけの人間のドラマをうつし出して、幻想に市民権を与えたことを思うとき、私はエジソンの発明を、幸福論としてみないわけにはいかない。
 エジソン自身が言うように、彼の発明は「頭の小さな資本家のためではなく、たのしみのため」につづけられたのであり、それは少年時代から孤独でだれにも愛されなかったエジソンが生涯かかってくりかえしつづけた人間関係の拡張といったことだったように思われる。


とあります。こーゆー文章はうまいっすよね。
エジソンがだれにも愛されず、孤独であったかどうかは知りませんが、しかし、そういう人が果たして電話を好むかどうかは、ちと疑問であります。

<その3>へつづきます。

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寺山修司 さかさま世界史『英雄伝』その1 2005.7.20

寺山修司は、劇団天井桟敷や、作詞等、その多才ぶりには注目するも、CM等の印象から、なんだかきどったかっこつけたイメージがあって、どーもいまいち好きになれなさそうだったんですが、何かのきっかけで『書を捨てよ、町へ出よう』を読んでみたら、これがもう実におもしろいぢゃないの ! すんごい楽しく読めちゃったのです。

 

それで、別にきどったりしてない、おもしろい人なんだなあ、と思っていて、今回、とこみんさんの日記を見て、挙げている人物への興味深さから、これは是非とも読んでみなければ ! と思っていたら、図書館にあったので借りて読みました。

書かれている面々ですが・・・
コロンブス/ベートーベン/エジソン/イソップ/ガロア/シェークスピア/二宮尊徳/ゲーテ/ダンテ/スタンダール/毛沢東/カミュ/ニーチェ/聖徳太子/カフカ/マルクス/紫式部/セルバンテス/トロツキー/孟子/キリスト/プラトン/リルケ

(とこみんさん、すみません、面倒だったのでコピペさせていただきました~。尚、「トロツキー」のツは大文字に変更致しました。ごめんなさいっ。決して揚げ足とりのつもりじゃないんで。(^^;))

しかし、これはいまいち笑えんかったです・・・。

第一に、その時代、その状況においてしか判断できない事に対しても、寺山は (書いた当時の) 今の自分の環境を規準に批判しているので、どーも、まとはずれな感が否めないとゆー感じが。
シェークスピアの所など、まさに。

第二に、「木を見て森を見ず」的な所もちらほらと。
ほんの一部だけを挙げつらって、その人の人格全てを否定しちゃうのは、いかがなもんでしょうか。
特に、イソップ、ゲーテなど。

第三に、これはただのひどい誹謗中傷にしかすぎないんではないか、と思える箇所も多数でした。

私としては、斬ってる人達が、別に斬ってほしい人達ではなく、他にもっとバサバサ斬ってほしい人がいそうな気がするんですよね。

って訳で、詳細は例によって、次回へつづきます~。

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『場』ドストエーフスキイの会の記録I 1969-1973 2005.7.19

2月25日の日記で、この本をゲットした事を書いてます。
今この日記見て思い出したが、ユリイカも買ったのだったか !

今も活動を続けるドストエーフスキイの会の発足当時の本という事に興味をひかれると共に、1969年~1973年という時代が、実に興味をひいちゃいます。
あの時代の熱さが伝わってくるような所もあります。
川端康成の自殺にふれている箇所もあったり・・・この頃に自殺したのかあ、なんて思いますね。
ちなみに1968年について、以前、いろいろ考えて書いています。是非こちらを。

それと、発足当時のメンツのすごい事よ !
ドストエフスキーを読んでいる人なら、必ず知っている、名翻訳者の面々がズラリですぜ。
く~っ、もっとむかーーーしから知っていれば、江川卓や埴谷雄高の講演が聞けたのかも・・・。

中でも印象的だったのが、清水正さんの文章です。
ドストエフスキーに関しての文って、なんか理屈っぽい、コムズカシイのも結構あって、頭痛がしてきそうなんですが、清水さんのような文は気持ち良くて大好きです。
残念な事に、一年ぐらいで退会してしまわれたんですね。
第九回例会報告要旨の『ドストエフスキーに関する勝手気儘なる饒舌』の、セリーヌ風の「 ! 」マーク連発な文章が実に好きなんですが、どこを紹介していいのか悩むので、以下は『ドストエフスキー体験』という、当時自費出版された本の紹介です。

ドストエフスキーの作品は濃厚毒酒である。なまじっかな体質では殺される。故に一滴飲んでもう結構という輩もいれば、強烈な異臭に鼻をつまんでまっぴ御免と尻込みする者もある。口に含む勇気はないが気になって仕方がないという連中はもっぱら酒精の分析に熱をあげる。この酒には幾つもの副作用があり、中毒症状が顕著である。常用していると先ず人づき合いが悪くなる。極度の皮肉屋が生まれ、時に泣き上戸もできる。愛飲家は反抗的で虚無的で同時に博愛心旺盛で人類愛にも富んでいるのだが、程々ということがないから世間にひどく嫌われる。現在迄発売は禁止されていないが、一般には飲まないことが望ましいとされ、この酒の悪口を喧伝することは大いに歓迎されている。勿論、中毒患者は地下室に閉じ込められる。が、地下へ追いやられる程に症状の進行した患者は自分の体内に残った微かなエキスで、臓腑を同じ毒酒に変え得るから、彼は地下に座したまま、毒酒の味わいに酔痴れるのである。そこで彼は人が中途までも徹底させない意識を徹底的に追求する。この丁度を知らぬ性情の表われこそ、この酒のもたらす特徴であり、この意識の徹底に耐え得る体質者のみが、この酒を飲み得るのである。

ぬわんと、この本を出された時、日大芸術学部在学中だったそうです。いやはや。この文章の巧さとおもしろさったら。学生ですぜ。

清水正
清水正ブログ
清水正研究室 on the web

あと、「某月某日 ドストエフスキーは・・・・」がおもしろかったです。
最近読んだばかりの、『死の家の記録』や『虐げられた人びと』のついても、いろいろ出ていて、おもしろかったです。

この会の在り方が実に素晴らしいのです。次の文が象徴してますね。

会とは無関係のある参加者が、あとでこのシンポジウムの持ち方について、専門家と素人とが全くの同一線上でディスカッションしており、そこにいわゆるアカデミズムに陥らない新鮮さと新しい可能性を感じ、それが最も強い印象として残ったと評価してくれた。これは私たちの会の発足の理念に他ならず、こういう会の一貫した姿勢がこのシンポジウムで一つの結実として打ち出せたことに最大の意義があったと思われる。

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『カフカ、映画に行く』その2 2005.7.17

この本、映画に関してのいろんな著名人の言葉がちらほらと出てたりしてるのが、ちょっとイイです。

以下、ギョーム・アポリネールの『地帯』より。

おまえは声をふりしぼって歌っているパンフレットやカタログやポスターを読む。
それは今朝の詩であり、散文のためには新聞がある。


1921年の或る日、パレスチナ移住に憧れていたカフカは、『シオンへの帰還』というパレスチナ映画を観ます。
1920年11月には、プラハでも反ユダヤ主義の暴動がおこっていたそうです。カフカがミレナ・イェセンスカに書いた手紙です。

「毎日午後には、僕は街でユダヤ人への憎悪を浴びています。ユダヤ人が <疥癬人種> と呼ばれるのも耳にしました。人はこれほど憎悪されている場所からは、逃げ出すのが当然というものではないでしょうか? (そのためにはシオニズムとか民族感情などというものはまったく不必要です) そこにとどまることに固執する英雄的精神は、浴室から一掃することのできないゴキブリのそれと同じです。--後略--」

ここに、もしかしたら『変身』が生まれた背景があるのかもしれません。

トーキー到来と共に、カフカに死が訪れます。サイレントと共に亡くなったのですね。
カフカの早世は惜しい事ですが、もっと長生きしていれば、妹達のようにナチに殺されていたのかも・・・と思うと、複雑な気持ちです。

この作者のハンス・ツィシュラーは、映画・舞台での俳優活動のほか、演出家、脚本家、プロデューサー、エッセイストとさまざまな顔を持つ多才な人だそうです。
俳優とての、映画出演作が、ぬわんと、ゴダールの『新ドイツ零年』、ローベルト・ファン・アカレンの『別れの朝』、ヴェンダースの『さすらい』だって ! !

  


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『カフカ、映画に行く』その1 2005.7.16

まるで『ドラキュラ都へ行く』とか『毒毒モンスター東京へ行く』のようなタイトルですが・・・人が毒虫に変身する小説は書いていても、化け物じゃなくて、カフカです。

これは、主に、当時の恋人フェリーチェ・バウアーへの手紙を元に、カフカの観た映画と、その時のカフカの心境、情況等が書かれている本です。

まず興味深いのは、カフカは映画誕生の時期をリアルタイムで体験してるのですよ ! キネマトグラフですぜ。日本では確か「活動写真」って言われてましたよね。
なので、もうサイレントもトーキーも終わって、CGやなんかまで導入された今現代観に行くのとは訳が違うのです。カフカの興奮ぶりもあったり前の話ですよね。
彼は「意識を失うほどの孤独」を求め、書く事からも解放され、映画館に行ったのです。
その何10分かは、日常を忘れてのめり込む事の出来た幸福な時間だったのではないでしょうか。

カフカはフェリーチェとは2度婚約し、2度ともだめになってるのですが、その時の情況もわかったりして、おもしろかったです。
これ、カフカの内面の問題だったんですね。ちとフェリーチェかわいそう・・・カフカからプロポーズしたのに、いざ共同生活をする事を考えると恐怖におののいてしまふのだから。
とは言え、カフカの一方的なラブレターを読んでいても、フェリーチェ像とゆーものが一向に見えて来ないのが不思議なのです。
そして、写真で見ると、ハッキシ言ってブス・・・。鈍くさそーな顔。この人<自分>とゆーものを持ってる人だったのかなーって感じがするのですが…カフカはプロポーズにOKした彼女にいささか失望したりしてるんですよね。

これも、またまた長くなってきたので、2回シリーズとさせていただきます~。


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ドストエフスキー『虐げられた人びと』その3 2005.7.14

どうしてこうも、大袈裟で普通でない人達ばかり出てくるんだろう、と思ってしまうのが、ドストエフスキーの小説ですが、この『虐げられた人びと』の中では、語り手のイワン・ペトローヴィチだけは、唯一、実に一般的で平凡な、常識的な、ごくごくフツーの人という感じがします。
だからこそ、語り手となり得るとも言えると思いますが。

おもしろいのが、彼は作家という設定でして、処女作で絶賛された後、ちょっと低迷するのです。
これは、そう、まさにドストエフスキーその人ではないですかっ !

ドストエフスキーの処女作『貧しき人びと』
(↑これも大好きな小説です。笑えます~。その後の『分身』やなんかより、やはりピカ一におもしろいと思います~)



そんな、ニヤリとしてしまう所もある小説なのでした。

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ドストエフスキー『虐げられた人びと』その2 2005.7.12

アリョーシャという男は、軽薄を絵に描いたような、人に流されやすいバカなおしゃべり男で、こういうヤツは大嫌いですね。しかし、この男、『白痴』のムイシュキン公爵と似ている気もするのです。
カフカの小説に出てくる、とんでもなく子供的な笑える人々にも似てるかも~。例えば『城』の、測量士Kの助手達等ですね。
そして、思うのは、『白痴』を読んだ時と同じく、純粋な人と言うのは、こうも人に害を及ぼすものなのか ! と言う事です。

おもしろいのが、アリョーシャの父親のワルコフスキー公爵。
ドストエフスキー小説に出てくる悪人というのは、私には結構好感が持てる場合が多いです。
何故なら、彼等は、やけに素直な所があるからです。偽善者とは違うんですね。
ワーニャをレストランに誘っての長い会話なんて、まるで『悪霊』のピョートルくりそつではないですか。

 

訳者、小笠原豊樹の解説では、これらの「虐げられた」諸人物と全く質の異なる人間像として登場するワルコフスキー公爵が、後年の作品の悪魔的な人物----『罪と罰』のスヴィドリガイロフや『悪霊』のスタヴローギン----の先駆をなすものであるという点で、多くの評者の意見は一致している。とありますが、私は、この人は、スタヴローギンよりピョートルだと思います。

「とにかく仮定してみてください。つまりわれわれが一人残らず自分の秘中の秘ともいうべきものを吐き出すとね。それも、口にするのが恐ろしいような、人には絶対に言わないような、あるいは親友にも決して言いたくないようなことだけでなく、自分で自分に認めることすら恐ろしいようなことまでも、一つ残らず恐れることなく吐き出すとする。そうしたら世界には恐るべき悪臭が立ちこめ、われわれはみんな息が詰ってしまうかもしれない。」

「あなたは罪悪、淫蕩、不道徳という点で私を非難なさるが、今の私が悪いのは、もしかすると、ほかの人間より露骨であるということだけで、ほかには何もないかもしれない。つまり、今申したように、ほかの人たちが自分自身にすら隠すことを、私は隠さないということですね……」


これらのセリフなんて、まさに『悪霊』のピョートルの「賢い人間と愚かな人間がいるだけで、卑劣漢でない人間などいるわけがない」ではないですか。

<その3>につづきます~。

虐げられた人びと (新潮文庫)虐げられた人びと (新潮文庫)
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ドストエフスキー

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ドストエフスキー『虐げられた人びと』その1 2005.7.11

『白痴』再読をきっかけに、今年はちとドストエフスキーを読み進んでみよっかなと。
これはおもしろく、ぐいぐい読めちゃいました。
それぞれのキャラが実に活きてます。
中でも、大変奇異な印象を受けるのは、ネリー。
彼女のおじいさんと犬がまた、とんでもなく変です。

人柄に一番好感が持てたのは、ニコライ・セルゲーイッチ老人です。
ロシア的な、感激屋の愛すべきキャラ。
なんだかバルザックの『ゴリオ爺さん』を思い起こしちゃいました。



娘のナターシャは、軽薄で薄っぺらな男アリョーシャに、そういう人だと分かっていながら惚れて、両親も何もかも捨てて、この男についていくのですが、「なんでこんな男に?」と何度も思わずにはいられませんでした。
このヒロイン、どーも好きになれないのですが、理由はいろいろあります。
語り手であるワーニャことイワン・ペトローヴィチに愛されているのをいい事に、散々奔走させるじゃないですか。ネリーの事を思えば家にいるべきだ、なんて口では言っておきながら、また散々自分の所へ呼びつける所が嫌です。
そして、どうしようもないバカ男アリョーシャへの愛の為に、大事な両親を捨て、しかも確かな結びつきもなく、すぐに人に影響されてフラフラし、いずれ自分を捨てるとわかっているような、そんな不幸な恋愛の為に、善良で愛情深い両親を捨てていくのは、強いエゴじゃないかなーと思ってしまいます。
まあ、情熱的なんでしょうけど、それにしてもこんな男じゃなければ・・・よりによってって感じっす。
どんなに辛かろうと、断ち切るべき恋愛だったんじゃないでしょうか。どうしたって希望の持てない、破滅は目に見えているとゆーのに。ってか、やはり、こんなの好きになるなんて、どーかしてる ! ! 自分が不幸になるだけならいいですけど、両親がかわいそうすぎます。
そして、「何故こんな男に?」という疑問に、成る程と思わせるワーニャのセリフ。

「たぶん、ナターシャが彼を愛したのは----なんと言ったらいいか……一種の憐れみからのようですね。」

そして、後半、ナターシャ自身の口から語られる次のセリフ。

「私、結論を出したのよ。私はふつう女が男を愛するように、対等の人間としてアリョーシャを愛してはいなかった、って。私はあのひとを……母親に近い愛し方をしていたのよ。でも二人が対等に愛し合う恋愛なんて、この世の中にはあり得ないような気もする。」

私は、キリスト教的な「憐れみ」というものが、どうも好きになれないでいるので、ナターシャが好きになれない理由は、ここにもあるのかもしれません。

長くなったので、次回につづきます。

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『世界幻想名作集』澁澤龍彦 編 その4 2005.7.9

この本のはじめに「幻想文学について」と題する、澁澤龍彦の文が出ています。
以下、そこから引用。

日本の中世にも、鬼や天狗の出てくる『今昔物語』や『御伽草子』があったように、ヨーロッパの中世にも、悪魔や魔女や巨人の出てくる妖精物語や奇蹟譚や伝説集があったのである。しかし、それらの寓話や伝説の世界と、近代の幻想小説の世界とでは、明らかに雰囲気が違っている。どう違うのかというと、前者は一種の魔法の支配する世界であって、奇蹟や変身が次々に起ったり、恐ろしい怪物が次々に現れたりするが、結局のところ、その世界は調和の保たれた、超自然の法則で統一された単純な世界でしかなったのだ。
 これに反して、近代の幻想小説の世界では、幻想や恐怖が宇宙の統一を破って、現実に侵入してくるのである。


には、にゃるほど~確かに。

ラストには「幻想美術の流れ」と題する文が出ているのですが、これが実におもしろい。
悪魔の変貌ぶりについて、引用です。

キリスト教美術では、悪魔は最初、誘惑の蛇として表現された。それが初めて人間の姿として現れるのは、六世紀以後である。しかしその人間の姿をした悪魔も、最初のうちは恐ろしいものでも何でもなかった。聖書の記述によれば、サタン (魔王) とは、神に反逆して天から追放された天使だったので、たとえ堕落したとしても、その天使的な名残をまったく失ってしまうことはなかったのである。
 事情が一変するのは、いわゆる西暦1000年ごろからである。この年は、キリスト教の至福千年説による世界絶滅と「最後の審判」の年にあたり、俗に「1000年の恐怖」と呼ばれて、ひとびとがこの世の終末に恐れおののいた年だった。修道院で禁欲生活をしている修道僧たちは、いずれも被害妄想的な不安におののき、悪魔の幻影におびえるようになった。こうして美術の領域においても、真に恐ろしい、グロテスクで醜悪な悪魔のイメージが造形されるようになったのである。十一世紀から始まるロマネスク寺院の石造彫刻には、じつに奇怪な姿をした各種の悪魔を見出すことができる。


また、ある美術史学者の意見によると、当時のヨーロッパの悪魔が蝙蝠のような膜質の翼をもっているのは、オリエントからの影響で、起源をたどって行けば中国の南北朝時代の仏教美術に到達するという。のだそうです。

好きなゴヤについての記述があったので引用。

 ゴヤは十八世紀の画家で、ゲーテやサド侯爵の同時代人だったということをおぼえておいても無駄ではあるまい。つまり、フランス革命を境として、十九世紀になだれこむ時代のターニング・ポイントに立っていたのである。それかあらぬか、ゴヤは人間の内部にひそむ悪魔的な欲望を、初めて白日のもとに引っぱり出すことのできた、まったく新しい目をもった幻想画家だった。近代の幻想画はゴヤから始まるといってもよいであろう。

人間の内面まで見抜く、ゴヤの視線の鋭さはスゴイっすよね。

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『世界幻想名作集』澁澤龍彦 編 その3 2005.7.8

コレコレのつづきです。
澁澤訳の『フランケンシュタイン』、流石に見事ではありますが、未読の方は、やはり全訳を読んでいただきたいです。
ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』と並び、不朽の名作です。 (断言)

これの作品解説に、あのケン・ラッセルの『ゴシック』の話が出てきます。( DVD化されてないの~?)
詩人シェリーと不倫関係にあったメアリは、スイスへ逃亡し、そこでバイロン、ポリドリと共同生活をし、皆で怪奇小説を競作することになるのですが、そこから生まれたのが『フランケンシュタイン』とポリドリの『吸血鬼』です。

 

以下、解説より引用。

この物語は、人間の神をもおそれぬ探究心の犠牲となった生き物の、大いなる悲哀を描いているのである。

シェリーの前妻は夫に去られて自殺し、このことに対する罪の意識が、作品に反映しているとか。
つまり、自らの意思に反して罪なき者を殺していく怪物の心情の中に、メアリーの屈折した心を覗くことができるのである。とあります。

そして <その4> につづきます~。

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『世界幻想名作集』澁澤龍彦 編 その2 2005.7.7

コレのつづきです。

この中で、みょーに気に入ったのが、アポリネールの『オノレ・シュブラックの失踪』です。
いやあ、これは実に無気味でおもろいです ! !
ちなみに訳は高橋たか子。
ラストの傍点のふってある箇所の無気味さと言ったらもう !
人間の動物化、昆虫化は、やはりカフカを彷佛されられますね。
ギョーム・アポリネール、実は初めて読んだのですが、も良さそうですね。

ホフマンの『砂男』は、夜子どもたちの眼に砂をまいて眠気を催させるという、童話や伝説に出てくる睡魔の一種である砂男が元になっているそうですが、コレも大変おもしろかったです。
解説によれば、ホフマンの幻想、怪奇、戦慄の世界は、バルザック、ボードレール、ポー、ドストエフスキー、さらにはワグナーらに影響を与えたそうです。いやはや、凄すぎ。

ポーの『黒猫』より、ちょっとおもしろい引用を。

やってはいけないことというただそれだけの理由で、なんどもなんども、下劣なこと、バカなことをやってる自分に気がつかなかった者があるだろうか。これがいちばんいいことだとわかっていながら、法はおかしてはいけないというただそのために、しょっちゅう、法をおかすような傾向がわたしたちにはないだろうか。

人の心理とゆーのはおもろいですね。
見るなと言われると絶対見ずにはおれなくなる。やるなと言われればやりたくなる。忙しくて全然時間がない時に限って、何故か普段やらない事をやりたくなる。(まろさん談)

そんじゃ、またまた次回につづきます~。

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『世界幻想名作集』澁澤龍彦 編 その1 2005.7.6

ココで「今読んでる本」だった世界幻想名作集 澁澤龍彦 編を読了。

職場近くの古本屋で手にとり、アルチンボルトの表紙、ボッシュ、ゴヤ、フュスリ、ベックリン、ルソー、ウィリアム・ブレイクまである、掲載されている絵が好きなのばっかなのにも惹かれ、そして訳者にも惹かれて購入しました~。
ココに目次が出ているので、興味のある方は飛んでみてくださいませ。

ポーの『黒猫』、リラダンの『ヴィルジニーとポール』、アポリネールの『オノレ・シュブラックの失踪』は全訳で、あとは抄訳です。
澁澤訳の『フランケンシュタイン』、種村季弘訳のホフマン『砂男』とカフカ『変身』、中井英夫訳のリラダン『ヴィルジニーとポール』と来たら、もうこれは読まずにはいられますか。
全ての作品解説を、紀田順一郎が書いています。

しかし・・・やはり抄訳とゆーのはツライもんがありますねー。
特に『変身』は、この前再読したばかりなので。種村訳っつー事で期待しちゃいましたが、抄訳では、あの小説のおもしろい所がかなーーり削減されちゃってますね。まあ、しかたないんでしょうけど。
私がココで引用した箇所など、全く出てこないとゆー有り様でした。
種村さんの解釈が聞きたいんで、解説も種村さんが書いてくれればいいのに、と思いました。
んで、紀田順一郎の解説にあるカフカ研究家のW・エメリヒは「カフカを読む者は、その作品が意味ぶかいものだと知りつつ、それを人に通ずる言葉に翻訳するのは不可能だと感ぜざるをえない。自分の言葉がまったく無力であることがわかる」という意味のことをいっている。カフカの特質と魅力をいい得ていると思う。には、全く同感です。

次回につづきます~。

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カフカの誕生日 2005.7.2

今なにげに、たまに見に行くココを見てみたら、今日はカフカのお誕生日なんですね !
カフカの言葉は心に残りますね。

5 青春が幸福に値するのは、美しいものを見る能力を備えているからです。この能力が失われると、慰めのない老年、つまり不幸が始まります。だから、美しいものを見る能力を保っていれば、人は老いぬものです。   「ヤノーホ「カフカとの対話」」     

 カフカ.F 1883年生


命日は6月3日です。41才の誕生日まで、あと1ヵ月だったんですね。

3 人は喜んでいるかのように振舞うだけのことが多い。私もそうだ。私は快活を装うが、それはその後ろにわが身を隠すためである。   
 4 家から出かけることは必ずしも必要でない。机についたままで耳をすますのだ。いや耳をすますこともない。ただ待つのだ。いや待つこともない。ただじいっと独りでいるのだ。そうすれば世界は自分から仮面を脱ごうとするだろう。おまえの前で世界は恍惚としてのたうち回るだろう。   「罪・苦悩・希望・本当の道についての考察」 
 
 カフカ.F 1924年没


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オスカー・ワイルド『アーサー卿の犯罪』 2005.7.1

中公文庫の福田親子訳で読みました。

『アーサー卿の犯罪』『カンタヴィルの幽霊』『謎のないスフィンクス』『模範的百万長者』『W・H氏の肖像』『散文詩』

の6篇です。
オスカー・ワイルド、好きですね~。何ともエスプリの効いたアイロニー的なユーモアが(・∀・)イイ! ですね~。
次のセリフなんか、いいではないっすか。前者は『アーサー卿…』、後者は『謎のないスフィンクス』内のセリフです。

結婚のための第一の基盤は相互の誤解ですよ。

女は愛するもので、わかる為のものじゃないよ


最初のは、ウィンダミア夫人のセリフの一部なのですが、この人は『失われた時を求めて』のゲルマント侯爵夫人を思わせる所がありました。

しかし・・・占いを信じて気をつけるのは分かりますが、占いを信じて、その通りに行動するアーサー卿は謎じゃ。

んで、特に気に入ったのが『カンタヴィルの幽霊』でした。すんごい楽しいっすね、コレ。
幽霊がせっせとつくる血痕を、「ピンカートンの完全しみ抜き」でせっせと擦りとってしまう所とか笑える~。
さびさびの鎖を身に纏う幽霊に、「タマニー日の出印潤滑油」を薦めちゃう所なんて、もう可笑しいったらありゃしない。
アメリカ人強しって感じの小説でした~。

『W・H氏の肖像』なんかも、実に良く出来てますね。永劫回帰だなあ…とか思ったりして。

ココココのオスカー・ワイルド語録も是非見てみてください。おもろいっすよね~。

アーサー・サヴィル卿の犯罪 (バベルの図書館 6)

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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
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