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千葉ロッテマリーンズおめでとう&中崎タツヤの漫画 2005.10.26

「じみへん」で有名な中崎タツヤ。平成4年発行のバンブーコミックス『中崎タツヤ作品集1 兎に角』と言うのを持っています。
この中に入っている『幸せ気分』って漫画に昔爆笑しましたが、この不幸自慢な会話、時々何かにつけ思い出します。タクシーの運ちゃんと客との会話です。

「2800円になります」
「売り上げを全部出せ」
「イヤだと言ったら?」
「殺す」
「いいよ 殺してくれ」
「ずい分なげやりだな」
「あんたこそ どうしたんだ 見ればまじめそーだが」
「会社が倒産してね」
「どうせその程度だろーと思ったよ」
「その程度とは何だ あんたこそどうなんだ」
「この前事故をおこしましてね」
「何だそんなことか 私なんかその上に女房が浮気してる」
「うちのは男とかけ落ちだ」
「娘が強姦されて妊娠してるんだよ」
「息子が鑑別所に入ってるんだよ」
---にらみあい---
「しかし 私に較べたら あんたはまだ幸せだよ」
「なぜだ」
「わ…私のは小さいうえに仮性ホーケイなんだ」
「バカ野郎 オレは大きいけど真性だ」
「オレは大洋ファンだぜ」
「オレはロッテだよ」

「くそお」
「まあ引き分けというところか」
「何を言う まだあるぞ うちの飼い犬は皮膚病でとてもみにくい」
「あっ」「しまったあ うちにジェニー(猫) は…元気があってすごく可愛いい」
「フン幸せなヤツだ」


この後、元大洋の横浜は、38年ぶり日本一に (その時もこの漫画思い出したですよ)、そんでロッテは31年ぶり日本一だもんね。
バレンタイン監督のインタビュー、人柄が出ていて良かったなあ。おめでとうございます ! !

中崎タツヤ



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テーマ : 漫画の感想
ジャンル : アニメ・コミック

チボー家の人々『エピローグ』その5 (最終回) 2005.10.18

この長編、訳がまた素晴らしかったと思います。
最後に13巻巻末の解説より、訳者・山内義雄さんの言葉を引用します。(旧かな漢字出てこないんで、新で入力してますが…)

 今やわが國にとつて戦ひは終つた。だが、この戦ひに先立つて、果して如何なる社会不安や苦悩について如何なる程度の認識が持たれたらうか。わが國にとつて、問題はむしろ戦後に生れた。「一九一四年夏」に取扱はれた不安や懊悩、それはわが國にあつて、逆に戦後の問題として生れている。そこにわが國の悲哀がある。若し、今次戦争をもつて単に一場の悪夢として片づけ、これに引きつづく省察と検討とを忘れた場合、そこにわれらを待つ恐るべき深淵がある。ここに「一九一四年夏」がわれら、特にわが國の若きインテリゲンチアにたいして持つ大いなる意味がある。

『チボー家の人々』、中・高校生に薦めたい名作に追加します~。

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チボー家の人々『エピローグ』その4 2005.10.15

ちと間があいてしまいました。ココからつづきます。
後に、全部こちらから飛べるようにしますね。

アントワーヌの日記よりジャン・ポールへのメッセージですが、私達も肝に銘じておかねば、と思える言葉です。

 価値ある人にならなければいけない。自分自身の中に、人にたいして重きをなすような個性をのばさなければいけない。いわゆる通説なるものに耳をかしてはいけない。ところで、人は誰しも、個性といったようなうるさい重荷は、すててしまいたいと思うだろう ! かんたんに信じることができたらと思うだろう。というわけは、けっきょくそうするほうが便利であり、そうするほうが楽だからだ ! おまえははたして、そうした誘惑に抵抗することができるだろうか?……それはもちろん、たやすいことではないにちがいない。思考が複雑になればなるほど、人は、とかくなんとかして混乱を避けたいと思い、自分を安心させてくれるような、自分を導いてくれるような即成的観念を受け入れやすい。そして、心におこるいろいろな疑問、自分ひとりでは解決できないいろいろな疑問に納得性のある答えをあたえてくれるようなもの、そのどれもこれも助けの神のように思うにちがいない。とりわけ、それを支持するものが多いといったような場合、それがいかにも信用できそうに見えるといったような場合。ところが、それこそ最大の危険なのだ ! 抵抗せよ ! あらゆる合い言葉を拒絶せよ ! うっかり仲間になったりしてはいけないのだ ! 一党一派に偏したやからが、その <<お仲間たち>> に保証するところの懶惰な精神的安住などはしりぞけ、むしろ不安定による悩みをこそ選ばなければならないのだ ! 自分ひとりで、暗黒の中を模索するのだ。それは、楽しいことではないだろう。だが、それによってもたらされる害は少ない。害の最もたるものは、まわりの人々の空念仏にただおとなしく追従してゆくということにある。

「迷った時には困難な方の道へ行け」と言った、岡本太郎や、ヘッセの『若き人々へ』の次の言葉を思い出しました。

 君たちのめいめいが耳をかす必要があるのはただひとつ、自分の唯一の独自の鳥だけである。その鳥に耳をかせ ! 君たち自身の中から来る声に耳をかせ ! その声が沈黙していたら、何かがゆがんでいる、何か調子が狂っている、君たちが道を誤っているのだということを知れ。だが君たちの鳥が歌い、語るようならば----その時は、それに従え、その声のあらゆる誘いに従え、どんなに冷たい孤独の中へでも、どんなに暗い運命の中へでも !

次回で終わりです。

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チボー家の人々『エピローグ』その3 2005.10.8

ココで書いたように、ラストの13巻の大方は、アントワーヌの日記とジェンニーとの日記で綴られています。
その多くは、ジャン・ポールへのメッセージで、アントワーヌの思いが良くわかります。
それにしても、ジャン・ポールの誕生により、ぎりぎりの所でチボー家の血が絶えずに済んだのですよね。

アフォリズムのいっぱいつまった、アントワーヌの日記より、引用していきます。
父親から受け継いでいるもの、そして、それを自覚している所が、彼の素晴らしい所だと思います。この自覚があるのとないのとでは、えらい違いっすよね。

自分の事業に、徳行賞に、クルーイの広場に、自分の名をかぶらせたいという、いつもおやじの頭をはなれなかった気持ち。まさに彼自身それを実行したように、少年園の建物の正面に自分の名を刻ませたいといった気持ち。自分の洗礼名を、孫子のすべてにつけさせたいといった気持ち、等々……自分のモノグラムを、庭の鉄門に、皿の上に、さらには自分の安楽椅子の張り皮の上にまでつけさせた習癖 ! そこには、所有者としての本能 (ないし、おれが最初考えたように虚栄心のあらわれ) 以上のものがあるのだ。すなわち、消滅とのたたかい、自分の足跡を残したいといった悲壮な欲望。とりもなおさず、このおれにも譲られている欲望。おれにしても、自分を後世につたえる何かの仕事、何かの発見に、自分の名をつけたいという隠れた希望を持っているのだ……
 <<親の根性、孫子まで ! >>


前日に会った代議士の話です。こりゃ♪あるある探検隊、あるある探検隊♪

 彼は、動きまわることをもって活動的だと思いこんでいる。そして、その活動たるや、仕事にとってぜんぜんなんの役にも立たないものなのだ。大きな声を立てさえしたら、議論の筋がとおると思っている。断固たるちょうしを見せさえしたら、それで威厳なり能力なりを見せられるものと思っている。話をしながら、ほんの色どりにすぎないことを、さも全面的な思想ででもあるかのように取りちがえている。政治的には、血も涙もないことをもって、さも聡明なリアリズムででもあるかのように思っている。健康を大胆さのように思いこみ、食欲の満足をもって人生の哲学ででもあるように思っている。そのほか等々……

ちと耳が痛いですが・・・

人生に失敗する人たちとは、もっとも多くの場合、出発にあたって、自分自身の性格について思いあやまり、自分のものでない道に迷いこんだ人たち、または、正しい方向へ向かって出発しながら、自分の力の限界にふみとどまることを知らなかった人たち、あるいはまた、そうした勇気を持たなかったところの人たちなのだ。

マンの『トニオ・クレーゲル』の「道に迷っている俗人」を思い出したりしました。



まだつづきます。(^^;)

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チボー家の人々『エピローグ』その2 2005.10.7

*相変わらず重要なネタバレ警報*

毎日忙しく働いて、自分を見つめる事もなく生きてきて、病気によって、自分を見つめたり、物事を考える時間が出来たアントワーヌ。
いつも「兄さんにはわからないんだ」と言われつづけてきた彼が、今ならジャックの事をもっとよく理解できたのに、と思う所が、何とも切ないです。以下引用。

もし戦争がなかったら、おれはあやうくだめになるところだった。ぜったいそうした中毒からのがれられないところだった。おれは、どんなものでも金で買えると思いかけていた。---中略--- うまい汁を吸う人間、おれはあやうくそうしたものになりかけていた ! 金銭によって人をおさえてやることのたのしみ、おれはそれを知ったのだった……金銭によって人から尊敬されるたのしみ、おれはそれを知ったのだった……そしてあやうく、そうやって尊敬されるのを当然のことのように思い、金銭によって優越さまであたえられるもののように思いかけていたのだ……

そして彼は、初めて列車の三等に乗るのです。

前回書いたように、ジェンニーとジゼールは、ジャックの遺児ジャン・ポールを一緒に育てているのですが、同じ部屋に、ジャン・ポールを真ん中に寝ているのです。そして、その部屋には友人の画家が描いたジャックの肖像画があります。
これを見ながら、アントワーヌは、ジャックの最期について思い巡らします。

 じっと肖像をながめていたアントワーヌは、ジェンニーの話を聞きながら、自分もまたその高地での一夜のこと、運命の飛行機の到着したときのこと----あのばかばかしい最期のことなどを考えつづけていた ! 彼は、そうしたヒロイズム、さらにその他のヒロイズム、そしてほとんどすべてのヒロイズムの無意味さについて考えていた。彼の心には、崇高であるとともに空疎なさまざまな戦争の思い出がよみがえってきた。<<ほとんど常に>> と、彼は思った。<<ああした勇ましい狂気は、誤った判断のうえに立っている。すなわちそれは、はたして最高の自己犠牲に値するものであるかどうか冷静に考えたことのない、ある種の価値にたいする、夢のような信頼に過ぎないのだ……>>

これはココで引用した、作者の思想そのものですよね。

まだつづくんかい、と思いつつ、<その3>へとつづいちゃいます~

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チボー家の人々『エピローグ』その1 2005.10.6

*相変わらずですが、大変重要なネタバレしてますっ。*

12巻解説に、

 『一九一四年夏』が一九三九年に出版をみたとき、多くの人々が、これで『チボー家の人々』は完結したものと考えた。作者はあわてて、まだそのあとにアントワーヌの巻としての『エピローグ』があることを読者に知らせるよう、ガリマール出版社に申し入れた。作者にとって、この大河小説の本当の主人公は、アントワーヌだったのである。この小説は、アントワーヌに始まってアントワーヌに終わる。

とあるように、最後の『エピローグ』はアントワーヌの巻であり、後半は彼の日記と、ジェンニーとの手紙によって構成されています。
3度目の安楽死の問題が、なんとも実に・・・・・・
これは、戦上で毒ガスにやられて病気になったアントワーヌの精神的成長と、そして、この中には、彼の哲学、アフォリズムが、いっぱいつまっているんです。

それと、フォンタナン夫人、ジェンニー、ジゼールの3人の女性が、それぞれおもしろく描かれています。
特に、病院の仕切り屋へと変貌した、まるで物事の本質を理解出来ない、薄っぺらなフォンタナン夫人がおもしろいです。
まあしかし、ココに書いたように、ほんっと、こーゆー人って多いんですよね。
以前はジャックに失恋し、今はジェンニーと共に、ジャックの遺児ジャン・ポールの世話をするジゼールは、実に強く立派だと思います。ジャックに愛された人と、その子供と共に生活し、一緒に世話をするなんて、並み大抵の事ではないと思います。
そのジゼールに対し、ジェンニーはなんとも辛辣なのです。ジゼールの悲しみに関しては、こう言っています。

「ジゼールさん? あの方には、信仰があるんですわ ! 信仰に気持ちをまぎらしてもらって、何も考えずにいられるんですわ ! 」

鋭い視線は持っているんだけど、ちと他人に対してきびしすぎやしませんか?ジェンニーさん、と思ってしまいます。誰に対してもって感じなのです。母親に対してもそうだし、戦争で片足を失って戻ってきたダニエルに対しては実に実に手厳しいです。
そんな彼女に対し、「何から何まで、ジャックに結びつけようとしている」といらいらするアントワーヌ。これまた実に正しく、ジェンニーの厳しさを解釈してると思いました。
この3人、ダニエルに対して、勘違いも甚だしい、それぞれ全然別の視線で見ているのですが、特に笑えるのは、やはり母親。検討はずれもいい所です。
彼女は <<男らしい性質のダニエルが、負傷したばかりに、「侵略され、おびやかされた祖国を見ながら、しかも祖国のため、もうなんのお役にも立つことができず」にいるのが悲しいのだ>> と考えます。
基本的には物事の本質を見抜く力を持っているジェンニーと、この母親は対称的ですね。
そして、この物語の中で、私がいちばん気の毒で可哀想だと思ったのは、ダニエルでした。

ぜんぜん終わらんなーと思いつつ(^^;)、<その2>へと続きます。

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チボー家の人々『一九一四年夏』その4 2005.10.5

*常にネタバレしてますが、ココは特に重要なネタバレします*

この章のラスト、めちゃめちゃ衝撃でした。
何故だ? マルタン・デュ・ガール? と思ってしまったですよ。
ここまで重要な、主役的登場人物が、こんな風に死んでしまうなんて。

ちょっと先取りしますが・・・

次の『エピローグ』で、アントワーヌは、ジャックの死についてこう思います。

なんたる犬死に ! アントワーヌは、こうしたばかげた死に方がなんともあきらめきれなかった。それから四年たった今日になっても、悲しいというより、むしろ腹だたしい気持ちが先だつのだった。

この死が何を意味するのか、店村新次の解説で、実に適格に書かれています。

チボー家のジャックの物語は、「悲劇性」を拒否するペシミスティックな現実主義者の作家が打ちたてた、反英雄主義的な現代の「悲劇」であるといっても過言ではない。

ジャックの一生そのものが「衝撃」で、強烈な印象が残りました。なにかにつけて思い出しそうです。

そして、戦争とは何なのか? 次の引用で締めくくりたいと思います。

諸君は若く、そして生きている……それを、死のほうへ追いやろうとするものがあるのだ……いやおうなしに諸君の命をうばおうとしているのだ ! しかも、その目的は? 大銀行家の金庫の中に、新しい資本を築きあげるためなのだ !

『チボー家の人々』の感想は、まだまだつづきます。

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チボー家の人々『一九一四年夏』その3 2005.10.4

*もう常にネタバレしちゃうんで*

ココで書いたように、ジェンニーと母親は対立しますが、一方、ジェンニーの事を打ち明けたジャックに対して、アントワーヌも驚きを隠せません。
でもアントワーヌは『ラ・ソレリーナ』を読んでいるのに・・・と私なんかは思うのですが、でもこの時アントワーヌが言った事が、実に正しかったんだな、と、後にわかるのです。以下、そのセリフの一部を引用。

「君は、ほかの人間を幸福にするには根本的に不適任だ……根本的に ! だから、たといこうした場合でなくても、君はけっしてジェンニーさんを幸福にさせてやれなかったろう。」

それにしても、ジャックに罵られた自分を <<脈百二十くらいかな……>> って・・・それ職業病ですぜ。

独りでジュネーヴへと発つジャックが感じるのは、開放感であり、そして、命を捨てて反戦ビラをまこうと決心するジャックはこう思うのです。

彼女はどうしているだろう? ジャックは、こうして、幾たびとなく、はっとしたつかのまの感動から、また、たまらないほどのなつかしさ、したわしさの気持ちから、いつも彼女のことを思っていた。そして、寝つかれぬ夜ごと夜ごと、いつも彼女を、狂おしいばかりにだきしめていた……彼女には自分が必要であると思い、自分に捨てられた彼女が、これからはずいぶんたよりないだろうと思うと、彼はたまらない気持ちになるのだった。だが、彼は、たいしてそのことを考えなかった。彼女のために生き長らえようといった誘惑など、ついぞ心におこらなかった。

ここを読んで、アントワーヌはなんと正しかった事か、と思いました。
そして、ジャックから冷血漢と言われたアントワーヌですが、私がココで、むしろジャックの方が残酷だと思う、と書いたのも、わかっていただけるかと思います。

では<その4>へと続きます~。

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チボー家の人々『一九一四年夏』その2 2005.10.3

*相変わらずネタバレしちゃうんで*

一方、アントワーヌの方は、ココで誘惑してきた、あのバタンクール夫人 (って、おもろい名前だな~) とつきあってるんですよね。
まったくあなたは、何でこうろくでもないオンナとばっかり、と思ってしまったですよ。
ラシェルだって、ちと淫乱女だったじゃないっすか。ただ、ラシェルの場合は、不思議な夢のような想い出となっている訳ですが、そしてSEXでさえ、この女性を神秘的にしている要素でもあるからいいのですが、尻軽じゃないちゃんとした女性とマジメな交際せんかいっ ! てちょっと思ってしまふですよ。
まあ、自分だって若い頃の事を言われちゃあ人の事言えましぇんが…年くうとマジメになるですよ。
こんなに優秀なお医者様が、勿体無い。
彼こそ、きちんと家庭を持っていけそうなのに~~~。
だけど、ここは、ジャックとの対比を表していると言う感じもします。

んで、この夫人、嫌いな女ですが、ここを読んだら、ちと可哀想にもなっちゃいました。

自分は、いても立ってもたまらないほどあの人を必要としている。しかし向こうでは、この自分を必要としてなぞいないのだ !

この気持ちわかるんで。

しかし愛欲にのみ生きる、このバタンクール夫人とゆーのは、血の繋がった、自分の産んだ娘に対しては、愛情の欠如も甚だしいんです。やなオンナだねー、やっぱ。

これまた中途半端に<その3>へとつづきます。

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チボー家の人々『一九一四年夏』その1 2005.10.2

*ネタバレ御免 ! 読んでない方はまぢで御注意を ! *

ここはとにかく膨大な量なんで、もうどこから書いていいやらって感じでして、なかなか書けずにいました。
第一次世界大戦の事が、すんごい詳しく出てるんですよ。どこの国がどう関わってとゆーのが、私のおばかな頭では、もうトテモトテモややこしくて、読むのがハードだったのです。よくわからんままに読み進んでしまいました。_| ̄|○

確かな視点で持って、戦争が始まる事を予感し、大変な危機感を持つジャックと能天気な周りの人々。
『ラ・ソレリーナ』でも見られるような、表現能力に優れたジャックは、戦争勃発についての説明も演説も、なかなか見事です。
まさか、戦争が起こるはずはあるまいと思っていたアントワーヌも、だんだんと不安をつのらせていきます。
この、じわじわと襲ってくる戦争の恐怖が、来るぞ来るぞと言う感じが、実にうまく描かれているんです。

そんな中、ジャックとジェンニーが遂に結ばれるのですが、もう、ほんっっとに、あなたたちったら ! て感じなんすよね~。なんとゆー度を越した頑な初々しさなんでしょ。
ジェンニーはずっと苦しみ続けた中で、初めて幸福をつかんだのですが、母親の反応が実に悲しいです。
だけど、やっと家に戻ったと思ったら、娘がオトコと抱き合って寝てりゃあ、そりゃあどこの母親でも同じ反応示すと思うんですよ。そうなんだけど・・・お願い、ずっとずーーーーっと不幸だった娘が、健康まで害していた娘が、ジャックと結ばれる以外に幸せになる道はないんだから、わかって~、と思いつつ、読み進みます。

そして、革命活動に勤しむジャック。
後に明らかになるメネストレルの正体が、もしジェンニーも一緒に行ったとしたら、もしジェンニーだったら見抜いたかもしれない、と思うんです。そういう鋭い視線を持っている女性だと思います。
このメネストレルと、人形のようなアルフレダのカップルが、私はきもいよ~と思いました。

・・・と、まったくまとまりのつかないまま、<その2>へと続きます。

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吉乃黄櫻

Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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