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今年読んだ本2005【下半期】 2005.12.30

ドストエフスキー『虐げられた人びと』
ハンス・ツィシュラー『カフカ映画に行く』
寺山修司『さかさま世界史英雄伝』
『場』ドストエーフスキイの会の記録I 1969-1973
若泉さな絵『ティティの生活絵本』
プーシキン『オネーギン』(再読)
ドストエフスキイ前期短篇集
日本古典文庫20雨月物語/春雨物語/浮世床/春色梅暦
スティーヴン・キング『IT』
ガルシン『あかい花』他四篇
澁澤龍彦『女のエピソード』
ロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』
澁澤龍彦『サド侯爵の生涯』
三島由紀夫『サド侯爵夫人』
フランツ・カフカ『アメリカ』
フランツ・カフカ『カフカ寓話集』
寺山修司『寺山修司詩集』
寺山修司『寺山修司少女詩集』
H・G・ウェルズ『タイム・マシン他九篇』
加賀乙彦『宣告』
加賀乙彦『ドストエフスキイ』
『アダンの画帖 田中一村伝』
加賀乙彦『フランドルの冬』
美輪明宏『愛の話 幸福の話』
モーパッサン『女の一生』
マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』(再読)

去年のを見てみたら、上半期下半期と見事にわかれていておもしろいです。
一昨年~去年の年末年始は『失われた時を求めて』を読んでいたのでありました。そんで『ユリシーズ』も読めたとゆーのは、2004年は読書的に実に意味のある年だったのだな、と思います。ダンテの『神曲』もこの年か ! いやはや、『ユリシーズ』と『神曲』は訳注読んでるようなもんですから、もう読みにくい事この上なかったですよ。
下半期は日本人作家が多い。乱歩にちょいハマり、そしてミステリ三大奇書も制覇したのでありました。ドグマグは既に読んでたからね。ヤプーも読んじまったしのう。

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今年読んだ本2005【上半期】 2005.12.29

ジャン・ジュネ『薔薇の奇蹟』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
ミシュレ『魔女』
ジャン・ジュネ『ブレストの乱暴者』
ピエル・パオロ・パゾリーニ『テオレマ<定理>』
ジャン・ジュネ『花のノートルダム』
ピエル・パオロ・パゾリーニ『アッカトーネ』
ウィリアム・ブレイク『対訳 ブレイク詩集』
コクトー『大股びらき』
ミルトン『失楽園』
デュ・モーリア『レベッカ』
チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ ! 』
チャールズ・ブコウスキー『ポスト・オフィス』
チャールズ・ブコウスキー『詩人と女たち』
チャールズ・ブコウスキー『ブコウスキーの酔いどれ紀行』
ジョルジュ・サンド『棄子のフランソワ』
シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』
ヘンリ・ミラー『北回帰線』
ドストエフスキー『白痴』(再読)
ラ・フォンテーヌ『寓話』
ドストエフスキー『死の家の記録』
川端康成『山の音』
ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』
『ハンガリー"千年王国"への旅』
カフカ『城』
森鴎外『山椒大夫・高瀬舟 他四篇』
カフカ『禿鷹』バベルの図書館
カフカ/辻ひかる『カフカ実存と人生』
フランツ・カフカ『変身』再読
カフカ『カフカ短編集』
『世界幻想名作集 澁澤龍彦編』
グスタフ・ヤノーホ増補版『カフカとの対話』手記と追想
シャルル・ペロー『長靴をはいた猫』
クラウス・ヴァーゲンバッハ『カフカのプラハ』
カフカ/ヨーゼフ・チェルマーク『カフカ最後の手紙』
オスカー・ワイルド『アーサー卿の犯罪』

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加賀乙彦『フランドルの冬』その5 2005.12.28

『宣告』の感想に書いた事の繰り返しになりますが、加賀乙彦とは、実に希有な作家です。
精神科医であり、死刑囚とも接してきた人が、若い頃からドストエフスキーに傾倒し、こんなにも文章力に恵まれているなんて、本当に貴重な作家だと思います。
そして、加賀氏は、それぞれの側に立っての、それぞれの感情、気持ちを、驚くほど組みとれる能力があるのではないか、と思います。
加賀氏の文章が読める事に、幸運を感じます。
松原新一の「解説」からの引用で、終わります。

人生のあるひとつの断面を描くことによって全体を象徴するというのが、わが国の短編小説における伝統的な骨法にほかならぬが、加賀氏の文学はそういう伝統的なスタイルとは判然と区別される異質の作風をもっている。加賀氏はむしろ、ある特徴的な事件を中心に設定して、その出来事にかかわる複数の人間の多様な群像を描こうとしているのである。ひとつの事件があるとして、それへのかかわりかたは、ひとそれぞれの性格や思想や社会的立場その他さまざまの条件によって決して単一なものではありえず、多様なかかわりかたが生起しているはずである。加賀氏が人間群像を浮彫りにしようとするのも、そこにもとづく必然的な方法であろうし、作品がおのずから長編小説の構造を与えられねばならぬのも、また文学的必然なのだ、というべきであろう。その意味で加賀乙彦氏もまた、「全体」をめざす作家の典型的な一人にほかならない。



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加賀乙彦『フランドルの冬』その4 2005.12.27

ドロマールと言う人は、つかみどころのない人物と言う印象でした。その彼の印象的だった言葉を引用。

彼は逃げていく国があるかのように錯覚している。しかし、この世界に逃げていく国が存在するわけがない。この世は巨大な牢獄で、わたくしたちすべては無期徒刑囚なのですから。よく譬えられるように人間を死刑囚とみるのは不正確な比喩です。切迫した確実な強力な死、苦悶と恐怖に圧縮された時間、いやどうも、それはあまりにも芝居じみた比喩です。誰だって狭いところにとじこめられれば狭所恐怖をおこすでしょう。時間のクロウストロフォビイの場合も同じことです。しかし、無期囚は……ああ、みなさん、あなたがたすべては無期囚なのにその不安の本能を自覚する人はごくわずかです。それは無限に続くかにみえる水平線にかこまれた大洋のただなかに投げこまれた人の不安です。死という予測不能な終末までの時間を牢獄の陰鬱な壁の中に拘禁される。残された自由といったら自分の寿命を短くすることだけである。それは時間の広場恐怖です。それこそあなたがたの正体なのです。



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加賀乙彦『フランドルの冬』その3 2005.12.26

◆落下体験◆

もしかして、落下の体験が加賀氏にあったのでしょうか? おそらくそうだと思うのですが、『宣告』に度々出てくる、落下体験による墜落の感覚が、『フランドルの冬』のコバヤシの体験として出てきます。
幼い頃に、崖から足をすべらせ、十数メートル下の沼に落ちて気を失った事件が、恐怖に満ちた経験として、時折り彼におもいだされます。
以下の文は、実に『宣告』と類似しています。

 しかし、今、彼が驚きとともに思いだしたのは、落下していくあいだの情景である。黒く罅割れた樅の幹、石と腐植土の配置、木洩れの黄色い散乱光、目に染む青空と白い峯々、葡萄色の沼のさざ波、それら世界すべてと自分との関係を幼い彼は明敏に知覚したのであった。真近な確実な死は、意外にも、平穏で柔和なものだった。彼が恐怖を覚えなかったといったら嘘になろう。彼は怖かった。が、あがいてもどうにもならぬと自覚したとき、彼は圧倒的な権力者である死に屈服し身をゆだねたのである。彼は <<死の側から>> 自分を見た。自分の肉体が一個の落下物として完全に受動的な滑稽な状態にあることを理解した。その一秒か二秒の間に、幼い彼は、人間の日常的な空間をとびこえ、明るい単純な事物の世界に入ったといえよう。



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加賀乙彦『フランドルの冬』その2 2005.12.25

引用地獄のはじまり~~~

これは、加賀乙彦がフランスに住んでみての感想なのでしょうか?
是非フランスをご存じの方に聞いてみたいっす。

「なんていうかなあ。フランスって国は、なにもかもきちっと計算されていて、国全体が牢獄みたいに出来あがっているでしょう。国をつくった人間が、逆に国の規格にぴちっとはめこまれている。ぼくみたいな外国人には、格子の中に五千万の無期囚がうごめいてるって感じなんです」

常に気になる人、興味を覚える人は、はじきだされた方の人です。

この世には二種類の人間がいる。墓地や沼地を作るために存在し、静かに消えていく人と、それらから、はじきだされて存在しながら、しかも墓地や沼地と関係を絶つことの出来ない人、それらから目をそむけることが不可能な人と。

私は、若い頃、常に冷静な自分がいて、冷静な目でバカな自分を見ている自分がいて、それに苦しめられた感覚がありました。その若い頃の自分が共感できる箇所です。

彼は、何もかも忘れて対象に没頭できない、意識の片隅で必ず何かが目覚めていないと気がすまない、自分のしようこともない性癖をのろった。

女を愛することは滑稽だった。女を愛している自分を他の自分がどこかで嘲笑していた。

なにげに共感した一文。(^^;)

男というのは、なにも感じないくせに何かを説明したがる。

*昨日12/24の讀●新聞の夕刊に、加賀乙彦さんの事が出ていました。


12月25日今日のひとこと

明日のことを思い煩うなかれ。明日は明日のことを思え。一日の苦労は一日にて足れり。求めよさらば与えられん。叩けよさらば開かれん。

   イエス・キリスト bc4-7年生



キリストさんもいい事言います。「明日のことを思い煩うなかれ」は自分に言い聞かせたい言葉です。
ところで、今日はキリスト生誕日だと言われていますが、実は後から勝手に12/25生まれにされてしまったと言うのは有名な話。
ホントの誕生日はいつなんでしょうね。何座の何型なんだろ~

まあ、何にせよ、年に一度ケーキ&ローストチキン食ってスパークリングワイン飲む口実となる日があるのはうれしいことよ。
しかし、トレンディードラマとやらのせいで、このキリスト誕生日を家族で祝う素敵な日が、「イブ」という言葉のせいだろうけど、前日の24日に、カップルが何する日と変貌してしまったのは、なんともはや・・・
そのせいで、この日憂鬱に過ごす人達がどれだけいることやら・・・


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加賀乙彦『フランドルの冬』その1 2005.12.24

*やっと『宣告』の感想が終ったらこれじゃあ、もうどんどん暗くなって、真っ暗闇に突入って感じですが、暗いのを早めにUPして、明るく年末年始を迎えましょうっつー事で。
Gishさんから受け取っている呪いの棒など、楽しいネタは、もうちょっとお待ちくださいませ。
全国のラブラブカップルに呪いを込めてのUPです。(笑)

*これの前に、同じ加賀乙彦の『ドストエフスキー』を読んだのですが、フランドルを図書館に返さねばならないので、こっちの感想を先に書きました。


加賀乙彦の処女作です。
感想としては、どーもいまいちでした。(^^;)
なのですが、『宣告』を生み出した元が結構詰まっているので、その意味では読む価値はあるのではないかと。

『宣告』で、上手いっ ! と思った、一人称が別の人に移っていくやり方。この『フランドルの冬』で既に出てきますが、まだちょっと読んでいてわかりにくかったです。少し進んでから、あ、この人に移ったのね…と気付くとゆー感じ。
『宣告』では実に洗練されているので、成長が良くわかります。

*この下ネタバレありです。

恋愛小説と言ってもいいかと思うのですが、恋愛の形が奇妙で、ちとモラヴィア風な感じもしました。主役のコバヤシにも、クルトンにも、あんまし共感は出来なかったのですが、クルトンの自殺は、ちょっとスタヴローギン的なのかなあ、とゆー感じも。
悪霊(上巻)改版
悪霊(下巻)改版

そして、『宣告』に出てくる、こちら側と向こう側が、塀の中と外と言うのとは別の意味で出てくる感じです。その点では、コバヤシやクルトン、ドロマールは自分に近いと思うのです。
噂話の好きな、すんごい俗っぽい人達には、ちと嫌気がさすもので。その辺の対比は、おもしろかったです。

つまんないとか言ってる割りには、付箋貼りまくってます。(^^;)
付箋貼った箇所は、やっぱメモしておきたいので、<その2>以降、またまた引用地獄に招待します。(笑)



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加賀乙彦『宣告』その12 2005.12.23

◆後半メモその4◆

他家雄が、シスター国光という人に書いた手紙を、恵津子に手紙で紹介する所があります。これがなかなか確信ついてます。

ある老司祭が「カナリヤのように美しく清らかに生き、死んだ聖人が好きだ」と書いておられるのを読んで、いたく失望し、力萎えたのですが、近頃そのお言葉が分るようになったのです。人は罪に堕ち、そこから這いあがるだけでなく、世の汚れを知らず、無垢な心のままに死んでもいいでしょう。しかし、清らかな幼な子が心狭く罪人を理解できないように、そういう信仰はどこか狭いのです。悪と地獄を知らない人は結局悪人を救えないのではないか、そう思うのです……」

処刑が決まった他家雄に、隣の歌人、垣内が贈った歌がなかなかいいです。これを最後に引用します。

「春嵐花を待たずに逝く人に青きを見せて雲かき裂きぬ」

年内に書き終わってえがったよ~。
死刑囚の話で年越しじゃあ、ちと暗い2006年になっちまいそーだし…でも『フランドルの冬』の感想もこれから書くんだよなあ…(^^;)

  

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加賀乙彦『宣告』その11 2005.12.21

◆後半メモその3◆

他家雄と玉置恵津子の面会シーンです。ここは、ほんと、いいですね。
恵津子が精神病院に勤めるのを、親に反対されてると言う話をしてます。他家雄のセリフ。

「ぼくは、精神病院には楽しい思い出しかないな。あそこでショーム神父の洗礼を受けたんだから。患者さんというのは、いい人ばかりだった。結局、自分が狂人だと隠しきれない人が、狂人になるんだと思うね」

もう、まさにその通りじゃないかと思うのです。世の中、どちらが狂ってるのか、と思いますね。

次は、他家雄が恵津子に書いた手紙から。

 人間はね、自由で喜びにあふれ、近付く人の心をくつろげる光をはなっていて、しかも自分では何も気がつかない、そうありたいとぼくは思います。ほんと、きみがそうなんですよ。そんなに赤くなり、ベエみたいに照れて、尻尾をあげて、アカンベエをしなくてもいいよ。ほんとなんだもの。

「ベエ」というのは、恵津子が描いた3匹の猫のうちの一匹に他家雄がつけた名前です。

他家雄という人物は、やはり永山則夫を連想させられます。
永山則夫の犯罪は、10代の時だったので、今でも何か納得がいかないですね。
無知の涙増補新版

また引用です。

独房にあって彼は孤独だったろうか。いな、彼はむしろ孤独になりえないことに、常に人々から交際を求められることに、ひそかに苦しんできた。人々の善意がエゴイズムに見端のよい衣装をまとったものであることを、それが証拠に、善意に生きていると自称する人間ほど自分の善意が理解されぬと立腹し、ついには憎むことを彼は知った。

次回、最終回です。ふう。

  

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加賀乙彦『宣告』その10 2005.12.20

◆後半メモその2◆

またまた他家雄と唐沢のドストエフスキー的会話です。「暗黒」について印象的だったので。

「あらゆる存在物は、人間もこの世も国家も牢獄も神父も看守もおれたちも、すべて暗黒から無理をして出てきて、いま、このわずかな現在という時間に、かろうじて光のなかに存在しているにすぎない。いいかね、あらゆる存在物は暗黒によってのみ、支えられ、存在させてもらっているんだ。暗黒こそが存在物の根拠だ。ゆうべ、おれは、人は生れる前に、どこか真っ暗な世界にいたと言ったが、おれたちが生きてるってことはその真っ暗な世界に支えられてると言ってもいいくらいだ。そうであるならば、死とは存在の根拠である暗黒に帰ることに過ぎない。暗黒において誕生という事件がおきた以上、同じ暗黒において復活がおこらぬ理由はない。これがおれの復活の形而上学だ」
「すると……」唐沢は、しばらく絶句し、考えこんだすえ、静かな調子で言った。「暗黒と神とは対立概念となるね。しかし、神がもし全能なら暗黒をも支配するんだろう。つまりだな。神があって、はじめて暗黒もありうるということにならないかい」
「ああ、きみ、そうなんだ」と他家雄は嬉しげに言った。


もうちょい後には、ドストエフスキーの『白痴』での、あの「銃殺されるまでの五分間」の話とか、イッポリトの事なんかが出てきます。
こちらから『白痴』や『死の家の記録』の感想を是非。『宣告』とはひじょーに関連性のある本です。

 



後は印象に残った文の羅列で終ります。引用ばかりで読むの疲れますよね。(^^;) 読んでいただき、ありがとうございます。

  

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加賀乙彦『宣告』その9 2005.12.19

◆後半メモその1◆

時間経ち過ぎて、だんだん書く気力がなくなってきたです・・・。_| ̄|○
・・・やっぞ、はっ、やっぞ。と気合いを入れまして。

他家雄と唐沢との会話がドストエフスキーの影響が強く、特に『悪霊』とか読んでるとおもしろいです。まずは『悪霊』読んでおく事をお薦めです。
悪霊(上巻)改版
悪霊(下巻)改版

ドストエフスキー『悪霊』の世界
『悪霊』の謎

他家雄の独白から引用。

 運命に従順であれ、環境に順応せよ、無感動に死を待つ模範的死刑囚であれ。何も心配することはない。お前がおとなしく殺されさえすればお前の罪は拭われる。
 しかし、正義の士である方々に、おれの罪を拭う資格はない。なぜなら方々はおれを生み出しはしなかったからだ。おれを殺す資格のある方は、おれを生み出した方しかいない。ああ、人類はじまって以来、神は最大の殺人者であり、何億、何千億の人間を殺してきたが、なおかつ神は何億、何千億の人間を生み出してきた。その神にくらべれば、正義の士などには何の資格もない。彼らは殺すことしか出来ないのだから。自殺をすれば神になるというキリーロフの哲学の最大の欠陥はここにある。自殺をすることほど卑小な行為はない。自殺をして偉大になりうる人間は、自分の力で自分を生み出した人間のみであり、そんな人間は人類はじまって以来ただの一人もいなかった。キリストでさえ神によって生み出された。


他家雄と唐沢の会話より、唐沢のセリフです。

「おれはルターの "隠されたる神" を転倒して、 "隠されたる悪" という考えを持っているんだから。悪は善によって隠されている。死や憎しみや屈辱や滅亡は生命だの愛だの栄光だの救済だのっていう御託に隠されているってわけさ。つまり神は否定と悪をこの世にもたらした大元兇だといえる。エデンの園ってのは象徴的な話でね、幸福はつまりは裏切と不幸を生み出すだけなんだ。善人づら信者づら義人つらしているヤカラこそ悪を生みだす。つまり、おれのいう革命とは神を徹底的に抹殺することによって悪を根治しようというわけだ」

唐沢とキリーロフがカブったりする訳ですが…ドストエフスキーをまず読もうぜっつー事で、次回に進みます~。
ちと難すぃ~ね。明日もこんな感じで、明後日UP分はもっとかなりわかりやすいのでよろしく~

  

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『アダンの画帖 田中一村伝』その4 2005.12.17

一村の一生は、本当に人間離れした凄まじいものでした。
一村は、もはや生前に認められる事は諦めていました。しかし、奄美へ渡った当初、「東京で個展を開き、絵の決着をつける」と背水の陣を敷いて、絵絹に立ち向かい、遂にとんでもない傑作を描きあげたのです。
東京の個展の夢は果せなかったものの、奄美で個展を開く事が決まっていたのです。しかしその前に、69才の全生涯を終えました。
野菜を刻んでいた時に倒れ、四畳半の部屋に、頭を西に向けてうつぶせに倒れたいたそうです。
かすかに下唇をかんだ無念そうな表情のあとが残ってはいたが、苦しんだ様子もなく、端正な死に顔には、安らかさが漂っていたとか。
せめて生前に個展を開く夢だけでも叶えさせたかったです。あまりにも不遇な天才の一生。
しかし、自ら選びとった人生でもあり、その境遇があってこその作品だとも言えるのです。

一村の目は、人を射すくめるような鋭い光を持っていたそうです。人の心の中まで見透かすような。
千葉時代の友人・高橋伊悦さんは、「一村さんの目をごまかすことは、まずだれもできなかったでしょう。たとえだまされたとしても、すべてを承知のうえで、あえて許していたのでしょう」と語っているとか。
以下引用。

 一村の目は、「格物致知」(大学)ということばに表される「物に格る」目ではなかったか。人の世では「見えすぎる目」は、かならずしも人に幸せをもたらすとは限らない。

どんなに辛い一生だったかと思います。ですが、全てを絵に賭けて、全く手を抜かずに徹底して自分の意志を貫いたその一生は、悔いのなかったものだと思います。

まだまだ紹介しきれないエピソードが沢山あります。是非『アダンの画帖』を読んでみてください。

アカショウビンについてのコメントがあったので、ちょっとそのエピソードを引用。

 有屋の借家で、アカショウビンの絵を描いているときのことだった。朱色の「火の鳥」を思わせるアカショウビンの、ぶかっこうなほど大きいくちばしの線のバランスがとれず、苦心していたところ、当のアカショウビンが、ふいに飛んできて、縁先のカキの木にとまった。そして一村に十分に観察し、スケッチする時間を与えてから、おもむろに飛び去った。「こちらが一心になれば、鳥にも心が通じるのか、あんなことをしてくれましたよ」と、そのときの喜びを一村は語った。

そのアカショウビンは、今や黒糖焼酎のラベルになっています。

   

死後も日本では、なかなか名前の売れない凄い画家がいます。
ブリューゲル的な画風に、エッシャーのような不思議さを合わせ持つ、実に緻密でおもしろいテンペラ画を描いていました。
以前埼玉近代美術館で展覧会がありました。海外での評価の方が高いと聞きます。上村次敏さんの絵が、もっともっと世間に知られるように願っています。
上村次敏

時々個展を開いている青木画廊さんのHPに、上村さんのエピソードが出ています。
こちらの【2】■自分の絵が自作の偽物にされた話■を是非読んでみてください。

この本にも、上村さんの作品が出てるみたい。
クリエイション(no.17)



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『アダンの画帖 田中一村伝』その3 2005.12.16

一村は50歳にして放浪の旅に出ました。
そこで行き着いたのが奄美大島です。
そして自給自足で野菜をつくり、5年間大島紬の仕事をして働き、3年間絵を描くという計画を考え、その通りに実行しました。
中島義貞氏あとの手紙に、次のように書いています。

「今、私が、この南の島へきているのは、歓呼の声に送られてきているのでもなければ、人生修業や絵の勉強にきているのでもありません。私の絵かきとしての、生涯の最後を飾る絵をかくためにきていることが、はっきりしました」

あるとき一村は、こんな事を言っていたそうです。

「私はバカになりたい。正気であるうちは、正気の絵しかかけません」

そして一村は、遂にとんでもない凄い絵を描き上げました。上村喜亮氏への手紙にこう書いています。

「以上の外に、まだまだあるのでございますが、それは二尺五寸巾丈五尺二寸の大物で、一枚半年近くかかった大作二枚です。これは一枚百万円でも売れません。これは私の命を削った絵で、閻魔大王への土産品なのでございますから……」

その大作二枚が「クワズイモとソテツ」「アダンの木」です。
( こちらから作品が見られます。)
それらは生命力に溢れ、写真に興味を持ちよく撮っていたという一村の構図の良さ、逆光を利用したりするセンスの高さには驚かされ、圧倒されます。
この絵のような奄美大島とは、どんな素晴らしい所かと、観た途端に行ってみたくなりました。
そして、一村が惚れこんだ奄美大島とは、どんな所だろうかと。

またまた長くなってしまったので、次回につづきます。



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『アダンの画帖 田中一村伝』その2 2005.12.15

一村は、休みを知らず全力疾走で一生を生き抜いたという感じがします。
そして、ただただ絵を描くことのみに全力を尽して生きた人です。
生前は決して報われる事がなく、本人も死後に残る事を確信して描いていたようです。
商売の為に描く事を決してしなかった一村は、本当に苦労の連続でした。それを貫き通す事は、なかなか出来る事ではないと思います。千葉時代、加賀谷勇之助氏あての手紙からの引用です。

「絵かきは、わがまま勝手に描くところに、絵かきの値打ちがあるので、もしお客様の鼻息をうかがって描くようになったときは、それは生活の為の奴隷に転落したものと信じます。勝手気ままに描いたものが、偶然にも見る人の気持ちと一致することも稀にはある。それでよろしいかと思います。その為に絵かきが生活に窮したとしても致し方ないことでしょう」

奄美時代には、こうも言っています。

「画壇の趨勢も、見て下さる人々の鑑識の程度なども一切顧慮せず、ただ自分の良心の納得行くまでかいて居ます。一枚に二か月くらいかかり、三か年で二十枚はとてもできません」

一村の人生は、人が生きる限界を超えているとさえ感じます。
酒も煙草もやらずに、一切の物欲もないだけでなく、女性の話も全く出て来ないのですが…もしかして一生童貞で亡くなったのでしょうか?恋も全くせずに?これだけは不思議でしょうがないのです。この本を読むと、そうとしか思えないのですが…(^^;)ここに書かれていない所で、恋愛等もあったのでしょうか。一村はスラッと背が高く男前なんですよ。

またまた次回につづきます。




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『アダンの画帖 田中一村伝』その1 2005.12.14

♪あれは何年前?♪
今は亡き新宿の三越美術館で、田中一村の絵を観て圧倒されました。ブッたまげました。こんなにスゴイ絵があったのかと・・・。
そして、一村の一匹狼的な生き方にも惹かれ、あの絵を描いた一村が惚れ込んで、生涯最後の絵を描く為に住み移った奄美大島に、いつか自分も行ってみようと思ったのでした。
それから数年後の2000年の終り頃に、2週間ぐらいの船の旅 ( ! ) で奄美大島に行ってきました。
まだ奄美に一村の美術館が出来る前だったのが惜しい所。建設中だったかと思います。
でも住んでいた家は見てきたですよ。まぢ、物置き?ってなくらいな、小さくぼろい家なんです。

その一村伝、これかなーーーり前から買ってあったのですが、やっとこの前読みました。
一村の事は、そんな訳で、ある程度は知っていたものの、この本読んで、そのあまりに凄まじい生き方には、ほんっっと、またまたブッたまげました。
存在そのものが奇蹟のような人です。神に近いです。こんなに欲のない人っているんでしょうか?絵を描く以外には、一切の欲を持たない人なのです。そして、こんなにも精神力、意志の強い人が存在したのかと、本当に驚かされました。
以下の引用は、東京から千葉に移り、農業をして、食料の自給を図っていた頃の話です。

 畑の作物が実ると、親せき知人にいいものを選んで届け、自分たちはいつもくずものやきずものを食べて暮らしていた。人には最上のものをあげなければいけない、というのが米邨 ( 一村の絵描きとしての昔の名前) の考え方だった。

絵に対する徹底ぶりも凄まじいものがあります。
「この石ころ一つが気に入らないのです」と言ってみたり、鳥を描くには、ヒナから育て、鳥のすべてを知らなければならない、と、鳥を育てたりしていたそうです。

次のエピソードは、子供の頃からの完璧主義ぶり、プライドの高さがわかります。

 川村幾三宅に、やや黄ばんだ菊の花の色紙があった。米邨八才が描いたもので、八童米邨の著名がある。左端上部に著名があり、その下に一部ちぎった跡があった。父稲村がちょいと手を入れたのが悔しくて、その部分を引きちぎって捨てたのだという。

長くなったので、その2につづきます。



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加賀乙彦『宣告』その8 2005.12.9

その7で書きましたが、この作品は今新潮文庫で上中下の三巻で出ているようなのですが、私が読んだのは上下二巻のものです。
下巻は、他家雄と1年程文通を続ける、大学生の玉置恵津子の登場、対面が実に印象的で、そして同じゼロ番囚の唐沢との対話、隣の歌人、垣内が印象的です。
玉置恵津子との文通で、他家雄は、生れて初めて、素直になれたのではないか、と思います。
唐沢との対話は、ドストエフスキーの影響が強く見られる、哲学的な面を持っています。
垣内という男には、その言葉には時々ハッとさせられ、その歌の一句一句には、何か胸が熱くなります。

印象に残った言葉のメモという形で、『宣告』後半のについて書いていこうと思います。

  

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加賀乙彦『宣告』その7 2005.12.8

◆精神科医の悩み◆

あらゆる精神病の多くは、あまりにも辛い現実からの逃避の為、なるべくしてなったものであり、それを治してしまえば、またもとの辛い現実に引き戻されるという事を、私も昔から考えていました。
そんな精神科医としての悩みを近木も抱えていたようです。おそらくこれは、作者自身の悩みでもあったのだと思います。以下引用。

あの女は三人の子供を道連れに死へ旅立ちを決意し、それがすばらしい旅であることを信じて、子供たちに一張羅を着せ自分もお化粧して喪服を着こんだのに、ことのほかの手違いで子供たちだけが旅立ってしまい、自分ひとりが居残ってしまった。あの女の決意と信念を、平凡な人間の平凡な信条を成文化した法律は殺人と規定し、法務技官である自分は法律の側に立って、殺人犯であるあの女が法律のさばきを受けやすいようにあの女の意志に反して治療せねばならぬ。あの女がいまもっとも望んでいることは、死であり忘却であり狂気であり、人間としての一切の条件を棄てさることであり、いやすでにあの女は人間であることをやめてしまっているのに、裁判官も検事も区長も若い看守も法務技官である自分も、あの女を無理やりに人間の次元にひきもどそうとしている。

  

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加賀乙彦『宣告』その6 2005.12.7

◆死刑制度◆

死刑制度に関しては、答えが出せないでいると以前書きましたが、(こちらです) 死刑制度について考えさせられる文の引用を2つほど。

 砂田が死ねば事件は均衡を保って終る。世間は一件落着として安堵するのだが、この均衡が心情の中でのみ保たれていることに気がつかない。砂田は十数人を殺したという。ならば真の均衡を保つためには十数人の砂田を殺さねばならぬ。おのれ一人しか罰せられぬことで、砂田はいつも得をしている。より多く殺した人間ほど得が大きい刑罰、それが死刑だ。死刑は殺人者を増やす。死刑があるために殺人はいくらでも増えていく。

この問題における最大の矛盾は、刑法上はっきり異常者は無罪または刑の減軽が定められているのに、精神医学者が異常と診断したものを裁判官が勝手に有責としていることにある。予は精神医学の専門家ではないが、精神医学において異常者というのは個人の判断能力に狂いを生じた場合であるから、厳正に言えば完全な判断能力のない人間ということであり、したがって犯罪への責任能力もない人間ということになる筈と予は思うのだが如何であろうか。

  

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加賀乙彦『宣告』その5 2005.12.6

◆こちら側とむこう側◆

この小説のおもしろい所は、こちら側とむこう側と行ったり来たりする所です。
・・・なーんて書くと、訳わかんねーかもしれませんが、死刑囚の楠本他家雄の独白がつづいたり、精神科医の近木の独白がつづいたり、つまり、近木はこちら側、ゼロ番囚という所はむこう側と言う訳です。
この行ったり来たりの感覚が、読んでいて不思議な感じがしました。
それは、完全に切り離されている訳ではなく、同じ人間なので、どこか理解できる部分もあり、理解できない部分もあります。
また、自分の運命を計る事は出来ないけど、ただ一つわかっている事は、必ずいつかは死ぬと言う事ですが、死刑判決を受け、その日がいつ来るかわからない恐怖を味わう気持ちは、そうなってみなければわからないものだと思います。

「極刑囚を慰める会」という会の人が、他家雄に面会に来る場面があります。
この会の名前を見ただけで、もう嫌気がさしちゃいますね。「こちら側」な訳ですが…
以下引用。

 被告のあいだ、新聞雑誌の記者たちがよく面会に来た。"最高学府を出た青年" が殺人犯となったことが余程珍しかったらしい。それは煩わしいことだったけれど彼らの動機が好奇心という単純なものなのでそれなりに扱いやすくはあった。いちど好奇心さえ満足させれば彼らは二度と現われなかったから。しかし、死刑が確定してからは別な種類の人々が手紙をくれたり訪れてくるようになった。それは死刑囚という状況に置かれた人間への同情や憐みを示す人達で、しかも同情の下に好奇心が仄見える人々が多かった。彼らはいわゆる慈善家たちで、自分の腹は何一つ痛めずに他人にほどこしをする。霞さんという人がその種類の人でなければよいが……

この不安は適中するのですが、そりゃ、こんな名前の会の人なのだから、そうに決まってるよなあ…

次の、近木医の感覚、なんとなくわかる気もします。

近木は唐突に、何もかもが面倒だという投げやりな気持が自分を包み込んでしまったのを覚えた。ついさっきまで忙しく立働いていたのが、急に何もかもが虚しく、時間があり余って退屈な感じがする。この矛盾した気持の変化がこの頃おこってくる。トラックを懸命に走っていた人が何かの拍子で立止るともう一歩も先に行くのが億劫で坐りこんでしまう、そんなふうだ。それはまた"むこう側" の暗い空間が迫ってくる感じにも似ている。

うーーーん。このテーマは結構でかいので、もうちょい気のきいた事を書きたかったのだけど、なんだか陳腐になってもーたです。_| ̄|○

  

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加賀乙彦『宣告』その4 2005.12.5

◆法螺吹き◆

私は、今迄何人かの典型的嘘つきと接してきましたが、その中には本当に嫌でしょうがないやつと、憎めないし嫌いになれないし、ある種の才能を持ったやつもいました。
クレッチマーによれば「ヒステリー型性格」に当てはまると思うのですが、次の文は大変興味深いです。

 一八九一年、ドイツの精神医学者デルブルュックは、五例の奇妙な法螺吹きを学会で報告した。彼らは一見世間によくある法螺吹きであるが、自分のついた嘘をいつのまにか真実と信じてしまう点が常と変っていた。嘘と真実が彼らの意識では分離したり融合したりし、ある場合には嘘をついていることを知っているけれども、別な機会にはそれが真実あったことだと固く信じている。デルブリュックはこの五例の法螺吹きに空想虚言の名を与えた。つまり彼らは自分で勝手な空想をたのしむ空想者と他人を欺く虚言者との丁度中間にいる人間であると。
 役二十年後、フランスの医師デュプレはデルブルュックとは無関係に、一種の自己暗示から自分の作り出した物語を現実にあったことと思いこんでしまう詐欺師を記述した。デュプレはこの型の人を神話狂と名付けた。神話狂は、自分が創造した御伽話をたえず豊かな想像力によって脹らまし、御伽話の世界が広がった分だけ現実の世界が狭くなっていく。
 空想虚言にしても神話狂にしても、元来は小心で弱々しく、なまなましい現実を真正面から受けとめたり、それに対応して生きていったりすることが出来ない。彼らは嘘を作り出して現実を変え、空想をひろげることで現実を押しのけていき、そうすることでどうにかこの世に生きていける。つまり嘘と空想なしには生きていけぬ弱者なのだ。彼らのうちの或る者は全く現実離れをした夢想者となり、文筆の才のある者は詩人や小説家になり、金儲けを目指す者は詐欺師になる。


  

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加賀乙彦『宣告』その3 2005.12.4

◆サイコパス◆

主人公の楠本他家雄 (何故こんな名前なのか…) は、精神鑑定により「無情性精神病質者」と診断された事があるのですが、この診断は多少誤りではないかと思うものの、これは今で言うサイコパスなのではないか、と思いました。以下引用。

 無情性精神病質者とは精神病者ではないが性格に著しい偏りのある人間で、良心、利他心、博愛、同情などの高等な精神能力をもたない人間である。この種の人間は道徳感情に欠陥があり、無恥で他人の運命についても無関心であるがしばしば知能は優秀で、道徳的欠陥と知能能力の併存が奇妙な印象を与えるという。

サイコパスについては、ココに書いてますが、100年以上前に書かれた、ドストエフスキーの『死の家の記録』にもその例が出てきてビックリでした。

冗談好きのユーモラスな男を演じてきたという、この他家雄の少年時代は、太宰の『人間失格』を連想しました。

私は何かというと軽薄な駄洒落を言ってみんなを笑わせたが内側ではいつも沈重な心を保っていた。演技すること自体は私にはそう難しいことではなかった。従順な弟、母おもいの息子、優等生と今までだって私は立派に演技を続けてきたのだ。

  

他家雄が信頼をよせていた数少ない人の1人が、ショーム神父。
この神父の著書を読んで書いた手紙が印象的でした。

 ショーム神父様。あなたがお帰りになったあと、私は『砂漠の水』を読み始めました。しかし、何の準備もなかった私には宇宙と生命についての省察をよく理解できるわけはなく、むしろ多くの箇所で反撥さえ覚えました。にもかかわらずたったひとつ、私を打った挿話がありました。それはひとり砂漠で渇き苦しむ青年が、自分はいま完全な孤独の中で死ぬが、実はずっと以前、社会で暮していた頃から孤独な牢獄にいたのだと気付く場面でした。

  

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加賀乙彦『宣告』その2 2005.12.3

◆殺人の心理◆

昔シリアルマーダーとかサイコパスとかロバート・K・レスラーの本なんかに少しハマッた経験がありますが、『宣告』の前半、殺人の心理を語る死刑囚のセリフ等から、そんな事を思い出しました。

FBI心理分析官 FBI心理分析官(2)

凶悪な連続殺人犯なのに、どこか憎めない砂田のセリフ。

「なぜ女が欲しかったか、なぜ女を殺さなきゃならなかったか。そいつが問題なんだ」
「そんなことは簡単だよ。女の首をこう絞めてみねえ、嫌がって暴れるらあ。それから体中が震えだす。ホッペもオッパイも茂みもケツも震えだす。それが、おめえ、こたえられねえいい気持ちなんだ」


十数人を殺した砂田は、こんな事も言っています。

「おらが殺した女たちはみんなうんと気持えさそうに死んだす」

この殺人鬼が、実に思い遣りの深い面を持っているんです。処刑前の雪合戦のシーンは実に印象的でした。
そして、次のセリフなんて、ちとドキッとしないでしょうか。

「ただ最後にちっとこ知りてえことは、本当は人間て誰でも人を殺してえって思ってるんじゃねえがってことだあね。どうだすか、あんた」

その3につづきます。

  

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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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