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カポーティ『冷血』その2 2006.4.30

ペリーの子供時代の話で、ちとハッとさせられた箇所を。

子供のころ、彼はよく自殺しようと思ったことがあるが、しかしそれは、父や母やその他の敵を罰したいという願いから生じた、感傷的な空想にすぎなかった。

これって、もしかしたら、結構高い確立で存在している自殺の動機なのではないか、と思うのですよ。
復讐であったり、わかって欲しいと言う、すっっごく強い自己主張だったりすると思います。

ペリーが残したノートに書かれていた一節が、印象に残りました。

「人生とは何か? それは暗い夜の蛍の光である。冬に野牛が吐く息である。それは草原をさっとかすめ、日没に姿を消す小さな影である」----ブラックフット・インディアンの酋長、チーフ・クローフットの言葉

・・・と、ここまでしか書けてましぇんので、とりあえず次回とゆー事で。(^^;)

 

1家4人惨殺事件はなぜ起きたのか。緻密な取材で犯行のすべてを再現し、絞首台まで事件のすべてを描ききったノンフィクション・ノベルの最高傑作が新訳で蘇る。発刊40年、世界中の作家、ライターに影響を与えた冷酷な犯人の人間像描写を今一度味わうチャンスだ。(松)

カンザスの村で起きた一家四人惨殺事件。五年余を費やして綿密な取材を敢行し、絞首台まで犯人を追った本書は四十年を経た今なお、輝きを放ちつづける。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル。人間の魂の暗部を抉りつくし、後進の作家たちに強烈な影響を及ぼした暗黒の教典、待望の新訳成る!


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カポーティ『冷血』その1 2006.4.29

トルーマン・カポーティは、ずーーーっと前に『夜の樹』をどこかで買い、そのまま本棚にほったらかし状態でして (ちょうど今読んでるのですが)、この『冷血』がカポーティ初読です。
ある日、新聞にこの小説の紹介が出てまして、それを読んでから、是非とも読んでみたいと思っていました。
アメリカ中西部の片田舎の農村で、大農場主クラター家の4人が惨殺された事件のノンフィクションです。

いやはや、よくぞここまで細かく調べ上げました。アッパレです。

クラター家、犯人達、刑事達、と、場面が入れ替わり立ち替わり、並行して語られていく手法は、スティーヴン・キングの『IT』加賀乙彦が好んで使っているものですが、これが実に上手いです。

まず、クラター家の人達についてのドラマから始まる訳ですが、彼等がどんな人達だったのか、友人、恋人をまじえて、しっかりと感情的でなく、淡々と冷静に語られている所が、この事件の残虐さが強烈に伝わってくる所だと思います。
ある学校教師の女性のセリフが印象的でした。

「こんどの事件がクラター家以外で起っていたら、みんなは今の半分も興奮しなかったでしょう。あれほどの信望もなく、財産もなく、安定もしていない家に起ったとしたらですわ。でも、あのご一家はこの近所の人々が心から尊重し、尊敬しているあらゆるものの象徴のような存在だったのです。それがあんなことになってしまうなんて----なんといいますか、神は存在しない、と宣言されたようなもんですわ。--後略--」

そして、2人の犯人、それぞれの育ってきた環境、心理状況が、ほんっっとうに細かく描かれていて、心理分析まで出てきて、非常におもしろいです。
作者も、犯人のうちの1人であるペリーに興味を持ったというのが、この小説が書かれた大きな要因だと思うのですが、ペリーという人物に、読者も感情移入させられていきます。
その辺の所は次回から、また引用中心に紹介していきたいと思います。のですが、つづきを書き終わっていなくて、図書館に返さなきゃならないのを優先して書いているので、ちと間あけちゃうかもしれましぇん。書けたら書きます~

 

1家4人惨殺事件はなぜ起きたのか。緻密な取材で犯行のすべてを再現し、絞首台まで事件のすべてを描ききったノンフィクション・ノベルの最高傑作が新訳で蘇る。発刊40年、世界中の作家、ライターに影響を与えた冷酷な犯人の人間像描写を今一度味わうチャンスだ。(松)

カンザスの村で起きた一家四人惨殺事件。五年余を費やして綿密な取材を敢行し、絞首台まで犯人を追った本書は四十年を経た今なお、輝きを放ちつづける。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル。人間の魂の暗部を抉りつくし、後進の作家たちに強烈な影響を及ぼした暗黒の教典、待望の新訳成る!


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サド『新ジュスティーヌ』 2006.4.27

悪徳に生きた姉ジュリエットの物語と対をなすこのジュスティーヌの物語は、三つの異本があり、この『新ジュスティーヌ』はその最後の稿にあたる決定版です。
最初の稿である『美徳の不幸』の感想はこちらです~。
『美徳の不幸』と、マルキ・ド・サドの最高傑作ではないかと私は思っている『悪徳の栄え』の間に入るこの物語は、『悪徳の栄え』に近い、楽しいものでした。
『悪徳の栄え』は5回に渡って感想を書いてますので、こちらから飛んでみてくださいね。

『美徳の不幸』、『悪徳の栄え』と違う所は、客観描写になっている点であり、訳者の澁澤龍彦が「再版あとがき」で書いているように、それがサド作品としてはめずらしく、一種のユーモアが生じており、良い効果を出していると思います。

ちと読んでから時間経ってしまって(^^;)、たいした感想も書けず。_| ̄|○ 2箇所程引用して終わります。もう何だか時間におわれて、まともに感想文さえ書けにゃいだよ。

毒舌ぶりを発揮している箇所です。キリスト好きな方はごめんなさい。

詐欺師とぺてん師の典型であり、憎むべき大ぼら吹きであるイエス自身も、霊魂不滅については何も知りませんでした。彼はもっぱら唯物論者として、自説を述べたにすぎません。人間をおびやかすような彼の演説も、人間の肉体に関して語られたものです。けっして彼は、肉体と霊魂を分けたりはしませんでした。しかし、わたしがここで述べようとしていることは、こんなくだらないお伽話の起源を追求したりすることはありません。その愚劣さのすべてをみなさんに証明してみせることこそ、わたしの弁論の唯一の目的なのです。

ここ、会社で読んでいて爆笑しそうになりました。
*食事中、食事前の方はご注意ください。

ジェルナンドは、前に立った二人の少年に身体をあずけるようにして、ぐっと前かがみの姿勢になった。すると、やがて大量の糞があらわれた。いつも大量に食事をとるので、大量に排泄する習慣だったのである。便器を手にしていた少年は、主人の糞が出はじめたらすぐ、これを讃美することを命ぜられていた。「立派な大便でございますね ! 」と少年は叫んだ、「おお、旦那さな、みごとなうんこでございますよ ! さぞよい気持ちでございましょう……」

・・・・・・。
河出文庫 澁澤龍彦訳で読みました。

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バタイユ『エロティシズムと死の誘惑』その2 2006.4.26

昨日のつづきです。O嬢に関しての発言の引用です。

 アラン・キュニー氏----『オー嬢の物語』について話された方の発言にも、細部的な事柄ですが、あまりぴったりでないと思えるふしがありました。『オー嬢の物語』は、愛のはなしではなく、たがいに打ち明けない男同士の同性愛のはなしでしょう……

  ド・ラ・シュヌレ氏----『オー嬢の物語』のことでお答えしたいと思います。まったく同感でありまして、『オー嬢の物語』の男性主人公たちは女を仲立ちにして同衾するわけです。これは精神分析いらい周知のからくりであります。---中略--- 精神分析学の術語では、二種類の異なった愛があります。それは奪う愛と捧げる愛です。『オー嬢の物語』には奪う愛がまったく見られず、捧げる愛がふんだんに出てまいります。
 罪悪感については、人間はみな、肉体的にも、精神的にも、けっして完全にノーマルとはいえないのであって、多かれ少なかれ、無意識の罪悪感を経験しています。「やりたいことをやって、ぜんぜん罪悪感を感じない」と言う人間ばいれば、大いに分析の必要があると思います。(笑い)



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バタイユ『エロティシズムと死の誘惑』その1 2006.4.25

O嬢の物語 (再読)の所で、「後に読んだ本で、これはO嬢を共有する2人の男の同性愛の話だという説がありましたが、結構同感だったりします。」と書いたのですが、忘れていましたが (^^;)、それはこの本に出ていたのでありました。
『バタイユ作品集 マダム・エドワルダ』の最後に入っている、バタイユの講演と討論です。
討論会の司会はジャック・ナンテ。出席者は、アンドレ・ブルトン、ハンス・ベルメール、アラン・キュニー、エンリコ・フルキヨニ、ダニエル・ゲラン、アド・キルー、ジャン・ヴァール その他です。ブルトンはぜんぜん発言してません。

 司会者----アンドレ・ブルトン氏から文学とエロティシズムについてお話しねがえませんでしょうか?
 アンドレ・ブルトン氏----いや。準備しておりませんので、無理だと思います。


だって。(笑) ハンス・ベルメールも同じくです。
バタイユの講演は、相変わらずひじょーに難しいものだったと記憶してますが (読んでから日数が経ってしまって、ちとうろ覚え) 討論は、なかなかおもしろかったです。
O嬢について言及された部分を引用して終わります。

 ド・ラ・シュヌレ氏----私にヒントを与えてくれたのは、サドの全作品をはるかに凌ぐと思える一作品であります。それは『オー嬢の物語』で、とりわけこのような考え方であります。「おまえは私のものだ。だから私はおまえを好きなようにできる」と。つまり、ものを所有すれば、それを売ろうと、貸そうと、壊そうとかまわないわけで、これが『オー嬢の物語』の内容 (なかみ) です。一般の人間にとっては、人を所有することは、異性の存在を所有することであるように思えます。異性を客体として、生命体を対立する、物 (ショーズ) という意味での客体 (オブジェ) として自由にすることによって、所有は確率されます。それは生命体を無生物の状態にもどすことであり、客体という言葉には、哲学でもやはりいま一つ別な意味があります。---中略--- つまり愛は所有を意味し、すくなくとも一部の人間にとっては、生命のない物への変化によって、すなわち生命を奪い、魂のない無生物へ変化させるという象徴的方法によって、その所有が確立されるという見方であります。

長くなったので、次回につづきます。


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バタイユ『エロティシズムに関する逆説』 2006.4.24

『バタイユ作品集 マダム・エドワルダ』に入っているエッセイです。

<エロティシズム> について、実に適格に言い表していると思った文を。
まさに ! と思ったので、ちと長い引用になりますが。

 いずれにせよ、エロティシズムは理不尽なものである。
 一方においてそれはもっとも願わしいものが開ける領域、すなわち私たちが身ぶるいを覚えるまでに深奥な快楽である。
 しかし、また一方、それは恥辱でもある。かりに、長時間、そのなかに嫌悪を誘うものを感じないとすれば、私たちは人間らしくないといわねばならないだろう。
 これらの視点の一方だけに固執するのは、認識を拒否することである。だが、エロティシズムに背を向ける場合は、可能なものに、生命の維持に背を向けることになる。
 大抵いつも、エロティシズムは、蔑まれる。その蔑みの卑怯さについて一言しておかねばならない。運よくいけば、悲壮な恍惚へ己れを導き得たであろうものを誹謗する人間は卑怯者である。
 だが同時にまたエロティシズムのうちに最高の価値と最高の弁明を認める連中の最高の裏切りをも告発しなければならない。


ちと中途半端ですみましぇん。あとはこちらを読んでくださいねー。

サドについての言及がありますが、これがまた実に適格であります。

肉感的生命を歓迎し同時に追放するような調和をサドは批難した。彼の弁論はエロティシズムのために一切の権利を要求した、だがこれ以上にエロティシズムを撲滅する論告もない。エロティシズムの自由を彼はその激情の晒台の上に据えたのだ。彼がなした以上の丹念さでエロティシズムの汚らしさを示した者はほかにいない。彼が想像する犯行の残酷さの度合いに応じてその熱狂はたかまり、人間という彼自身にとって耐えがたい存在の、その <<無限の不条理>> と <<最高の逆説>> の表現に、エロティック文学を最初にそして最も完璧に仕上げたのはサドである。

その他バタイユについてはこちらから是非。

バタイユ作品集 マダム・エドワルダ
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バタイユ『眼球譚』(再読) 2006.4.23

*ネタバレあり

これまた10代の終わり頃に読んで、とんでもなく衝撃受けた本です。
近代エロスの一番の傑作だと思うのですが、多感な10代に読んだと言う事で、今読んでも同じ感想を持てるのか? と思い、これも是非とも再読したいと思っていたんです。(今までもぱらぱらとは読んでましたが…)
古典エロのサドを読んで、その影響の凄さにビックリしつつ、マンディアルグ等を読んでみて、どーも消化不良的な感が残ったのですが、やはりバタイユは凄かった !
今読み返してみても、これは確かに近代エロスの最大傑作だと声を大にして言えると思いました。
ちなみに、最初に読んだのは、絶版のハードカバーを人から借りたのですが、その後に古本屋で見つけて文庫本を購入。
バタイユ作品集 マダム・エドワルダ』 (他、「死者」「眼球譚」「エロティシズムに関する逆説」「エロティシズムと死の魅惑 」) 生田耕作訳です。
コレがそうみたいっす。ページ数が私の持ってるやつの方が少ないので、再販あとがきか何かが付け加えられているのか?

ちなみに『愛のコリーダ』のコリダとは闘牛の事で、バタイユの思想からとっています。

あんなに昔に読んだのに、一場面一場面、かなりハッキリクッキリと覚えていました。
マルセルのおしっこ、牛のキ●タ●、懺悔室でのオ●ニー、神父殺し、等など。

「玉子」と言うと、ダリを思い浮かべたり、誕生、目玉、いろいろイメージするのですが、バタイユの場合、梅毒病みで盲目で身体附随の父親が、この作品が生まれる大きい役割を担っています。
以下引用。

人並みに彼は便所へ排尿しに行けなかった。安楽椅子にかけたまま小便をし、そのための容器を置いていた。私の眼前で彼は小便をするのだった、毛布のかげでだが、眼が見えないためにうまくそれを按配できなかった。いちばん気になるのは彼の眼つきだった。なにも見えぬ、闇に沈んだ、彼の瞳は、上眼瞼の下に隠れてしまうのだった。そのしぐさはふつう放尿の際に起こった。父は鷹の嘴のようにとんがった、痩せぎすの顔のなかにおさまった、たいそう大きく見開いた眼をしていた。小便をする際には、たいてい、その眼はほとんど白眼に変わり、同時にそれは物狂おしい表情を浮かべるのだった。己れ以外には見えぬ世界のほかに対象を持たず、そしてその眺めは彼から虚ろな哄笑を呼びさますのだった。ところで、私が「玉子」のイメージに結びつけたのは、この白い「眼玉」のイメージである。物語のなかで、「眼玉」や「玉子」について語るとき、自然に尿が思い浮かぶのだ。

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島田洋七『がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい ! 』その2 2006.4.21

いい事言うなあ、と感心しきりの、がばいばあちゃん語録をこの本から紹介します。

「みんな偉い人にはなれない。頭を使う人もいれば、労働力もいる。総合力で世の中は成り立ってるばい」

「見ろ。この木は、樹齢六百年って書いてある。江戸時代のことも、よう知っとるばい」

 ある時、雑草がちっちゃい花をつけているのを、すごく愛おしそうに見ていたことがある。
「きれかろう」
「うん。でも、ちっちゃい」
 そう言った俺に、ばあちゃんは、
「アリから見たら、大きいよ」
 と切り返すのだった。
 そして、
「花屋の花は肥料をやったり、人の手が加わっているから大きくて当たり前。小さくても一生懸命、自分の力で咲いているのが一番きれい」
 と、とても優しい顔をして花をそっと撫でた。

「自然の方が人間の先輩だ。だから、大切にせんば」


   

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島田洋七『がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい ! 』その1 2006.4.20

がばいばあちゃん、2作目です。
これまた、職場の同僚に借りて読みました。
おもしろいエピソードや、ばあちゃん語録は、2作目でも満載です。
1作目では出てこなかったので、ばあちゃんと2人暮しだと思っていたのですが、もう1人「アラタちゃん」もここに登場します。
ばあちゃんの一番下の息子なので、洋七にとって叔父になるわけですが、7つ違いなので、兄みたいな感じだったようです。3歳の時の事故のせいで、知的障害になってしまったとか。

作者の言葉に共感する事も多いのですが、次の言葉も、にゃるほど確かにそうだろうなあ、と思います。なかなか難しいとは思いますけどね。

 手伝いをしない子どもに、「褒めてやらせよう」みたいな話がよくあるが、それは何か違うなあと俺は思う。
 親が何かをやっていたら、子どもは興味を持ってやって来る。
 その時に、「できるかな?」とやらせてみて、やり遂げられたら、その子の仕事にしてしまえばいいのだ。


爆笑なエピソードを2つほど。

 粗食で思い出したが、ばあちゃんのオリジナル料理はすごかった。
 ジャガイモとタマネギを煮ただけの「肉じゃがの肉ぬき」はともかく、「卵かけご飯の卵ぬき」は、ただの醤油かけご飯なのだが、
「な? 似てるだろう」
 ばあちゃんは、嬉しそうに頬張っていた。

 こんなこともあった。
 はしかで熱が出て、俺はうんうん唸っていた。
 体温計を見ると、38・2度。
 幼い俺は、その数字だけで心細くなってしまう。
 だが、ばあちゃんは体温計をじっと見つめると力強く頷いた。
「よし、大丈夫。お前なら、40度は出せる」
 一瞬、熱って高い方が勝ちなのかと思ってしまった俺だった。


次回は、ばあちゃん語録をいくつか御紹介して終わります。

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島田洋七『佐賀のがばいばあちゃん』その3 2006.4.19

野球部のキャプテンになった昭広に、もう店じまいをしているスポーツ店に行って、スパイクを買ってあげる話がおもしろいです。

 店のおっちゃんが、表に陳列していた靴や草履をせわしなく奥へと片づけている。
 が、ばあちゃんは、かまわず大きな声で言う。
「一番高いスパイクください ! 」
「はあ?」
「一番高いスパイクください ! 」

色でもサイズでもなく、いきなり「一番高いやつ」って…。

「はい。二千二百五十円になります」
「そこんとこを、何とか一万円で ! 」


スポーツは万能だが、勉強はさっぱりな昭広とばあちゃんの会話が最高 !

「ばあちゃん、英語なんかさっぱり分からん」
「じゃあ答案用紙に、『私は日本人です』って書いとけ」
「そうか。日本にいたら、別に困らんもんね」
「そう、そう」
「でもばあちゃん、俺、漢字も苦手で……」
「『僕はひらがなとカタカナで生きていきます』って書いとけ」
「そうか。別にひらがなでも、分かるもんなあ」
「そう、そう」
「歴史も嫌いでなあ……」
「歴史もできんとか?」
---中略---
「答案用紙に、『過去には、こだわりません』って書いとけ ! 」


いやはや、もうばあちゃん大好き♪

こんなにおもしろい、ばあちゃん語録の中に、本当に豊かな人間は何だろうかと思わせられるし、そして、学校の先生や、近所の人達、周りの人達の暖かさに、じ~~んとさせられちゃう本です。
これは是非是非読んでいただきたい、お薦め本ですっっ !

   

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島田洋七『佐賀のがばいばあちゃん』その2 2006.4.17

洋七の両親は、戦争中、広島から佐賀に疎開したお陰で原爆に合わずに済んだものの、父親が家が心配で見に帰ったばかりに、残っていた放射能にやられ、早くに亡くなったらしいです。
女手ひとつで、居酒屋で働き、家族を養っていた母親に、居酒屋に会いに来る幼い洋七が心配で、佐賀のばあちゃんの所にあずけられたそうです。

佐賀に着いて、ばあちゃんが最初に発した言葉は「ついといで」。(笑)
そして八歳の昭広 (洋七) はその時から、ぬわんと、メシ炊きを毎日やる事になるのです。
かまどに火をおこしてですぜ。

このばあちゃんは、磁石を引きずって歩き、くっついてきた鉄クズを売ったり、川に棒を渡して、引っ掛かってくる木ぎれや木っ端を薪にしたり、上流の市場から流れてくる、売り物にならない野菜を食べたりしていました。そんな生活の知恵がスゴイっす。
そして、「川はきれいになるし、燃料費はタダ。まさに一石二鳥だねえ」と言い、川の事を「スーパーマーケット」と呼び、「わざわざ配達までしてくれると」「勘定もせんでよか」
そして、ばあちゃんは、「拾うものはあっても、捨てるものはないと」と言います。
もう何10年も前から、環境問題に取り組んできたんですぜ。
いやはや、ほんっっっとにタダモノじゃありません。

ではでは、その3につづきます。
1日で読める本なのだけど、紹介したい事が山程 !

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島田洋七『佐賀のがばいばあちゃん』その1 2006.4.16

B&Bの洋七が書いた本ですが、なにげに職場で話題になってまして、話聞いてたら私も読みたくなって、同僚から借りて読みました。
職場の会話でどんどんネタバレされるので、急いで読んだですよ。(笑)
私もネタバレしますんで。
そして、すっかり、がばい (すごい) ばあちゃんのファンになりました。
ほんとに素敵な人だと思います。

小子化が問題にされる現代ですが、子供を育てるのに金がかかりすぎるとか、女性が働きながら子供を育てる環境が整っていない社会が悪いとか、そんな事がよく言われる訳ですが、しかしですね、昔は今よりぜんっっぜん貧乏で物がない時代だったのに、子供はいっぱいいたんですよね。このばあちゃんも、早くに夫を亡くし、大変な中、7人の子供を育てました。
要するに、洋七も書いてますが、変わったのは人間の方だと、私も前から思っていました。
自分に金をかけたいから、子供にまで回らないっつー事だと思います。それに自由も欲しいし。生活を変える勇気がなかったり。
まあ、環境的にも改善された方がいいには違いありませんが。

次のばあちゃんのセリフが最高に好きです。

「ばあちゃん、うちって貧乏だけど、そのうち金持ちになったらいいねー」
 しかし、ばあちゃんの答えはこうだった。
「何言うとるの。貧乏には二通りある。
 暗い貧乏と明るい貧乏。
 うちは明るい貧乏だからよか。
 それも、最近貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。
 自信を持ちなさい。
 うちは先祖代々貧乏だから。
 第一、金持ちは大変と。
 いいもの食べたり、旅行に行ったり、忙しい。
 それに、いい服着て歩くから、こける時も気ぃつけてこけないとダメだし。
 その点、貧乏で最初から汚い服着てたら、雨が降ろうが、地面に座ろうが、こけようが、何してもいい。
 ああ、貧乏で良かった」


次回につづきます~

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マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』(再読) その2 2006.4.15

ザッと引用して終わります~

あまりのへなちょこマゾぶりに呆れ返ったこの作品でしたが、ココなんかは、なんか自分に近い~と好感持ててしまいました。

あらゆるものに手を出すけれども結局最後までものにしたことが一度もない、そんな人間がいるものだが、この私がまさにその種の人間なのだ。

あるある~と思ったワンダのセリフ。恋愛って難しいねえ。

「女が献身的につくすと、男はすぐに熱がさめて主人顔をするもの。そのくせ女が残酷で不実になり、男を虐待したり、厚顔に玩具にしてやったり、無慈悲な顔を見せてやると、それだけ女は男の欲情をかき立てて、男に愛され、つきまとわれることになるのだわ。ヘーレナとデリラの昔からエカチェリーナ二世とローラ・モンテスにいたるまで、いつの時代にもそうでした」

果して核心ついてるのかどうなのか? なセヴェリーンとワンダの会話です。本文の傍点部分は太字にしました。

「あなたのように愛してくれる殿方を、それも私の方も愛している殿方を、私が虐待できるとお思いになれて?」
「勿論です。虐待されれば此方はそれだけあなたを崇拝するのですからね。人はたぶん自分の上に立っている者しか愛することはできないのです。つまり美によって、気質や精神や意志の強さによって私たちを凌ぐような女、当方の女専制君主になるような女をしか愛せないのです」


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マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』(再読) その1 2006.4.14

マルキ・ド・サドがサディズムの語源になったのは有名ですが、マゾヒズムの語源になったのが、このマゾッホです。
んで、O嬢のあまりの残酷さに、マゾ男の話を読んでバランスをとろうと再読してみました。(笑)

そして思ったのは、エッ? ! コレって、こんなにへなちょこマゾの話だったの???って事でした。
マゾの風上にも置けんって感じなんすよ。タダの勝手な夢想男ぢゃん…。
これじゃあワンダが、あまりにもかわいそうです。
自分から奴隷にしてくれって頼んだくせに、その通りにワンダが実行してあげると、ぶーぶー文句言い出すんですよ、この男は !
挙げ句の果てには、自分の為に、気がすすまないのにサディストぶりを発揮してくれた恩人に対し、憎悪し侮辱までしだす始末なのだから、呆れます。
以下引用。

 私をかくも残酷に扱ったうえに、奴隷奉仕にたいする報酬として、いやこれまで彼女について耐え忍んできた一切にたいする報酬として、このうえ不実な裏切りをまでしようとしているこの無慈悲な女と別れる覚悟はできた。

そして、こんなひどい手紙まで書いて、相手を傷つけるんですから。

 私は狂人のようにあなたを愛してまいりました。これまでに一人の男が一人の女にかくまで身を捧げたことはないほど、あなたに身も心も捧げつくしてまいりました。それなのにあなたは、私のもっとも神聖な感情を悪用して、私を破廉恥な桃色遊戯の玩具にされたのです。あなたが残酷で無慈悲であるだけなら、まだ愛していることができましたものを、いまやあなたは卑俗になろうとされている。私はもはやあなたの足に踏みにじられ、鞭で打たれる奴隷ではありません。あなたご自身が私を自由にして下さったのです。私は憎悪と侮蔑の対象でしかない一人の女のもとを去ります。

・・・って、あまりにも勝手ではありませんか。「あなたの足に踏みにじられ、鞭で打たれる」って、自分でそう望んで頼んだんじゃないですか~~~?(怒)

しかし、これのおもしろい所は、実在人物ではなかったはずの「ワンダ」が、小説発表後に現われたらしいんですよ。
そして、この小説そのままの生活を、マゾッホは送ったそうなのです。いやはや、不思議な話です。

自分の本棚の奥を見たら、何年前に買ったんだったかの、ドゥルーズの『マゾッホとサド』をハケーン。しかし、ドゥルーズだもんね。むずかしそう。頭痛しそう…。

次回、いくつか、おっ、と思った文を引用して、終わりたいと思います。

究極のマゾ小説と言ったらこれでしょう !

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O嬢の物語 (再読) 2006.4.7

10代の終わり頃に、この辺のはいろいろ読んだのですが、ここの所、フランスエロ小説に走っているので、このあたりの有名所がまた気になりだし、再読してみました。
バタイユの『眼球譚』なんかは、いろんな場面をハッキリクッキリと覚えているのですが、O嬢とか、毛皮を着たヴィーナスとか、あまり覚えてなかったりしまして。(^^;)
それと、生田耕作の『黒い文学館』で、あの梟の仮面は、レオノール・フィニが実際につくった仮面だというのを知り、これは是非とも再読したいと思っていたのでした。

そして、再読して思ったのは、こんなに恐ろしい話だったけ、という事です。
女性として、ちと嫌だなあ、と思ったし、嫌悪感と共に、後味悪く読了しましたです。
(バランスをとる為に、『毛皮を着たヴィーナス』を再読しようと思いました。(笑))

そして、エロを期待すると、ガッカリするかもしれましぇん。
まあ、この辺の本格的フランスエロス文学を読む方は、エロいのより芸術性を期待して読むかと思いますが。

あとがきで、訳者の澁澤龍彦が、マンディアルグの文章を紹介しながら、次のように書いています。

 詩人のアンドレ・ド・ピエール・ド・マンディアルグは、この小説を称讃する文章 ( 評論集『見晴らし台』所収 ) のなかで、『O嬢の物語』は「適切に言えばエロチックな書物ではない。むしろミスティックな書物である」と述べているが、わたしもそのとおりだと思う。これほど肉体が軽蔑され、卑しめられている小説は、世にもあるまいと思われるからだ。この小説の主要な筋は、あくまで女主人公の魂の告白であって、肉体のそれではない。なまなましいイメージや人物の行為には事欠かないが、官能の興奮については、ふしぎなほど描写が省かれている。作者の関心が、そこにないからである。

究極と言えるぐらい、O嬢は破壊されていきます。
後に読んだ本で、これはO嬢を共有する2人の男の同性愛の話だという説がありましたが、結構同感だったりします。

人は完全なる自由なんて欲してないと、常々思っています。適度な束縛が必要なのだと。自由にされると、どうしていいかわからなくなるのが人間だと思うんですよ。
束縛される事の心地良さは理解出来るんです。だけど、ここまでは…。
しかし、ここまでしなければならないのでしょう。そして、真に幸せなのは、ルネやステファン卿ではなくO嬢の方なのでしょう。
城館での細かい規則は、サドの『ソドム百二十日』を連想しました。

あの梟の仮面のラストシーンが実に鮮やかで美しく、そして恐ろしいです。

O嬢の物語 (河出文庫)O嬢の物語 (河出文庫)
(1992/06)
ポーリーヌ・レアージュ、澁澤 龍彦 他

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ラシーヌ『フェードル』 2006.4.6

*ネタバレあり

これがまた、実に勝手な主人公なのです。
夫が別の女に生ませた息子に、この人ったら恋してしまふ訳なのですが、まあ、それは、恋してしまったのだからしかたないとは思うのですが、自分の心だけに秘めておけばいいじゃないっすか。不倫でもある訳だし。
ところが、告っちゃうのだから驚きです。
その義理の息子のイポリットは、これまた禁じられた恋ではありますが、別の女アリシーと相思相愛なんです。それがわかったら、ひっそりと身をひけばまだ良かったものを・・・。
まあ、そう仕向けたのは乳母だとしても、自分の主人が自殺すると言えば、何とかふせごうとするのは当然の話だし、その結果を、全てこの乳母のせいにするって、ひどすぎませんかー?

そして、フェードルの夫のテゼーが、これが「リア王」的な愚かな男なのです。
何故息子の事を信じてやれなかったのか?
何故双方から話を聞いて、公平に判断できなかったのでしょうか?

とにかくイポリットがかわいそすぎな話でした。
ココで、オレストのセリフはイポリットにこそふさわしい、と書きましたが。
勝手に義理の母親から愛されちゃったばかりに、こんな事になるなんて、あんまりですよね・・・。

ギリシャ神話っつーのは、結構理不尽で不公平な話が多いんですけどね。
神様も人間も、この人たちはなんて勝手なんでしょ、と思います。
神様のあまりの勝手さがおもしろかったりもするんですけどね。

フェードル アンドロマック
恋の女神ヴェニュスの呪いを受け、義理の息子イポリットに禁断の恋を抱くアテネの女王が、自らの恋を悪と知りながら破滅してゆく「フェードル」。トロイア戦争の後日譚で、片思いの連鎖が情念の地獄を生む「アンドロマック」。恋の情念を抗いがたい宿命の力として描くラシーヌの悲劇が、名訳を得てここに甦る。


フェードル アンドロマック (岩波文庫)フェードル アンドロマック (岩波文庫)
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ラシーヌ『アンドロマック』その4 2006.4.4

エルミオーヌその2です。(笑)
母親のヘレンは、彼女が元になってトロイア戦争が起こったというのは、有名な話ですが、なんつーか…そんな母親を持ってしまった事に関しては、同情もしない事もないんですけど…以下、妬み深さが表れているセリフ。

何ということ? 母上ならば、一言も頼まれずと、ご自分のために、
ギリシャ全土に武器をとらせることがおできになった。
母上のお目が争いの種となって、十年の戦さのうちに、
見も知らぬ王国の三人までも、命を落とす羽目になったではないか。
ところがこのわたしときたら、一人のつれない男の死を求めているだけ、
わたしの辱しめを晴らしてくれと頼む相手は、言い寄る一人の男だけだ。
この頼みを聞いてくれれば、何の危険も冒さずに、この心が得られるというのに。
こちらから進んで身を任せても、それでも復讐は遂げられぬのか?
ならば、もうよい。わたしの復讐は、わたし自身で決着をつける。
断末魔の叫び声が、神殿のうちに響き渡ればよい。
二人の忌わしい婚礼の大詰めを狂わせてやる、
できることなら、二人が結ばれるのは、ただの一時だけにしてやりたい。
このような混乱の極み、誰彼の容赦はない。
誰も彼も、あのオレストさえも、すべてがわたしにはピリュスなのだ。
わたしも死ぬ。だがせめて、わたしの死が、わたしの恨みを晴らすように。
一人きりでは死にはせぬ、必ず誰かを道連れにしてやる。


ひゃー。恐いっすねえ。ぜってーかかわりたくないって感じ。
こんな女に惚れる方も惚れる方、っつー気もしますけどね。

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ラシーヌ『アンドロマック』その3 2006.4.3

ちと間があきましたが、コレコレのつづきです。

どいつもこいつも思いやりのかけらもないんかいっつー事は、前回書きましたが、エルミオーヌは、婚約者のピリュスに心変わりされちゃった訳なので、同情の余地もあるのですが、それにしても、あまりにもひどいです、この人は。
自分を思ってくれるのをいい事に、その男を利用しちゃったり、ってのは、結構ある事だとは思うのですが…寅さんのマドンナも、ちとそんな所ある人がちらほらいるし、実際自分も過去にそんな事がないとも言えず(大汗)、たいていは許せる範囲だと思うのですが、エルミオーヌのした事は、とんでもないにも程があります。
とは言え、正気でない、狂っているとしか思えない所もある訳ですが。

ネタバレしますが・・・


躊躇するオレストに、今すぐピリュスを殺せとハッキリと言ったのですよ、この人は。そうすれば自分はあなたのものになると、はっきりと約束したのです。
そして、戻ってきたオレストがされた仕打ちがコレです。以下引用。

エルミオーヌ「さあ、お答え。あの人の運命を、誰がそなたの自由に任せた? どうして暗殺など? あの人は何をしました? 何の権利があってまた? 殺せとは誰が言った?」

いやはや、これには呆れました。以下、一部太字にしました。

オレスト「何ということを !  あなたご自身がわたしに、ここで、つい今しがた、殺せと、お命じになったではないか?」
エルミオーヌ「ああ !  恋に狂った女の言うことなど、真に受けてよいものか?
お前が読まねばならなかったのは、この心の底の底ではなかったのか?
分からなかったと言うのかい、前後の見境もなく気がたかぶっていれば、
口で言う一つ一つが、心の想いと裏腹だということが?
わたしが望んだからといって、それに従ってよいものか?
幾百回となく、自分の心に訊きかえすのが当然であろう?
手を下す前に、わたしの気持ちを確かめにやって来る、
幾度来てもかまわない、それともいっそ初めから会おうなんぞとしないか。
なぜ、わたしの復讐を、わたしの手に任せてはおかなかった !
何に惹かれてここへは来ました? お前の姿など誰も見たくはないものを。
これが、お前の恋の、呪わしい結末なのだ。
お前の連れ歩く禍いを、理不尽にもわたしのところまで運んで来た。
----中略----
お別れです。お引き取り下さい。わたしはエピールの国に留まる。
ギリシャも、スパルタも、その領土も、わが一族のすべてをも、
今となっては見捨ててやる。裏切者、この一族から、お前のような
浅ましい獣が生まれたかと思えば、
それだけでわたしにはもう沢山だ。」


私が太字にした箇所なんぞは、嘘つかれて、とりかえしのつかない事をやらされた上に、こんな事言われるなんて、あんまりにもあんまりってもんですよね。
こんな侮辱までして、徹底的に傷つけて打ちのめさなくてもねえ。

長くなったので、次回最終回へとつづきます。

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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
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