『アドルフ』その3 2006.8.24
以下は、「返事」からの引用です。(手記を読んでの)
もしここに教訓が含まれているとすれば、それは男性に向けられたものです。この手記は、ひとがあんなにも誇りとしているあの才気なるものは、幸福を見いだすにも役だたねば幸福を与えるにも役だたぬことを証明しています。
この先も引用したい所なのですが、小説のラストでもあるので、ネタバレをさけておこうと思います。
この「アドルフ批判」(と私は受け取りました) は、実に実に実に納得のいくものであり、ほんとは全文引用して紹介したいぐらいです。
もうちょっとだけ引用。
かつて一時の悔恨で塞いでやった傷口をまたあけてしまうようなかりそめの憐憫など、私は親切と呼ぶことはできません。
それに私は、なんとか説明がつけばそれで言いわけがたつと思うような自惚れを憎みます。自分のした悪を語りながら自分自身のことばかり気にかけ、自分を描くことによって同情をかち得ると自負し、
・・・とこの辺にしておきます。危ない危ない。
そして、訳者・新庄嘉章によるあとがきが、実に鋭いと思いました。
この小説は、女性の恋愛心理を描写したものというよりは、むしろ、男性の複雑きわまりない利己主義を冷たく鋭く分析したものと見るべきであろう。
「あとがき」の後に出ている、堀江敏幸の「近似値としての恋」というタイトルの文章がまた、この小説の本質をうまく捉えていると思います。
アドルフという男のとらえどころのなさは、究極的に空っぽの心が空っぽのままでいることに耐えられないこらえ性のなさにあって、すでに述べたとおり、恋人は誰でもいいのである。---中略---
誘惑しなければ自分が満足できず、断られればますますその欲望を募らせ、いったん成就するとたちまち飽きてしまって、今度は火のついた相手を重荷に感じる。いつわりの振り子が左右に振れることはあっても、中央で静止することはない。彼に待ち受けているのは、絶対的な不幸でしかないのである。
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