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『《ドラキュラ公》ヴラド・ツェペシュ』その3 2006.10.31

◆ドラキュラ城◆

ヴラド・ツェペシュが本拠地にした城は、アルジェシュ城だそうですが、ブラム・ストーカーは別の城をモデルにしたようです。以下引用。

 なお、ブラム・ストーカーが小説『吸血鬼ドラキュラ』の冒頭部分で雰囲気たっぷりに描写した断崖絶壁のうえにそそりたつドラキュラ城は、まったく架空のものであって、この実在したアルジェシュ城とはなんの関連性もない。ストーカーがモデルにした城砦は、やはりヴラド時代に実在したビストリツァ城あるいはブラン城であったようである。

◆性格◆

吸血鬼ドラキュラのモデルになったヴラド・ツェペシュという人は、ドラキュラ像とあまり一致するものがあるとは思えず、どうにも不思議な感じが、この本を読んでも消えなかったのですが、大変きびしい性格ではあったようです。
私は本書を読んで、あまりにも寛容でなさすぎる、とは思いましたが、また、なかなか正しく、理不尽な事はしない人でもあったようです。そして、誇り高く立派な人物でもあったようです。以下引用。

 その絶対的な権力を確立するために、ヴラドは政敵の存在を許さなかったし、また一般国民にたいしても、治安維持に反するような行動はきわめて厳格で容赦ない態度で処断した。彼はひとびとがつねに勤勉にはたらき、盗みや不正をおこなわず、妻は夫によくつくし貞淑であることをもとめた。こうした道徳律にたいする違反についても、それが些細なことであってもたちまちきびしくとがめられた。違反したために極刑に処された例は、伝承やドイツ語本物語などのなかには数多くみることができる。---中略---わずかな盗みのような軽犯罪まできびしくとりしまられたので、ワラキア国内では治安がゆきとどき、水飲み場に置かれた黄金製の杯を持ちさるものはいなかったほどだったので、外国からの旅人も安心してすごすことができたともいわれる。

この辺の所は、後に『吸血鬼ドラキュラ』の感想で、またふれますね。これ読んだ後に再読したんです。なので、しばらく吸血鬼ネタとなる訳ですが・・・。


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『《ドラキュラ公》ヴラド・ツェペシュ』その2 2006.10.30

◆名前◆

ヴラド・ツェペシュというのは名前だとお思いだろうと思いますが、実は呼称なんです。
「ツェペシュ」とは、ルーマニア語で「串刺し」の意味なのです。
「串刺し」という処刑法を多く使った為に、ツェペシュと呼ばれるようになったのですが、この処刑法はヴラドのオリジナルではなく、ヨーロッパでしばしばみられた処刑方法であり、ヴラドはトルコ人からその方法をまなんだと言われているそうです。彼と弟のラドウは、デウシルメという制度によって、トルコで教育を受けたので、その時のことかもしれません。
その処刑法は以下のようなものです。本書より引用。

 ヴラドが粛清にあたって採用した処刑方法は、串刺し刑と呼ばれるものである。これは先端をけずってとがられた柱を犠牲者の肛門に突き刺し、身体をさしつらぬいてから、地上に立てて固定し、そのまま死にいたらしめるという、きわめて残酷なものであった。

また、「ドラキュラ」の名前は、元々ドラゴン騎士団から来ているそうです。以下引用。(ちなみにここに出てくる「ヴラド」とはヴラド・ツェペシュの父親のヴラド二世の事です。)

 一四〇八年に結成されたドラゴン騎士団は、神聖ローマ帝国皇帝を筆頭とする二十四名の騎士団で、団員はいずれもドイツ帝国内の高級官僚や将軍たちであった。ドラゴンは黙示録のなかで聖ミカエルにいどみかかる狂暴な獣として、中世のひとびとからは恐怖とともに畏敬される存在だった。騎士団はこの架空の動物をシンボルとして、預言される世界終末にそなえる強靱な精神の涵養につとめることを目的にしていた。ヴラドはこの騎士団にくわえられたことを名誉として、これ以後の戦闘にはドラゴンの旗幟をおしたてて行動するようになったので、ひとびとはヴラド <<ドラクル>> と呼ぶようになった。ドラクルはルーマニア語でドラゴンのことだが、この語はまた悪魔という意味をもっているという。ヴラドの子である本書の主人公ヴラド三世が <<ドラクラ>> (英語でドラキュラ) と呼ばれたのは、ドラクルの子という意味である。

ココ見ると、ヴラド・ツェペシュに関して、なかなか詳しく出ています。
名前の事が最初に書かれています。

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『《ドラキュラ公》ヴラド・ツェペシュ』その1 2006.10.28

ブラム・ストーカー原作の『吸血鬼ドラキュラ』のモデルとなった人と言うことは、今では有名ですね。
そして、実際はオスマン=トルコを脅かした、ワラキアの救世主であり英雄だったと言う事も、今ではすっかり有名かもしれません。
ドラキュラ映画をつづけて観たのをきっかけに、この人の事も、もうちょい詳しく知りたいと思い、図書館で探して借りてみました。
『ドラキュラ』 *今日咲いた月下美人の画像も*
『吸血鬼ドラキュラ』
『吸血鬼ノスフェラトゥ』

最初の方は、ヴラド・ツェペシュについての様々な本からの抜粋をザッとしているのですが、どれ1つとっても確実なものはありません。15世紀の話なので、それも当然かもしれませんが、とにかく意図的に事実を曲げた、現実的でない話が多いのです。それは政治的な理由もある訳ですが。(ハンガリーのマチャーシュ・フニャディが、いちばんの犯人)
そして、この捩じ曲げられた話が、おそらく『吸血鬼ドラキュラ』のモデルになったように思います。

50ページを過ぎたあたりから、しばらく歴史のお勉強です。
ヴラドのじいさんミルチャより以前の話からはじまっていて、なかなかヴラドが出て来なくてイライラ感、あまり頭に入らないまま読んでしまって、後でもう1度読みなおしました。(^^;)
オスマン=トルコの勢力の凄まじさ、ハンガリー、モルドヴァ、トランシルヴァニア、ローマ帝国など、周りの国との関係、東方生教徒とカトリック教の対立などの宗教的な事などがよくわかって、おもしろかったです。(昔は不真面目な生徒でろくに勉強せず、テストは一夜漬けだったのを、こーゆー時に後悔するのね…)

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澁澤龍彦『秘密結社の手帖』その5 2006.10.26

政治的なネタを2つほど。

◆「黒手組」の陰謀と「ウスタシ党」◆サラエヴォ事件

まずは引用から。

サラエヴォの暗殺は、世間でいわれているように、狂信者の盲目的な行動などでは決してなく、導火線に火をつけるべく、細心に計算された行動だったのである。
 サラエヴォの暗殺事件は、秘密結社のテロリズムのやり方として典型的なものと思われるので、ややくわしく、その状況を述べてみよう。(たとえば、読者はケネディ暗殺の状況と比較してごらんになるがよい。)


・・・と長いので割愛しますが、すべては筋書き通りに運んだと言う事です。昔、落合信彦の本で(「2039年の真実」だったけか) ケネディ暗殺の詳細を読んだ私は、あまりの酷似にびっくらこきました。
河出文庫版で196ページからです。

二〇三九年の真実(決定版)決定版

◆ヒトラーと「ツーレ・グループ」◆

魔術師ヤン・ハヌッセンという謎の人物が指導していたと言う「ツーレ・グループ」は、非情に興味深いです。
彼の前の指揮者はハウスホッファーという男で、グルジエフの直弟子だそうです。
とりあえず引用。

 従来の文化やモラルを逆転させた、人類の新しい時代の到来を象徴するために、ハウスホッファーは、古いインド教の象徴物である逆卍形を、このグループのために採用していた。これが後にナチスの徽章となった鍵十字である。

そして、ハヌッセンは、相手に暗示をかけたり、集団的な催眠現象を惹き起したりし得る技術を教えていたそうなのです。
ヒトラーの影にハヌッセンありと言う事でしょうか。

ところで、肝心のフリーメーソンですが、入社式を『戦争と平和』と照らし合わせました。
きちんと1つ1つ確かめた訳ではないのですが、同じだったかと思います。
ご紹介したいのですが、あまりに長い引用になるので、泣く泣く割愛。
この本の142ページ、新潮文庫の『戦争と平和』の2巻、123ページからです。
『戦争と平和』その6◆フリーメーソン◆
澁澤龍彦『秘密結社の手帖』その1

 

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澁澤龍彦『秘密結社の手帖』その4 2006.10.24

ココココの坊さんの話とも関連性があると思うのですが、正義感と「極端」というものは、実にやっかいであります。
以下のテンプル騎士団の秘伝書の話、ヒトラーの考え方と共通のものがあるのではないかと…。

 テンプル騎士団の秘伝書のなかには、「純粋な者にとっては、すべてが純粋である」という一条があった。つまり、完全な信徒たる者は、みずからよしと思うことを、すべて行うことができるのだ。カトリック的な考え方にとっては、これは傲慢の罪以外の何ものでもあるまい。「両極端は相通じる」という譬えの通り、とかく禁欲と放縦とは、一方から他方へ飛躍しがちなものである。二元論的な考え方とは、そういうものである。

◆「青年ヨーロッパ」党◆

『山猫』の話なんかが出てきたので、嬉しくなって引用しちゃいます。

 ランペドゥーサの小説『山猫』は、世界的ベスト・セラーとなり、ヴィスコンティ監督の手によって映画化 (バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディア・カルディナーレ主演) されているから、ご存じの方も多いであろう。この映画のなかで、アラン・ドロン扮する若いシチリアの貴族タンクレディは、「青年イタリア」党の一員として、ガリバルディの義勇団と手をむすび、ナポリ王国軍と戦って、サルディニア王の正規軍の将校となっている。革命をめぐる新旧両世代の対立の劇が、この頽廃と憂愁にみちた小説では、まことに見事に描きつくされている。

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澁澤龍彦『秘密結社の手帖』その3 2006.10.21

◆キリスト教の祭儀の異教起源説◆

12月25日は、実はキリスト生誕の日ではない事は知ってましたが、太陽神の誕生日とされている日だったのですね。太陽神って事は、以下の引用のミトラ神とは、アポロと同じなのでしょうか?

 ミトラ神の誕生日は、十二月二十五日ときめられていた。この日は冬至であり、一年のこの転機から、日が次第にのびて太陽の力が強まってくるところから、「太陽神の誕生日」と認められたわけである。キリスト教が、キリストの誕生日を十二月二十五日に選んだのは、たぶんこの太陽神崇拝からの模倣であったにちがいない。あるいはまた、太陽神に対抗する意図があったのかもしれない。聖書には、キリストの誕生日については何も書かれていないのである。

他にもキリスト教と異教の祭日の一致は沢山あるのだそうです。また引用。

 つまるところ、キリスト教の救世主も、多くの異教の神々と同様、一度死んで復活する男の神なのである。
*傍点部分、太字にしました。

っつー訳で、キリスト=ゾンビ、となる訳ですね。(気を悪くされましたら、スミマセン。(アセアセ))
*ゾンビに関してはその1を是非ご覧くださいませ。


 

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澁澤龍彦『秘密結社の手帖』その2 2006.10.19

◆アッティスとキュベレーの密儀◆
こんな恐ろしい信仰があるとは !
*注意 心臓の弱い方、阿部定が苦手な方等は読まないでください。以下引用です。

 あるとき、ゼウスが熟睡のあいだに精を漏らし、それが大地に落ちて、一人の赤ん坊が生まれた。これがアグディスティスであるが、この神は、生まれた時から男女両性であったのを、神々が寄ってたかって男根を切り取り、女性にしたのである。すなわち、これがキュベレー女神である。
 ところが、切り取った赤ん坊の男根を埋めた場所から、一本のアマンドの樹が生えてきて、やがて実を結んだ。たまたま、そこを通りかかった河神の娘ナナが、その実を摘んで、ふところに入れると、今度は彼女が妊娠して、ついに一人の男児を産み落した。これが美少年アッティスである。
 キュベレー女神は、やがて美少年を見つけて、ふかく愛するようになった。ふしぎな因縁である。アッティスも女神の寵愛を嬉しく思い、決して彼女の愛を裏切るまいと誓った。けれどもアッティスが成長すると、その美少年ぶりに言い寄る者がますます多く、とうとう誘惑に負けて、彼はあるニンフと通じてしまったのである。女神は怒って、アッティスをおそろしい狂気におとしいれた。美少年は狂乱のうちに、刃物をとって、自分の男根を切り取り、出血のために死んだという。
 この奇怪な神話にもとづいて、キュベレー崇拝の信者たちは、まことに酸鼻をきわめた密議を実行する。つまり、アッティスの自己懲罰の行為をまねて、みずから男根を切り取り、これを大地の女神に捧げるのだ。


後半の方に出てくる、ロシアの異端「スコプツィ」派というのも、同じく去勢するらしいです。
女性は、乳首を焼き切ったり、乳房全体をえぐり取ったり、クリ×リスを切除したりするらしいです。(ぎゃああああ) そして、切除された乳房を小さく切って、参列者の全員に配り、食べたりするそうですよ~~~(ひょえ~~~ぶるぶる)

・・・と恐怖におののきつつ、次回につづきます。


 

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澁澤龍彦『秘密結社の手帖』その1 2006.10.16

またまた澁澤ですが、『戦争と平和』でのフリーメーソンの所を読み、ちと確認したいと思っての再読です。20年以上前に読んだから、ほとんど忘れてましたが…。

◆ヴォドゥー教◆

ブードゥー教と表記されてるのが多いと思いますが、これに、ぬわんとゾンビが出てくるんですね ! (茶色字の部分、引用です。)
ブードゥー・チャイルド~ザ・ジミ・ヘンドリックス・コレクション

 さらにヴォドゥー教に特徴的なものは、いわゆる口寄せの儀式であって、幕から引き出され、妖術使によって蘇生せしめられた「ゾンビ」という死者が、これに一役演ずるのである。この怪奇な儀式は映画に撮られたりして、話題になったことがあるけれども、じつは、この死者はほんとうに死んでいるのではなく、妖術使によって仮死 (カタレプシー) の状態にされ、墓穴のなかに埋められて、また引っぱり出されるにすぎないので、あわれな傀儡ともいうべき犠牲者なのだ。たぶん、植物性の麻薬によって正気を奪われ、妖術使の意のままに操られているのであろう。

◆妖術信仰の農村的性格◆

ワルプルギスの夜なんてのが有名ですが、元々はただのお祭り騒ぎだったのです。

魔女たちが夜宴の主宰者を「叛逆せる偉大な農奴」と呼んだように、中世の夜宴は、そもそも貧困に打ちひしがれた農民たちの、反抗的なお祭騒ぎだったのである。ヨーロッパの妖術者信仰は、そもそも社会的な現象であって、宗教上の悪魔主義とか神秘主義とかいったものとは大して関係がなかったのである。十七世紀になって、ようやく妖術信仰は都市に入り込み、ルイ王朝の貴族や貴婦人を集めて、いわゆる黒ミサなどの儀式が行われたが、それはずっと後の話である。

 

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澁澤龍彦『少女コレクション序説』その5 2006.10.13

◆ポルノグラフィーをめぐる断章◆

澁澤氏自身のサド裁判以降、「猥褻か芸術か?」てな事が議論されてる訳ですが (サド本に関していっぱい書いてます。こちらから~。こちらの最初の方なんぞも良かったら。)、その規準はなんでしょう。以下の文には、そっか、にゃるほど、そういう事なのかもしれない、と思いました。単純な事なんですね。
オスカー・ワイルドが『ドリアン・グレイの画像』の序言で述べている言葉が紹介されています。以下引用。

「道徳的な書物とか、反道徳的な書物とかいうようなものは存在しない。書物はよく書けているか、それともよく書けていないか、そのどちらかである。ただそれだけのことだ。」
 ポルノグラフィーもまた、私には、よく書けているか、それともよく書けていないか、そのどちらかでしかあり得ないように思われる。よく書けたポルノグラフィーは、場合によっては芸術作品と等価なものになるだろうし、等価なものにならないまでも、少なくとも私たちを何らかの人性上の発見にみちびいてくれるものにはなるだろう。ただそれだけのことなのである。
 しかしながら、ひるがえって考えてみると、このオスカー・ワイルドの言葉は明らかに両刃の剣であろう。おそらく検察官ならば、このワイルドの言葉を次のように言い換えるであろう。すなわち、
「よく書けている書物とか、よく書けていない書物とかいうようなものは存在しない。書物は道徳的であるか、それとも反道徳的であるか、そのどちらかである。ただそれだけのことだ。」


ドリアン・グレイの肖像改版

オスカー・ワイルドからビアズレーの話に移る所が、見事な関連性じゃ、と思いました。
何でもないように見える絵が、長い期間発禁処分を受けていて、なんでこれが?ってものがありますが、ビアズレーの描いた『サロメ』の挿絵の中の、「椅子のサロメ」という絵を御存じでしょうか?
私はコレ読んで確かめましたが、にゃるほど~~~ !
ビアズレーの絵が解禁された後に新版『サロメ』を出された福田恒存さんも、澁澤氏も、その絵がどうしてエロティックで猥褻なのか、わからなかったそうですが、三島由紀夫は流石です。以下引用。

私が仕方なく曖昧な顔をして笑っていると、三島はさも心外だというような表情を浮かべて、
「へえ、あなたにも分らないの。これはね、女のオナニーですよ。一目瞭然じゃありませんか。じつに猥褻な絵だねえ。」
 大きな目をむいて、ひとりで感心しているのである。


こちらがその絵です。

サロメ改版

院曲サロメ ケン・ラッセルのサロメ サロメ
院曲サロメ
ケン・ラッセルのサロメ

この他、コンプレックスとか、匂いのアラベスクとか、マンドラコラとか、ひじょーーに興味深く楽しく読みました。特にマンドラコラがおもしろかったですっっ。
全部紹介したい所ですが、キリがないので、この辺で。
是非本を読んでみてくださいね~ !

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澁澤龍彦『少女コレクション序説』その4 2006.10.8

◆近親相姦◆

まずは、またまたいきなり引用から。

「あなたはどうして子供をつくらないのですか」と質問されたとき、私は笑いながら、次のように答えることにしている。
「かりに私たち夫婦のあいだに、男の子が生まれたと仮定しましょう。そうすると、やがて母親 (つまり私の妻) の愛情は、私から離れて、男の子の方に移ってしまいます。エディプス・コンプレックスの原則を持ち出すまでもなく、子供もまた、いつしか父親 (つまり私) を疎んじて、母親の側に立つようになるにちがいありません。これは、私には堪えがたいことなのです。また逆に、私たち夫婦のあいだに、女の子が生まれたと仮定しましょう。そうした場合、私はほとんど確実に、妻をほっぽらかして、妻よりも若い娘の方に、自分の愛情が移ってゆくだろうと断言することができます。いや、笑いごとではありません。もし事情が許せば、私は娘と近親相姦の罪を犯すことにもなりかねないのです。これでは妻があまりにも可哀そうではありませんか。私は妻を愛しておりますから、かかる事態は避けたいと考えます。それに、私にしたところで、娘に対して悶々の情をいだきつつ、みすみす知らない若い男に娘を引き渡さねばならない運命に耐えるなんて、真っ平ごめんですね。」
 右のような意味のことを、私はせいぜい冗談めかしていうのであるが、じつは決して冗談ではなく、これは私の心の底から発したところの、いわば信仰告白ともいうべき、偽らざる本心の表白なのだ。


上の澁澤氏の告白が本当かどうかはともかく(笑)、「近親相姦」というテーマは、はるか昔から、あらゆる文学や芸術作品、映画等に描かれてきた、避けては通れないテーマだと思います。
特にサドやバタイユを代表する、フランス・エロス文学を語る際に、絶対無視する事はできないでしょう。
それは、ギリシャ神話にも多く見られ、現実でも皇帝ネロなど、様々な歴史的人物に見られます。

中にはこういうものに過剰反応を示す方もおられるようですが、自分に関して言えば、近親相姦?ゲッ ! 考えられん…て感じなので、現実の世界は別として、芸術の世界での近親相姦を嫌悪する事はありません。
なので、近年の某韓国映画も大変おもしろく拝見した訳でして。
遥か昔の戯曲、芸術、小説に、当たり前のように出てくるものですからね。

ジョン・アプダイクは、ウラジミール・ナボコフを論じた文章のなかで、おもしろい事を述べています。

「強姦は下層階級の、姦通は中産階級の、近親相姦は貴族階級の性的罪悪である」

また、この本のもっと後の方で、こんなおもしろい事が書いてありました。

 有名な短篇『黒猫』を例にとるならば、主人公が猫の眼をえぐるのは、エディプス王が自分の眼をつぶすのと同様、去勢を意味する。しかも猫は女性で、母の象徴であり、猫が樹に吊るされて殺されるのは、エディプスの母イオカステーが首をくくって死ぬのと同じである。つまり、いずれも近親相姦の罪に対する自己処罰を意味することになるのである。


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澁澤龍彦『少女コレクション序説』その3 2006.10.6

◆東西春画考◆

これまた、にゃーるほど ! と唸らされました。いきなり引用です。

 世界に冠たる日本の浮世絵のエロティシズムに匹敵するような、ヨーロッパ美術では、おしなべてエロティシズムなるものは、それが要請する形而上学 (悪魔崇拝 (サタニズム) の形而学) と切っても切れない関係にあり、この関係が、原罪のない国であるところの日本の浮世絵のエロティシズムとは、おそらくまったく違ったニュアンスを醸成する根本原因となっている、と考えられるからである。

*傍点部分を太字にしました。
禁を破ることに発する西洋のエロスと、底抜けに明るい日本の浮世絵のエロスとの比較は実に興味深く、どちらにも惹かれます。

次はちと長めの引用をしたいので、短かめですが、今日はこの辺で。
次回、澁澤氏の告白からはじまります。

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澁澤龍彦『少女コレクション序説』その2 2006.10.5

◆犠牲と変身 ストリップ・ティーズの哲学

まず、ゴヤの「裸体のマハ」の話が出てきます。
「裸体のマハ」は「着衣のマハ」があるからこそエロティックだとの発想には、なるほど ! です。アンドレ・マルローの『ゴヤ論』からの紹介を引用。

ヴェネツィア派の裸婦が最初から衣服をはねつけているのに対して、この裸体のマハは、いままで着ていた衣裳をかなぐり棄てたばかりの状態なのであり、だからこそ、その肉体がひときわ挑発的にエロティックなのだ、というのである。

そして、インテリ・ストリッパーとして名高いフランスのリタ・ルノワールの言葉がまた良いです。

「ストリップとは、何よりもまず一つの儀式であり、観念によって肉の交流を実現することを目的にした、一つの儀式なのです。脱衣する女は、犠牲執行者であるとともに犠牲者であり、誰の手にも委ねられていると同時に、また誰も手を触れることのできない存在なのです。」

そして、正統的ストリップは、そうした意味で、永遠に目的に到達し得ないエロティシズムの絶望的な性格を、忠実になぞっているのである。との文は、実に上手い、おもしろい見方だと思いました。もうひとつ。

映画やヌード写真をもふくめた、あらゆる視覚的なエロティシズムの媒体が、大衆のフラストレーションの根源であるといえなくもなかろう。

フラストレーションを溜める為に、わざわざお金を払って見る、しかもそうせずにはいられない、という事実は、実におもしろいと思います。
この章最後の所、この文章そのものが、実にエロティックで素敵だと思いました。

 スポット・ライトに照らされた舞台の上のストリッパーは、むしろ繭のなかの昆虫に似ているような気がする。孤独のなかで、苦しげに、歓ばしげに、彼女は変身しようと身をもがくのである。それは言葉を変えれば、犠牲者と犠牲執行者とに分裂した、彼女自身の存在の二重性のせめぎ合いということかもしれない。

人形作家


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澁澤龍彦『少女コレクション序説』その1 2006.10.4

表紙は澁澤氏所有の四谷シモンの人形です。なんと妖しく美しいんでしょう。
この人形は、以前池袋で澁澤展をやった時に、実物を見ました。あれは亡くなった少し後だったでしょうか。著作の世界そのまんまの書斎で仕事してらしたんだなーと、その妖しい世界に見入ってしまいましたが、この人形は、澁澤ワールドに見事にマッチしておりました。

そして、この本、人形愛から始まって、アリスの話や、ストリッパー、近親相姦、処女生殖、コンプレックス、マンドラコラなどなど、実に実に興味深い話ばかりです。
全文引用したいぐらいだったのですが、抑えに抑え、これから、いくつか紹介したいと思います。

◆人形愛◆
もうなんつーか、目から鱗と言うか・・・にゃるほど ! という文章満載でした。
以下引用。

 小鳥も、犬も、猫も、少女も、みずからは語り出さない受身の存在であればこそ、私たち男にとって限りなくエロティックなのである。

もうひとつ。

まさにフロイトがホフマンの『砂男』の卓抜な分析によって証明したように、人形を愛する者と人形とは同一なのであり、人形愛の情熱は自己愛だったのである。

*傍点部分を太字にしました。

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Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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