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美輪明宏『ああ正負の法則』その2 2006.11.30

「世の中には正負の法則があるから、何ごともほどほどが良い」というのが、この本のおおまかな事ですが、美輪さんのおっしゃる事は、常にいちいち正しく、ビシビシ共感してしまうのですが、この本に関しては、疑問符も結構つきました。それは後に書いていきますが・・・
石川啄木の「じっと手を見る」ではいけません!努力しなさいってな事を書いてらっしゃるのですが、そのアドバイスが実に厳しいです。以下引用。

<人の悪口を言わない、こぼさない>
<愚痴や泣き言を言わない>
<感情をコントロールできる>


良くなった人というのは、これだけの事をちゃんとやっている、と書かれています。
この3つ、めちゃ難しい事だと思うんですが・・・。
毎日のように人の悪口や愚痴や泣き言をブログにUPするのも自分としてはやりたくないし、全くないとは言い切れないけど普段やっていませんが、特定の人をその人とわかるように、こういうブログに書くのはいかがなもんか、と思いますが、親しい人にちょっと愚痴るくらいはいいんじゃないでしょか?自分の中だけで溜めておくと、いろいろおかしくなってきますしね。
まあ、自分としちゃあやりたくないですが、ブログの場合、悪口・愚痴等の日記にアクセスいっぱい来る気はします。(^^;)

親や兄弟など、身内でも、ほどほどの距離を保つのが良い、と書かれているのには、確かに!と思いました。
うちなんか母と仲良い方だと思いますが、やっぱお互いに遠慮がなくなっているのは確かでして、私も傷つくことをグサグサ言われますし、私も言っちゃってます。ゴメンよ~
お互い楽な存在ではあるのですが。
言えてる~~!とニガワラな文を引用。(^^;)

同じ話でも、身の上相談の同じ答えでも、他人に言われるとありがたいけれど、身内に言われると、同じことを言われてもうるさいだけで、ちっともありがたくないという場合が多すぎるのです。

わははは(≧▽≦)!


ああ正負の法則ああ正負の法則
(2002/04)
美輪 明宏

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テーマ : エッセイ/随筆
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美輪明宏『ああ正負の法則』その1 2006.11.29

他の美輪明宏本にも、ちょくちょく出てきた<正負の法則>。で、この本、とても気になっておりました。
買ってしまおうかと思いつつ、30何人待ちだったかと思うのですが、とりあえず図書館に予約。んで、回ってきました。
それにしても、「この本は他の人も予約しています。読み終わったらなるべく早くお返しください。」てな紙が2枚も入っていて、しつこいよっ!
しかし人気ありますねー。美輪本はどれも予約がいっぱいです。

◆天界族と魔界族◆

ああ、どうしてこんなに嫌な変な人が存在するわけ~~~?ってこと、世の中にいっぱーーーいある訳ですが。(って自分も思われてるんでしょうけど) それを「魔界族」と表現する美輪さんってステキ!
以下引用です。

 世の中には、骨の髄まで <悪> で出来ている人がいるのです。マスコミを悪事で賑わわせる人などは、ほとんどそうです。そういう人はあらゆる面で強力な魔力を持っています。なまっちょろい世間知らずで無罪病の裁判官や弁護士や人権屋さんたちには想像もつかない魔物です。彼または彼女たちには、反省とか後悔とか懺悔などという成分はひとかけらもありません。実際にそういう魔物はいるのです。注意しましょう。

その魔界人の見分け方に爆笑!まぢいるもんね、これにピッタシ当てはまる人!

 まず、ひと目見たときの第一印象がひんやりとした感じ、凶々しい、闘争的、自己中心的、傲慢な感じ、陰険、陰湿、ヌメッとした蛇のようで、どことなく暗い。暗いくせにエネルギッシュ。強欲、すべてに貪欲、何にでも妬み、そねみ、ひがみ、悪口ばかりを言う人、

私も長年生きてきて、腹の立つことも少なくなったと思いますが、美輪さんの本を読むと、嫌な人、不快な事に、いちいち腹が立たなくなりますよね。
いや~~な人に遭遇しても「この人は前世は灰皿か何かだったと思えばいいのよ」ってな事を別の本で書かれていたり。(←以前これ書いたと思います) ほんと、ストレス少なく生きていくヒントをくれます。


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澁澤龍彦『快楽主義の哲学』その7 2006.11.28

◆快楽主義の巨人たち◆

この章、実に楽しく読みました。
特に酒飲み文士アルフレッド・ジャリが良いです。
酒ばかり飲んでいて、最後は貧窮のために慈善病院の一室で、34歳の若さで亡くなったそうです。
『マルコヴィッチの穴』の一部の元ネタみたいなのがありましたぜ。

 アポリネールがジャリのアパートを初めてたずねたとき、門番にきくと、「三階半です。」と教えられた。なるほど、そのとおりで、けちな家主が一階を上下二段に仕切って、部屋数を倍にして貸していたのです。その天井の低い、頭のつかえそうな部屋を、ジャリは「縮図」と称していました。机もベッドも、みな標準の寸法より小さくて、つまり部屋ぜんたいが縮図なのです。ジャリはその低いベッドに寝て、腹ばいになって詩を書いていた。やはり小型の本箱には、子どもの絵本が二、三冊はいっているだけだった。
 暖炉には、ある画家からもらったという、日本製の大きな石の男根像が飾ってあった。あるとき、ひとりの女流作家がたずねてきて、この石の男根をふしぎそうにながめ、「これは実物大なのですか。」と質問した。「いや、縮図です。」とジャリは答えた。----


マルコヴィッチの穴 DTSコレクターズエディション

こんな冗談みたいな話が、現実にあったなんて、ビックリです。
李白という人も、一斗の酒をぐびりぐびりと飲みながら、たちどころに詩を百編も作ってしまうという人だったそうです。
そんな李白の最期が、なんとも粋です。

 李白の死については、いかにも彼にふさわしい伝説が、むかしから語られています。それは、彼が酔っぱらって船にのり、采石磯という血へくると、水にうつる月影をとらえようとして、あやまって水中に落ち、おぼれたのだというのです。

次の引用で最後にしたいと思いますが、近頃は逆に「大衆に受けるものは愚だ」と言わんばかりに、普通に楽しめば良いものでも、わざとそっぽを向くポーズをとる人が多いように感じ、時代も変わったなあ…と思わされた一文でした。

ゴルフといえばゴルフ、マイ・カーといえばマイ・カー、オリンピックといえばオリンピック、まるで戦争中の「右へならえ」みたいに、いつも他人と同じことをしていないと、気になってしかたがないという妙な人種がふえてきました。流行を追い、風俗を追って、コマネズミのようにくるくる動きまわっています。
 こういう連中こそ、資本主義の消費文明に骨の髄まで毒された、あわれむべき大衆社会の疎外の産物です。一種の神経症患者、一種の病人であって、みずから意識することなく、すでに主体性を失っているのです。



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澁澤龍彦『快楽主義の哲学』その6 2006.11.27

◆ゲーテ◆

ゲーテの恋愛遍歴がおもしろいです。83年の生涯に登場する恋人の数は、初恋のグレートヘンから始めて、12人に達するとか。
恋愛をきちんと文学を生み出す糧にしている所は、流石と言いますか・・・。
2つほど引用します。

 つぎの相手は、彼がウェツラーに移ってから、舞踏会に行く途中馬車のなかで識り合ったというシャルロッテ・ブッフです。彼女は、妻をなくした官吏の次女で、十人の幼い兄弟を母のように世話し、当時は十八歳でしたが、すでにケストネルという中年の外交官と婚約しておりました。それで当然、ゲーテの恋は失恋におわります。この経験から生まれた作品が、有名な『若きウェルテルの悩み』です。しかし小説のなかのウェルテルは自殺をしますが、現実のゲーテは、運命に耐える強い力で、この失恋の危機を切り抜けるのです。

 二十六歳のとき、フランクフルトの銀行家の娘、当時十六歳の美しいリリー・シェーネマンと婚約します。けれども数カ月後には、彼女といっしょになることに不安を感じて、この婚約を思い切って解消してしまう。心の動揺のあいだに、「おお、いま戯曲を書かなければ、僕は破滅してしまう。」と叫んで、『シュテラ』という劇作品を書きあげる。この作品のなかには、リリーに相当するシュテラと、以前に棄てたフリーデリーケにあたるチェチーリエという二人の女が出てきますが、主人公の男は、彼女たちをつぎつぎに棄て去ったのち、自分の意志の弱さを悲観して自殺してしまう。しかし、現実のゲーテは、苦悩を乗り越えて雄々しく前進するのです。


ゲーテの最後の恋は、74歳のとき、相手は19歳だったそうです。


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澁澤龍彦『快楽主義の哲学』その5 2006.11.25

◆性的快楽の研究◆

やはり澁澤本はこうでなくっちゃ!と思うわけでありますが、いよいよエロ話に突入です。(笑)
むかしから、世界各国で、この点については涙ぐましい努力がなされてきました。男性がその生涯で、いちばん多く悲哀を感じなければならないのも、この自己のポテンツの限度を知ることによってだろうと思います。と、ありますが、男性は大変だなあ、と常々思います。ココ↓まで行くと、スゴイとゆーか、何とゆーか・・・

 インドのヨガ行者は、きびしい肉体的鍛練によって、そのペニスに霊妙な力を賦与することができるそうです。たとえば、尿道から水を吸い上げることができるようになる。そんな曲芸みたいなことをしてなんの役にたつのか知りませんが、まったく夢のような話です。また、中国の艶笑文学として名高い『肉蒲団』の主人公は、自分のペニスを手術して、これにイヌのペニスの腱を接合し、絶大な能力を獲得する。うらやましき限りの話です。

お次は回数のお話ですが、とりあえず引用。

 カザノヴァの『回数録』によると、彼の最高記録は一晩六回、フランク・ハリスの『自伝』によると、一晩連続十二回という豪傑ぶりを示しています。

十二回とは・・・・・・でもこうも書かれています。

 しかし、回数ばかり多くてもなんにもならない、量より質がたいせつだ、という意見もあります。

賛成です。


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澁澤龍彦『快楽主義の哲学』その4 2006.11.23

◆快楽を拒む、けちくさい思想◆

ソクラテスもカントもゲーテも宮沢賢治も、この本にかかればボロクソでして、この辺も寺山修司の『さかさま世界史英雄伝』を思い出しました。
宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」に関しては、こんな事が書かれています。

 目の前に牛肉があるのに、「味噌ト少シノ野菜」で満足していなければならないという法はありません。なにもわざわざ「ミンナニデクノボウト呼バレ」なければならない必要はありません。正当な理由があるときには、怒りを爆発させてもいいし、「丈夫ナカラダ」をもっていれば、いろんな欲望も湧いてくることでしょう。どうして、それを満足させてはいけないのか。だいいち、「イツモシズカニ笑ッテ」いられたのでは、まわりの者が気味がわるくてしかたがありません。ソウイウモノニワタシハナリタクアリマセン!

カント的厳格主義を、詩人シラーがからっている文が紹介されています。

  僕は友人につくしたいんだが、
  残念ながら好きでするのだ。
  で、僕はしばしば思い悩む、
  自分はりっぱな人間ではないのだ、と。
  まあしかたがない、きみはつとめて友人を軽蔑したまえ。
  そうして義務の命ずることを
  いやいやながら行なうがよい。


*傍点部分、太字にしました。

ソクラテスの「おのれ自身を知れ」という有名な言葉がありますが、これに関して、アンドレ・ジイドの言葉が紹介されています。

「おのれ自身を知れ。この金言は、有害であるとともに醜悪である。自分自身をよく知ろうと苦心する毛虫は、いつになっても蝶にはならないはずだ。」

そして、飛躍したり発展したりするためには、つねに自分の限界をたたきこわし、自分の可能性に賭けることが必要です。と澁澤氏は書いています。


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澁澤龍彦『快楽主義の哲学』その3 2006.11.21

◆博愛主義とは何か◆

以下のリンゴの例は、ひじょーにわかりやすいです。

 たとえば、十個のリンゴを十人に分けて、快楽を得たとします。ところが、もしこれを百人に分けた場合、リンゴの味は変わらないかもしれないが、もう快楽はありません。こまぎれのリンゴなんて食べられたものじゃない。むりに食べたとしても、もうだれも、おいしいともなんとも思わないでしょう。このように、快楽を味わう人の数がふえれば、快楽はだんだん小さくなり、ついにはまったく無になってしまうのです。それが現実の姿です。

そして、こうも書いてます。

 また、他人の快楽がそのまま自分の幸福になる、というのも、賛成しかねる意見です。もしそういう人がいたとしたら、それは、利己主義と変わりがないではありませんか。

さらに・・・

「汝の隣人を愛せ。」という言葉がありますが、いったい、だれが、この空虚な理想を実行できるものでしょうか。-----もしあなたが、A子さんならA子さんという美人をくどき落として、ついに、彼女をあなたの恋人とすることに成功したとします。
 その場合、あなたは、同じくA子さんに思いを寄せているあなた以外の何人かの男性に、ひどい打撃を与えたことになる。もしあなたが、どうしても、あなたの隣人を愛さなければならないとすれば、あなたはA子さんをあきらめて、他の男性に彼女をゆずらねばなりますまい。(さもなければ、五人なら五人の男性で、彼女を共有しなければなりますまい。)


うーーん、この辺はちと寺山らしい屁理屈っつー感じが・・・。じゃなかった、これは澁澤本なのでありました。(笑)


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澁澤龍彦『快楽主義の哲学』その2 2006.11.18

宗教によって、神のしもべなる事によって、死後の天国を信じて幸福感にひたる人もいます。以下の文は的を得ていると思います。

ちょうどウシやブタが不平もなく (じっさいは不平もあることでしょうが) 人間に食われるように、人間はまるごと神に食われるようなものだ。それが宗教というものです。

幸福は主観的なものであり、快楽は客観的なものであるという意見も、にゃるほど納得なのですが、幸福について、このように書いてあります。

 要するに、幸福とは、まことにとりとめのない、ふわふわした主観的なものであって、その当事者の感受性や、人生観や、教養などによってどうにでも変わりうるものだ、ということです。

確かに…。それからコレ。

 風流を知らず、俳句のよめない人が、こじきみたいにとぼとぼ奥の細道を歩いて行ったって、どこにも幸福なんか見つかりっこないのです。

いやあ、まさに!これがわからずに、これをやってしまう人がいかに多いことか、と思いました。<幸福>とは、その人によって、180度変わってくるものなんですよね。100人いれば、100通りに別に幸福が存在する訳です。
なかなか皮肉がピリッと効いてますよね。


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澁澤龍彦『快楽主義の哲学』その1 2006.11.16

また澁澤ですかいっっ!との声が聞こえてきそうですが・・・(汗)、澁澤本としては、実に異色であります。まるで寺山修司のようです。
「人生に目的などありはしない」「幸福になる必要なんかないじゃないか」という主張は、実に明解で寺山本のように解りやすいです。
快楽というものは明解であるのに対し、幸福とは、実にあいまいなものである、にも、にゃーるほど!
読み進むほどに、これホントに澁澤せんせが書いた本?とゆー違和感もばりばりな訳ですが、元々1965年当時の流行っていたというカッパブックスから発行された本で、原稿にジャンジャン赤が入ったとか。「売れる」ようにだいぶ変えられたみたいな感もありますが、化け物的知識の豊富さと、適格な引用は、まさに澁澤にしか出来ない芸当であり、大変おもしろく読みました。
三島由紀夫の序文が実に良いです。これを読むと、この本も澁澤氏の一面かな、とも思います。

 サド裁判で勇名をはせた澁澤氏というと、どんな怪物かと思うだろうが、これが見た目には優型の小柄な白皙の青年で、どこかに美少年の面影をとどめる楚々たる風情。しかし、見かけにだまされてはいけない。胆、かめのごとく、パイプを吹かして裁判所に悠々と遅刻してあらわれるのみか、一度などは、無断欠席でその日の裁判を流してしまった。酒量は無尽蔵、酔えば、支那服の裾をからげて踊り、お座敷小唄からイッツァ・ロングウェイまで、昭和維新の歌から革命歌まで、日本語、英語、フランス語、ドイツ語、どんな歌詞でもみな諳で覚えているという怖るべき頭脳。珍書奇書に埋もれた書斎で、殺人を論じ、退廃美術を論じ、その博識には手がつけられないが、友情に厚いことでも、愛妻家であることでも有名。この人がいなかったら、日本はどんなに淋しい国になるだろう。

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ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』その5 2006.11.15

前回のヴァン・ヘルシングの風貌に、にゃるほど~、コッポラの『ドラキュラ』が原作に忠実だと言われるのは、この辺もあるのか、とおもしろく読みつつ…次のジョナサン・ハーカーの日記からの引用を、読んでみてください。

 ただ一つ、自分はそのとき心に決したことがあった。それは、もしその結果、ミナがどうしても吸血鬼だということがわかれば、私は彼女を、未知の恐ろしい国へぜったいにひとりではやらないということだ。

たとえ地獄の果てまでも…というやつでしょうか。なんという強い愛なのでしょう。
ミナも、あくまでもジョナサン一筋ですし、ミナとドラキュラの愛なんて話は、全く出て来ないと言って良いと思うのです。やっぱしコッポラの『ドラキュラ』は、原作とは完全に異質のものである、と思います。

そして、この2人の愛、ドラキュラを追いかける、ハーカー、ミナ、ヘルシング、セワード、アーサー、モリスの6人の友情の話でもあると思います。

時々哲学的な発言をする、ヴァン・ヘルシング教授の、次の言葉を引用して終わりたいと思います。

人間というやつは、みなどのみち狂人なのさ。


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ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』その4 2006.11.13

今日は、その他のキャラの風貌について書きます。
映画のイメージとピッタシ来るか、意外にこの映画の方にイメージが近い、等、結構興味深いと思うのです。

◆レンフィールド◆

レンフィールドは、ドクター・セワードの患者です。
コッポラの『ドラキュラ』での、トム・ウェイツがダントツで印象的でした。
その風貌を、セワードの日記より引用。

 R・M・レンフィールド、年齢五十九歳。性質快活。身体頑健。病的に激昂しやすし。ふさぎこんでいる時は、なにかわからぬが一つのことを一途に思いつめている。おもうに、快活な性質それ自体と、それを妨げる外因が、一つの精神的しこりになるのではないかと思われる。多分に危険性のある男、おそらく自我を喪失した時に最も危険になるだろう。

すみましぇん。あんまし風貌については書かれてませんでしたね。(汗)
でも59歳って、結構お年なのね…と思いませんでした?

◆ヴァン・ヘルシング◆

ヴァン・ヘルシングに対面した時のミナの日記より引用します。

 応接間へ出てみると、博士は中肉中背のがっしりした方だった。胸幅広く、首筋の太い、見るからに頼もしげな体格。鉄のような頭のかっこうは、思想と力が充実している感じ。お顔はきれいに剃刀があたっており、角ばった顎に、引き締まった大きな口。鼻筋が通って、小鼻がちょっといかり、太い眉、広い額に、赤いすなおな髪をうしろに撫でつけ、ぱっちりとした青い目が、おっとりしていながらよく働き、男らしくスッキリとしている。

ヴァン・ヘルシングと言えば、私なんぞはピーター・カッシングがぴったし来る訳でありますが、意外に、どちらかと言えば、アンソニー・ホプキンスの方が原作に近いですよね。

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ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』その3 2006.11.10

◆ヴラド・ツェペシュに関する記述◆

ここで、モデルのヴラド公のことを書きたいと思います。
まずドラキュラ伯爵の風貌ですが、以下のように書かれています。

 伯爵の顔は精悍な荒鷲のような顔であった。肉の薄い鼻が反り橋のようにこうもり高くつきでて、左右の小鼻が異様にいかり、額はグッと張りだし、髪の毛は横鬢のあたりがわずかに薄いだけで、あとはふさふさしている。太い眉がくっつきそうに鼻の上に迫り、モジャモジャした口ひげの下の「へ」の字に結んだ、すこし意地の悪そうな口元には、異様に尖った白い犬歯がむきだし、唇は年齢にしては精気がありすぎるくらい、毒々しいほど赤い色をしている。そのくせ耳には血のけが薄く、その先がいやにキュッと尖っている。顎はいかつく角ばり、頬は肉こそ落ちているが、見るからにガッチリとして、顔色は総体にばかに青白い。

へえ~、なかなかモデルに近いルックスではないっすか?全体的に。
そして、ヴラド・ツェペシュ=化け物の吸血鬼ドラキュラ、のイメージがついてしまった事は否めないかと思いますが、原作を読めば、けっしてヴラド公を侮辱してはいない事がわかります。
むしろ、ブラム・ストーカーは、ヴラド公が好きで、尊敬もしていたんではないか、と思いました。以下3つほど引用。全て、ドクター・セワードの日記に書かれた、ヴァン・ヘルシング教授のセリフです。

「わしはブダペスト大学の友人のアルミニュース教授に、いろいろあいつの文献を調べてもらったが、あいつはちゃんと文献に出ておる。ジョナサン君の日記にもあるとおり、やつはたしかにトルコ軍に英名をとどろかせたドラキュラ将軍だったのだね。そうしてみると、やつはどうして、ただものではない。あの当時、いや、あれから何世紀かたったこんにちでも、大いなる好知と鉄のごとき悪念をもって、暗黒界と人界の間をさかんに跳梁しておるのだ。---後略---」

「ブダペストの友人のアルミニュースの研究によると、あいつは生きておった時は、なかなかすばらしい男だったのだね。軍人、政治家、錬金術師、----錬金術といえば、むかしは最高の科学知識だったのだからね。ずぬけた頭で、比類のない学があり、そのうえに、恐れと悔いを知らぬ豪胆な男。学院にも席をおいて、じつに八面六臂、当時の知識の武門で彼がやってみなかった部門は一つもない、というくらいの学才だったらしいな。---後略---」

「伯爵も昔、トルコの軍勢にしたたかにたたきくじかれたが、そのままひっこまずに、何度でも逆襲している。その強情さと辛抱強さは、ちょっと類がないよ。---後略---」

吸血鬼になるのは、英雄の死後の話なので、《ドラキュラ公》ヴラド・ツェペシュの作者の怒りは、おかど違いという気もします。


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ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』その2 2006.11.9

この小説は、ジョナサン・ハーカーの日記から始まります。
汽車からチラリと見ただけだが、ブダペストというところはなかなかすばらしい所らしい。なんてフレーズが序盤に出てきて、そうか!その辺の話だったか!と、去年の5月に行ってきた私は、ドラキュラの舞台周辺に旅行するのだと頭に入れておけば、さらに、おもしろい気分で旅行できただろうなあ、と、ちと残念に思うのでありました。
プラハ→ウィーン→ブダペスト旅行日記

汽車の中でのハンガリー人やスロヴァキア人の描写がおもしろいです。着ているものは、昔の民俗衣裳でしょうか。
そして、パプリカを効かせたハンガリー料理の事なんかも出てきて、実際に旅行してハンガリー料理も食べている私は、この辺も楽しく読みました。
ビストリッツでの食事に、こんなものが出てくるのは、串刺し公にちなんでの作者のユーモアでしょうか。

この地方で「ロバー・ステーク (どろぼう焼き) 」といっているものを自分は食べた。これはベーコン、玉ネギ、牛肉をトウガラシで味つけしてそいつを串にさし、ロンドンの焼鳥ふうに火の上で焙ったものだ。

ココで、ハンガリーも日本と同じように、名前の前に苗字が来るという話を書いてますが、ドラキュラ伯爵のこんなセリフがありました。

「それはきみ、当然じゃないか。向こうへ行けば、わしはひとりぼっちじゃ、ハーカー・ジョナサン君。-----や、これは失敬。わしの国では姓を先にいう習慣だもんだから、ついまちがえた。-----ジョナサン・ハーカー君、---後略---」


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ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』その1 2006.11.8

少し前に、ドラキュラ映画を3つ続けて観た訳ですが・・・↓
『ドラキュラ』 *今日咲いた月下美人の画像も*
『吸血鬼ドラキュラ』
『吸血鬼ノスフェラトゥ』

観ていて、果して原作ではどうだったであろうか?と、当然気になる訳でして、例えばコッポラの『ドラキュラ』は原作に忠実なんて宣伝文句があったけど、そっかあ~???全然違う気がするんだけど…とか、やっぱし『吸血鬼ノスフェラトゥ』がいちばん原作に忠実だよねえ、とか、ハマーフィルムのは、ミナ、ルーシー、ホルムウッド、ジョナサンの4人の関係を大胆にも大幅に替えてしまっていて、ホルムウッドの奥さんがミナとは、こりゃびっくらこいた!とか。
そんな訳で、再読してみました。

まず、この作品、全て日記と手紙で綴られているのはご存じでしょうか?
初読の時には、実に斬新に感じ、驚いたのを覚えています。
そして、主にジョナサン・ハーカーとミナの日記が中心だったように記憶していたのですが、再読してみると、意外にルーシーに惚れていた医者のジャック・セワードの日記が中心になっているんではないか、と思いました。
ハーカーやミナは速記術を使ったり、ドクター・セワードは録音機を使ったりと、日記もバラエティーに富んでいます。

前回感想をUPした《ドラキュラ公》ヴラド・ツェペシュでは、作者がこの小説に対して、かなり批判的で、この英雄をこんな化け物にして、けしからん!ってな感じだったと思いますが、モデルのヴラド公との比較もしながら、おもしろく再読しました。
その比較等も、おいおい書いていく予定です。

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『《ドラキュラ公》ヴラド・ツェペシュ』その7 2006.11.7

ヴラド・ツェペシュという人は、ブラム・ストーカーの描くドラキュラとは、あまり関連性は感じられなかったものの、大変興味深い人物であり、その周りの人達も、なかなかおもしろく読みました。
うまくまとめられた文章があったので、それを紹介したいと思います。以下引用。
(わかりやすいように、名前部分を勝手に太字にします。)

 十五世紀のバルカン半島をめぐる熾烈な攻防戦になかなか決着がつかなかったのは、それぞれの当事国にいずれもすぐれた指導者が存在したからであった。攻撃側の総師メフメト二世は、のちに <<征服者>> と呼ばれるような積極的拡張政策をおしすすめた武将型君主で、大胆な発想と緻密な計算による作戦によって、つぎつぎとあたらしい征服計画を成功させていった。防禦側の総師といえるのはヤノシュ・フニャディで、彼もまた傭兵隊長からたたきあげた歴戦の猛将であるとともに、イタリアをはじめとするヨーロッパの清勢までを的確に分析して行動するすぐれた政治家でもあった。モリドヴァのシュテファン大公と、ワラキアのヴラド三世は、ヤノシュに薫陶をうけた知将で、その生涯にわたって自己のもつ能力のすべてをだしつくして祖国防衛のために戦いつづけた英雄であった。
 そしてこのバルカンでの攻防戦は、領土の争奪戦であるまえに、あきらかに宗教戦争であった。メフメトはイスラム教徒、ヤノシュはローマ・カトリック教徒、シュテファンとヴラドは東方正教徒であり、三者はそれぞれの宗教を旗幟にかかげて聖戦を戦ったのである。


ヴラドは、戦争に関しては天才的で、圧倒的不利な中でオスマン=トルコに勝利するなど、大変頭が良く、勇敢だったようです。
そして、少年時代はトルコに預けられて教育を受けたり、父や兄弟を殺されてにもかかわらず、その敵と認め合い、生涯の友になったり、表向きはハンガリーの捕虜になりながら、その国王の娘と結婚し、お互いを利用したり、最後には暗殺されるものの、その暗殺も謎につつまれ、波乱万丈な生涯をおくったようです。

しかし、この本の内容は、結局は憶測でしかない事だらけであり、それはしかたがないにしても、もう少し詳しい説明、訳注による参考本の出典なども欲しかった気がします。
憶測にしては断定口調だったりするので、その説得力がもうちょい欲しいです。


『ドラキュラ公』ヴラド・ツェペシュ (叢書 中世異端のコスモロジー)『ドラキュラ公』ヴラド・ツェペシュ (叢書 中世異端のコスモロジー)
(1997/05)
清水 正晴

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『《ドラキュラ公》ヴラド・ツェペシュ』その6 2006.11.6

◆吸血鬼ドラキュラ◆

結局、どこが吸血鬼のモデルになったのだろう…という気がした訳ですが、作者もブラム・ストーカーに批判的です。2つほど引用します。

すでにこれまでの説明であきらかなように、ヴラドの事跡あるいは伝承のなかには、ヴラドが串刺しのような残酷な処刑法をしばしばもちいた人物ではあったが、彼が吸血鬼であったとか、あるいは吸血鬼との関連を想起させるようなものはまったくみあたらない。<<吸血鬼ドラキュラ>> というこの奇妙な表現の創始者は、アイルランド生まれのアマチュア小説家である。---中略---しかし土地のひとびとは、吸血鬼とドラキュラとはまったく別個の存在として理解していて、両者を関連づけて考えようとするものは皆無である。このふたつを結びつけて小説の主題としたのは、アイルランド人のブラム・ストーカーである。

 小説『ドラキュラ』は、前半部分にボルゴ峠周辺の印象的な風景描写があったり、ドラキュラ城も幻想味ゆたかに登場するが、ドラキュラ伯爵がロンドンに出現してからは、いわゆる怪奇小説としてのスリルとサスペンスが中心となっていて、歴史上のドラキュラとはなんの関連もないストーリーが展開される。太陽のかがやきのあるあいだは、生まれた故郷の土をいれた棺のなかに身をひそめているが、夜になると蝙蝠に変身するなどして超能力を発揮する吸血鬼は、まったくストーカーの想像力の産物である。
 発売当初はあまり話題にもならなかったこの『ドラキュラ』が、世界じゅうによく知られるようになったのは、いうまでもなくハリウッドで映画化されたことによる。映画化によって多数のファンを獲得したドラキュラは、それ以後は黒いマントに牙のようなながい歯をもったグロテスクなそのスタイルがひとりあるきしてしまい、ドラキュラのイメージを定着させてしまったが、映画の主人公である吸血鬼ドラキュラ伯爵と実在の猛将ヴラド・ドラキュラ公とのあいだには、その名前の一致以外にどのような類似点も存在しない。ひとりのアマチュア小説家のちょっとした筆のすさびが、バルカン半島のちいさな国の独立のために戦いつづけた英雄の事跡をおおいかくし、彼を血ぬられた伝説の世界にぬりこめてしまう。ハンガリー王マチャーシュ・コルヴィヌスの中傷文書も遠くおよばない完璧なパロディの完成であった。


とまあ、大変手厳しいですが、『吸血鬼ドラキュラ』が今も読み継がれているのは、決してハリウッド映画のお陰だけではないはずですし、モデルとなったヴラドとはまるで違う化け物の小説だからと言って、この小説がおもしろい事には違いなく、その価値が下がるとは言えないと思います。(『月と六ペンス』だって、実際のゴーギャン像とはかなり違うって話だし、そんな事はいくらでもあるんでないかと…) それに、小説がおもしろくなかったら、映画化もない訳でして。
ってか、Bストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』って1897年刊行でして…ハリウッド映画と言っているのは、ユニバーサルのベラ・ルゴシのですかね…。1931年制作だぜ?駄作ならその前に残ってないんでないかと。

魔人ドラキュラ

創元推理文庫 ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』

*この人こそ、モノホンの吸血鬼と言えるかも。映画化とかすれば良いのに~!
こちら↓にも出ています。この本ちょーーーオススメ!
世界悪女物語

ストーカーがドラキュラを書いた経過はこちらに、私が割愛した部分も詳しく出ています。

『ドラキュラ公』ヴラド・ツェペシュ (叢書 中世異端のコスモロジー)『ドラキュラ公』ヴラド・ツェペシュ (叢書 中世異端のコスモロジー)
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『《ドラキュラ公》ヴラド・ツェペシュ』その5 2006.11.4

◆風貌◆

ヴラド・ツェペシュの顔と言えば、荒めの版画の顔が有名かと思いますが、あれは残酷な人格に、誇張して描かれているようです。
ローマ教皇使節の司教ニコラスによる、ヴラドの印象を書かれたものが残っていて、興味深いです。以下引用。

 背はそんなに高くはないが、頑丈強健で、無慈悲でおそろしげな表情をしていた。高く筋のとおった鼻、ふくらんだ鼻孔、おおきく見ひらかれた碧眼と黒ぐろとしたふとい眉毛のある細長い顔面、いくぶん赤味をおびた肌は、他人に威圧感をあたえた。口髭をのこして顔にはきれいに剃刀があてられていた。こめかみの幅がひろく、顔全体もおおきかった。首はふとく、垂れさがったちぢれ毛が、ひろい肩幅をおおっていた。

・・・って、あの版画の肖像画そのものって気もするんですが・・・。
この本の作者の清水正晴は、ヴラド援護に偏り気味な感もするんですよね。

様々な伝承や中傷本など、まるでマルキ・ド・サドのような話がいっぱいあるのですか、紹介しきれないので割愛。中には、童話の教訓話になりそうな、おもしろい話もありました。

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『《ドラキュラ公》ヴラド・ツェペシュ』その4 2006.11.2

もしかしたら、コッポラの『ドラキュラ』のモデルになったのではないか、と思われる話が出てきました。
以下引用。

 ポエナリ地方にはドラキュラ城の陥落にまつわる数多くの伝承が残っている。それによると、落城時のありさまはつぎのようであった。
 攻撃側のトルコ軍イェニ=チェリ部隊に、ヴラドの遠い血縁にあたる男がいた。彼はトルコ軍にとらえられて奴隷とされ、兵士の訓練をうけたものだった。彼はトルコ軍の一斉攻撃がさしせまっていることをヴラドに知らせようと、月のない闇夜にまぎれてポエナリの絶壁をよじのぼり、遠くにかすかに灯火のみえるドラキュラ城の窓をねらって矢を射込んだ。矢先きには危険がせまっているのでただちに城から脱出するようにと告げた手紙がむすんであった。矢が窓に射込まれたと思われる瞬間、灯火が消えた。奴隷の男は、矢が相手に確実にとどいたことを確信した。やがてふたたび灯火がともされ、ヴラド夫人らしい女性が奴隷からの手紙を読んでいるらしかった。妻は夫に手紙の内容を知らせた。落城が近いことを知った妻は、トルコの捕虜になるよりは死を選ぶといって、天守閣から身を投げた。妻のからだは絶壁をころがりおちて、アルジェシュ川にいたった。地元のひとびとはあたりの川原をリウル・ドワムネイ (公妃の川) と呼んでいる。


なお、ヴラドは抜け道を教えられて、トランシルヴァニアをめざしたとか、脱出のときに妾腹のおさない男児をともなっていた、とかいう話だそうですが、このエピソードは事実に反し、当時ヴラドが妻帯していたかどうかも不明だそうです。
映画のネタバレになりますが・・・
コッポラの『ドラキュラ』では、夫が戦死したと聞かされての身投げだったので、少しこの話とは違いますが、妻が身投げするという話のヒントになったかも、と思いました。


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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
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