人間、儲けすぎて、それを人に還元しないで自分の欲望にばかり使っていると、たちまち「負」がやってきますよ、という話は、ああ、ほんとに言えてるなあ、と思うのです。
実際に、そういう人達の転落をニュースで見るたびに、私は美輪さんの言う「正負の法則」を思い出します。
しかし、かと言って、この世は「正負の法則」で皆平等にできているのだろうか?と考えてしまう事もあります。こんなに良い人が何故こんな目に?こんな風に亡くなってしまうなんて?という、やりきれない気持ちを抱える事って、ありますよね。
その辺がいちばん納得できない所なのでありますが、美輪さんの信じる「輪廻転生」や「死後の世界」などを自分は信じていないというのが、こういう意見の相違になっているのが大きいかな、と思います。
例えば、<負> の先払いという事が書かれていますが、モーツァルトやベートーベンやゴッホなど、生前には決して報われなかったけれど、死後にその名声はどんどん高まるばかりの芸術家達がいます。
彼等は <負> の先払いをしているから、死後にこれだけの名声を勝ちとったと書かれているのです。私なんぞは、死んで名声を得て何になるんだ?という気持ちになってしまいます。
でも
田中一村なんかは、自分の生前は報われる事はないだろう、と自ら確信していて、死後の事を思って、あれだけの凄い絵を命がけで描いていた訳だし、自分も、私のつくったものが死後も残るとしたら、なんと素晴しい事だろう、と思う事もあるので、そう思うと一理あるのかな、とも思えます。うーーん。
例えばダイアナ妃。以下引用です。
冷たい夫と離婚をし、富や名声、地位までもそのままだった。離婚が成立して、姑や夫にいじめられることもなくなり、最愛の恋人と大恋愛をした。もう何もかも全部手に入れてしまったのです。欠けるものが何もなくなってしまった。そうなると、この世の法則、地球の法則に合わないためにあの大事故で無残に消えてしまいました。とありますが、彼女は生前に慈善事業をいろいろやってましたよね。それに、王妃の時は過食症にまでなって、そりゃあ苦しんだと思います。それって「負の先払い」にならないんだろうか?と思ったのですが…。それ以上に「正」が多かったと言う事なのでしょうか。
ぬわんと
阿部定も出てきたですよ!
とりあえず引用。
阿部定さんは、自分の好きになった男を妻から奪い、逃避行のあげくその男を殺してしまった。その人の <男性のシンボル> を切り取って、捕まるまで懐に入れたままでした。いうなれば究極の快楽快感の性愛をきわめたわけです。そうなるとそれに対する代償を払わなければいけない。刑務所に入って、そのあとは事件を売り物にして生活していたけれど、それも疲れてしまって女中さんに戻り、結局行方不明になってしまった。究極の快楽、エクスタシー、セックスを手に入れたためにそういうふうになってしまったわけです。うーーん。行方不明になったのは、自分から姿を消した訳ですし、あの犯罪をこの人は全く後悔してませんでしたしね。
・・・とまあ、いまいちスッキリしない所もある訳ですが、自分が損してるなあ、とか、この人ずるいなあ、とか、生活してればいろいろある訳ですが、美輪さんの説く「正負の法則」を思えば、嫌な気持ちも克服出来ちゃうんです。美輪本には生活の知恵がいっぱいつまってます。
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