中島梓『着物中毒』その1 2007.3.31
私、この人ダメ。
繰り返し書かれている、あまり根拠のない「着付け教室批判」もうんざりだったし、顔文字とか (爆) の連発、「を」「は」などの接続語をはぶいた子供っぽい文章、すごく馴れ馴れしくて嫌だ~と思ったり、「着物ラー」って言葉にも、すんごい違和感。
んで、この人、ブルジョアな子供時代を送ったみたいです。以下引用。
このころは、ほとんど全部が全部ちりめんと綸子だったんですよね。お召がごく少しある程度で、基本的に「やわらかもの」だった。これも母の薫陶で、うちの母がまたもろもろのそういう、色襟はあかんとか、そういうののなかに「紬とかは、若い子の着るものじゃない」っていうのもあったんですね。で、一枚、赤が柄に入ってる大島紬は買ってくれました。それから、一枚、茶色地に黄色で花が織りだしてある結城紬としてはかなり派手なもの、それからやはり結城ですが、白地に赤や黄色で蝶々が織り出してある、なんと「結城の付下げ」というおそろしく贅沢なもの、持ってる紬といったらこの三枚でしたねえ。あとはみーんな友禅。ちりめんに綸子。しかも花柄ばっかり。
いつか欲しいと思っている憧れの結城紬をそんなに・・・(驚)
そんな訳で、ひたすら「黒の入った着物」に憧れたのだそうです。
ちなみに高校卒業の謝恩会では、赤の総絞りだったそうです。絞りは太ってみえるから嫌いなのだそうです。
と書いてるわりには・・・
あんなドブネズミ色のスーツなんか、平安時代のお公家さんも、江戸の武士たちも、お小姓たちも、絶対イヤがると思うんですよね。
ってな事を繰り返し書かれていたり、
民族衣裳っていうのは、みんなすこぶるつきにきらびやかであでやかで美しいのですが、兵士の着ている服っていうのはみんな迷彩だったり黒かったり紺色だったりする。そろそろ、モノトーンやミリタリーの呪縛から逃れて、絢爛たる日本の布地文化を身にまとい、その粋を楽しみ、その美しさ、あでやかさを自分自身のものとして誇ってもいいんじゃないか、という気がするのですが。
なんて、モノトーン批判までしちゃってるんですから、訳がわかりましぇんっ!
いったいどっちなんじゃ( ゚Д゚)ゴルァ
ブルジョアな幼少時代を過ごしたものの、後には借金地獄に陥った事もあり、ストレスで20キロ太ったり、元に戻ったり、波瀾万丈な人生なようですが、それでもブルジョアな精神というのは変わらないという事なんでしょうか?↓
ネットの着物もアンティークの着物も私がこれまで買ってきた呉服屋さんの着物よりずっと安いし、しかももうプレタで即刻手に入る。しかも通販だから、メール一本で買えちゃう。しかもこれまでなかったような面白い柄、珍しい柄がいっぱい出てきちゃった。
だもんで、しばらくのあいだ、ほんとに狂ったように買っちゃったのね(^^;) だけどたぶん、金額的には、「第二次」と「第三次」あわせたのにまったく及ばないだろうってくらいなのがまたまたおかしいんですけど、でも百枚くらい買っちゃったので (大爆) さすがに「これはまずいんでないかい。これはもしかして本当に一生かかっても着きれないんではないだろうか」って、おのれの欲望と業の深さに心配していたら、案ずるより生むがやすしで、さすがにそれをこえたら、もう「欲しいものがなくなってきた」んですねえ。で、二〇〇四年は浴衣まであわせると六十枚くらい買っちゃって(爆) (いや、袷の着物は四十枚くらいですけど)、どうなることかと思って、二〇〇五年はその半分くらいになって、二〇〇六年になったら、ほとんど買わなかったですね(笑)いや、一枚も……とは云わないけど、いまのところはまだ袷が六枚、安いネットの着物が十二枚しか買ってない(笑)
欲しいものがなくなるまで買うって・・・(-_-;)
次回につづきます。
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