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〈映画の見方〉がわかる本 その8 2007.7.30

この本の感想、8回にわたりましたが、かなり端折ってます。
大好きな『タクシー・ドライバー』も泣く泣く、です。ラストの銃殺シーンが本物にクリソツな『俺たちに明日はない』も!
『猿の惑星』もおもしろかったし。あの「猿」は実は・・・。
とても全部は書けないので、とにかく本を読んでいただくしかありましぇんっっ!
この時期の映画とは、以下のようなものだったのですね。

 その当時、映画館に行くことは現実からの逃避ではなく、現実の問題に向き合わされることだったのです。

今では、現実逃避的になってしまいましたよね・・・。
おわりに「おわりに」より引用です。

 七〇年代に、せっかく「見世物」から「作品」へと成長したアメリカ映画は、八〇年代に「製品」になってしまったのです。多様な見方を許す映画、取り扱いの難しい映画、客を傷つけるおそれのある映画、論争を招くような映画は作りにくくなりました。「製品」として失格だからです。
「あのころ、たしかに革命があった。しかし、それは完全に失敗した。八〇年代になると資本は以前以上に大企業に集中し、映画は以前以上に勧善懲悪で現実逃避的な商品に成り果ててしまった」
『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド / ゾンビの誕生』(六八年) でホラー映画に革命を起したジョージ・A・ロメロに会ったとき、彼は当時を思い出して、そう嘆いていました。




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〈映画の見方〉がわかる本 その7『スピルバーグ』 2007.7.26

◆スピルバーグ◆

『激突』を観た時は、ただこれだけのストーリーをこんなにおもしろく見せてしまうとは、なんつー凄い監督~と思ったのですが、良いと思ったのは、これと『ジュラシック・パーク』ぐらいでした。(^^;)
『未知との遭遇』も私にはまるでつまらんかったし、『E.T. 』なんて、ぜんっぜんつまらんかったし。

    

ところで・・・E.T. ってドラえもんだったんですかいっ!以下引用です。

 E.T. は別の惑星というよりも、ネバーランドから来た妖精のように描かれている。E.T. について行くのは冒険ではなく、子供の世界に引きこもることでしかない。しかし、エリオットはE.T. を守るために国家権力という大人の暴力と徹底的に戦い抜くことで、一人前の男に成長していた。自分の責任を背負う決意を表明したエリオットを見て、E.T. は満足そうに去って行く。彼の役目は終わったからだ。

実はスピルバーグって嫌いなんですが・・・この人の子供っぽさの種類と言うか、そういうものからして私からしたら嫌悪感覚えるものが、この監督にある気がする、と本を読んで思いました。
その子供っぽさは、妻子を捨てて夢に生きる『未知との遭遇』で描かれ、その後だんだん成長し、『シンドラーのリスト』で完全に大人になったと言う話でした。
この監督が私の大好きなキューブリックにすり寄って行ったのが、これがまた何とも気にいらないです。『A.I.』はつまんなくて、最後まで観てません。



『2001年宇宙の旅』では、人類と人工知能HAL9000の「生存競争」の果てに、勝った人類だけが次の段階に進化することができたが、もしHALのほうが勝っていたら? その可能性を描いたのが『A.I.』なのだ。
 ここでの新人類は、ヒョロヒョロと手足の細長い「ジャコメッティの彫刻のような」姿をしている。SFXのアドバイザーを担当したハル・ヒッケルは「それはキューブリックが『2001年~』で撮影までしていたのにあきらめた高度なエイリアンの姿だ。当時は技術的に不可能だったけれど、現在ようやくCGで可能になったんだ」と言っている。


キューブリック監督で観たかったですっっ!
商業映画がどっぷり身についたスピルバーグがキューブリックの後継者だなんて、私は認めたくないです。



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〈映画の見方〉がわかる本 その6『ロッキー』 2007.7.24

◆ロッキー◆


まさかこのブログで「ロッキー」を話題にするとは!(≧▽≦)まずは引用です。

「世の中は不条理である」と知るのは、「神様はいない」という事実を認識するのと同じである。そこからヨーロッパでは「近代」が始まったのだが、ピューリタンの国アメリカでは六〇年代終わりにようやく、そのことに気がついた。つまり六〇年代とはアメリカという国にとっての「思春期」であり、「カウンター・カルチャー」や「ニューシネマ」はアメリカという国が大人になるための「通過儀礼」だったのだ。
 しかし通過儀礼である以上、終わりがある。いつまでも挫折感というナルシシズムに浸っているわけにはいかない。憎むべき大人に自分もなるときが来る。
 ヒッピーは髪を切り、ネクタイを締めて就職し、ヤッピーになった。ドラッグは心を解放する薬ではなくギャングの資金源になった。ロックは巨大産業になり、若者の不満を利用して肥え太った。そして映画にも反動が来る。『ロッキー』(七六年) という名の。


『ロッキー』は低予算で、とことん節約して作られた映画だと言う事が、この本を読むとわかります。
うだつの上がらない売れない俳優のスタローンが、俺はこのままクズのまま生きていくのか、との思いから『ロッキー』が生まれた経過などが、良くわかります。
制作費が低い中を工夫してつくる方が、モノホンのリアルさの出た作品が生まれるんですよね。以下引用です。

 バラバラだった人々の心をつないでいくロッキー。彼は今朝も「友愛の街」を駆ける。市場を走り抜ける彼に労働者の一人が「がんばれよ!」とリンゴを投げる。これは演出ではない。ステディカムによる極小規模の撮影機材、それにスタローンがまったく無名だったせいで、映画の撮影には見えず、本当に地元のボクサーだと思われたのだ。

その点は好きなのですが、功罪も結構大きかったかも。

『JAWS / ジョーズ』『ロッキー』『スター・ウォーズ』は、七五年、七六年、七七年にそれぞれ映画史上の記録を塗り替えるほどの凄まじいヒットとなった。そして、この成功で家族そろって楽しめる娯楽映画路線が蘇り、映画産業は経済的にも精神的にも立ち直った。
 それは「ニューシネマ」の終わりでもあった。


にゃるほど。ハリウッドは、このあたりから、再びつまらんものに変貌していったわけです。
セックス・ピストルズ時代のジョン・ロットンに言わせれば「ナイスな時代に逆戻りさ」って訳ですね。
しかし、作者も書いているように、『ロッキー』が素晴らしい映画である事にはかわりはありません。

 

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〈映画の見方〉がわかる本 その5『地獄の黙示録』 2007.7.19

◆地獄の黙示録◆

全体的にコッポラには厳しい意見でした。以下引用。

 二〇〇一年、『地獄の黙示録』は初公開時にカットされた四十九分間を追加された『特別完全版』として再公開された。復活したシーンはまさに蛇足としか言いようのない退屈なものだったが、二十二年ぶりにスクリーンで観直して気がついた。これは「モンド映画」だということに。

ヤコペッティの『世界残酷物語』やヤコペッティのさらばアフリカにクリソツな場面が多いそうです。

 

『世界残酷物語』は観ているので、言われてみれば…という感じですが、「蛇足」ってウソだろ、この映画に限って、とココは納得が行きませんっっ!
こちらに感想書いてますが、カットされたシーンはひっじょおおに重要な場面でありました。

 静かで平和なベトナムの農村。小学校では美しいアオザイを着た先生に子供たちが国語を習っている。そこにナチスが愛したワーグナーの『ワルキューレの騎行』を鳴り響かせて米軍騎兵隊のヘリが襲いかかる。苦労して収穫した米はロケット弾で吹き飛ばされ、大事な家畜は殺され、家は火炎放射器で焼き払われる。小学校の校庭を蹂躙したヘリに手榴弾を投げ込んだ少女を指さしてキルゴアが叫ぶ。「野蛮人め!」。マシンガンの一斉掃射が少女を引き裂く。誰がベトコンかわからない。なら皆殺しだ! 地面を埋め尽くす赤ん坊、母親、老夫婦の死体。その前でアメリカ軍はこうアナウンスする。
「ベトナムの皆さん、我々はあなたたちを助けに来たのです!」


これって、つい最近現実にイラクで行われていた事と同じような気がします。(-_-;)


 

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〈映画の見方〉がわかる本 その4『時計じかけのオレンジ』 2007.7.17

◆時計じかけのオレンジ◆

「アレックスはイド (潜在的衝動) の怪物だ。それは誰の中にも隠れている」スタンリー・キューブリック

ひとこと映画評にチラッとミニミニレビューを書いてますが、好きな映画3本にも入る大大大好きな映画ですっっ!
んで、↓え~~~?!なのですが、ご存知でしたか?

 六二年に出版された『時計じかけ~』はイギリスでは売れなかったが、アメリカではベストセラーになり、六五年にはアンディ・ウォーホルがバージェスに無許可で『ビィニール (Vinyl) 』という短編映画にしている。また、六八年にはケン・ラッセル監督が映画化しようとしたが、版権が取れずにあきらめている。

仕事で池袋に通っていた頃、マニアックなビデオレンタル屋に、確かコレありました!
そして、借りようとは思っていたのですが、借りて観たかどうか、記憶がさだかでなく。(^^;)
ああ、観たい・・・。
さらにさらに・・・

 ファッション・センス、セクシーさ、少年っぽさ、それにルールに囚われず本音を言うこと。それはロック・スターの条件でもある。実際、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーがアレックスを演じる予定もあったのだ。

うーーん、果たしてミック・ジャガーが演じてたら、どうだったんでしょね。
今となってはマルコム・マクダウェル以外に考えられましぇんっ!

余談ですが、母の誕生日に妹がうちに来て一緒に食事した時の会話ですが、今年住民税がとんでもなく上がったじゃないっすかっっ。
母が「でも昔はもっと働いて、休みもなくて」ってな事を言ったら、妹が「でも企業努力によって、今は休みもとれるようになって環境が良くなったのであって、国がしてくれた訳じゃないのに」ってな話になったんです。
発泡酒なんて、ビール会社が努力を重ね思考をこらし、なんとかして安いビールをと、試行錯誤の結果生まれたものなのに、それを国から税金をかけられちゃあ水の泡じゃないっすか。ひどい話です。
アレックス一味の暴力より、もっと恐ろしいのが国家権力なんですよね。以下引用。

 七二年、ミルウォーキー出身の二十二歳、アーサー・ブレマーが大統領候補ジョージ・ウォーレスを銃撃して重傷を負わせた。押収された彼の日記には『時計じかけ~』を観て人が殺したくなった、と書かれてあったのだ。
 この日記は出版され、それを元にポール・シュレイダーは『タクシー・ドライバー』(七六年) の脚本を執筆。さらに『タクシー~』の少女娼婦ジョディ・フォスターに憧れた男ジョン・ヒンクリーが、八一年にレーガン大統領を銃撃した。
『時計じかけ~』はたしかにいくつかの暴力を誘発したかもしれない。しかし、それでもやはり国家の暴力よりはマシなのだ。アルゼンチンなどの南米各国では『時計じかけ~』が上映禁止になったが、その一方で軍事独裁政権が数万人の市民を拘禁・拷問・密殺していたのだから。


バージェス原作の『時計じかけのオレンジ』には、実はカットされた最終章があったらしいです。以下引用。

 いったんは「元に」戻ったアレックスだが、彼はもはや不良「少年」ではなかった。かつての仲間が結婚することを知った彼は自分も定職に就いて家庭を持とうと決心する。
「若さは過ぎ去ってしまう。獣のように生きられるのは若いうちだけだ」
もちろん彼は過去の暴力を反省したわけではない。アレックスは最後に誇らしげに読者に呼びかける。
「兄弟たちよ、たまにはヤンチャだったころのアレックスを思い出してくれ」


うげっ。
この結末は、編集者にもキューブリックにも却下された訳ですが、そりゃそーだろ、と。
それまでの、ハラショーなセンスはどうしちゃったんでしょってぐらい、こんな結末はドッチラケもいい所だと思いました。同じ作者が考えたとは思えんって感じ。

 

*タクシードライバーの事にふれたついでに。『マーティン・スコセッシの私のイタリア映画旅行』という映画、ご存知でしょうか? イタリア映画の紹介映画なのだけど、これがすんごい良いですっっ!今3のはじめの所まで観た所です。
主にロッセリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンティ等の作品紹介なのですが、実に見事。スコセッシ見直しちゃいました。





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〈映画の見方〉がわかる本 その3『イージー・ライダー』 2007.7.15

◆イージー・ライダー◆

これを観て即デニス・ホッパーのファンになった人は、私だけではないはずです。
60年代、『俺たちに明日はない』『卒業』『イージー・ライダー』が、ハリウッド映画をぶち破ります。
セックスピストルズのジョン・ロットンがピストルズの映画で語っていた「ナイスな時代は終わったぜ」と、まさに同じ事が、この時期のハリウッドで行われていた訳です。
ハリウッド映画は「ヘイズ・コード」なる規制のせいで、夫婦が同じベッドで寝る描写すら許されないというバカげた事になっていたのですが、67年の撤廃により、爆発したのですね。

『イージー・ライダー』と言えば、即思い浮かぶのが、ステッペン・ウルフの「Born To Be Wild」!!



以下の文にビックリです。

 既成のポップ・ミュージックの歌詞に画面の意味を語らせる手法は『スコーピオ・ライジング』(六四年) でアングラ映画作家ケネス・アンガーが初めて使ったテクニックだが、それは『卒業』で一般化され、続く『イージー・ライダー』で定着する。

ケネス・アンガーのこの映画は、20歳前後の多感な時期に出会い、大好きな短編映画なのですが、こういう事は知りませんでした。
さらに・・・

 六六年、ドライブイン向け配給会社の最大手AIP (アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ) のプロデューサー兼監督のロジャー・コーマンは、当時問題になっていた暴走族ヘルス・エンジェルズを実際に出演させて映画を作った。主役には名優ヘンリー・フォンダの息子、ピーター・フォンダを抜擢。この『ワイルド・エンジェル』はAIP最大のヒットを記録した。
 次にコーマンは、やはり当時ブームになっていたLSDを題材に『白昼の幻想』(六七年) を企画する。シナリオは当時売れない俳優だったジャック・ニコルソン。主役はやはりピーター・フォンダだ。しかし、コーマンはドラッグをやった経験がなかったので、ピーターにLSDを分けてもらった。それまではLSDを批判する映画を作るつもりだったコーマンだが、このトリップで考えが変わった。しかし、それでも幻覚シーンのリアリティに不安があったので、出演していたデニス・ホッパーにトリップの演出を任せた。ホッパーもドラッグにどっぷりハマっていたからだ。
 このピーターとホッパーが「ニューシネマ」の金字塔『イージー・ライダー』(六九年) を生み出すのである。


ひゃあ。そう言えば聞いた事があるような気もするんですが(^^;)、エドガー・アラン・ポーの低予算映画と『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』だけじゃないんですね。ロジャー・コーマン恐るべし。

ジャック・ニコルソン扮するジョージのセリフは鋭いです。

 ジョージは死ぬ前にこう言っていた。
「連中は君たちを恐れているんじゃない。君たちの長い髪が象徴するものを恐れているんだ。この国では、"個人の自由" が国是だが、"自由な個人" を見たとき、自由でない者はそれを恐れ、憎むんだ」


 

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〈映画の見方〉がわかる本 その2『2001年宇宙の旅』 2007.7.13

◆2001年宇宙の旅◆

『2001年宇宙の旅』、これは何度も観ています。
しかし、最初観た時も2度目の時も、途中で寝ました。(汗・笑)
3度目ぐらいで、インテリアのかっちょ良さとか (←コレは最初観た時からだけど) ボーマンのスターゲート突入シーンのすっっごいサイケな映像にノックアウトでした。
HALのおっかなさも勿論衝撃でかかったです。
でも意味はよくわかんにゃい・・・って思ってまして、何度目かに観る時には、これだけ何度も観れば意味はわかるだろう、と思いつつ観たら、やっぱわからず。

しかし、この映画は当然難解でしかありえず、映画を観ただけでは、理解できるはずがない事がハッキリとこの本で解ります。
スッキリ便秘解消!!って感じでしたよん。
ああ、もう1度、それも是非とも映画館で観たいですっっ!!

そして、優雅なクラシック音楽が、これが眠気を誘うのでありますが、印象的ですよね。
キューブリックはどれを観ても、音楽の使い方の見事さには唸らされますが。
「ツァラトゥストラかく語りき」が流れるのには、ちゃんと意味があったのです。
これこそが、この映画のテーマだったんですね!
以下の文は、とっても気に入りました。

 ニーチェはキリスト教が弱体化していた十九世紀末に登場し、「神は死んだ!」と宣言した思想界のセックス・ピストルズである。

そして、『時計じかけのオレンジ』で使われるベートーベンも、やはりちゃんと意味があるんです。
この映画では、生のエネルギーの象徴として、男根が散りばめられいてる訳ですが、以下引用。

 アレックスが陶酔を覚えるベートーベンもまた「生」の歓びを意味している。ベートーベンはフランス革命に強烈な衝撃を受けたヒューマニストだった。それまでの作曲家は王侯貴族や教会に雇われていたが、彼は市井の人々のために「生」を謳歌する曲を書いた。なかでも「生きとし生けるものは、すべて自然の乳房から歓びを与えられる。善いものも、悪いものも、虫けらにすら生きる歓びはある」と歌い上げる『交響曲第九番』は『時計じかけのオレンジ』の主題曲になっている。何者にも囚われず、本能的な快楽を享受するアレックスはベートーベンで自らを祝福するのだ。

そして、『2001年宇宙の旅』の思想は、後に『イージー・ライダー』に繋がっていきます。

*ベートーベンについてこんなことこんなこと書いてます。

 




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〈映画の見方〉がわかる本 その1 2007.7.11

◆映画ファンなら読むべし!!◆

映画に限らず、頭で観たり聴いたり、それも <人の頭で> 映画を観て (と言うか、情報を仕入れて) エラそうに蘊蓄たれるスノッブ野郎というのが私はキライなのです。
そんな訳で、このタイトルを目にしただけで、映画の見方なんて人から教わる事なのか?自分で何かを感じれぱ、それでいいのではないか?とまず拒否反応をおこした訳ですが、デヘヘヘラーさんのレビューを読んで、これは読んでみたい!と思いました。
そして読んでみましたら、予想に反して全くエラそうではなく、実に親切極まりない。
映画に関する文章でメシを食う者の仕事です。試写室で観た映画の感想を書いてるだけじゃバチが当たります。ですって!そして、

本書では、絵画の研究がスケッチや習作、X線で見える描き直しの跡を調査するように、シナリオの草稿や企画書、関係者のインタビュー、当時の雑誌記者などに当たって裏付けを取りました。

との事。憶測だけで物言うのではなく、全てが正しい裏付けによって説明されている所が信用できます。
そして、もくじを見ただけで、なるほど!と思わさせる所もあり、わくわくしてきちゃいます。
知っている映画ばかりというのも嬉しいではあーりまりせんかっっ!実は私、この中で『フレンチ・コネクション』だけは観てにゃいです。(汗汗) 2011.5.24現在、既に観てます。

 

私は、映画の見方がわかる本というよりは、作品の裏側、真実がわかる本という感じがしました。
とりあげられている映画全てが、再び観たくなります!特に「2001年宇宙の旅」。モノリスの謎も解けます。カウンター・カルチャーと呼ばれる文化大革命の中でつくられた映画の背景や、その後再びハリウッドがつまらなくなったのは何故かとか、この作品とあの作品の繋がりなど、いろいろな事がわかります。映画ファン必見の本です!!

なるべく営業妨害にならないように(^^;)、感想書いていきたいと思います。

こちらは80年代バージョン『<映画の見方> がわかる本』だそうです。



↑いきなりビデオドロームですかいっっ!こっちも気ににゃる~~~



これもおもしろそうです!





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『淀川長治の活動大写真』その10 2007.7.9

◆ポランスキーの『吸血鬼』◆

いやあ、この本の終盤で、この作品の事が出てきたのは、実に嬉しいですっっ!
+++吸血鬼映画★お笑い編+++でチラリと書いてますが、私これ大好きなんです。
ところが、淀川さんは以下のように書かれています。

 さてこの「ローズマリーの赤ちゃん」の監督のロマン・ポランスキーの新作「吸血鬼」(一九六七年作) を見て、これまたいらざる心配ながら、これを理解し楽しむことが、今日の日本の大人といわず青少年に、はたして、その感覚、感受性、理解、それがあるであろうかと、気がかりになった。
 おそらく今日の青年層は、非常にモダン感覚がすぐれているので、この映画のサイケ・ロマンはわかるであろう……しかし大人は、こわいもの見たさに、劇場にとび込んでチンプンカンプン、何だか馬鹿にされた気になって、劇場から何だ喜劇じゃないかとがっかりして出て行くのではないかとも思う。"なんだ、喜劇じゃないか" という言葉ほどいやなものはない。喜劇が日本で成長しないのも、そのためである。
 映画を見るためには、どうしても原名に注意され、その意味を知っておく必要がある。この「吸血鬼」も原名は The Fearless Vampire Killers すなわち「不敵な吸血鬼殺したち」であり、さらにこれに加えて「ゴメンナサイあなたの歯がワタクシの首に」という文句が、加えられている。それで滑稽な映画ということはすぐにわかるわけである。ところが日本題名はただの「吸血鬼」だから、その映画は怪奇映画の、大まじめの恐怖を売りものとしている映画とまちがってしまう。


にゃるほど~。「ローズマリーの赤ちゃん」の後だと余計に・・・ですね。(「ローズマリーの赤ちゃん」の感想、こちらのひとこと映画評にUPしてます)
私は勿論リアルタイムではないし、高校を出て新宿に通っていた時期に借りまくった吸血鬼映画の中の1つでしたので、実に楽しく観たのでしたが。
「笑いのセンス」というのは、私にとって大変大事なものだと思っております。私は笑える映画が大好きなので、以下の意見も大賛成です。

 ぜいたくとは、このポランスキーの「吸血鬼」や、またはフランスのジャック・タチ監督の「プレイ・タイム」(一九六八年作) の面白さ、楽しさを理解し、楽しむことにこそ、あるのである。
「吸血鬼」の面白さは、その老学者の、あたかも童画のさし絵のようなメーキャップからして面白いのであるが、ワンシーンその一齣一齣が、まるで古典美術の美しさ、それを「笑い絵」のエロティック香味の中に、グロとスリルの音楽的演出でもって、一気に見せる。吸血鬼たちの舞踏会、吸血鬼の息子のホモ趣味、その父と子が眠るベッドの棺桶。なにもかもがいたずら文学の、戯作の、その筆のさえで洒落とばす感じ。
 映画というものは、トルストイやドストエフスキーだけを、ありがたがって見る……というようなせまい見方では、映画の本ものの面白さは?めるものでない。


実はドストエフスキーも十分笑えるんですけどね。
ドストエフスキー



10回にわたってお送りしました『淀川長治の活動大写真』のレビュー、いかがでしたでしょうか。お楽しみいただけましたでしょうか。それでは皆さん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

おもしろそうなのをピックアップ。



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『淀川長治の活動大写真』その9 2007.7.6

◆日曜洋画劇場◆

今では字幕スーパーでなければ観る気がしない洋画ですが、昔は水野晴郎や淀川さんの名解説を毎回楽しみに、吹き替え版で随分観たものです。
どんなにつまらん映画でも、必ずおもしろい所を見つけて解説してくれる淀川さんの才能には、ほんっっとに驚かされたものです。
なので、映画はつまらなくても、果たしてこの映画をどう誉めるのだろうか、という楽しみがありました。
淀川さんに与えられた時間が三分三十秒、最初の一分間は前説、映画が終わってからの一分半が後説で、その後の一分が予告編だそうで、この予告編について、こんな事が書かれています。

ここは少しキザにうたい上げる必要があるのだが、はっきりとキザが丸出しとなると面白くない。しかし、この場合でも私がこの予告する映画が好きで好きでたまらないという気分にならないといけない。ところがいんがなことに私はたいがいの映画が好きなのである。その作品が少しおかったるくとも、それに出ている俳優のうちの一人でも好きだったら、もう十分にその予告編は楽しくしゃべれるのである。

にゃるほど!であります。

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『淀川長治の活動大写真』その8 2007.7.4

◆アカデミー賞◆

アカデミー賞が設けられたのは1927年 (昭和二) だそうです。
その前にハリウッドの映画雑誌「フォトプレイ」がフォトプレイ賞というのを設けていましたが、これでは一雑誌の催しにすぎないので、ダクラス・フェアバンクスが中心となり三十六人の委員で映画芸術アカデミーというのを儲け、1929年5月6日に第一回の授賞式が行われたそうです。
その時の受賞作品が『つばさ』です。
ケネス・アンガーの本「ハリウッド・バビロン」を読んで、山ほどいた中の見てみたい女優さんの1人が『IT (あれ) 』のクララ・ボウでしたが、あの本を読んで10年以上経って漸く観たのが、彼女が出演していた『つばさ』でした。あの本でのエッチなイメージと全然違い、かわいらしい感じで、ちょっとガッカリでしたが。(^^;)

   

賞をとると貰えるのが、有名な金メッキのブロンズ像「オスカー」ですが、元々は「アカデミー賞像」と呼ばれていたのを、1931年にアカデミー協会の図書係のマーガレット・ヘドリック夫人が、この像を見て「まあ、私のオスカー伯父さんそっくり」とひやかしたのが、「オスカー」の由来なのでした。いやあ、おもろい!

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『淀川長治の活動大写真』その7 2007.7.2

◆セシル・B・デミル◆

セシル・B・デミル監督の『十戒』と言えば、ちょーーー有名な作品でありますが、

 

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Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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