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『高慢と偏見』その1 2007.8.31

映画がとてもおもしろかったので、これは是非とも原作を読んでみようと思い、岩波文庫で読みました。
映画はこちら。↓ 映画の感想はこちらです。




正直申しまして、映画の方がずーーっと面白かったです。(^^;)
まあ、本が先か、映画が先かで、感想が全く変わってしまう恐れもありまして、この辺は実に難しいのでありますが、映画のようにぐいぐいと惹き付けられるという事はなく、ちょっとまどろっこしかったりしました。
理屈っぽさもちょっと強いような・・・。
まあしかし、この原作あっての映画なのでして。ってか、最近このパターンが多く、先に読むべきか観るべきか、迷う所であります。(映画を観ておもしろかったから読んでみようというのが続いたので、しかたがないのですが。)

しかし、大方の男性が好む女性というのは、ちょっと馬鹿でカワイイというのが典型として存在するかと思うのですが、この小説の主人公エリザベスは、美人ではないが瞳が美しく魅力的で、頭が良く理屈っぽいという所が、この時代としては斬新なのではないでしょうか。
このキャラは私、大好きです。
そして、ちゃんとそれにふさわしい、頭の良いイイ男が彼女に惚れる訳ですね。

5人姉妹それぞれのキャラも、結構おもしろくて良く出来てます。
誰も悪い人とは思いたくない姉ジェーンの性格には、ちとイラつきましたが…。
そして、その父母のキャラがまた良いですね!
リディアとキッティは母親クリソツな感じです。
またまた例によって、次回引用です。(^^;)



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テーマ : 読書感想文
ジャンル : 小説・文学

『エド・ウッド 史上最低の映画監督』その3 2007.8.30

◆ベラ・ルゴシ◆
史上最低の監督エド・ウッドの映画に、あの『魔人ドラキュラ』のベラ・ルゴシが何度も出演していたのは驚きです。



ベラ・ルゴシの飼っていた二匹の犬のうちの一匹は、名前を「ドラキュラ」と言ったそうです。ドーベルマン犬だって。これがよく足首に食らいつき、その傷は亡くなるまで消えなかったとか。
年譜によれば、エド・ウッドは七歳で生まれてはじめてホラー映画を観たそうなのですが、その作品がなんと、ベラ・ルゴシの『魔人・ドラキュラ』。
そのルゴシと後に一緒に仕事をするとは、スゴイですっっ!

◆『プラン9・フロム・アウタースペース』◆
エド・ウッドの代表作?『プラン9・フロム・アウタースペース』は、こんな作品だそうです。

 この作品の「ひどさ」は、とにかく枚挙にいとまがない。本書でも触れられている逸話以外にも、おかしなところはたくさんある。夜の町を走っていた車が、次のカットでは昼の道を走っている。ベラ・ルゴシの出演部分は、同じシーンのため撮られた三テイクが三つとも使われているため、観客は同じシーンが繰り返されるのを見て理解に苦しむことになる。モナ・マッキノン演じるポーラは「円盤があそこを飛んでいて、墓地はあそこにあって、わたしはあそこにとじ込められていたのよ」と叫ぶが、それぞれの "あそこ" がどこであるかは不明である。

ああ、観てみたい~~~!!
ちなみに、どの作品も、こんな感じだそうです。(≧▽≦)

 

死霊の盆踊りはエド・ウッド脚本です。





 

 



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テーマ : エッセイ/随筆
ジャンル : 本・雑誌

『エド・ウッド 史上最低の映画監督』その2 2007.8.23

エド・ウッドは女装趣味はありましたが、それを隠すことなく、変な格好でカメラを構えて撮影していたそうです。

ポール・マルコ ――前略―― それに仕事をするときの衣裳がすごい。小さくてへんちくりんな帽子をかぶり、アンゴラのセーターかレオタードを着るんだ。――後略――

そして、ゲイではなかったそうです。
こんなおもろい話がありました。

ジョージ・クーパー (俳優)  『悪党が帰ってきた』の母親役の女性が、ある晩病気になって、芝居に出られなくなったことがある。それでエドが、父親役をやったあとに母親を演じたんだ。ところが口髭をつけたまま演じてしまい、客席は大爆笑になった。観客はみんな腹を抱えて笑ってたよ。エドはかつらをつけ、胸とお尻に詰め物をして母親を演じてた。

クイーンのビデオクリップを思い出しちゃいました!フレディーが髯のまま女装していて爆笑でした!ロジャー・テイラーが女装似合いすぎで恐かったですが。これ!!



それからこれ。

 ぼくはふわふわの毛のセーターが大好きだ。この思いは、どんなに言葉を尽くしても足らないくらいだ……ふわふわのセーターを身につけると、たちまちぼくはしびれてしまう……そんなセーターを着て、可愛くてきれいなふわふわのウサちゃんのようになる日を、ぼくは待ち切れない。ぼくの衣裳ダンスの、あのアンゴラを覚えてる?
               エド・ウッド『女装趣味を持つ男娼の日記』


アンゴラを着た写真もありました。
これは映画のセリフですが、なかなか真実かもしれません。↓

ヴォーノフ 他人の理解できないものを完成させるとき、人は必ず狂人と呼ばれる……
           エドワード・D・ウッド『原始の花嫁』シナリオより


その3へつづきます。




 

  



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テーマ : エッセイ/随筆
ジャンル : 本・雑誌

『エド・ウッド 史上最低の映画監督』その1 2007.8.21

エド・ウッドに関わってきた人達のインタビューと、エド・ウッドの本からの引用による本です。ドキュメンタリー映画のようでした。
よくある、英語の話し声を完全に消さずに上から日本語訳を重ねて次々とインタビューしていく、あーゆーのを思い出しましたです。
つまらん映画ばかり撮っていたエド・ウッドが、何故映画まで出来るくらいに語られているかと言うと、おそらく、アンゴラフェチの女装趣味などの、そのキャラだと思います。
そして、ひどい映画を大真面目に撮る所など。

ま、こんな事も言われている訳ですが。

ダドリー・マンラヴ (俳優)  哀れな男がしゃかりきになって働き、死んでいった……そしていま、彼の苦労の産物で金持ちになろうとしているやつらがいる。

ってな訳で、次回につづきます。



 

おおっっ! これDVDあるなんてっっ(゚д゚)!

 

いつの間にBOXまでっっ!






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小川徹『失われた〈愛のコリーダ〉その再現とポルノ映画論』その2 2007.8.14

*18禁でお願いします

こちらのつづきですが、後半の「ポルノ映画論」より、いくつか引用です。
ちと笑えてしまった一文を。

私たちは趣味や性的教養として知的にもたのしんでいるが、むしろポルノ映画を本当に見なければならないのは、セックスの相手がいないとか夫婦間がうまくいかない性的不満者とか、あまりにも性欲が強すぎてそれを沈静させなければならぬ清水正二郎氏のような人の見かたの方が、もっと面白くみるのではないか? そういう性の趣味人とか芸術家ではなく、性が生活必需品である人たち、常食が食えない人たちのポルノ映画の見かたが、基準になるのではないか?

趣味や知的教養としてポルノをたのしんでいるって!!
ポルノ見るのに何カッコつけてんの~~?って感じなんですが。(笑)
それからこれ~~!

 なぜ日活は女性用ポルノをつくらないのか? そして女性用映画館をつくれば、裁判官や検事たちの心配する事情はなくなるはずだ。

女性用ポルノってどんなのだ?いったい。
これ↓は結構言えてる気も。

わいせつはおそらく、検事個人においても科学的に知りえぬ不安に対して投げられる手袋のように思われる。それ以外のわいせつは第三者の嫉妬である。

これも。

すなわち「わいせつ」よばわりする方に、顕在化されたいやらしい欲情があることを指摘しているのだ。

『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』って観てないからわからないのですが・・・

『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』は、田舎の博物館用の遺物や性の祭りなどに、目もくれないで、現代との結びつきのみをとらえて見せたのは気持よかった。同じような意図でつくられた大島渚の『新宿泥棒日記』が、既成のセックス映画や芸術をまね、それをとりいれながら、他方ではカメラの偶然性による実写をあらっぽくいれながら、うえからの「押しつけ」で、なにかしきりと観客を挑発し、感得させようとして失敗した例とくらべてみると、性を外からカメラでとるということのむなしさと、ナレーション、すなわちことばによる性の描かたの、これまたべつの無意味さが感じられる。

『新宿泥棒日記』は結構好きなんですけどね。こちらに感想書いてます。
以下は『家畜人ヤプー』の苦手な方はご注意を!

『セックス猟奇地帯』で、映画的に、おもしろかったのは、第一は《マゾヒズムの男》の部分である。かれは、バーのカウンターのむこう側の床に伏し、ホステスが何人も注文をとるたびに、体のその上を靴のまま踏みつけるのに快感を感じる。また、ある女性の部屋でも、犬のように首輪をつけて、ときどき彼女の足でふまれ、食事も皿にカレーライスの食いのこしとミルクをまぜたものを喜んでたべ、便器で顔を洗い、そして驚いたことには、彼女がおしっこをするのを、股の間で口をあけて飲みとろうというのであった。

これを読んで即ヤプーを思い出したのですが、そのちょっと後でこんな文が!

おしっこを飲んだ男は中島監督にあったとき、沼正三という男だと教えられ、まもなく「ヤプー」パーティーが真夜中の銀座で行われ、その実演を見たのであるが、

ひゃあ!ヤプーの感想こちらに書いてます。

家畜人ヤプー



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小川徹『失われた〈愛のコリーダ〉その再現とポルノ映画論』その1 2007.8.12

いやはや、これ、『愛のコリーダ』よりもおもしろかったです。(笑)
そうそう、その通り!と思える所がいっぱい。

定役の松田英子は、ぬわんと、天井桟敷出身で、「市川魔胡」という芸名だったそうです。
「田舎くさい少女たちのなかで、着ているものもよく、スラリとした体もヨコハマの匂いがあった」と当時桟敷にいた人はいっていた。と書かれていますが、そこからして定のイメージじゃないんですよねえ。
ヨコハマじゃなくて、東京下町の粋な人なんですから。

ここからは18禁で。(笑)

ちと『愛のコリーダ』とは関係ない話ですが・・・ライブショーと言うのがありまして、舞台で本番をやるのだそうですが、男性は大変らしいっす。ちとおもしろかったので引用。

ライブショーはあらゆる体位を見せてくれますね。男もこれは大変なことですよ。きくと、最初、勃起させる時は俺はこいつを愛してるんだ愛してるんだと一生懸命思っちゃうわけ。女がね、ワーッと動く。こうなると一度は税金のことだとか、月賦のことだとかを思い出すんだそうです。

日活ロマンポルノ『実録阿部定』を撮った田中登が、こんな事を言っていたとか。

 いち早くお定を描いた田中登は「五本くらい阿部定映画をつくろうと思っていたから、いまも調査をつづけているが、大島シナリオを見ると、私の映画からセリフを採り入れているし、目立たない形で文句がジカに入り、大島さんなりの消化の仕方をしている」(事実そういえないこともない) と不満をかくしていないが、さらに「"ポイント" が吉蔵すなわち彼のいう四十男のSEXにおかれ、お定を描いてない」というが、その点はすでに、のべてきたように、過去の大島自身がお定において描かれており、彼女の妻トクに毎朝、吉蔵の男根と精液を一滴たりとも、残しておきたくない定の、欲望第一主義ないしは忍法筒ガラシ戦術、男根を独占したい滑稽なほどのいじましさを、大島自身の「二つの青春」への自己弁明として描いているようなところがあるのではないだろうか。

こちらに感想を書いてますが、宮下順子の定役が抜群に良かったこちらも観ている事もあり、私は田中監督の意見に同感です。
大島作品の方は、吉蔵中心って言えてるんではないでしょうか。
キャストから言っても、藤竜也の吉は良かったけど、定はなあ・・・と言う感じですし。

次は、当時日本では観られなかった『愛のコリーダ』を、カンヌまで観に行った一般人の話です。

「ただぼくたちは前の日にポルノ映画見てたでしょ、藤竜也のものが小さいなあと思って。

あり? 聞いた話では、藤竜也のものがでかくてフランスでは評判だったとか・・・、そうではなかったのですね。(^^;)
出演してくれる俳優を見つけるのが大変だったというお話ですが、ますます藤竜也の勇気に感心してしまいました。(^^;)
同じくカンヌで観た一般人の意見より。

「ぼくは率直に言ってね、吉蔵とお定以外の行動っていうのは余り面白くなかった。これは総体的に言って……」

同感ですっっ!
元々定の予審調書にはない話ばかりですし、宿屋でレズってる所も全くおもしろくなかったです。ばあさん犯すシーンなども、いらねって感じです。またまた・・・

「いま考えてみるとどうも、ファックシーン自体は余り面白くないですね、いろいろバリエーションがあって見せてくれるという感じではないですね。割にそういう意味では、変化に乏しいですね。」

ハゲしく同意!!以前書いた感想にも、同じような事を書きました。

この本、後半に入ると『愛のコリーダ』から離れたポルノ論がうだうだと書かれており、知らない映画ばかりだし、ちっともおもしろくなかったのですが(^^;)、引用したい所もいろいろあるので、その2に続けちゃいます。



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アンドレ・ブルトン『黒いユーモア選集』下巻 その2 2007.8.10

昔、図書館で借りたジョルジョ・デ・キリコの自伝だったでしょうか?ちょっと覚えてないのですが、おそらく本人が書いた本だったと思います。
それで、アンドレ・ブルトンを痛烈に批判していたのを、よく覚えています。
そして、自分の絵は形而上絵画であって、決してシュルレアリスムではないと書いてあったと思います。
この文を読んでの批判だったのでしょうか?ブルトンは誉めてるんですけどね。

 アルベルト・サビニオとジョルジョ・デ・キリコは兄弟である。そして、サビニオの散文とキリコの絵画は、数多くの現代の神話、即ちシュルレアリスムの諸作品の先駆であるといってよいであろう。

勝手に解釈された自分像が一般に広がっていくことは、こわいことです。
おそらく、キリコは、そんな思いだったのではないか、と思います。
ジャック・リゴーの以下の文は好きです。

 ぼくは快楽のようにまじめだろう。人々は自分の言っていることが分っていない。生きる理由はない、だがまた死ぬ理由もない。人生にたいする軽蔑を示すためぼくらに残された唯一の方法は、人生を受け入れることである。人生はわざわざ骨を折ってまで捨てるには価むしない。

これは、自殺を考えている人達に、生きてみるか、と思わせる事が出来るかもしれない文章ではないか、と思いました。
しかし、これを書いた本人が、自殺をしているのです。
死ぬ事を考えた事がない人には、決して出て来ないはずであろう文章でもあるとも言えると思うので、こうやって自問自答をしていたのかもしれません。
同じ人の次の文にはゾッとしました。

もっとも確かな喜劇性の要素とは、理由もなく、おもしろ半分に人々のささやかな生命を奪うことである。

最後に「あとがき」から引用して終わります。

 このようなユーモアがもたらすであろう笑いは、ブルトンによれば「報復的な、かつ純粋に内的な笑い」ということになる。したがって、開放的で素朴な笑いとはおのずから異っている。黒いユーモアのもつ特質は、およそこのようなユーモアにこそ求められるだろう。

 

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アンドレ・ブルトン『黒いユーモア選集』下巻 その1 2007.8.8

(上巻の感想はこちらからよろしくです。)
下巻は、ジャン=ピエール・ブリッセという人で始まります。
まずブルトンの説明が入り、作品の抄訳、という感じの本です。
ちと頭痛がしてきそうな文章だったのですが (^^;)、言葉の遊びの作品を残した人のようです。
翻訳で読んでも、こういうものは、いまいちピンと来なかったりするのですが、いろいろな人に影響を与えたそうです。
ブルトンの紹介文が、これが大変かったるいものだったのですが、以下引用です。

レイモン・ルセールの作品、マルセル・デュシャンの文学作品が、かれらの知らぬ間であろうとなかろうと、ブリッセの作品との緊密な関係において生まれたと言うことは、一目瞭然であり、ブリッセの支配力は、レオン=ポール・ファルグ、ロベール・デスノス、ミシェル・レリース、アンリ・ミショー、ジェイムス・ジョイス、パリの若いアメリカ派といった、言語の詩的崩壊の最も新しい試み (《言語の革命》) にまで及んでいるのかも知れぬ。

フランシス・ピカビアという人の『五分間の幕間狂言』というショートショートが、かなりブラックで好きです。
ストーリーは読んでいただくとして、(引用するには長いし・・・) にゃるほど、と思った一文を。

数年前、この地方を探検すべくむ出かけた彼は、その地でひとりのふしぎなインディアン女の魅力のとりこになり、彼女は彼を拒むことで完全に彼を物狂いにさせてしまったのである。

追うと逃げる、拒むと追われる、人間の心理は不思議です。
ピカソの文学作品って珍しいですよね。ほんの2ページの「詩」という作品、これも言葉あそび的と言うか、ジョイスっぽい感じでした。「変」です。(笑)
「、」が1つもなく、「。」は最後だけです。
その前の紹介文で、ピカソの、絵についての言葉が紹介されていました。

 絵画は、まるで王侯が羊飼いの女に子どもを作らせるようにして、作られる。パルテノンの神殿を忠実に写すようなことはないし、ルイ十五世様式の椅子を描き出すことは決してない。南仏のあばら屋、タバコの紙箱、古ぼけた椅子で、絵は作られるのだ。

このくらいにして、次回につづきます。

 

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【本】愛のコリーダ 2007.8.6

映画がまるでつまらなかったのにもかかわらず、古本市で525円だったので、思わず購入してしまった『愛のコリーダ』。
(映画の感想はこちら。)
「第一審無罪 だが検察側控訴の問題の本 高裁・最高裁では 有罪か? 無罪か?」
と書かれた黒い帯が、何故か2つも付いていました。
この本に関しては、生田耕作氏が痛烈に批判されていまして・・・こちら↓に一部引用しています。
生田耕作『黒い文学館』その1
生田耕作『黒い文学館』その2

そんな事も、読んでみようかと思う一因でした。あまのじゃくだから~。「どんなにヒドイものか見てみたい」という心理です。(^^;)
まあ、生田氏の批判は、本の内容というよりは、そのやり方という感じではありますが。
読んで思ったのは、最初から「ポルノ」として撮っているようですし、芸術もへったくれもないんじゃないか、という事と、「ポルノ」なら「ポルノ」なりにおもしろきゃいいんだけど、どっちつかずの中途半端という気がするし、だけどフランスでは高評価なんですよね~。

最初にシナリオが掲載され、その後に、大島渚の論文がうだうだと書かれています。
シナリオは映画とは違う部分もあるのですが、これを呼んでも、定役の松田英子のイメージではないなあ、と思ってしまふのですが。セリフはちょっと粋な感じだけど、どーも粋にならないっすよねえ。
おそらく、外国人が好む日本人的ルックスなのかなあ、と思うのですが。
藤竜也はイイと思いますけどね。彼は吉蔵を演じるために、7、8キロ減量したそうです。
阿部定役は、多くの女優さんが、やろうと言ってくれたそうです。
「幸いにして松田英子という天才的な新人をえた。」とか書かれているんですが、エエッ?って感じなんですよねえ・・・。私にはわからん!

この映画は、税関に引っかからないように、生フィルムをフランスから輸入し、日本で撮影して未現像のまま送り返し、向こうで仕上げる、という方法をとったそうです。この事は繰り返し、自慢げに書かれていました。(^^;)

シナリオの後に掲載されている「体験的ポルノ映画論」というのが、つまらん論文だったのですが、以下の文は、確かに言えてるんじゃないか、と思いました。

心の中にタブーを持つ人間ほど「猥褻」を感じるのである。子どもは何を見ても「猥褻」を感じたりはしない。

お次は、何か違うんでねーの?と思ったものを。
「刑法第百七十五条をめぐって」の所より。

 深夜テレビのポルノ番組を見る人間にとっては、その要求はより面白いポルノ番組を見せろということにつきる。

うーーん、どーですか、みなさん。
私が想像するには、ポルノに関しては、特に深夜1人で観るようなポルノには、それほど「面白さ」を望んではいないんじゃないかと思うのですが。それより、いかにちゃんとイケるかなんじゃないでしょうか。(あ、すんましぇん) 出来るだけエロいものが観たい!って感じなんじゃないでしょうか。

なんだか、映画と同じで理屈っぽい人だなあ、という感想でした。(^^;)

ナギサ・オオシマ
わいせつ罪の可罰性



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Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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