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源氏物語 巻八~巻九 其の一 2008.2.28

相変わらずネタバレ御免です。

◆宇治でうじうじ宇治十帖◆

源氏死後の話が宇治十帖と言って、薫、匂宮が中心になっていきます。
この巻八、九が、もうず~~っと、うじうじうだうだやってるんですよ。
薫と大君と中の君とで、もう繰り返し繰り返し、うじうじうじうじ。
その姉妹の父親八の宮家族の話が、その前に出てきますが、以下引用です。

 北の方も昔の姫君でしたが、今の境遇がつくづく心細く情けなくて、御両親が行く末は后の位にもと描いていられた夢などを思い出されますと、たとえようもなく辛いことが多いのでした。それでも御夫婦の愛情が、この上もなくしっくりして、睦まじいことだけを、幸いこの世の慰めとして、お互いにこの上なく頼りにし合っていらっしゃいました。

世間の目だの身分だのが何だって言うんだ!と、あちこちで思ってしまふのですが、位がどんなに高くても愛のない暮しよりも、よっぽど幸せじゃないかと、これこそが幸せじゃないかと、私は思うのですが、甘いのでしょうか?
八の宮が亡くなってからは、薫の大君への恋、匂宮の中の君への恋、皆でうじうじうだうだ延々とやってます。匂宮だけは、うじうじした性格ではなく、大変積極的なのですが。この人は源氏にいちばん似た感じです。
しかし、源氏の場合、異常な多情であるのですが、だからと言って、格別モテる訳でもなかったと思うのです。しつこくしつこ~~~く言い寄って、やっとやっと思いを遂げたり、遂げられなかったり。
その点、匂宮は、なかなかのモテぶりではないかと。
しかし、中の君への思いは、かなり真面目です。自分も惹かれたのだし、幸せな思いを噛み締めても良いんでないかと思うんですが・・・、後々の事まで考えて、あーだこーだと悩むのは、やはり暇人だからしかたがないのでしょうか。もうほんっっとにそんなの時間の無駄!と私なんぞは思ってしまふのですが。以下引用です。

「それでも姉君がこんなにお心にかけて下さり、いろいろ言い訳なさるのは、わたしのことが心配で、不幸にならぬようにとお考え下さってのことだろう。けれどもこの先匂宮に捨てられて、人の物笑いになるようなみっともないことになり、また姉君に御面倒をおかけするようになったら、どんなに辛いだろう」
 などと、あれこれ思いあぐねていらっしゃいます。


もうひとつ。

今はこんなに並々でなく思える愛情だって、結婚した後になれば、おそらく自分も相手もそれほどでもなくなりお互いに気持が薄らぎ、幻滅するなら、どんなに不安で情けない思いがするだろう。

そうなってから悩めば良いんでねーの? という記述が多かったです。巻九でも・・・
・・・と字数制限が気になるので (かなりキビシーと思うのですが。字数制限。) 次回につづきます。

*字数制限がキビシーというのは、楽天ブログの事です。



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源氏物語 巻七 其の三 2008.2.26

*ネタバレ御免

まずは解説「源氏のしおり」より引用です。

 ただ亡妻の思い出に溺れ、悲嘆になすすべもなくなった悄然とした源氏には、もはや昔日の輝く魅力は感じられない。

しかし私は、唯一源氏に対して好感の持てる所が、こういう所でして、夕顔の帖を思い出しました。
出家の願望を早くに持ちながらも、思い切れない所も、潔くなく情けない部分なのだろうと思いますが、実に人間的で良いなあ、と私なんぞは逆に思いました。最後の最後に無理矢理決心する所が、その気持ちが伝わり、手紙を燃やす所には、胸が打たれました。

そして、この巻でびっくらこいたのが、タイトルだけで本文が一文字もない帖です。
あえてタイトルは書かないでおきますが、なんと見事なこと!!
千年経った今読んでも、すっっごく斬新に思えました。
以下「源氏のしおり」より引用です。

 本文は一行もない。いつからこの題名がさしはさまれたのか、紫式部の演出か、後世の人のしわざか、様々な論議を呼んできたが、まだたしかなことはわからない。

そして丸谷才一氏の説と同じく、やはり紫式部が今の形、つまり題名だけで本文なしという斬新な形にしたと考えたい。と瀬戸内さんは書いています



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源氏物語 巻七 其の二 2008.2.25

*ネタバレ御免

最愛の人を亡くし、そんな自分の運命を嘆く光源氏。
悲しい場面なのに笑ってしまふ~~源氏の独り言は、時々こういう笑えるセリフがあります。

「鏡に映ったこの顔をはじめとして、普通の人とは違って何もかも秀れていた自分だけれど、―後略―」

以前、春と秋とどちらかが好きかと聞かれ、秋を好むと答えた秋好む中宮の詩がシャレてます。

  枯れはつる野辺を憂しとや亡き人の
       秋に心をとどめざりけむ

「草木の枯れはてる
野辺の淋しさ厭われて
なつかしいあのお方は
秋にお心を寄せられず
春をお好みなさったか」

 「今になってはじめてその理由がわかりました」


以下、今頃気付いたのかよ!と思ってしまいましたが・・・

「どうして、一時の浮気心だったにせよ、または本気の切ない恋であったにせよ、そうした多情な心をお見せして苦しめてしまったのだろう。

結局、源氏とかかわって幸せだった女性っているんでしょうか??と思ってしまふ、この小説なのですが、瀬戸内さんの解説「源氏のしおり」より引用です。

 源氏物語の女たちの中で最も幸福な女といわれてきた紫の上を、私は最も可哀そうな女と思われてならない。
 少なくともこの物語の女たちは、出家することによって、源氏の愛欲によってもたらされる激しい苦悩を脱し、心の平安を得ているからである。


全く私が思っていたのも同じでした!!
ただ、出家うんぬんについては、寂聴さんならではの意見という気もしますが (とこの時は思ったんですが、全巻読み終えて浮舟なんかを見ると、寂聴さんの意見は正しいのではないかと思えてきます)、病身の中、最後の望みが断たれた事は本当に可哀相だし、それをさせなかった源氏も許し難いかと。
十才でほとんどかどわかされるような形で源氏にひきとられ、育てあげられた紫の上は、お人形としての一生だったのではないかと思うのです。私には、そこが最も不幸な点だと思われてなりません。
子供好きでありながら実子が生まれず、他所の子をかわいがり育て (源氏が浮気して生まれた子供をなのですから、スゴイです)、周りからも慕われ、決して嫌われる事のない、やさしい紫の上は、常にいい子ちゃんであり続けたゆえの苦悩もあったのではないでしょうか。

巻七其の三に続きます。



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『フェルメール全点踏破の旅』その3 2008.2.24

◆レースを編む女◆
『牛乳を注ぐ女』を観て、こんなに小さい絵だったのね、と思った方は多いと思いますが、フェルメールの絵は小さい絵が多いそうです。以下引用。

 もう一枚の《レースを編む女》は二十三・九 × 二十・五センチと、とても小さく、愛らしい絵だ。こういった絵を見ると、やはり絵の大きさはある役目を果していると思える。宗教画が大きいのは、やはりそれによって威厳や雄大さを伝えようとしているからだろう。フェルメールの絵は、初期の宗教画や二、三の例外を除けばみな小型だ。―中略―《レースを編む女》は、このサイズだけで、すでに親しみやすさ、そして珠玉のような優美さを感じさせる。もっとも、フェルメールがそれを意図していたかどうかはわからない。

にゃるほど!ですね。
そして、おもしろかったのは、この絵をダリが描いているんです。
〈レースを編む女 (フェルメールにならって)〉と〈フェルメールの「レースを編む女」の偏執狂的・批評的習作〉の2点です。
さらには、〈テーブルとしても使えるデルフトのフェルメールの亡霊〉(1934年) なんて面白い作品もあるそうです。
んで探したのですがちょっと拝借。拡大出来ませんでしたが、見たことあります。



ところで、この日記でチラリと書いてますが、数少ないフェルメール作品をウィーンで観られるチャンスを、惜しくも逃しているんです。・゚・(ノД`)・゚・
他所に貸し出されていたのだから、どうしようもないのですが、今思うと実に悔しいことこの上なしです。
オランダに行ってたっつー事は、里帰りしていたんですね。

フェルメール「真珠の首飾りの少女」【美の巨人たち】
フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展 その1
フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展 その2
フェルメール つきぬ魔法の秘密 ~ 「牛乳を注ぐ女」~ 新日曜美術館



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源氏物語 巻七 其の一 2008.2.23

*かなりネタバレです。


全巻読了してないので断言は出来ませんが、この巻七は、最も重要な巻だと言って良いのではないかと思いました。世代交代もありますし。
まずは、後の主役になるのであろうと思われる薫の実の親である柏木の衛門の督を中心に話が展開します。
罪を犯して悩み苦しむ柏木の衛門の督の様子が、こんなに美しい文章で言い表わされています。

 夕暮の雲の景色は、鈍色の喪服の色に霞んで、花の散ってしまった木々の梢も、今日はじめてお目についたようです。

そして、父親の源氏とは正反対の、多少の浮気心はあるものの、雲居の雁一筋な真面目な夕霧の、女二ノ宮への恋が、実におもしろく描かれています。
寂聴さんの解説「源氏のしおり」で中年になって堅物が恋に狂うと収捨がつかなくなる例は、世間によくある。なんて書かれてますが(≧▽≦)、この時夕霧は29才。人生50年の頃での29ですから、ちょうど中年ぐらいなのでしょう。
そして、

 この帖はまるで現代のサラリーマンの家庭の夫の浮気事件のようで、ことごとくリアリティのある描写が、はからずもユーモア小説のようなおかしさを誘い、思わず笑ってしまう。芝居でいえば世話物に相当する。

と書かれていますが、全くその通りでして、千年前に書かれたものが、こんなにも現代に通用するのか、と驚きました。
最初から浮気者だったら慣れているから問題ないのに!なんて思う雲居の雁がまた、いとをかし。
花散里の君が夕霧の大将に言うセリフが良いです。

それはそうとおかしいのは、源氏の院が御自分の浮気っぽいお癖を、人がまるで知らないかのように棚上げなさり、あなたに少しでもそんな気配が見えると、一大事だと思われて、御忠告なさったり、陰口をきいたりなさるようですが、とかく賢ぶる人が、自分のことはかえってさっぱりわからないといいますが、そのようですわね」

「とかく賢ぶる人が…」の所、ほんとに!(≧▽≦)
巻七其の二に続きます。



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源氏物語 巻六 其の三 2008.2.22

『源氏物語』を読んでいると、晩年は出家するのが当たり前なの?って感じになるのですが、特に女性は出家ラッシュですね。
ほとんどの人が出家願望を持ったり、実際に出家している気がしてしまう程です。
それじゃあ世の中尼さんだらけにならないものだろうか、と余計な心配をしてしまふのですが、この時代には出家というのは一般的なものだったのでしょうか。(それか身分の高い人達の流行りとか?)

時々出てくる宴の場面が、楽しげで好きです。
夕霧の大将 (源氏の息子) の、こんなセリフがあります。

「秋の夜の雲一つない明るい月の光には、あらゆるものがすっかり見渡されますので、琴や笛の音も、冴えかえって澄みきった感じに聞こえます。それでもことさらに作り合わせたような空の景色や、秋草の花に置く露などに、あれこれ目移りがして気が散り、秋のよさにも限度がございます。春の空にぼうっとかかった霞の間からさす朧月の光に、静かに笛の音を吹き合わせるような趣には、とても秋は及びません。笛の音なども、秋はつややかに澄み透るということがありません。女は春をいつくしむと古人の言葉にもありますが、全くその通りと思われます。楽の音がやさしく調和するという点では、春の夕暮こそが格別でございます」

自然の木などを使った、それも電気を通さないで演奏される楽器などは、天候に左右されるとは聞いたことがありますが、季節にも最適な時などがあるのでしょうか。おもしろいです。



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源氏物語 巻六 其の二 2008.2.21

*相変わらずネタバレします

紫の上の苦しみにも同情するし、女三の宮も実に可愛そうなのですが、紫式部がここでまた意地悪な筆力を発揮していると思います。
不幸な女三の宮に対しての描き様は、意地悪そのものとしか思えません。
幼稚だ幼稚だって、それが何だって言うんですか!
ひとつも思い上がったり、意地悪だったり、生意気な所さえないこの子の事を、あまりな言い様じゃないかと・・・。

この巻には、もうひとつ、明石の女御が東宮の男児を出産するという、大きな出来事がありまます。
散々な明石の君一家に、最大の栄華が訪れる事になります。
それにしても、この時代の幸せは、とにかく皇室に入ったり身分が高くなることなのでしょうか。その為に家族離ればなれになって、いったい何が幸福なのだ?と私なんぞは思ってしまいます。
しかし、この家族は羨望の眼差しで見られるようになるんです。
入道の念願も叶い、これで思い残すこともないと、山奥に籠ってしまいます。ああ、せめて最後に家族に会ってくれたら・・・。
明石の君に対してだからかもしれませんが、源氏が、そんな入道を、こんなに褒めてます!

「あの入道はその後、どんなにきびしい修行を積まれたことか。長生きして、多年勤行をした功徳で、消滅した罪障も数知れぬことだろう。世間でも、たしなみがあるとか聡明な僧侶といわれている人々をよく見るにつけても、俗世の名利に執着して、煩悩の濁りが深いせいか、才知の方面ではいかに優れていても、それには限度があって、とても入道に及びもつかない。ほんとうにあの入道はいかにも悟りが深く、それでいてさすがにどこか風格の備わって人だった。聖僧ぶって、俗世を捨て切ったというふうでもなかったが、心の奥ではすっかり皆、この世ならぬ極楽浄土へ自在に往き来しているように昔は見えたものです。まして今では、気持ちを乱す係累もなく、解脱し切っていることだろう。―後略―」

今まで同情的に見ていた明石の君が、ここに来て、ちょっと嫌だなあ、と思ったのが、母親の尼君に対しての思い遣りのなさです。
せっかく、女御の御一族らしく立派に支度させてお詣りさせよう、という源氏に対して、御遠慮させるのがよいと意見するんです。
「もし将来、願い通りのおめでたい時世がまいるまで生きながらえておりましたら、その折にでも」
って・・・、いつ死ぬかわからん年なのにですよ??
結局は「ついていらっしゃった」という事でしたが、何かと蔑んだ見方をされる母親で、身分がいったい何なんだ?と思ってしまいます。



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源氏物語 巻六 其の一 2008.2.20

ネタバレ警報~~


光源氏、40を目の前にし、老い先短くなったその時に、朱雀院が出家する際に心配でしょうがない愛娘、女三の宮を、ぬわんと、源氏の嫁にしてくれと頼むんです。
それも、あらゆる候補の中から、悩みに悩んだ末の依頼でして。実に不可解極まりない結論に達したなあ、と、不思議でしょうがなかったんですが。
後もない、父親ぐらいの年齢で、浮気者なのも知っていて何故?? しかも、最愛の紫の上の存在も無視してですか??
この人には「身分」の二文字しか見えていないんでしょうか。
案の定、愛娘も周りも、とんでもなく不幸になってしまうではないっすかっっ。
そんな朱雀院のセリフです。

結婚は本人の心を無視して決められることではないけれど、自分の心に染まぬ男を夫として、生涯の運命が決められてしまうのは、女としての日頃の心がけや態度が、いかに軽卒だったかを推量されてしまう。

え~~ッ? 玉鬘の君にしたって、全く本人の心など関係なしに事が進んだし、女三の宮にしたって、紫の上にしたって、まだわけもわからず13、14才で嫁に出されるのに「本人の心を無視して」決められないって、嘘だろ?と・・・。
しかも、その不幸な結果に対して、非難されるのは嫁の方ですかい??
その点、雲居の雁の君なんてのは、実に幸運だと思うのですが。
とにかく、あらゆる不幸の原因をつくったのが、この朱雀院だと思うのですが、寂聴さんの解説「源氏のしおり」には、毎度ながら非常に共感しまくりです。鋭い視点です。以下その「源氏のしおり」より、ちと長めの引用を。

 最愛の紫の上にこの不幸を与えたのは女三の宮の降嫁であり、源氏はこれ断ることが出来た筈であった。断りきれなかったのは、朱雀院の懇願のせいではなく、女三の宮が藤壷の妹の娘という点にある。あの恋しい藤壷の兄の娘が紫の上で、藤壷の俤をよく伝えていたからこそ源氏が一目で惹かれたことを忘れてはならない。同じ藤壷の姪なら、女三の宮も藤壷の俤を伝えているのではないかという興味と好奇心、それにもはや四十を迎える源氏にとっては女三の宮の十三、四という若さもまた好色心をそそのかされる要因になっていた筈である。つまり源氏は朱雀院の頼みに負けたふりをして、自分の好色心を満足させたかったのだ。聡明な紫の上はそれさえも見抜いていただろう。
 紫の上の悲劇は、源氏との結婚が略奪結婚で、正式の所顕をして社会的に認められていないというひけ目にある。正妻同様の扱いを受けつづけ、それにひけ目を感じたことのなかった紫の上は、女三の宮降嫁という現実の前に、自分の不安定な立場を痛感させられる。
 この紫の上の晩年の悲劇は朱雀院の親心の闇から生じたものである。
 女三の宮の婿選びに迷い抜く朱雀院の優柔不断さに苛々させられるが、まさか最終的に源氏が選ばれようとは読者には予想できない。
 朱雀院と朧月夜と源氏の三角関係の深刻さを知っている読者には、最愛の娘を、煮湯を呑まされた恋仇に託すという朱雀院の神経が理解出来ない。常に源氏に対して負け犬の立場にあった朱雀院が、ここに来て女三の宮の婿として、父のような源氏を、しかもその好色多情さを、厭というほど知らされている源氏を選ぶとは。


朱雀院の、この選択の誤りが、この物語をおもしろくしているのですけどね。この巻は実に筆が冴えてると思います。
巻六其の二に続きます。



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『フェルメール全点踏破の旅』その2 2008.2.19

◆デルフト眺望◆
フェルメール つきぬ魔法の秘密 ~ 「牛乳を注ぐ女」~ 新日曜美術館で、檀ふみさんが、いちばん好きな絵としてあげられていたのが、この『デルフト眺望』
実は私もこの絵の美しさに惚れてしまいまして、頭から離れなくなりました。心に染み入るような、ため息の出る美しさ!
そしたら、プルーストが「世界でもっとも美しい絵」と形容しているのですね。
晩年、病身なのを無理して観に行ったりしているんです。以下引用。

彼は特に、小さな黄色い壁 (ロッテルダム門の左側の尖塔の左手に描かれている) がお気に入りだったようで、小説『失われた時を求めて』では、体の具合の悪い小説家ベルゴットがパリの展覧会に《デルフト眺望》を見に行って、自分の小説をこの絵の「小さな黄色い壁のように絵の具をいくつも積み上げて、文章そのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ」と反省する場面がある。

『失われた時を求めて』の重要な登場人物であるスワンが、フェルメールの研究者だった事などを思い出します。また読み返したくなってしまいました。(いや、それには相当な覚悟がいりますが。(^^;))
今は、わかりやすい鈴木道彦訳の文庫が出ていて良いですね。私が読んだ時はハードカバーで大変でした。
『失われた時を求めて』マルセル・プルースト/鈴木道彦|集英社|



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源氏物語 巻五 其の三 2008.2.18

まずは「源氏のしおり」より引用です。

 源氏物語の中で作者が意地悪いほどの筆づかいで、読者の物笑いになるように書いているのは、末摘花と近江の君、それに色好みの老女源の典侍である。この三人の共通点は宮廷や、貴族社会の通念や、日常性の調和を破る点である。何より美と調和が重んじられた当時の社会に於て、どんな意味にしろ、不協和音を立てる者は許されず非難の的とされた。
 源の典侍は年齢に似合わない好色という点で。末摘花は、正視しがたいほどの醜い容貌、特に象のように長い鼻とその先が赤いということ、それに度外れの世間知らずの非常識という点で。そして近江の君は、身分の低さと無智と、身の程をわきまえない点で、人々の顰蹙を買い、嘲弄を招くのであった。


何にしても、読書や映画で私は「ユーモアのセンス」に惹かれる事が多いのですが、容貌などをこけにする紫式部のユーモアは、私には趣味が良いとは思えず、あまりの意地悪な饒舌な筆に、笑わせる場面なのでしょうけど、笑えませんでした。
なので、瀬戸内さんの以下の文には拍手ものでした。

 それにしても末摘花も近江の君も、作者の筆が辛辣になればなるほど、あわれを感じ、笑いがふっと凍りつくような気分にもなる。それはこの人物たちに、全く悪意がなく、善良だからであろう。
 少なくとも末摘花と近江の君は、一途さに於て、非常識なほど真面目で真剣だという点に於て共通している。しかしそれは観点を変えれば、人間の美点でもあるのだ。


巻五の中で、鬚黒がいそいそと玉鬘の君に会いに行こうとする時、物の怪に取り憑かれた北の方 (第一夫人) が灰をかぶせちゃうシーンがあります。
ここは大笑いでした。とても印象に残るユーモア溢れるシーンで大好きです。こういうユーモアは良いですね。



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『フェルメール全点踏破の旅』その1 2008.2.17

サリィ斉藤さんがご紹介されていて読みたくなり、買って読んだ本です。
『源氏物語』の合間に読んだのですが、図書館に借りている『源氏物語』の感想を優先して書いていたら、読んでからだいぶ日数が経ってしまい、付箋はいっぱい貼ってあるものの、何を書こうとしていたのやら状態でして。(^^;)

フェルメールが日本人に愛される理由として、絵の大部分は宗教画ではない事が、近づきやすいものにしている点をあげられているのには、にゃるほど、と思いました。
しかし、フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展を観に行って思いましたが、この頃のオランダ絵画が、そういうものだったのではないか、とも思います。

また、寓意を読み解くような絵も少ない・・・と思っていたら、それが!
ってな事が書かれているのですが、そういう点なども、読んでいて、にゃるほど~~な所が多く、おもしろかったです。

ところで、宗教に関しては、こんな事情があったようです。以下引用。

 私はベルリンで《真珠の首飾り》の前に立ち、改めて彼女の言葉を反芻しながら、当時のオランダの状況を思い出してみた。プロテスタントは聖像の制作を禁じており、十六世紀から十七世紀のオランダでは宗教画は下火となった。したがって、オランダ画家は宗教ではなく日常生活を題材にした絵を描くようになり、フェルメールもそういった時代の流れに従った。

フェルメールの絵『恋文』は、過去に盗難事件にあっているんですね。
1990年にボトスンのガードナー美術館で起こった史上最大の美術品盗難事件。これが政治に関係した事件でして、犯人はオランダとベルギー政府に対し、「東パキスタン難民に二億ベルギー・フランの義捐金を支払わなければ、フェルメールの絵を破戒する」と通告したとか。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル!!!!!
この事件のことを、同著者が本に書いています。こちらも読んでみたい~~



また長くなってしまいました。次回に続きます。

フェルメール「真珠の首飾りの少女」【美の巨人たち】
フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展 その1
フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展 その2
フェルメール つきぬ魔法の秘密 ~ 「牛乳を注ぐ女」~ 新日曜美術館



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源氏物語 巻五 其の二 2008.2.16

玉鬘への求婚譚が、いよいよ本格的に展開していくのでありますが、その結果のなんとむごいこと・・・。これが平安時代の女性の宿命なのでしょうか。

この求婚譚の中、実に美しい「蛍」のシーンがとても印象的です。
「源氏のしおり」より引用しますが、

 源氏はまるで母親のように気をつかって、宮を迎えるあらゆる支度の指図をした上、夕方からひそかに集めて薄絹に包んでかくしていた蛍を、暗くなってから、いきなり、玉鬘のいるそばの几帳の一枚を上げ、さっと放った。
 玉鬘は何が起ったかわからず、あわてて扇でむ顔をかくすが、兵部卿の宮はおびただしい蛍の光の飛びかう中に見てしまった玉鬘の横顔の美しさに魂を奪われてしまった。


巻末の「語句解釈」には以下のようにあります。

 魂の象徴。また、恋の情念の炎の象徴。蛍の光で女の姿を見る、という場面設定は、『伊勢物語』三十九段の源至の話や、『宇津保物語』初秋の巻などに、すでにある。

源氏物語には、時々このような幻想的な美しい場面が登場します。こういう所を読むと、これはお伽話なのだから、この世のものとも思えない、そら恐ろしいほどの、おっさんが見て涙するほどに美しい男が登場しても、良いのだろうな、と思います。

こういう壮大な物語なので、あちこちでネタバレしても許されるかと思い、いろいろとネタバレしてますが、
巻五では、明石の君の娘、明石の姫君の入内の話もあり、姫君の後見役として、漸く親子が一緒に暮らす事が出来るようになります。
結婚により離れるのが親子の常ですが、ここでは反対なんですね。
しかし、そんな娘の晴の儀式に、人々の取り沙汰を気にした源氏のせいで、親だというのに出席出来ないんです。

巻五 其の三に続きます。




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源氏物語 巻五 其の一 2008.2.14

巻四に引き続き、ロリコンスケベぶりを発揮する光源氏。
物語を読む玉鬘の姫君に言うセリフは、なかなかおもしろいです。

「一体物語には、誰それの身の上といって、ありのままに書くことはない。それでもいい事も悪い事も、この世に生きている人の有り様の、見ても見飽きず、聞いても聞き捨てに出来なくて、後世にも言い伝えさせたい事柄を、あれやこれや、自分の胸ひとつにおさめておけなくなり、書き残したのが物語の始まりなのです。作中の人物をよく言おうとするあまり、よいことばかりを選びだして書き、読者の要求に従って、めったに世間にありそうもない悪い話をたくさん書き集めたのは、みな善悪それぞれの方面に関したことも、この世間に実際にないことではないのですよ。
 唐土の物語は、その書き方がわが国とは違っているし、また日本のものでも、昔と今では変わっているでしょう。書き方に深さ、浅さの差はあるだろうが、物語をまったくの作り話で嘘だと言い切っているでしょう。書き方に深さ、浅さの差はあるだろうが、物語をまったくの作り話で嘘だとは言い切ってしまうのも、物語の本質を間違えてしまいます。
 み仏が、尊いお心からお説きになっておかれたお経にも方便というものがあって、悟りを得ていない者は、経文のあちこちで教えが違い、矛盾しているではないかという疑問をきっと抱くことでしょう。方便の説は方等経の中に多いけれど、詮じつめていけば、結局は同じ一つの趣旨によっているので、悟りと迷いの差とは、この物語の中の人物の善人と悪人との差ぐらいの違いです。善意に解釈すれば、すべて何事も無駄なものはなくなってしまいますよ」


しかし、おあとのセリフがいけましぇん。

「ところで、こうした古い昔の物語の中にも、わたしのような誠実なくせに、女に相手にされない愚か者の話はありますか。ひどく世間離れのした人情味に乏しい何かの物語の姫君でも、あなたのように冷たくて、そらとぼけている人は、またとないでしょう。さあ、では、いよいよわたしたちの中を世にも珍しい物語に書いて、後世に伝えさせましょう」

瀬戸内寂聴さんの解説「源氏のしおり」に、この源氏の物語論 (文学論) を、虚構と見せかけた小説の方が、事実を書いたという歴史書よりも人生の真実を書いているという意見である。と説明されており、そして、それは作者紫式部の文学論と思っていいだろう。と書かれています。

巻五 其の二に続きます。




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源氏物語 巻四 其の二 2008.2.12

引き続き「薄雲」の章では、自分と関係のあった人の子供にまで恋心を抱くロリコンスケベ男ぶりを多いに発揮しています。
そして、当然突っぱねられる訳ですが、それに対して、こんな憎まれ口をたたくんですよ。

「情けないまでにすっかりわたしをお嫌いになられたものですね。ほんとうに思慮の深い方は、そんな冷たい態度はなさらないものですよ。」

さらには、あの夕顔の娘にまで!
さらにさらに凄いいやらしいスケベぶりを発揮していて笑えます。
養父なんですよ?養父に言い寄られて、なんと可哀想な玉鬘の姫君。
はっきし言って、きもすぎ!!でした。

その前の「朝顔」の章では、朝顔の君にふられつづけて、いい気味です。
解説「源氏のしおり」では、以下のように書かれています。

 朝顔の姫君は、源氏に唯一、失恋を味わわせた誇り高い女として、存在価値を光らせている。

しかし、こうまで靡かない女にしつこく言い寄るって・・・って思いますよね。これはハンター的性質のせいなのですね。まあ、落としたらそれで終わり、とはならない所が、あらゆるハンター的プレイボーイとは違うのですが。以下引用です。

 源氏の君はそうむやみに苛立っていらっしゃるわけでもないのですが、朝顔の姫君の薄情な御態度が口惜しいので、このまま引き下がってしまうのもいまいましいと思っていらっしゃいます。
 また一つには、源氏の君は、御人品といい、御声望といい申し分なく、物事の分別もよくわきまえておいでの上、世間の人情の細かい襞にも精通していられて、お若い頃よりはずっと経験を摘まれたと御自身もお考えです。それだけに今更の浮気沙汰は、世間の非難も憚られるのでした。しかしまた、
「この恋が成就しなければ、いよいよ世間の物笑いの種になるだろう、いったいどうしたものか」
とお心が乱れるばかりでした。


御人品といい・・・・の所、どこがじゃあ!!




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源氏物語 巻四 其の一 2008.2.10

ココで、偏屈オヤジ入道が好きだと書きましたが、周りの幸せを思って自分独り残って余生を過ごすなど、なかなか出来ることではありません。私はこの人には大変心打たれたのですが、そんな入道へのこの悪口は許せませんっっ!う~~~っ!!

「ただ世間並みの受領の娘と思われるだけで、目立たないでいたとしたら、こうした身分違いの縁組みも世間にまんざら例のないことでもないと見過されもするだろうが、世にも稀なあの偏屈者の父入道の評判などが、全く困ったものだ。この人の人柄などは、これで結構なのに」

ネタバレしますが (ってか今迄も時々していてスミマセン) さらに苛酷な運命が明石の君には待っていたのでありまして、子供を引き離され、紫の上のもとで育てられることになります。
この家族の気の毒さと言ったら!!
そして、瀬戸内さんが、解説「源氏のしおり」でズバリと書いています。

こういうむごいことをあえてする源氏の心の内は、姫君の将来の幸福というより、自分の地位や権力の安定を望んでいる男の野心と利己心である。

そんな惨い目に会わされた明石の君に対してのこの言い様はなんなんだ、と・・・。

 大堰の山里の明石の君も、どうしているかと絶えずお気にかけていらっしゃいますが、ますます御不自由さを増す今の御身分では、大堰へのお出かけは、なかなか難しいのでした。
「あちらでは自分との仲を味気なく情けないものと思いこんでいるようだが、どうしてそうまで思いつめることがあろうか、気軽に京に出て来て、ありふれた暮しはしたくないと思っているらしいが、それは思い上がりというものだ」


そんな源氏にも呆れますが、「薄雲」の章には、とんでもない呆れた坊さんも登場しまして、坊さんとしても人間としても信じられん!って感じでした。

巻四其の二に続きます。




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源氏物語 巻三 其の二 2008.2.8

巻二の感想でも書いた、源氏の嫌な所です。

花散里の君にも、もう一度逢っておかなければ、薄情だと恨まれそうなのでお気にかかるので、その夜はまたお出かけになるのでしたが、何ともいえないほど気が重くて、すっかり夜も更けきってからいらっしゃいました。

これってどおよ?と・・・。
読み進むごとに、嫌い度が増す光源氏ですが、一度かかわった女性には、決して忘れることなく面倒を見る所だけは、感心します。
1人の女性でさえ、放置する男が多いですから!
それだけ時間もあるのでしょうけど、実にマメではありますね。
私の友人で、それほどルックスが良いわけでもないけど (失礼) モテる男がおりまして、「男はマメに限るよ」と言っていた事がありました。(笑) 皆さん、頑張りましょう。(≧▽≦)

「蓬生」の章で、あの赤鼻の末摘花の君が再登場となるのですが、不細工の汚名挽回のごとく、実に実に立派な振る舞いをします。紫式部も、あまりのけなしように、償いをしたのでしょうか。
そして、この章や、源氏須磨落ちの所などでは、現代にも通じる、多くの人間の姿が描かれています。
落ちぶれると、さっさと離れていき、エラくなるとたちまち手のひらを返したように、こびる人々が。




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源氏物語 巻三 其の一 2008.2.6

源氏26歳の時、弘徽殿の大后の怒りを買い、流罪になる前に自分から須磨に都落ちをします。
何度も「身に憶えのない罪」と自分で言っているのには???でした。不倫の現場を抑えられたからでしょー!と・・・。*←ぢゃなかったようです(汗) nade-shikoさんのコメントを。→「不倫の罪でなく、帝の寵妃をたぶらかして「謀反」を企てたという疑いです。」
そして、須磨に近い明石に行くことになるのですが、明石在中の入道という変わり者が登場します。
私、こういう嫌われ者キャラに、とっっても親近感がわいてしまふんです。この偏屈オヤジがたちまち好きになってしまいました。
この入道、散々な悪口の書かれようでしたが、実に立派な人なんです。読み進むうちに、その人間性に心打たれます。
その娘、明石の君&この家族の運命の何と苛酷なこと!元々は入道が望んだこととは言え、あまりに可哀想でした。「松風」の章なんて、ほんっっとに可哀想で、入道がますます好きになります。

それにしても、紫の上に浮気を自分から告白するのには、呆れました。
この男、表面的な事にはいろいろと気が利くけど、実際は頭がカラッポだとは言い過ぎでしょうか。
何1つ自分は心の負担を背負う事なく、常に相手を苦しめる事で楽をしていると思うのですが。以下引用です。

「そういえば、ほんとうに我ながら心にもないつまらない浮気をしては、あなたに嫌われた時々のことを思い出すだけでも、胸が痛むのに、またしても不思議なはかない夢を見てしまいました。でもこんなふうに訊かれもしないのに、正直に告白するわたしの包み隠しをしない気持をどうかお察し下さい。あなたと誓ったことは忘れません」

源氏と明石の君とのやりとりの歌が、大変美しいと思ったので、引用します。

  契りしにかはらぬ琴の調べにて
       絶えぬ心のほどは知りきや

「あの時約束したとおりに
今も変わらぬこの琴の調べで
あなたを思いつづけてきた
わたしの心の深さを
分ってくれたでしょうか」

 とお読みになりますと、女君は、

  変らじと契りしことを頼みにて
       松のひびきに音を添へしかな

「心変わりはせぬという
お約束言を頼りにして
あれからずっと
松風の音に泣き声を添えて
待ち暮してきたことでした」


それから、色っぽい表現に思わず引用。

 明石の君はなまじ久しぶりの逢瀬に、身も心もかき乱され尽くして、死んだようになっていましたので、すぐには起き上がることも出来ません。

巻三其の二に続きます。




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源氏物語 巻二 其の二 2008.2.3

光源氏の美しさと言ったら、とんでもない程だそうで、「そら恐ろしいほどの」「この世のものとも思えない」なんて表現がよく出てきます。以下引用。

羅 (うすもの) の直衣に、単衣を召していらっしゃるので、お召物から透けて見えるお肌の色が、ましてとりわけ美しく見えるのを、年とった博士たちなどが、遠くから涙を落としながら拝見しています。

おっさんたちまでもが泣くほどの美しさとは、いったいどんなものなのでしょうか。
しかし、平安時代の美男ですから、この前の日曜美術館の平安時代の絵を見ながら、光源氏だってどーせこんな顔でしょ?なんて言って爆笑してたんですが。(笑) これが泣くほどの美しい男の姿ですか。
巻二の「源氏のしおり」の「恋愛の手順」「結婚」は、実におもしろく、全文引用したいくらいなのですが、顔も知らずに惚れ込むというのも、当たり前の事だったのでしょうか。こんな文があります。

 女たちは、女房たちの功名な口コミ作戦によって、うちの姫君は器量が抜群だとか、才芸に秀でているとか、宣伝する。その噂によって、貴公子たちは、まず恋文を届ける。恋文は和歌と決っている。女房たちが、紙の趣味や、文字の巧拙や歌の出来ばえから、男の値打ちを判断する。

「末摘花」の所で、源氏がさかんに恋文を送ったものの、シャイな末摘花は返歌をなかなかせず、いざ姿を見たら、とんでもなく不細工だった!なんて話に、顔も見ずに、よく恋をするものだなあ、と思ったのですが、そんな事も当たり前の事だったのでしょうか。
それで捨ててしまわずに、恋文を継続する所は、エライんだか何だか・・・。
源氏の次の歌には、私も共感でした。

  言わぬをも言ふにまさると知りながら
       おしこめたるは苦しかりけり

「言わぬは言うにもまさり
思いはまさると知りつつも
あまりなあなたの沈黙は
やはり苦しくて
たまらない」


沈黙とは最大の武器なのかも知れません。




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Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
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