源氏物語 巻八~巻九 其の一 2008.2.28
◆宇治でうじうじ宇治十帖◆
源氏死後の話が宇治十帖と言って、薫、匂宮が中心になっていきます。
この巻八、九が、もうず~~っと、うじうじうだうだやってるんですよ。
薫と大君と中の君とで、もう繰り返し繰り返し、うじうじうじうじ。
その姉妹の父親八の宮家族の話が、その前に出てきますが、以下引用です。
北の方も昔の姫君でしたが、今の境遇がつくづく心細く情けなくて、御両親が行く末は后の位にもと描いていられた夢などを思い出されますと、たとえようもなく辛いことが多いのでした。それでも御夫婦の愛情が、この上もなくしっくりして、睦まじいことだけを、幸いこの世の慰めとして、お互いにこの上なく頼りにし合っていらっしゃいました。
世間の目だの身分だのが何だって言うんだ!と、あちこちで思ってしまふのですが、位がどんなに高くても愛のない暮しよりも、よっぽど幸せじゃないかと、これこそが幸せじゃないかと、私は思うのですが、甘いのでしょうか?
八の宮が亡くなってからは、薫の大君への恋、匂宮の中の君への恋、皆でうじうじうだうだ延々とやってます。匂宮だけは、うじうじした性格ではなく、大変積極的なのですが。この人は源氏にいちばん似た感じです。
しかし、源氏の場合、異常な多情であるのですが、だからと言って、格別モテる訳でもなかったと思うのです。しつこくしつこ~~~く言い寄って、やっとやっと思いを遂げたり、遂げられなかったり。
その点、匂宮は、なかなかのモテぶりではないかと。
しかし、中の君への思いは、かなり真面目です。自分も惹かれたのだし、幸せな思いを噛み締めても良いんでないかと思うんですが・・・、後々の事まで考えて、あーだこーだと悩むのは、やはり暇人だからしかたがないのでしょうか。もうほんっっとにそんなの時間の無駄!と私なんぞは思ってしまふのですが。以下引用です。
「それでも姉君がこんなにお心にかけて下さり、いろいろ言い訳なさるのは、わたしのことが心配で、不幸にならぬようにとお考え下さってのことだろう。けれどもこの先匂宮に捨てられて、人の物笑いになるようなみっともないことになり、また姉君に御面倒をおかけするようになったら、どんなに辛いだろう」
などと、あれこれ思いあぐねていらっしゃいます。
もうひとつ。
今はこんなに並々でなく思える愛情だって、結婚した後になれば、おそらく自分も相手もそれほどでもなくなりお互いに気持が薄らぎ、幻滅するなら、どんなに不安で情けない思いがするだろう。
そうなってから悩めば良いんでねーの? という記述が多かったです。巻九でも・・・
・・・と字数制限が気になるので (かなりキビシーと思うのですが。字数制限。) 次回につづきます。
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