ずいぶ~~~ん前に購入してあったこの本。『罪と罰』を再読したら読もうと思っていたので、なかなか読めずにいました。
いやはや凄い凄い。もっと早く読めば良かった~~と後悔しきりでした。
日本語訳で読んでいたのでは絶対にわからない事を沢山教えてくれていますし、とんでもない細かい仕掛けに、ドストエフスキーにも、謎解きをした江川卓 (元野球選手ぢゃありましぇん。ロシア文学者の「えがわたく」ですから~) にもブッたまげました。あまりに細かくて読むのがしんどくなった事も事実ですが。(^^;) 数字の細かさなんて凄いのなんのって。ほんまかいな、ってのも結構あるんですが・・・。
紹介文替わりに本文より引用です。
この「謎」は、たとえば、なぜこの小説は「罪と罰」と題されているのか? どうしてこの小説は「全六編+エピローグ」の構成になっているのか? 主人公の名前がラスコーリニコフで、女主人公の「聖なる娼婦」がソーニャと命名されているのはなぜか? といったあたりにまでかかわる。しかもこの種の「謎」が、小説の筋の運び、空間的、時間的作品舞台、章建て、文体、言葉の隅々にまで張りめぐらされていて、それを発見すること自体が、すでに想像力の異常な飛翔を要求される一大事業なのである。ましてや、それらの「謎」をすべて読み解くためには、ドストエフスキー自身になり変るしか手がないとさえ思われる。
この本での私の『罪と罰』謎ときの試みは、天才ドストエフスキーが仕掛けた「謎」のごく一部分にしか及んでいないだろう。見当はずれもだいぶあるにちがいない。故人ドストエフスキーは、アレクサンドル・ネフスキー寺院の墓所の奥深くで、百二十年もかかってせいぜいその程度かいと、ぺろりと赤い舌を出しているかもしれない。もうひとつ。
少くとも私は、小林秀雄が「『罪と罰』について」の中でもらした次の言葉を逆説的な教訓として受けとめたいと思う。
「ドストエフスキイの翻訳にかけては、吾が国は、恐らく世界一である。といふ事は、ドストエフスキイにからかはれてゐる事にかけても世界一だといふ事になるかも知れない」ドストエフスキーが、名前でふざけている事は知っていたのですが、登場人物1人1人の名前に、ことごとく意味があるのは知らんかったです。
江川さんは、名前も翻訳して書いているので、あの金貸しばーさんは「お光さん (おみつさん)」とこの本を読んでからはインプットされてしまいました。(笑)
どの作品も、聖書と深い関わりがあるように思うのですが、ぬわんとっ!ラスコーリニコフが666だとは!詳しくは本読んでくださいませ。
ヨハネの黙示録は好きで何度か読んでいるのですが、聖書も1度きちんと読み直そうと思って、少し前に読み始めたものの、速攻挫折したままになってるんですが(^^;)、やはり読まねばと思うし、再読したい本も、まだ読んでないドストエフスキー作品もありますし、ドストエフスキーに関わると大変です。ま、それが楽しいんですが。
聖書、ギリシャ神話、ロシアのフォークロアと幅広く、しかも深く網羅して、ドスト小説に関連づけている江川卓、凄すぎ。
そして、異端宗教も出てきます。ラスコーリニコフと分離派の関連とか。
その分離派の分派の去勢派 (スコプツィ) って言うおそろし~~のも出てくるんですが、これは
澁澤龍彦『秘密結社の手帖』その2で言及しているので、是非是非読んでみてくださいませ。(心臓の弱い方はお気をつけて)
長くなりましたので、次回へ続きます。
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