埴谷雄高『ドストエフスキイ その生涯と作品』その3 2008.7.31



『罪と罰』の意図について、ドストエフスキーは「ロシア報知」のカトコフ宛てに書いています。
これまた全文引用したいくらいなのですが、一部を。
なおそのほか、小生の小説には、次のような思想の暗示があります。法律によって課せられる刑罰が犯人を威嚇する度あいは、立法者が考えているより遙かに弱いものであって、その理由の幾分は犯人自身が精神的に罰を要求するからです。」
作者の意図がこのように、完全に実現した例は少いといえましょう。と埴谷さんは書かれていますが、全くです。
しかし、最近の犯罪は、こういう部分が欠如している気が・・・。
また、『白痴』の章では、以下のように書かれています。
ドストエフスキイの小説は、殊に『罪と罰』以後そうでありますが、或る事件がすでにはじまっている真っただなかに主人公が登場すると、息もつけぬほどひきつづいて事件が起ってゆくといった時と場所と人物の驚くべき集中性を特徴としてもっております。そこにあるのは文学的時間というべきもので、とうてい一日で起らないようなことが一日で起り、数分間のこともさながら数時間に匹敵する長い頁数にわたって書かれております。
いやはや、実に適確です。だから最初はかったるくても、ある程度まで読み進むと、すんごい勢いでガーーーッと読めてしまう所があります。(『悪霊』なんかそうだった記憶が。)
◆悪霊◆
同じくカトコフ宛てに『悪霊』の詳細についても手紙を書かれています。また『作家の日記』には、以下のように書かれているそうです。
私はあの小説『悪霊』の中で、この上もなく純潔な心を持った、きわめて正直善良な人々でさえも、かような身の毛もよだつ悪霊のなかに巻き込まれて行く、その多種多様をきわめた動機を描き出そうと試みたのである。」
オウムを思い出すなあ。
悪霊(上巻)改版
悪霊(下巻)改版
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