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亀山訳『カラマーゾフの兄弟』5巻 その3 2008.8.29

◆「ドストエフスキーの生涯」「解題」◆ その2

この人よほど「ほかでもない」が好きみたいで、「ドストエフスキーの生涯」「解題」でも出てきて笑いました。

 そして今日、何人かの研究者によって、『カラマーゾフの兄弟』のフィナーレで、アリョーシャが十二人の子どもたちと唱和する美しい場面が、ほかでもない、このフョードル哲学へのオマージュであるとする見方が提示されている。

農奴解放が産み落としたのは他でもない、農奴の「貧困への解放」であり、都市と農村の顔は根本からゆがみはじめていたのである。

ともあれ、この小説での「傲慢」の罪のもっとも恐ろしい体現者とは、ほかでもない、「謎の訪問客」である。

傲慢を捨てる道は、ほかでもない、自然にみずからの肉体をさらすということではないだろうか。


前回はちょっと褒めましたが、↑こーゆークセは、まあ気にならない人は気にならないとは思いますし、使い方さえ間違えなきゃ良いのだろうけど、どーも、偏った見方っつーか・・・、背景などを伝えてくれる所は有り難いですが、この人独自の見方が書かれていると「そうか、にゃるほど!」と思えるものが、正直言ってないんですよね。
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 そっかな・・・と違和感ばかりが残る訳でありまして。
イワン好きとしては、この人のイワンに対する見方も、はっきし言って気に入らないです。以下引用。

 ドストエフスキーの大いなる犯罪者たち、ラスコーリニコフ、イワン・カラマーゾフすら

ラスコーリニコフは犯罪者だけど、イワンが何したってゆーんだよ~~!
殺したいと思っただけで、犯罪者にされちゃたまりません。
上のは「ドストエフスキーの生涯」から引用しましたが、「解題」では、アリョーシャがイワンに言うセリフ「父を殺したのは、あなたじゃないってことだけです」に関して、こんな事が書かれています。

 兄弟同士の信頼関係のなかで、あたりまえの「事実」をめぐってのどこか思わせぶりな言い方は、かなり違和感を与え、端的にいって、居心地がわるい。ここには、父を殺したのは「あなたかもしれない」「あなたである」と言っているのと同じぐらいの意味が、その曖昧さのなかに隠されているということだ。

なんで~~?ってか、あなたのそういう考え方のほうが、すっごい違和感だし、居心地がわるいんですけど~~。どーですか、みなさん。アリョーシャは「あなたではない」ってはっきり言っているんですぜ。
「大審問官」のところでのアリョーシャのキスのシーンだって、「実地で盗作と来たか!」と叫ぶイワンが、このキスがアリョーシャの「承認」を意味したと感じたって、違うと思うんですけど。

長くなりました。まだ続きます。(^^;)

    

  

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亀山訳『カラマーゾフの兄弟』5巻 その2 2008.8.28

◆「ドストエフスキーの生涯」「解題」◆ その1
亀山郁男さんって人は、博識ぶりは大した物だと思います。これは素直に認めます。この「ドストエフスキーの生涯」も、なかなか興味深いものでありました。
シラーの『群衆』と『スペインの王子ドン・カルロス』は絶対読まねばと思いましたし。以下引用です。

『カラマーゾフの兄弟』とシラーの関連で見逃しがたいのは、『群衆』とともに『スペインの王子ドン・カルロス』である。この作品もまた、ドストエフスキーの文学に大きく影響したと見られる。―中略―
 とくに父殺しのテーマで問題となるのは、イワンの「大審問官」の章とのかかわりである。このイワンの「物語詩」の成立にこの『ドン・カルロス』が意識されていたことは、十六世紀スペインという舞台設定もさることながら、登場する宗教裁判長の描写が、驚くほど大審問官に似ていることが挙げられる。


それから、こちらは「解題」に出ていたんですが、引用です。

(映画では、この『カラマーゾフの兄弟』を明らかになぞるレイモンド・チャンドラー脚本のヒッチコック映画『見知らぬ乗客』が大いに参考になる)。

  

そうだっけ?とオモたんだけど、もしかして観てないかも・・・。
『間違えられた男』とか『知りすぎた男』とか、いろいろごっちゃになっちゃって。(汗汗)
『悪霊』のスタヴローギンのモデルも興味ありですねぇ。

 ペトラシェフスキー会でのスペシネフの発言は過激なもので、神の存在を否定し、秘密印刷所の設置をとなえ、武装蜂起をめざす秘密結社の設立をくわだてるなど、穏健なドストエフスキーを驚嘆させた。のちに『悪霊』の主人公スタヴローギンのモデルとなるこの人物について、ドストエフスキーは、はじめ注意深く距離をおいていたが、やがてその悪魔的な魅力に屈し、「ぼくのメフィストフェレス」とまで呼ぶことになった。

『悪霊』は、この小説の背景をいろいろ勉強してみてから再読してみたいと前々から思っていたのですが、こういう政治的なものはどーも得意分野でなく、サイトを見るだけでも眠気が襲って来る始末だったりする訳でして・・・(^^;)
しかし、このスペシネフって人は気になります。
どーせなら、亀山さんで良いから (をい)、『悪霊』の背景をテレビでわかりやすく詳しくやってくんないかしらん。

    

  

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亀山訳『カラマーゾフの兄弟』5巻 その1 2008.8.27



この本、365ページあるのですが、小説はわずか63ページで終ってまして、その後は「ドストエフスキーの生涯」「年譜」「解題「父」を「殺した」のはだれか」「訳者あとがき」からなっていました。
ずっと図書館で借りて読んでいるのですが、この本はたまたま第11刷だったので、おそらく誤訳は訂正されてるのでしょう。
しかし、4巻に引き続き「ほかでもない」乱発には苦笑でしたが、もういちいち引用しません。
そんな中、これだけは、ちと気になりました。引用です。

だから彼は、カテリーナのひどく傲慢な心が、痛みとともにその傲慢さをうちほろぼし、悲しみでくずおれるほどひどい苦しみにさらされていることを感じた。

う~~ん、私の読解力がないの?「傲慢な心」が「傲慢さ」をうちほろぼすって、わからんよ~~。
毎度毎度面倒だと思いつつ、しょうがないから、また原卓也訳で探してみたですよ。以下原訳より引用です。

彼は、今の彼女がまさしく、このうえなく傲慢な心でさえ苦痛とともに自己の傲慢さを粉砕し、悲しみに打ち負かされて倒れるほどの、堪えきれぬ苦痛にとらえられていることを感じた。

こちらもちとわかりにくいよーな。
次回へ続きます。

その他ドストエフスキーに関してはこちらから~

    

  

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『失われた時を求めて2 第一篇 スワン家の方へ?』その6 2008.8.26

フェルメールを研究しているスワンですが、以下の文で終わりにします。

スワンは、ニコラス・マースの作品として、ゴールドシュミットの売立てでマウリツハイス美術館が買った『ディアナの化粧』が、実はフェルメールのものであると確信していた。

訳注も引用しておきましょう。

ハーグにあるマウリツハイス美術館は、一八七六年五月四日にパリで行われた売り立てのさいに、ニコラス・マース作としてこの絵を購入した。これがフェルメール作と認められるのは一九〇七年のことである。

その『ディアナの化粧』とは、おそらく『ダイアナとニンフたち』ですよね。ぬわんとっっ、私4月にハーグで観てきたのでありまして、こちらに感想UPしてます。
この本↓もう1度見てみよっかなー。





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『失われた時を求めて2 第一篇 スワン家の方へ?』その5 2008.8.24

おもしろい表現だと思ったものを引用します。

スワンはまるで、道で出会ってすっかり惹きつけられてしまった女、もう二度とめぐり会えないだろうとあきらめていた女に、親しくしているサロンで不意に顔を合わせたような思いだった。とうとうしまいにその女は、先導するように、すばやく、よい香りをあたりにただよわせながら、スワンの顔にその微笑の反映を残して遠ざかった。けれども今やスワンは、この未知の女の名前をたずねることができたのである。(それはヴァントゥイユの『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ』のなかのアンダンテの部分だということだった)

ヴァントゥイユのソナタは、この小説で重要な役割りを果たしているのですが、音楽をこのように表現するのは、おもしろいと思いました。
しかし、この素晴らしい (であろう) 曲が、全くその良さがわからないオデットとの恋の曲になってしまったところは、なんとも皮肉というか・・・。
音楽に関して、次の文も素敵でした。

彼は、ピアノの思い出そのものが、音楽にかんするものの見方をゆがめていることも、また、音楽家に対して開かれている領域は、あのけちくさい七つの音の鍵盤ではなくて、まだほとんど何も知られていない無際限の鍵盤であることも分かっていた。その鍵盤ではわずかにあちこちに、鍵盤を構成する愛情、情熱、勇気、平静といった幾百万のキーのうちのいくつかが、未踏の厚い闇によって互いに隔てられており、その各々は、一つの宇宙が他の宇宙と異なるように他のキーと異なっている。それらのキーを発見したのは何人かの偉大な作曲家たちで、彼らは自分たちの見出したテーマに対応するものを私たちのうちに目ざめさせながら、こちらの知らぬうちに、私たちが空虚であり虚無であると見なしている自分の魂の、かつて足を踏み入れたことのない絶望的なる大いなる夜が、どんな富、どんな変化を隠しているかを示してくれる。

次回、この巻最終回につづきます。



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『失われた時を求めて2 第一篇 スワン家の方へ?』その4 2008.8.22

オデットの嘘について、これまた実に、そうそう!わかる~~だったので、ちと長いですが、引用します。

一時間後に彼はまた戻ってきた。彼女は家にいた。そして、さっき彼が呼鈴を鳴らしたときは家にいたが、眠っていたのだ、と言う。呼鈴の音に目をさましたオデットは、スワンだろうと感づいてすぐに駆けていったが、彼はもう帰ってしまったあとだった。そして彼女は、窓ガラスを叩いた音もちゃんと聞いていたそうだ。スワンはただちにこのような言い分のなかに、正確な事実の切れ端があるのを認めた。それは、嘘をついている人たちが不意をつかれたときに、気休めに彼らの捏造する嘘の事実のなかにはいりこませ、それによっていかにも、〈真実〉らしく見せかけたつもりになるあの事実の断片である。なるほどオデットは、何か人に明かしたくないことをやったとき、それを自分の奥の方にしまいこむ。けれども彼女が嘘をつこうとしている相手の前に出ると、混乱に襲われ、考えていたことはみながらがらと崩れて、捏造と推理の才能は麻痺してしまう。いくら探っても頭のなかは空っぽであり、それにもかかわらず何か言わねばならない。そのとき彼女は、その手の届くところにあるまさしく彼女が隠しておきたいと思った当のもの、しかも真実である故にたった一つそこに残っていたものにぶつかるのだ。彼女はそこから、それ自身はたいした意味のない小さな断片を一つとり上げ、そして、これは結局のところ本当のことで、嘘の話のような危険は少ないはずなのだから、この方がいいのだと考える。「少なくとも、これだけは本当なのだわ」と彼女は自分に言いきかせる、「だとすれば、損のあるはずがない。あの人が調べてみたっていい。これが本当だと分かるだけだもの。だからこれは絶対に、わたしを裏切るわけがないのだ」。ところが彼女はまちがえている。それが彼女を裏切るのだ。このような真実の一部は、その部分を彼女が勝手にぬき出してきた本当の事実の、これに接続する部分にしかはまらない角を持っており、それは、彼女がこの本当の事実を、どのようなでっち上げの事実のあいだにはめこもうとも、常にはみ出したり隙間が埋められなかったりして、このでっち上げの事実のあいだから出てきたものではないことを示すのである。そのことが彼女には分からない。「彼女は、私が呼鈴を鳴らし、それから窓を叩いたのが、聞こえたと白状している。またそれが私だと思い、会いたかったと言っている」とスワンは考えた、「だがそのことは、彼女がドアを開けさせなかったという事実と辻褄があわない」

そして、スワンはこの矛盾をオデットに指摘せず、さらにしゃべらせつづけます。

なぜなら、このまま放っておけばおそらくオデットはさらに何か嘘をつき、その嘘が事実のかすかな手がかりになるだろうと考えたからだ。

嘘つきは多弁です。例えばワイドショーで犯人がしゃべりまくってる図、というのは、結構見ますよね。



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『失われた時を求めて2 第一篇 スワン家の方へ?』その3 2008.8.20

「スワンの恋」を読んで、一般的な恋愛、或いは自分の恋愛について、つらつらといろんな事を思ったのですが、巻末の工藤庸子さんによる「それぞれのプルースト」で紹介されている、もっとずっと先の第七篇『見出された時』?の文は、まさに、そんな自分だ!と思いました。以下引用です。

私の本、それによって私は彼らに、自分自身のことを読む手段を提供するだろう。

スワンとオデットは、果たしてオデットがスワンを愛した時期があるのだろうか、スワンの感情も、これは愛なのだろうか、ってな事も思ったわけですが、最初にスワンを気に入ったのはオデットの方で、スワンはオデットのことを全く良いと思わなかったんです。「俺の趣味でない女」だった訳ですし。
その愛情の度合いが逆転していく様子を読んでいて、2人の恋愛の愛情の度合いというのは、片方が強くなる分、片方が弱まるという恋愛の法則みたいなものがあるのではないか、なんて事も思ったのでした。
とは言え、この2人の場合は、オデットがスワンに強く恋いこがれたとは言いがたく、スワンが恋されてると思っていた期間にも、実はいろいろあった事がだんだん明るみに出る訳ですが。
そんな過程での以下の文はなかなか鋭いと思いました。

ふしだらな人間、人前では自分の悪徳を気づかれたくないのでいつも同じように品行方正を装う人間は、その悪徳がたえず肥大していることも分からなくなって、そのためにどれほど自分が少しずつ正常な暮らしから逸脱していきつつあるかを理解する力も失ってしまう。

その4につづきます。




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『失われた時を求めて2 第一篇 スワン家の方へ?』その2 2008.8.18


失われた時を求めて(2(第1篇))

こちらから続きまして、
とは言っても、これはキッパリ別れた方が、スワンにふさわしい良い人がいるはずなのに~~なんて思ってしまいます。もったいない~~とか。
これは、スワン本人も頭ではわかっているけど、どうしようもないのでしょう。
盲目的に、オデットに関する事は全て良く見ようとしていたように思えるスワン。周りにどう言われようと、オデットが出入りするヴェルデュラン夫人のサロンを素晴らしいと絶賛していたスワンが、心の底では、やはりわかっていたんですね。本音の出た次の文を引用です。

まったくあの連中ときては、ブルジョワの俗物根性まる出しだ。やつらは本当に生きてるんじゃない、ラビッシュの芝居から抜け出してきた連中なんだ!」

そして、オデットのことも・・・

スワンは、きっとオデットがこのような郊外のパーティにしては着飾りすぎた格好で出かけて行くだろうと考えた、「なぜならあいつはひどく通俗的で、可哀そうに、何よりも実にばかなやつなんだから!!!」

そして、スワンを嫌うヴェルデュラン夫人は、本当は羨ましくてたまらない、普通に自然に社交界に出入りするスワンに対する嫉妬から来る感情なのではないかと思います。
同じ人間レベル、頭のレベルだと思えるフォルシュヴィルとオデットは、お似合いだと思うんですけどね。

その3に続きます。



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『失われた時を求めて2 第一篇 スワン家の方へ?』その1 2008.8.15


失われた時を求めて(2(第1篇))

「スワンの恋」「土地の名・名」からなるこの巻。
この小説の登場人物の中でも、スワンはとても好きでして、「スワンの恋」は前回読んだ時も大変おもしろかったです。
今回の再読では、このつり合わないカップルには、何故?との気持ちが強く・・・。
スワンの良さも、あらゆるモノホンの良さが分からないオデット、その周りの、あまりにも俗っぽいヴェルデュラン夫妻等、その、ちょっといぢわるにも思える皮肉な描写は、『源氏物語』の紫式部を連想したり。どちらも世界的な超長編小説なんですよね。
そんな中、ベストカップル賞をあげたくなったのが、滑稽に描かれているコタール夫妻です。
自分と全く違うものに惹かれるのも、恋愛だから、という感じがしてしまふんですよね。やはり一緒に暮すとなると、人間レベル、生活レベル、育ってきた環境等が似ている方が良いだろうし・・・。
実際、スワンは、最初はオデットのことを、全く良いと思ってないんです。このスワンの恋を読んでいると、オデットそのものを愛するよりは、状況がこの恋に走らせたという気がしてならないです。
フツーに会えるものと思っていた時には、たいして会いたいとも思っていなかったのに、思いがけず会えなかった途端に、相手が気になってしょうがなくなり、ってな事は、ヘミングウェイの小説でも、おもしろく描かれていました。
次など。

スワンはそのときまでに何度となくオデットのことを、いっこうにぱっとしない女だと考えたことがあったし、また自分よりもはるかに劣った人間の心をこのように支配していることが「信者」たちの面前で公表されたところで、なんら嬉しがるようなものではないはずだったが、しかし多くの男の目にオデットがうっとりするような心をそそる女に見えることに気づいて以来、彼女の身体が男たちにとって持っている魅力は、その心の隅々まで完全に支配したいという苦しい欲求を彼のうちに呼びさましたのだ。

「嫉妬」「支配欲」から来る恋愛ってのも、これはこれであるのだろうか、とか。
「嫉妬」というのは、恋愛する前から存在するのは可能なのだろうか、とか。
ってな事を、つらつらと思いつつ読んでいたら、次のレ・ローム大公夫人のセリフのところでガツンとやられました。

「―前略―わたし、本当のところ、あれほど聡明な人が、ああいう種類の女のために苦しむなんて、みっともないと思うわ。それも面白くもない女のために。だって、ばかな女だっていう話ですもの」と彼女は、恋をしていない人びとの賢明さでそう言い添えた。その人たちは、才気のある男ならそれだけの価値のある女のためにしか不幸になるべきでないと考えるが、それは言ってみれば、狐菌のような微生物のためにどうしてコレラにかかって苦しむのかと、驚くようなものである。

全くレ・ローム大公夫人と同じ気持ちで読んでました。
次回へつづきます。






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亀山訳『カラマーゾフの兄弟』4巻 その4 2008.8.13



後半は、イッポリート検事VSフェチュコーヴィチ弁護士対決が圧巻です!(しかし、こちらで指摘した「ほかでもない」乱用にはうんざりでしたけど~)
イッポリートの論告の後半部分は、かなり眉唾でしたが、前半部分では、カラマーゾフ一家それぞれの事を、よく言い表していて、おもしろいです。こういう風に、検事におさらいをさせるドストエフスキー、巧いじゃないっすか。
その論告の最初の所は、これまた予言的な発言です。

わたしたちが恐怖を感じるのは、この種の陰惨な事件が、わたしたちにとって、もはや恐怖すべきものではなくなりつつあるという、まさにその点なのです! 恐れるべきは、わたしたちのこうした慣れであって、一個人が犯した個々の犯罪ではありません。

巻末の読書ガイドでも、工エエェェ(´д`)ェェエエ工 って箇所が・・・。とりあえず引用です。

これまでアリョーシャにひそかな野心を抱きつづけてきた彼女は、

って、グルーシェニカの事なんですが、「野心」って違うんでねーの?と。
ちなみに調べてみました。↓

インフォシークマルチ辞書より

やしん 1 0 【野心】

(1)現状よりもさらに高い権力・名誉・財力などを得ようとする心。ひそかにいだいている分をこえた望み。


    

  

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亀山訳『カラマーゾフの兄弟』4巻 その3 2008.8.11



ミーチャの女に関してのセリフが、おもしろかったです。以下引用。

好きな女には、ごめんと謝るわけにはいかないんだ! 好きな女には、とくにな、とくにだ。自分がどんなに悪くたって! なぜって、女ってのは、な、……いいか、アリョーシャ、まったくわけのわからんしろものだし、少なくとも女に関しておれは詳しいからな! まあ、ためしに女にむかって非を認めてみろ、『ごめん、許してくれ、申し訳ない』とか言ってさ。そしたらもう、次から次と非難の礫だ! そうかんたんに許しちゃくれんし、それこそ、ぼろくそにけなして、ありもしないことまで持ちだし、何やかやとあげつらう、何ひとつ忘れてないんだ、好き勝手な話を持ちだして、そこでやっと許してもらえるのさ。それでもまだいいほう、まだましなほうなんだ! ひどいのになると、最後の切れっぱしまでかきだして、それを相手の頭のうえにどさりとおっかぶせるんだから。
 おまえには言っておくが、そういう残虐趣味が、女にはひそんでいるんだよ。おれたちが、なくちゃ生きられない天使みたいな女たちがみんなそうなんだ。いいか、アリョーシャ、ざっくばらんに言うぞ。どんなまともな男でも、結局は女の尻に敷かれて生きざるをえないってことだ。これがおれの信念なんだ。信念っていうんじゃなく、実感だな。


この「信念」が文脈から言ってわからんかったので、原卓也訳も見てみましたら、あらら、意味が違うじゃないっすかっ。

まともな男ならだれだって、たとえ相手がどんな女でも、尻に敷かれているべきなんだよ。それが俺の信念だ。いや、信念というより、感情だな。

次回4巻感想最終回 (多分) に続きます。

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亀山訳『カラマーゾフの兄弟』4巻 その2 2008.8.10



◆「ほかでもない」オンパレード◆

「今日あんたたちを呼んだのは、ほかでもない」といつも言っているのは桜塚やっくんですが、やたらと多様されていた「ほかでもない」。この使い方でええの?ってのが多くて・・・。全て間違ってる訳ではなさそうですが、クセなのか何なのか、あまりに頻繁に出てきて笑ってしまいます。いちいち付箋を貼ってたら、終盤なんて凄まじい乱用ぶりでうんざりでした。引用します。

イワンは、彼の新しい住まいを知っていた。それはほかでもない、斜めに傾きかけた丸太作りの小さな家で、

その紙切れはほかでもない、イワンがのちに、親父を殺したのは兄のドミートリーだという、「数学的に証拠立てる」ものとしてアリョーシャに話してきかせた、例の文書だった。

同時に彼は、自分がミーチャを憎んでいるのは、カーチャの気持ちの「再燃」のせいではなく、ほかでもない、ミーチャが父親を殺したせいだということがわかっていた。

「その第三の男とは、神さまのことでございますよ、ほかでもありません、神さまの摂理でございます、

 自分の部屋に足を踏み入れたとき、彼はふと何か、氷のように冷たいものが心臓に触れたような気がした。それは、ほかでもない、この部屋にいま、現在、そして以前から存在していた追憶、もっといえば、何やらつらく疎ましいものの予告だった。

このわたし一人だけだったのではなく、あとでわかったことだが、だれもが一様に驚かされていたのだった。それはほかでもない。この事件があまりに多くの人々の興味をひいていたことや、その彼らが、裁判がはじまるのを一日千秋の思いで待ちわび、

すべての人々がそれに気づいていた。その特徴とはほかでもない、弁護側のもつ材料にくらべ、有罪を主張する検察側の材料がもっていた異様な迫力である。

あなたが彼をスヴェトロワ嬢のお宅に、ほかでもない、当時の僧服姿で連れてくれば、

そして、ほかでもないこれら三人の医師が、尋問のために次々と姿を現したのである。

わたしは彼がお金に困っていることがわかっていました。何のために必要かもわかっていました――そう、そう、ほかでもありません、あの淫売をたぶらかして、いっしょに駆け落ちするためです。

なによりもたしかなのは、最初のケースでの彼はほんとうに高潔であり、第二のケースでの彼はほんとうに卑しいのです。なぜでしょう。それはほかでもありません。彼は、振幅の広い、カラマーゾフ的な気質の持ち主だからです。

 どうして彼はそんなことをしたのか、と思わず聞きたくなるところです。それはほかでもありません。悲しくなったからそうしたのです。

三千ルーブルを提出したところで、必ずしもそれがほかでもないあのお金である、あの手箱なり封筒なりに入っていたお金であるとは、かならずしも証明できないからです。

そして遂行したのは、ほかでもないその作成者です。

いいえ、彼が飛び降りたのは、ほかでもありません。自分の凶行の唯一の目撃者が、はたして生きているのかどうかを見届けるためだったのです。

その理由というのは、ほかでもない、検事夫人がなぜかミーチャに関心を寄せていたからだ。

 弁護人の弁論のなかで、一同のどぎもをぬいた点がひとつある。それはほかでもない、例の三千ルーブルの存在がまったく否定され、したがって強奪もありえないとされたことである。

しかし、発見されたのが総額で千五百ルーブルの金だけであり、残り半分の千五百ルーブルは行方知らずのままどうしても発見できなかったという事実は、ほかでもありません、その金が、かつていかなる封筒にもしまわれたことのない、まるきり別の金かもしれない、ということを証明しているのです。

清廉潔白な人物、そう、ほかでもありません、わたしたちのカテリーナ・ヴェルホフツェワさんのようなお方、こういう人物が、法廷でとつぜん前の供述をくつがえしたとします。

 しかし、キリストが命じられたのは、ほかでもありません、こんなことをしてはいけない、こういう行いはつつしむようにということでした。


ちなみにネットの辞書で調べてみましたら・・・

――でもな・い
話の内容を強調したり、相手に強く印象づけるための語。それ以外のことではない。
「君をここへ呼んだのは―・い」「話というのは―・い」


とありました。つづきます。


    

  

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亀山訳『カラマーゾフの兄弟』4巻 その1 2008.8.8



相変わらず「それって」「これって」ってな言葉遣いがすんごく多くて、イワンもミーチャも同じキャラになっちゃってるし(T△T)とにかく嫌でした。検事までもが「それって」なんて言うんですから!
それと、違和感があったのがスメルジャコフ。やたら丁寧な言葉遣いに「ぼく」ってのが。

次のコーリャのセリフは、これまた現代を予言しているようでした。

「それはね、もしもみんなが平等で、財産も共通のものしかなくなると、結婚はなくなり、宗教も、どんな法律も、それぞれ好き勝手なものになる、で、けっきょく、ほかの残りのものもぜんぶそうなるってことを言うのさ。

みんなが平等で財産が共通ってのとは違いますが、現代結婚しない人達が激増した理由の1つに、昔と比べて男女対等に稼ぐようになってきたというのが当然あるでしょう。

◆フロックコートの謎◆

決して粗捜しするつもりもないんですが、ほんと、すらすら読めないくらい、いろいろありすぎでして。(^^;)
僧服を脱いでから、オーダーメイドのすばらしいフロックコートを着込み、見違えるほどの美男子に変身したアリョーシャ。まずは引用です。

アリョーシャは部屋にいたときのままの姿で、コートもはおらずに外に出てきた。

そして、アリョーシャといろいろ話をした後のコーリャのセリフです。

「こんな寒いなか、フロックコート一枚なのに、お引き止めしてしまって。

ありり?コート着てないんでねーの?
これは、他の訳ではどうなんでしょ。と思って原卓也訳を調べてみると、

アリョーシャは部屋にいたときの服装のまま、外套も着ないで出てきたのだった。「あなたはこんな寒さにフロックだけなのに、

となってました。外套とフロックは別なのか、う~~よくわからんです。
この2人の会話中に、アリョーシャのこんなセリフが出て来るんですが。
「かわいさあまって憎さ百倍」ってな言葉はありますが、次のは果たして・・・。

うれしさあまって他人の首にかじりつくなんて、

工エエェェ(´д`)ェェエエ工
次回へつづきます。

    

  

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『失われた時を求めて1 第一篇スワン家の方へI』その2 2008.8.7

ヴァントゥィユ父娘の逸話は、この小説の大きなテーマである〈同性愛〉を扱った最初の箇所ではないかと思うのですが、大変印象的でよく覚えていました。次の文には、にゃるほどでした。

彼女のようなサディストは、悪の芸術家である。そして心の底からの悪人だったら、悪の芸術家にはなれまいものだ。なぜならそのような人間にとって、悪は外部のものとはなりえず、ごく自然な本性のように思われて、自分自身と区別すらできなくなるだろうから。そして美徳とか、故人の追憶とか、子としての愛とかは、本人がそのようなものへの信仰を持ちあわせていなければ、それを汚したところで冒涜の快楽を味わうこともないだろう。

次のも。

もし彼女が自分にもまたすべての人のうちにも、他人の惹き起こす苦悩に対するあの無関心があること、どんな別の名称をも与えようとも、この無関心は残忍さの持つおそろしくまた耐久的な形態であることを見抜いていたならば、おそらく彼女は悪がこんなに稀で異常な見慣れない状態だとは思わなかっただろうし、悪の国に移住することをこれほど心安まるもののように考えはしなかったことだろう。

次の「恋」の話なんて、おもしろいじゃないっすかっっ。

私たちが一人の女を恋するためには、ちょうどスワン嬢がそうしたと私が思いこんだように、ある場合には女が軽蔑をこめてこちらを眺め、私たちがけっしてこの女をものにできないと考えるだけで充分なのだが、またある場合には、ゲルマント夫人のやったように、女が好意をこめて眺め、こちらは、いつか彼女が自分のものになるかもしれないと考えるだけでも充分なのだ。

この本の素晴らしさは、再読によってよりわかるのだ、と思いました。
あの有名な、プチット・マドレーヌを口に入れたとたん、幼年時代の記憶が蘇って、その世界にタイムスリップしていくように、現代と過去と時代が錯綜する様子が、全体の話がわかって読んでみると、よりよくわかるんです。
巻末には、全体のあらすじが出ていたり、登場人物100人の紹介の所でも、かなりのネタばれがあり、ハードカバーで最初に読んだ際にも、同じように先のネタばれをたくさんされて、ああ、知らないで読みたかった!ってな所もたくさんありました。
全体をつかんで、読みやすくする為には良いのだろうけど、ちと疑問でありました。
今回再読の際には、いろいろなシーンが鮮やかに思い出されて、それも、なかなか有り難いのでありました。

  

失われた時を求めて

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『失われた時を求めて1 第一篇スワン家の方へI』その1 2008.8.6


失われた時を求めて(1(第1篇))

オランダでフェルメールを観てから、これを読み返したいとずっと思っていて、その間、ずっと前に図書館に予約を入れたいた本が来たり、いろいろあってなかなか実現せず、やっと今再読しているところです。
以前読んだ時は、わかりやすいと言う鈴木道彦訳の文庫本が抄訳版以外は出ていなくて、図書館でハードカバーを3冊ぐらいづつ借りて読んだので、非常に重い思いをしていたのですが、今は図書館にも文庫本があるのが有り難いことこの上なしです。
ただ、文庫本は挿絵が表紙のみなので、キース・ヴァン・ドンゲンの挿絵がほんっっっとに素敵なので、まずはハードカバーで読むのをオススメします。
この本を読んでから読みたくなった本をいくつか読んでいたので、2度目の読書の間には予備知識が出来て、より楽しい読書になっています。
特に嬉しかったのが『フランソワ・ル・シャンピ』ことジョルジュ・サンドの『棄子のフランソワ』!(こちらに感想UPしてます)
数ページにわたって表記があり、しみじみと思い出しました。これは読んでいるのといないのとはぜんっっぜん違います。送ってくださった友人に大感謝です!!
『失われた時を求めて』を読むと、読んでみたい本や観てみたい絵画が増えてしょうがないんですが、ジョットの慈愛なんて、観てみたいです。
おそらくプルースト本人がモデルである主人公は、最初に読んだ時もいまいち好きになれない部分があったのですが、すんごい甘ったれた所などがやはり気になったり (身体が弱いゆえと言うのをわかってあげなければいけないのは勿論なのですが) あまりにロマンチストで全体的にお上品すぎな所は、セリーヌやブコウスキー好きな自分とは合わないなあ、なんて事も思うのですが、フランソワーズやレオニ叔母など、一人一人の人物描写がおもしろく、芸術に関しての確かな眼、それと関連する自然の美しさの描写や詩的な表現は流石で、やはり面白いです。
以下のような鋭い人間を観る目線は好きです。

後に私の人生行路において、たとえば僧院などで、文字どおり聖人と言うべき活動的な慈愛の化身に出合う機会があったとき、そのような人たちはたいていの場合いそがしい外科医のように、陽気で、積極的で、無頓着で、荒っぽい様子をしており、人間の苦しみを目のあたりにしてもなんの憐れみや同情も浮かべず、その苦しみにぶつかることを少しも怖れない顔をしていたが、これこそ真の善意というものが備えている優しさのない顔、反感をそそりはするが崇高な顔なのである。

次回へつづきます。

  

失われた時を求めて

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ドストエフスキイ後期短編集 その2 2008.8.4

『百歳の老婆』の以下の箇所、

 ―わっしはね、マリヤ・マクシーモヴナ、これでも根はいい人間なんでさあ。
 ―ほんに、いい人とはちょっと話しても面白いというからね。


これは『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフの、あの不気味なセリフのパロディーではないでしょうか。

「してみると、賢い人とはちょっと話してもおもしろい、と世間で言うのは本当でございますね」(新潮文庫 原卓也訳より)

  

死者たちの会話という実に実験的である『ボボーク』。以下の江川卓さんの「解説」は、見事にこの小説の優れた所を表現されています。

ドストエフスキイのこの短篇は、死者を小説的に活用する手法を通じて、現実の恐ろしさ、みにくさを新しい断面から抉り出すことのできたユニークな作品である。恐怖小説的な手法がたんなる手法、道具立てに終らず、現実の世界、そこに生きる人間の不気味さをきわだたせるために、みごとに表現手段として役立たされている、と言えばよいだろうか。

アーサー・C・クラーク的でもあるように思えた『おかしな人間の夢』。
主人公が旧約聖書のイヴの蛇のような役割りをするこの小説も、大変おもしろかったです!
『作家の日記』の中に入っているそうで、同じく江川卓さんの「解説」で、以下のように書かれています。

巻頭の「おとなしい女」とともに、これは『作家の日記』の中でももっとも完璧な芸術作品であり、ユートピア幻想がこれほどまで濃縮された形で語られたことは、世界文学にもあまり例があるまい。

その他ドストエフスキーに関してはこちらから~

*数日前に、ドストエフスキーの翻訳者の工藤精一郎さんが亡くなりました。合掌。



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ドストエフスキイ後期短編集 その1 2008.8.1

前期短編集は一部こちらに感想UPしてます。
後期短編集は、いつか買って読もうと思ったままになってまして、少し前に「再来年ぐらいまでにドストエフスキー全作品読もうかな」ってな事をふと思った時に、ネットの古本屋さんで探して購入しました。
『おとなしい女 空想的な物語』『ボボーク』『キリストのヨルカに召されし少年』『百姓マレイ』『百歳の老婆』『宣告』『現代生活から取った暴露小説のプラン』『おかしな人間の夢』
の8篇です。
『おとなしい女』が抜群に良かったと思います。『地下室の手記』に似てると思いました!
以下の文など、あるある~~!でした。

さて、諸君、世の中にはこういう思想がある……つまり、ある種の思想を口に出して言葉で発表すると、恐ろしく愚劣なものになることがある。われながら恥ずかしくなることがある。なぜだろう? なぜでもない。われわれがみなやくざもので、真実にたえ得ないからである。

語れば語るほど陳腐になってしまう、不思議な現象がよくあります。
次のなんぞも。

高いところに立っている人間は、なんとなく自然に下のほうへ、深淵の中へ引き込まれるという。思うに、多くの自殺や殺人は、単にピストルがすでに手に取られているというだけの理由で、遂行されるのであろう。そこにも同様
深淵があるのだ、すべらずにいられないような三十五度の傾斜があるのだ。かくして、なにものかが否応なくその人間に撃鉄をひかせるのである。


ここなどは『地下室の手記』の <苦痛は快楽である> を思い出します。

わたしは陶酔と幸福にひたりながら、彼女の足に接吻した。そうだ、測りがたいはてしない幸福にひたっていたのだ。しかも、それは自分の救いのない絶望を残りなく理解したうえでの話である!

次回へ続きます。

その他ドストエフスキーに関してはこちらから~



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Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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