亀山訳『カラマーゾフの兄弟』5巻 その3 2008.8.29
この人よほど「ほかでもない」が好きみたいで、「ドストエフスキーの生涯」「解題」でも出てきて笑いました。
そして今日、何人かの研究者によって、『カラマーゾフの兄弟』のフィナーレで、アリョーシャが十二人の子どもたちと唱和する美しい場面が、ほかでもない、このフョードル哲学へのオマージュであるとする見方が提示されている。
農奴解放が産み落としたのは他でもない、農奴の「貧困への解放」であり、都市と農村の顔は根本からゆがみはじめていたのである。
ともあれ、この小説での「傲慢」の罪のもっとも恐ろしい体現者とは、ほかでもない、「謎の訪問客」である。
傲慢を捨てる道は、ほかでもない、自然にみずからの肉体をさらすということではないだろうか。
前回はちょっと褒めましたが、↑こーゆークセは、まあ気にならない人は気にならないとは思いますし、使い方さえ間違えなきゃ良いのだろうけど、どーも、偏った見方っつーか・・・、背景などを伝えてくれる所は有り難いですが、この人独自の見方が書かれていると「そうか、にゃるほど!」と思えるものが、正直言ってないんですよね。
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 そっかな・・・と違和感ばかりが残る訳でありまして。
イワン好きとしては、この人のイワンに対する見方も、はっきし言って気に入らないです。以下引用。
ドストエフスキーの大いなる犯罪者たち、ラスコーリニコフ、イワン・カラマーゾフすら
ラスコーリニコフは犯罪者だけど、イワンが何したってゆーんだよ~~!
殺したいと思っただけで、犯罪者にされちゃたまりません。
上のは「ドストエフスキーの生涯」から引用しましたが、「解題」では、アリョーシャがイワンに言うセリフ「父を殺したのは、あなたじゃないってことだけです」に関して、こんな事が書かれています。
兄弟同士の信頼関係のなかで、あたりまえの「事実」をめぐってのどこか思わせぶりな言い方は、かなり違和感を与え、端的にいって、居心地がわるい。ここには、父を殺したのは「あなたかもしれない」「あなたである」と言っているのと同じぐらいの意味が、その曖昧さのなかに隠されているということだ。
なんで~~?ってか、あなたのそういう考え方のほうが、すっごい違和感だし、居心地がわるいんですけど~~。どーですか、みなさん。アリョーシャは「あなたではない」ってはっきり言っているんですぜ。
「大審問官」のところでのアリョーシャのキスのシーンだって、「実地で盗作と来たか!」と叫ぶイワンが、このキスがアリョーシャの「承認」を意味したと感じたって、違うと思うんですけど。
長くなりました。まだ続きます。(^^;)
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