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『失われた時を求めて4 第二篇 花咲く乙女たちのかげに?』その5 2008.9.30

その1で「恋愛の利己的な残酷さが描かれている」と書きましたが、それは、お友達のサン=ルーに対してもそうですし、何と言っても、かわいそうだったのは、アルベルチーヌの女友だち、花咲く乙女たちの1人、アンドレでした。
アンドレと付き合った方が良いんでねーか?なんて傍で見ていて (←いや、傍で見ていた訳ぢゃないけどさ) 思うのだけど、スワンの恋と同じく、周りが願う通りに行かないのが、おもしろい所でもありますね。
アンドレに思われているのに気付かない鈍感さというよりは、きっと、どこかで気付いていて、おもしろがっている所があるように感じてしまうんです。それがすごく可哀相で、残酷だと思いました。

最後に、巻末の吉田加南子さんのエッセイ「未知のガリア―夢想のほとりで」より引用して終わります。

『失われた時を求めて』を読むことは、現実の世界の厚みのなかに入ってゆくことと、ほとんど等しいように思われる。そして読者は、その厚みにおいて、あるいはその厚みを媒介として、隠された現実に出会う。出会いへと誘 (いざな) われる。



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『失われた時を求めて4 第二篇 花咲く乙女たちのかげに?』その4 2008.9.26

アルベルチーヌ達4人の花咲く乙女たちの、海辺に登場シーンは、実に美しくて素敵です。以下引用です。

 このとき海を背景にして、まるで豊かな装飾の塊が多様な形で勝手気ままに増殖するかのように現れたのは、太陽に焼かれた潮風に吹かれて金色とバラ色に同時に染め上げられた処女たちの、美しく展開される隊列だった。揃いも揃って美しい脚としなやかな身体つきをしていながら、たがいにまるで違っているこのアルベルチーヌの女友だちのグループは、現われるやたちまち大きくなり、私たちよりも海に近い平行線をこちらの方へ進んで来た。

次は恋愛の話~果たして・・・以下引用です。

このように気晴らしとなると目がない点で、アルベルチーヌはどこか最初のころのジルベルトのようなところがあったが、それは私たちが次々と愛していく女たちのあいだに、少しづつ変化しながらも一種の類似が存在しているからで、その類似はこちらの変わらない気質に拠るものなのだ。なぜなら恋人を選ぶのはこの気質だからで、これは私たちの官能を満足されるとともに心を苦しめるのに適した女でないかぎり、ことごとく排除してしまう。彼女たち、こうして選ばれた女たちは、私たちの気質の産物であり、私たちの感受性の逆転したイメージ、逆転した投影、その「陰画」である。

にゃるほどな点もあるのですが、しかし、常に自分から選んで付き合っている訳でもないし。
全く予期していなかった人に惹かれちゃう事だってあるし。
常に似たよーな人と付き合っている人もいるけど、そうとも限らないなあ、と思うのでした。そんな中でも動かない共通点があるのかもしれませんが。
この本最初の巻から読んでいて、ちと気になったのが、「相手を所有する」という言い方でしたが、スワンの恋にしてもそうだし、プルーストの感覚での恋愛は、自分とは相容れないものがある気がします。

次回、この巻の感想最終回へつづきます。



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『失われた時を求めて4 第二篇 花咲く乙女たちのかげに?』その3 2008.9.23

スワンが好きだとは以前書きましたが、画家エルスチールも良いですね!
セリフのひとつひとつに重みがあります。
過去に通っていたサロンについて語り手から言われた時に、何も恥ずかしがることもなく、こう答えたのは実に良かったです。

「どんなに聡明な人であっても」と彼は言う、「その若いころのある時期に、思い出しても不愉快になる消してしまいたいような言葉を口にしたり、あるいはそういう生活を送ったりしたことのない者はいやしません。でも、これを頭から否定して後悔するには及びません。その人がなんとか聡明な人間になり得たというのも、最終的にそうなりきる前に、滑稽な人間だったり厭うべき人間だったりしたというさまざまな段階を経てきたからこそなのです。

そして、こうも言っています。

聡明さは人から教わることのできないものです。これは、誰にも代わってもらえない道程、誰もわれわれから免除してくれるわけにはいかない道程をたどった後に、自分の力で見つけださなければなりません。

さらに・・・

私には、駆け出しのころの自分たちの姿が今では見分けのつかないものであり、いずれにしても不快なものであることが、よく分かる。でも、これを否定してはならないんです。だってそれは、本当に生きてきたという証拠だし、私たちが人生と精神とを支配している諸法則にしたがって、生活のつまらない要素から―もし画家だったら、アトリエだの芸術上の党派だのといった生活から―それを越えるものを引き出したという証拠なのですから」。

ブラボー!!そうなんですっっ!過去があるから今の自分があるんですから。
愚かだった若い頃の自分だって、とっっても大切なんです。
まだつづきます。



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『失われた時を求めて4 第二篇 花咲く乙女たちのかげに?』その2 2008.9.21

〈知性〉〈感受性〉〈意志〉そして〈愛〉のお話です。
私はちとわかりにくかったのですが、知性と感受性と意志の関係、何度も読んで考えているところです。以下引用。

知性と感受性とは、私たちが愛人と別れたがっていると大真面目で信じこんでおり、ただ意志のみは、私たちがその愛人に執着していることを知っている場合がある。それは、すぐその愛人に会うことになっているという確信のために、知性と感受性がくらまされているのだ。だがこの確信が消滅したとしよう。愛人は去ってしまって永久に帰って来ないことを、とつぜん知性と感受性が知ったとしよう。そのとき、知性と感受性とはすっかり取り乱して気がふれたようになり、ほんの取るに足りない快楽さえもが無限に拡大されて見えるのである。

もう少し後の方で、また〈知性〉〈感受性〉〈意志〉の話が出てきます。以下引用です。

知性と感受性が変わりやすいのとは正反対に、意志は変わらないものだが、しかし黙りこくっていてあれこれと釈明することがないので、ほとんど存在していないように思われる。自我のほかの部分は、意志の断乎とした決定に従っていながら、それに気づかずに、ただ自分たちの不決断だけははっきりと識別している。

う~~ん、むじゅかすぃ~~。
お次は、あるある~~と思ったのを。

私たちの望む事件はけっして自分で考えたように起こることはなく、当てにしても大丈夫と思っていた利点が欠けている代わりに、思いもかけなかった利点があらわれて、全体はなんとか相殺されるからだ。そして私たちは最悪の事態を恐れるあまり、最終的には全体をひっくるめて見たとき、どちらかと言えば結局は偶然がこちらに味方したのだと思いたくなる。

次回へつづきます。



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『失われた時を求めて4 第二篇 花咲く乙女たちのかげに?』その1 2008.9.18

この小説のメインとも言える、ひじょーに重要なアルベルチーヌの登場、語り手が影響を受ける画家のエルスチール、親友サン=ルー、そしてシャルリュス男爵などなど、とっっても重要なこの巻。1人1人の人物が実に魅力的で楽しいです。
大変おもしろく読めるところもあるのですが、延々と長く続く美しい風景描写などは、自分としちゃあちょっと苦手で退屈でして、長い我慢も強いられた読書でした。
おそらく、男性の方が、ロマンティックな美しい風景描写などは、お好きなのではないでしょうか。
そして、前巻に引き続き、恋愛によるエゴイズム、それが中心になってしまうゆえの利己的な残酷さが描かれています。
語り手と仲良しのサン=ルーが実に親切で感じが良いです。しかし、次の文にはハゲしく共感でした!

私は彼といっしょにいたり、彼とおしゃべりをしたりしても―おそらく相手がほかの誰であっても同じ結果になっただろうが―連れがいないときなら逆に感じることができるあの幸福感を、いっこうに感じなかったからだ。一人きりであれば、時折り私は自分の奥底から、甘美な満足感を与える印象の一つが湧き上がってくるのを感じる。けれども誰かといっしょにいたり、友だちと話していたりすると、たちまち精神はくるりと向きを変えて、私自身の方へではなく、この対話者の思考を向けはじめる。

そうなんですっっ!だから私は単独行動が楽で好きなんです。気使ってしまうし~
あ、常に1人でいたいって訳ぢゃないですからね~遊んでくださいねん♥
そうそう、上の文でも出てきましたが、鈴木道彦さんのクセなのか、或いはプルーストのクセなのか、「たちまち」がやたら出て来ます。まあ、亀山さんの「ほかでもない」みたいな違和感はあまりないですけどね。
次の文も、にゃるほど!でした。

人は何にもまして自分の外部にある宝の消滅を怖れるが、それはこちらの心がまだそれを捉えていないからだ。

次のも実におもしろいと思いました~

「もっとも、そんなことまったくどうでもいいんだがね」。まるで反射的に発せられたような言葉、自尊心を持っている者なら誰でも、状況がどれほど重大であろうとつまらぬものであろうと、常に口にする同一の言葉、そしてそのとき、ちょうどこのブロックの場合のように、問題の一件はどうでもよいと断言する当の本人にとって、どれほどことが重大に思われているかを暴露する言葉、ときには悲劇的にもなるこの言葉は、人が最後にしがみついていた頼みの綱も切れてすげなく助力を断られたときに、いささか誇りを持った男であれば誰もの唇から、ほかのどんな言葉よりも先に、それもその瞬間に悲痛な形を帯びて洩れてくるものなのだ、

そうそう、ブロックも実におもろいキャラでして、私は並行して読んでいたドストエフスキーのカラ兄弟のラキーチンを連想しました。
次回へつづきます。



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『失われた時を求めて3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I 』その6 2008.9.16

「美」について、ちと長めの引用をします。

私たちはいつも美と幸福が個性的なものであることを忘れて、これまでに自分の気に入ったさまざまな顔や自分の経験した快楽などをいわば平均して、そこから型にはまった一つのタイプを作り出し、これを心のなかで美や幸福におきかえ、こうしてただ抽象的なイメージしか持ち合わせなくなるのだが、そうしたイメージは無気力で味気ないものにすぎない。なぜなら、私たちのそれまでに知ったものとは異なった新しいものという性格、美や幸福に固有のこうした性格こそ、まさにそれらのイメージに欠けているものだからだ。そして私たちは人生に悲観的な判断を下して、その判断を正しいものと思っているが、それは幸福や美を考慮に加えているつもりでありながら、実はこれを除外し、幸福や美のひとかけらもない合成物をかわりにすえてしまったからなのだ。文学通の人が、新たな「美しい作品」の話をきかされると、読む前から退屈して欠伸をするのもそのためで、それは自分が読んだすべての美しい作品の一種の合成を想像するからである。ところが一冊の美しい作品とは固有のものであり、思いがけないものであり、先行するすべての傑作の和から成っているのではなくて、この総和を完全に自分のものにしたところでいっこうに発見できはしないような何ものかで成っている。なぜならそれはまさしく、先行する作品の和の外にあるからだ。

私以前に映画『ベニスに死す』の感想で、「ひとことで言えば「抜群の美しさを持つ退屈な映画」だと思います。」と書き、美しさの中には退屈さが潜んでいるのではなかろうか、という話に発展した訳ですが、それを思い出しつつ、果たしてそうなのであろうか、と考えているところです。

巻末の、野村歓さんの『「あこがれ」のプルースト』は、この作品のおもしろさを、わかりやすく伝えてくれてます。その中から引用して終わります。

恋する者の傲岸で残酷なエゴイズムを、プルーストは驚くべき眼力によってとらえ切る。あこがれが同時に備える非常な論理をも描き込むことで、プルーストの小説は、いよいよその凄みのきいた面白さを増していく。



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『失われた時を求めて3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I 』その5 2008.9.14

ちょいとドストエフスキーに言及していたので、引用したいと思います。

こうした手紙を読み返すと、のちの私なら『セヴィニェ夫人書簡集』のドストエフスキー的側面とでも呼んだであろうものが見られて、私は有頂天になった (セヴィニェ夫人はドストエフスキーが性格を描くような仕方で風景を描いてはいないだろうか?)

その手紙も引用しておきましょう!傍点部分を太字にしておきます。

「わたしは誘惑に抵抗できませんでした。要りもしなかった冠りものやらマントやらを、わたしはことごとく身につけます。そして例の並木の遊歩道にまいるのですが、そこの空気はわたしの部屋と同じように気持ちが良いのです。わたしは、無数の妖怪変化を見つけます。白と黒の修道僧たち、灰色と白のたくさんの尼さんたち、あちこちに投げ出された白布、木々を背にまっすぐ立ったまま埋葬されている人たちなどを……」

訳注によれば、いくらか原文と異なっているそうです。
・・・と引用してみたものの、どこがドストエフスキー的なのか、よくわからんです。(^^;)
ちなみに、セヴィニェ夫人の本は、前に『失われた時を求めて』を読んだ際に、古本屋で見つけて購入したのですが・・・まだ読んでましぇん。(汗)

次回、ちと長い引用をしたいので、今回はこの辺で。多分次回でこの巻最終回です。(字数制限でアウトにならなければ)



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『失われた時を求めて3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I 』その4 2008.9.12

つい最近、ずっと考えていたのが、「諦めることで楽になれるだろう」という事でして、諦めて楽になりたいと思うことが、いくつかあるんです。そんな時に読んだ以下の文は、すんごい共感でした。

遠い昔のことになったあのつらい一週間のあいだ、私は落ち着いて自分の悲しみに堪えることができたのだ。なぜならそこには、恐れも希望も混じっていなかったからだ。ところが今では逆にこの希望が恐れと同じくらいに、私の苦痛を堪えられないものにしていた。

希望を持ってしまうこと、期待をしてしまうことは、疲れることで辛いことだと思う今日この頃です。
次もにゃるほろ~~

もっとも私たちは気に入った役割りを何度も人前で演じたり、心に繰り返したりするうちに、ほぼ完全に忘れ去った現実よりも、そうした役割のもたらす虚構の証言に頼る方が安易になるものだ。

次のなんて、(自分と同じような境遇の) 皆さん多いに共感なさるのではないでしょうか。(´Д⊂

 その年の元旦、とりわけ苦痛だった。なるほど不幸な人にとって、特別な日付や記念日はすべて苦痛になるだろう。

泣きながら次回へ続きます。・゚・(ノД`)・゚・



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『失われた時を求めて3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I 』その3 2008.9.10

3巻でまずおもしろかったのが、ノルポワ氏とベルゴットでした。
そして、憧れのラ・ベルマを初めて観た時の幻滅と、ベルゴットに会った時のこと等。
芝居にどうしても行きたくて、いざ両親から許しが出ると、楽しまなければいけないというプレッシャーになり、楽しい気持ちでなくなってきちゃったり、という所も、おもしろかったです!
わかるわかる~~の連続!
ひとつの事に関して、細かすぎるぐらい細かくて、読んでいて疲れる箇所もたくさんあるのですが、心理学的な描写は、やはりスゴイです。
次の文にも、にゃるほど、です。

病理学においては、一見似通ったいくつかの症状でも、あるものは緊張や分泌が多すぎるために起り、別のものはそれが不足するために起こるが、それと同様に、過度の感受性にもとづく悪徳もあれば、感受性の欠如にもとづく悪徳も存在する。

次はスワンのセリフですが・・・

神経質な人間は、庶民の言葉を使えば、いつも《自分以下の者》に愛情を寄せることが必要なのでしょう。そうすれば、好きな女を損得ずくで思いのままになりますから」

にも、にゃ~るほど。男性の恋愛には、上のような所があるのでしょうか。そういう人とは一緒になりたくないなあ、と思ったり。そして
その瞬間にスワンは、私がこの格言を彼とオデットの関係に当てはめるかもしれないことに気づいた。と続きますが、私も、スワンは自分のこと言ってる~と思いました。

次回へ続きます。



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『失われた時を求めて3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I 』その2 2008.9.7

こちらから続いてます。
って訳で、予告した愛の話を引用です。

そして私たちはそれをほかの楽節よりも長いこと愛するようになるだろう。なぜならそれは長い時間をかけてようやく愛するようになったものだからだ。

にゃるほど。時間をかけてだんだん愛するようになったものほど、長く愛するようになるのでしょうか。
次は、最初に読んだ時にも、強く印象に残った箇所です。

天才的な作品がただちに人びとに賞讃されることがむつかしい原因は、それを書いた者が非凡であって、彼に似た人はほとんどいないからだ。むしろ彼の作品自体が、天才を理解することのできる数少ない精神の芽を作り、それを伸ばし、また増やしていくことになるだろう。五十年の歳月をかけてベートーヴェンの四重奏曲の聴衆を生み出し、それを増やしてきたのは、ベートーヴェンの四重奏曲自体 (十二番、十三番、十四番、十五番の四重奏曲) であり、それらはこんなふうにしてすべての傑作と同様に、たとえ芸術家の価値の進歩とは言わないまでも、精神の社会の進歩を実現したのであって、その社会は今日では、傑作出現当時には見出しようもなかったもの、すなわちそれを愛することのできる広汎な人びとによって構成されている。

へ~~ベートーヴェンかあ、と、そこは、ちと意外な気もしたのですが、訳注も引用しておきます。

プルーストは一九一三年二月二十六日にプレイエル・ホールで行なわれたカペー四重奏団によるベートーヴェンの四重奏曲 (十五番、十六番) を聴いて以来、晩年のベートーヴェンに熱中した。プーレ四重奏団を自宅に呼んで、一人で演奏を聴いたこともよく知られている。

その3に続きます。



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今日買った本 2008.9.6

ケータイ機種変したりで、なにかと金の出ることの多い今日この頃。節約しなきゃいけないっつーのに、古本市に寄ってしまったら最後です。
出合ってしまったからには、これは買わないわけにはいかないっつーのが2冊。

無題
無題 posted by (C)SEAL OF CAIN


この古本市、3ヶ月に1度地元で開催されるのですが、まともに見てたら軽く3時間は超えるし、疲労度もハゲしいので、かな~~りいいかげんにザッと見たのに、これはもう本に呼ばれたとしか思えんです。
まず、フェリーニのこの本。フェリーニ全作品のスケッチが出ていて、しかも、すんごい良いぢゃないっすかっっっ!4500円ですた。

女の都
女の都 posted by (C)SEAL OF CAIN


魂のジュリエッタ
魂のジュリエッタ posted by (C)SEAL OF CAIN


道
posted by (C)SEAL OF CAIN


そして夏目漱石。これは旧かなづかひだし、読むかわからんのだけど、復刻版とは言え、なんつー美しい装幀!!んで840円っつー価格に、散々考えてやっぱ買ってしまおうと。

無題
無題 posted by (C)SEAL OF CAIN


無題
無題 posted by (C)SEAL OF CAIN


無題
無題 posted by (C)SEAL OF CAIN


無題
無題 posted by (C)SEAL OF CAIN


金のない時に限って、これは買わないと!ってものに出合ってしまうんですよね。_| ̄|○
それよりわたしゃ、そーいう出会いぢゃなくって~~~素敵な男性との出会いがほしいんだけど。ってな私にの1クリックを~~~。ウワァァァァァァン!!! ヽ(`Д´)ノ

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『失われた時を求めて3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I 』その1 2008.9.5

*ネタバレありです。

『失われた時を求めて』の時間が前後する構成の見事さに驚かされますが、前回の『スワンの恋』は、語り手の知らない頃の、聞いた話という形をとってまして、スワンとオデットが夫婦だということは、『スワンの恋』以前に読者に知らされるので、この2人が結婚したのか!と驚きつつ読み進めたのですが、それは私たち読者だけではなかったようです。以下引用です。

人びとはほとんど例外なしにこの結婚に驚いた。

しかも、なかなか良い感じの夫婦になっているじゃああーりませんかっ!
それも、スワンがもうオデットを愛さなくなって、良い家庭が出来ている、みたいなことなので、へ~~恋愛と結婚は違うと言うけれど、不思議なものだなあ、と思いました。
どーもプルーストによれば、恋愛はことごとく不幸なもののように描かれている気もするのですが。「嫉妬」という感情は多かれ少なかれ、たいていの人は持っている感情だと思うのですが、これがまた、さじ加減が大事とゆーか。
スワンの娘ジルベルトを恋する語り手は、スワンの性格を受け継いでいるような所もある気がします。ってのは、もっと先の話ですが。(^^;)
愛について、ひとつ引用します。

ふだん人を愛していないときの私たちは、相手を固定してしまう。逆に愛されているモデルは動きまわるものだ。

勿論、実際に固定しているとか動き回っている訳ではなく、イメージが、と言ったら良いでしょうか。
へ~~そうなのかな~~と、おもしろく読みました。
別の愛の話を、次回引用します。



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亀山訳『カラマーゾフの兄弟』5巻 その5 2008.9.4

まずは引用から。

 ここでスヴォーリンの説、つまり来るべき将来、アリョーシャが皇帝暗殺者としての運命をたどるとした場合の難問について触れなくてはならない。問題は、ドストエフスキーが書いた「著者より」との矛盾である。かりに、アリョーシャが皇帝暗殺者としてセミョーノフスキー練兵場かどこかで処刑されるとなれば、その行為が偉大か偉大でないかはさておき、彼はまぎれもなく歴史的な人物となったことだろう。しかるにドストエフスキーは書いている。
「彼がけっして偉大な人物でないことはわたし自身よくわかっている」
しかもそのうえで「(彼は) どういった人たちにどんなことで知られているのか?」
という奇妙な問いかけがなされるのである。
―中略―
アリョーシャは少なくとも、皇帝暗殺者として歴史に名前を残すような「偉大な」行いはしていないことになる。皇帝暗殺 (おそらく未遂に終わるはずである) の罪で死刑に処せられた人間が、「知られて」いないなどということは、どうみてもありえないからだ。
 つまり、アリョーシャ=皇帝暗殺者説は、序文の内容と完全に矛盾するわけで、ここに「第二の小説」の完成時にこの序文は書き換えられる運命だったのか、という疑問が生じるわけである。


第一に、ドストエフスキーは「偉大な人物ではない」とアリョーシャのことを書いている訳だから、ぜんっっぜん矛盾してないし、第二に、皇帝暗殺者が偉大だとも限らないですよね。暗殺の理由もわからんですし。「誰でも良かった」で皇帝殺しをするかもしれないじゃないっすか。
レーガンを暗殺未遂したジョディー・フォスターのファンもいましたしね。
それと、もう1つ。

 いずれにせよ、エピローグでのコーリャに、キリスト教への改心を暗示するなんらかの経験か、浄化とも呼ぶことのできる精神的変化が生じていることはまぎれもない事実である。

工エエェェ(´д`)ェェエエ工 。そんなコーリャいやだよ~~
最後に・・・

「エピローグ」でのアリョーシャの「演説」に涙を流さない読者がいるだろうか。

は~い!(゚◇゚)ノ
素晴らしいシーンだけど、泣きはしませんでしたぜ。泣かれた方、おられるんでしょうか。

その他ドストエフスキーに関してはこちらから~

    

  

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亀山訳『カラマーゾフの兄弟』5巻 その4 2008.9.2

◆「解題」◆
「解題」の中に「サディズムとマゾヒズム」って章があるんですが、私はこの人のサディスト、マゾヒスト、鬱、などの安易な使用にも、物凄い違和感なんです。
リーザがマゾヒスティックというのは、まだわかりますが、スメルジャコフの動物虐待や、大審問官に出て来る幼児虐待などは、これってサディズムとはまた違うものだと思うんですけど。

それと、この『カラマーゾフの兄弟』の、ドストエフスキーの死によって書かれなかった続編ですが、おそらくアリョーシャとコーリャが中心になるという話です。
そして、皇帝暗殺をするんじゃないか、とドストエフスキーの手紙などによって推測されていますが、確かに書かれなかったのは残念な気持ちもありますが、逆に、書かれなかったのは良かったのではないかと言う気もするんです。
だって、皇帝暗殺をもくろむアリョーシャなんて・・・ねえ。
江川卓さんも、確か対談で、これが書かれなかった事がすごい、とおっしゃっていたかと思います。
しかし、亀山さんは、しきりに、残念だと書いてるんですね。

 全体の構成からこの問題を見つめるなら、第1部から第3部は、続編につながる未完結のモチーフが散見されるものの、それじたいに高い完結性をうかがうことができる。しかし第4部以降は、未完結の (と思われる) モチーフやディテールが頻出し、注意深い読者をしばし面食らわせ、混沌状態におとしいれる。

・・・って、『罪と罰』のラストも完結してなくて不満みたいな事を、この人は書いてましたが、何故話をきちんと完結しなければいけないんですか~~?はっきりさせたものが優れた小説だと思っているのでしょうか。読者の想像にまかせたラストに、とっても優れたものが多いと私は思います。

この話まだ続きますが、ちと長くなるので、また次回です~~

    

  

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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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