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今年読んだ本2008【下半期】 2008.12.31

埴谷雄高『ドストエフスキーその生涯と作品』
ドストエフスキー 米川正夫訳『ドストエフスキイ後期短篇集』
ドストエフスキー 亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』(別訳で再読)
ガストン・ルルー『オペラ座の怪人』
埼玉西武ライオンズ監督 渡辺久信『寛容力~怒らないから選手は伸びる~』
【漫画】落合尚之『罪と罰』今出てる4巻まで
マルセル・プルースト『失われた時を求めて』(再読) 10巻まで (今11巻の終りの方です。と言っても100ページ以上あるけど…)

今までの「今年読んだ本」はこちらから。

『失われた時を求めて』で年越しとなりました。
源氏物語、ドストエフスキー、まさかのプルースト再読、ってな感じの1年でした。
なんだか、精神的にはめちゃキツかった1年の気がするんですが、とんでもなく特別なスゴイ年だったです。
20年ぶりぐらいのバンドメンバーとの再会から始まって、まさかまさかの再結成、んで、5年弱つきあってた人と別れて、いろんな再会やら出会いがあり、西武ライオンズ完全優勝もあり、パレードもあり、ケータイの機種変も今年だし、行きつけの地元の飲み屋も出来たし、何年ぶりかでドストエーフスキイの会に行き、原稿頼まれたり (来月20日〆切なのだけど、1文字も書けてましぇん (汗))、最後の最後にもキタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━!!!!! とゆー(星占い当たりました)、これから先にも繋がる出来事満載な1年だったなー。

読んだ本の感想をUPしていくのは結構ハードですが、書いておいて良かったと思う事も多いし、出来る限りやっていこうと思います。
アクセスも最近は1日400越えもフツーにあったりして驚きです!書きがいもありますね。
いつも見に来ていただき、ブログランキングの愛の1クリックも、ありがとうございます。
来年もよろしくお願いします。(^-^)/

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今年読んだ本2008【上半期】 2008.12.30

和田誠、川本三郎、瀬戸川猛資『今日も映画日和』
金城一紀『映画篇』
朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』
瀬戸内寂聴訳『源氏物語』
田辺聖子『源氏紙風船』
群ようこ『かもめ食堂』
石井ゆかり『12星座』
養父貴『ギタリストのための全知識』
ドストエフスキー 江川卓訳『罪と罰』(再読)
ナンシー関の記憶スケッチアカデミー
アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』
アーサー・C・クラーク『前哨』
池波正太郎『おせん』
江川卓『謎とき罪と罰』
NHK知るを楽しむ 人生の歩き方 野村克也 逆転の発想
NHK知るを楽しむ この人この世界 悲劇のロシア ドストエフスキーからショスタコーヴィチへ 亀山郁夫
江川卓『謎ときカラマーゾフの兄弟』
『ドストエフスキー曼荼羅』別冊 鼎談「ドストエフスキー」小沼文彦・江川卓・清水正
ドストエフスキー 江川卓訳『地下室の手記』(再読)
江川卓『ドストエフスキー』

今までの「今年読んだ本」はこちらから。
これ見ると、2003~2004年『失われた時を求めて』で年越しだったみたい~ちょうど5年後に再読だったのですね。

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『失われた時を求めて10 第5篇 囚われの女 ?』その7 2008.12.29

あとちょっとで引用終わりです。(汗) トルストイにも言及してます。

ところでさっきトルストイの話をしたとき、ぼくはきみが思うほどドストエフスキーから離れたわけじゃないんだよ。トルストイはずいぶんドストエフスキーの真似をしてるからね。ドストエフスキーのなかには、あとでトルストイの作品のなかに花を開くようなものがひとところに集められて、たくさん含まれているんだよ――まだ引きつったような気むずかしい様子をしてるけれど。ドストエフスキーには、プリミティヴ派の芸術家みたいな、時代に先んじた陰鬱さが見られるんだ。いずれ弟子たちがその本質を明らかにすることになるんだよ」

へ~~とゆー感じ。具体的にどこをどう真似しているかってのが全く書かれていないから、よくわからないです。
次は、本文に言及があって、訳注見たら読んでみたい~~と思ったのを、訳注より引用です。

『真紅のカーテン』 バルベー・ドールヴィイの中篇集『レ・ディアボリック』のなかの一篇。ある家庭に宿泊している若い将校の手を、その家の娘アルベルトが食卓の下でにぎる。ところが将校の目くばせや恋文には、これを無視してなんら応えようとしない。ある晩、娘が将校のベッドにしのんできて激しく愛しあうが、ひと言も言葉は発しない。そうしたことが繰り返されたあげくに、ある日、将校は、自分の抱いているのが死んだ娘であることに気づく、という話。
 この物語は、一九五二年に、アレクサンドル・アウストリュック監督によって映画化された。


調べたら表紙がフェリシアン・ロップス!うう、買おうかなあ。



映画も見つけました~『恋ざんげ』
DVDは出てないみたいですね。見たいな~

巻末のエッセイは姜尚中でした。
この人、NHKの「知るを楽しむ」の夏目漱石の時も、自分語りばっかでつまらんかったのですが、このエッセイも同じでした。



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『失われた時を求めて10 第5篇 囚われの女 ?』その6 2008.12.26

引用つづきます。
*『カラマーゾフの兄弟』のネタバレあり

ドストエフスキーの場合は、いくつかものすごく深い井戸があると思うよ。でもそれは人間の魂のばらばらに孤立した地点に掘られているんだ。それでもやっぱり偉大な作家だよ。まず第一に、ドストエフスキーの描いた世界は本当に彼のために創り出されたように見えるからね。レーベジェフとかカラマーゾフとかイヴォルギンとかセグレフなんていう道化役者が次から次へと妙ちきりんな行列を作って出てくるだろう? あれはレンブラントの『夜警』にあふれている人物よりもっと異様な連中だね。でもことによると、ドストエフスキーの人物もレンブラントのと同じように、照明と衣裳の効果で異様に見えるのかもしれない。結局はよくいる連中なのかもしれないよ。いずれにしてもこれは真実性に満ちた、深い、ユニークな人たちだし、ドストエフスキー独自の人物なんだ。こういった道化連中を見ると、まるでもうなくなった役柄といったところがあるだろう? 古代喜劇の登場人物みたいにさ。それでもああいった人物は、人間の心の真実の姿を実によくあらわしているじゃないか! うんざりするのは、ドストエフスキーについてしゃべったり書いたりする連中の仰々しさだよ。ドストエフスキーの人物のなかで、自尊心や高慢さの演じる役割にきみは気がついた? 彼にとっては、愛情と狂ったような憎しみ、善意と裏切り、臆病さと傲慢さ、こういったものがそれぞれまるでたった一つの性格の両面にすぎないみたいだね。その自尊心や高慢さのために、アグラーヤだの、ナスターシャだの、ミーチャがひげを引っ張ったあの大尉だの、アリョーシャの敵でも味方でもあるクラソートキンだの、そういった連中の「正体」が見えなくなってしまうんだよ。でもドストエフスキーの偉大さはそれだけじゃない。ぼくはほんの少ししか彼の本を知らないけれど、父親のカラマーゾフが気のふれた哀れな女を妊ませるという罪をおかしたかと思うと、相手の女は知らず知らずに運命の復讐の手先にされるとともに、ぼんやりした母性本能にも従ったんだろう、いやひょっとすると自分を犯した男に対する恨みと肉体的感謝のまじった気持ちにも従っているのかもしれない、ともかく父親のカラマーゾフの家に忍びこんでお産をするなんていう、ああいった説明のつかない神秘的で動物的な心の動き――こういうものはまるで彫刻のモチーフみたいだろう? 単純で、古代芸術にふさわしいようなモチーフだよ。<復讐> だの <贖罪> だのが次々とくりひろげられて、切れてはまた始まってゆく小壁 (フリーズ) の彫刻そっくりだ。これが第一の挿話だね。オリヴィエート大聖堂の彫刻にある <女> の創造みたいに、神秘的で偉大でおごそかな挿話だよ。それに対して第二の挿話は二十年あまりたってからのことになるんだ。父親のカラマーゾフが殺されて、あの気のふれた女の生んだスメルジャコフがカラマーゾフ一家に汚辱を加える。しかもそのすぐあとに、父親のカラマーゾフの庭でお産をするのと同じように説明のつかない、神秘的な彫刻を思わせる行為、しかも同じように謎めいてはいるけれども自然な美しさを備えた行為が続くんだ。つまり犯罪をなしとげたスメルジャコフが首をくくるのさ。

しかし、スメルジャコフの父親がフョードル・カラマーゾフだとはっきりしている訳ではないんですけどねえ…。
「うんざりするのは」のくだり、オマエモナー、って感じが。
レンブラントの「夜警」もオランダで見てきました~~
ココのどこかに感想書いていたかな? (すんまへん。探してる時間なくて~)
次回へ続きます。



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『失われた時を求めて10 第5篇 囚われの女 ?』その5 2008.12.24

引き続き引用です。

「でも、ドストエフスキーはだれか人を殺したことがあるのかしら? あたしの読んだドストエフスキーの小説は、どれもこれも『ある犯罪の物語』って題をつけられるわ。ドストエフスキーの執念なのね。いつも犯罪のことばかり書くなんて普通じゃないわ」「ぼくはドストエフスキーの生涯をよく知らないけど、人を殺したとは思わないね。そりゃドストエフスキーだってほかの人間と同じだろうね。きっと何らかの形で罪は経験していたろうよ――たぶん法律をおかすような形の罪をね。そういう意味じゃドストエフスキーも彼の作中人物と同じにいくぶん犯罪者にちがいないよ。もっとも彼の作中人物は完全な犯罪人じゃないし、情状酌量の余地があるんだけど。

ちょいと意義ありなので、ここで一旦切ります。
情状酌量の余地なんて全くない作中人物もいます。まあ『罪と罰』のラスコーリニコフだって、そうだと思いますが、プルーストは『悪霊』を読んでるのだろうか、と思いました。
昔『罪と罰』を読んだ時、殺しの場面のリアルさに、ほんっっとにビックリして、アルベルチーヌのような感想をチラリと思いました。ってか、人を殺したことがあるのだろうか?とかは思いませんでしたが、まるで殺人を経験しているようだ、と。
それともうひとつ。処女作の『貧しき人々』なんて、まるで犯罪と関係ないですし、プルーストがどれだけドストエフスキー作品を読んでいるか知らないけど、全てが犯罪の物語ではありません。とにかく膨大な量の小説がありますからね。
では、引用つづきます。

いや、おそらくドストエフスキーは犯罪をおかす必要もなかったんだ。ぼくは小説家じゃないけど、作家が自分自身で体験しなかったある生活形態に惹かれるっていうことはあるだろうからね。もし今度約束どおりにきみとヴェルサイユに行ったら、誠実そのものの男で理想的な夫のくせにとんでもない背徳の書物を書いた人物、つまりコデルロス・ド・ラクロの肖像画を教えてあげるよ。しかもそのちょうど正面にはジャンリス夫人の肖像画があるんだけど、これは道徳的な物語を書いたくせにオルレアン公爵夫人をだましたばかりか、子供まで横どりして苦しめた女なんだ。それにしてもドストエフスキーが殺人ばかりにこだわるのはなんだか異常だね。おかげで自分とまるでちがう世界の人間みたいな気がするよ。ぼくときたらボードレールのこんな詩を聞いただけでも仰天しちゃうんだから。ほら、

  ●姦、毒薬、短刀、放火……
  ああ! それはわれらの魂が大胆でないからだ。

ボードレールの場合は本気でそう言ったんじゃないのかもしれない。ところがドストエフスキーとなるとねえ……。ああいったことは、まるでぼくとかけ離れてる気がするんだ。もっとも人は少しづつ自分を実現していくものだから、ぼくのなかに自分でも知らない部分があれば別だけれどね。


* 「わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています」と出たので、一部伏せ字にしてみました。
ドストエフスキー好きとしては、なんか癪に障る文だなあ、と。全作品読んでから言えよ、と。
ちなみに言及のあったラクロは『危険な関係』の作者です。未読です。
映画はジェラール・フィリップがミスキャストだと思いました。



ボードレールの詩は『悪の華』です。
悪の華改版

次回へつづきます。



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『失われた時を求めて10 第5篇 囚われの女 ?』その4 2008.12.23

 

さらに引用つづきまして・・・この「家」の事なんて、にゃるほど!と思いました。
*『白痴』のネタバレありです。

でも、ドストエフスキーがもたらした新しい美の話にもどるけれど、フェルメールの場合に布地や場所なんかの一種の魂、一種の色調といったものがあるように、ドストエフスキーが創造したのは、人物だけじゃないんだ。家もそうなんだよ。ほら、『罪と罰』の殺人の家、門番 (ドヴオルニク) のいる家だね、あれはロゴジンがナスターシャ・フィリッポヴナを殺した例の暗い家、ドストエフスキーの殺人の家の傑作といえるあの細長くて天井が高くて広いロゴジンの家と同じくらいにすばらしいものじゃないかな? 一軒の家が持つこの新しい凄みのある美しさ、女の顔が持つこの新しいまぜあわされた美しさ、これこそドストエフスキーが世界にもたらした比類のないものなんだよ。文芸批評家たちはドストエフスキーとゴーゴリを比較したり、彼とポール・ド・コックを比べたりしてるけど、この隠れた美しさにふれないんだからおもしろくもなんともありゃしない。今ぼくは、いろんな小説に同じ場面が出てくるって言ったけど、小説がうんと長くなると一つの作品のなかに同じ場面や同じ人物が繰り返しで出てくるんだ。『戦争と平和』のなかなんかでは、簡単にそれが指摘できるよ。たとえば馬車のなかの場面……」「ちょっと、お話の途中だけど。ドストエフスキーのことじゃなくなるらしいから、忘れないうちにきいとくわね。こないだ、《これはセヴィニェ夫人のドストエフスキー的側面だ》って言ったでしょ。あれどういう意味なの? あたしには分かんなかったわ。あの二人はまるでちがってるみたいだし」「さあ、こっちへおいで。ぼくの言ったことをそんなによく憶えていてくれたから、お礼にキスしてあげよう。そのあとでまたピアノラのところへもどったらいい。正直なところ、ぼくが言ったのはばかげたことさ。セヴィニェ夫人はエルスチールやドストエフスキーと同じで、物事を論理的な順序に沿って、つまり原因から先に出してくるかわりに、まず結果から、ぼくたちをぎくっとさせる幻想から始めることがあるんだ。ドストエフスキーの人物の行動っていうのは、エルスチールが出した効果、ほら、海が空のなかにあるように見える例の効果だよ、あれと同じくらいに人をぺてんにかけてるみたいに見えるね。陰険な男が腹の底じゃあすばらしい人間だったり、あるいはその逆だったり、そんなことをあとから知ると、ぼくたちは呆気にとられちゃうんだ」

まだま~~だ続きますからね。(汗)
セヴィニェ夫人は、『失われた…』初読の後に古本屋で見つけて購入したんですが、まだ未読です。(^^;)
語り手の母と祖母の愛読書です。
セヴィニェ夫人の手紙

エルスチールは『失われた…』に出て来る画家です。
次回へつづきます。



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『失われた時を求めて10 第5篇 囚われの女 ?』その3 2008.12.22

語り手が、トマス・ハーディやスタンダール、フェルメールの絵などに言及し、そこからドストエフスキーに関しての長い長い会話へと移るのですが、これがおもしろくて、どこからどこまで引用していいんだか困る訳でして。
こうなったら、出来る限り引用しちゃいたいです。(著作権的にだいじょぶですかね…汗)
まあとにかく、引用はじめます。

ドストエフスキーの描く女っていうのは (レンブラントの女のように独特で) いつも神秘的な表情で、感じのいい美しさを持っているけれど、まるで善良さはお芝居だったみたいに、その美しさが急にひどい傲慢さに変わってしまう (もっとも心の底はどちらかというと善良らしいけどね)。アグラーヤに愛情あふれる手紙を何通も書きながら、あなたを憎んでいるって言うナスターシャ・フィリッポブナにしても、これとそっくりの訪問の場面に出てくるグルーシェンカにしても、同じタイプだろう――この場面はナスターシャ・フィリッポブナがガーニャの両親をののしるシーンにもよく似てるけど――。グルーシェンカは、自分を恐ろしい女だと思っていたカチェリーナ・イワーノヴナの家で、彼女にとてもやさしくするけれど、そのうちに急に悪意をむき出しにして相手を罵倒してしまう (そのくせグルーシェンカは、腹のうちは善良なんだがね)。グルーシェンカとか、ナスターシャとか、どっちもカルパッチョの描いた遊女、いやレンブラントのバテシバにも劣らないくらい独創的で神秘的な女だよ。きっとドストエフスキーは、このきらきらしていて、二重になっていて、急に自尊心がゆるむと女を別人のようにしてしまう表情しか知らなかったわけではないだろうね。(ムイシキンがガーニャの両親をたずねてナスターシャに《きみはこんな人じゃない》って言うだろう? アリョーシャだってカチェリーナ・イワーノヴナを訪ねたときに、グルーシェンカにこれと同じことが言えたはずだよ)。ところがドストエフスキーが《絵画論》をやろうとすると、これがいつもばかばかしい議論でね、せいぜい出してくるものと言えばムンカーチの絵で死刑囚のこれこれの瞬間を描いたところとか、聖母マリアのしかじかの瞬間なんていうたぐいのものさ。

一旦切ります。
アグラーヤ、ナスターシャ・フィリッポブナ、ガーニャ、ムイシキンは『白痴』の登場人物です。
グルーシェンカ、アリョーシャ、カチェリーナ・イワーノヴナは『カラマーゾフの兄弟』の登場人物です。
レビューこちらから。
どれも、めちゃおもしろい名場面です。
次回へつづきます。



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Sports Graphic Number 2008年 11/27号 日本シリーズ完全詳細 西武VS巨人 2008.12.20



今年の日シリは、贔屓の西武が完全制覇したのは勿論ちょ~~うれちーきもてぃー訳ですが、何と言っても、全試合隅々までおもしろい試合だった事が嬉しかったです。
んで、Numberこの号、勿論永久保存版です。
写真を楽しもうぐらいの気持ちで買ったのですが、実に読み応えがあり、一試合一試合が甦ってきて、そして、ああ、あの時そうだったのか!と知らなかった事も書いてあったりで、大変おもしろかったです。
「江夏豊の眼」もおもしろかったし。
西武ファンだけでなく、野球ファンなら必見ではないかと。
こんなにドラマのある熱戦は、なかなかないですよね。

先発中1日で4回から登板し、最後まで投げ抜いた岸くん。その起用も前代未聞なビックリでした。以下引用です。

「西口さんに日本シリーズで投げてもらいたかった。だからどうしてもここで負けるわけにはいかなかったんです」
 MVP獲得後のインタビューで、岸は試合に懸けた思いを明らかにした。岸にとって西口は東北学院大時代から憧れの存在だった。地元の楽天、そしてドラフト直前に獲得に乗り出してきた巨人の誘いを蹴って西武を逆指名したのも、「西武が一番早くから高く評価してくれた」ということとともに、もうひとつ、この憧れの投手の存在も大きかった。


そして、何と言っても、とにかく凄かった中島の活躍。
ファールでねばってねばってヒットにする、一球一球考えて頭を使っているのがわかります。
ポスト松井カズオだった中島ですが、今ではその存在感も抜群です。
その中島は、土井コーチに手塩にかけて育てられました。
「監督には、今は迷惑をかけているが必ず恩返しできるときが来るから、がまんして使って欲しいとお願いしている」と、ずっとスタメン起用を進言していたそうです。
その土井コーチが、去年、成績不振の責任を取って辞任した、最後の試合で、中島は号泣したそうです。以下引用です。

その時の言葉は今でも忘れていない。
「もう教えることは何もない。"一定の力で振る" ことを忘れないでやってくれ」
 始動からフィニッシュまで無駄な力を入れず、同じ力で振り切るこの打法をマスターしてから右中間の打球が思いの外、飛ぶようになったのだ。


にゃるほど。
ドラマは日シリずっと前からはじまっていたのですね。
「WBC監督選考にモノ申す!」なんてのも載っています。
歴史に残るような名日シリの号ですから、必見です。なくならないうちに。

こちらも読みました。


何故今期の西武が強かったのか、完全制覇が出来たのかが、よくわかります!!おもしろかったよ~~



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『失われた時を求めて10 第5篇 囚われの女 ?』その2 2008.12.19

繰り返し作者の恋愛観がわからん!と書いてますが、相手を囚われの身にして自分の所有物にするのは愛とぜんっっっぜん違うと思うのですよ。ほんっと嫌悪感漂っちゃいます。以下引用です。ネタバレありです。

すなわちその夜私が彼女と別れると言ったのは――たとえ私がまだそのことに気づいていなかったとしても――第一に彼女から自由を要求されはしまいかとびくびくしていたためだった。だがまた同時に、私が自尊心と抜け目のなさを発揮して、そんなことをちっとも怖がっていないように見せつけたがったからでもある――

まあ、自尊心うんぬんは、わからんでもないですが、いちいちこんな事で、別れる気もないのに別れるのなんのと言われたらかなわんです。
もっと後の方には、こんな事も書かれています。

 アルベルチーヌとの生活は、嫉妬していないときは退屈なものにすぎず、嫉妬しているときは苦痛そのものに思われた。

もうひとつ引用します。

しかし気になるのは、「ダンスの楽しみ」に描かれたある種の煽情的なポーズを見て、ひょっとするとアルベルチーヌが、自分の送ったことのない生活、花火や安酒場の生活にもいいところがあると考え、庶民的な快楽への欲望や郷愁を覚えはしないかということだった。

いやまさに、アルベルチーヌには上に書かれたような事が似合うでしょう。
恋人を死んだような状態にさせておいて、愛もへったくれもあったもんじゃありません。

次回につづきます。



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『失われた時を求めて10 第5篇 囚われの女 ?』その1 2008.12.18

この巻は、まあ比較的退屈せずに読めた気がします。
自分的には、ドストエフスキーに関する約8頁に渡る会話があったりして、ココは実におもしろかったです。
そして、この作品に関しては、やはり芸術に対して実に適確で鋭いと思うし、人間観察も鋭いんだけど、恋愛に関しては、どーしても感覚がわからん!と以前から書いておりますが。
はじめに「はじめに」より引用です。

 われわれはよく、どこからか響いてくる音楽をふと耳にして、「おや、ヴィヴァルディだ」、「おや、モーツァルトだ」などと心につぶやくことがあるが、ちらと聞いただけで作者を特定することができるこの独自のもの、これをプルーストは、作者の「調子 (アクサン)」、「魂」、「祖国」などと読んでいる。そしてむろんこうした個性は音楽だけではなくて、すべての芸術的創造行為にかならず現われるだろう。それをプルーストは、語り手とアルベルチーヌの会話という形で、たとえばスタンダールやドストエフスキーを始めとする数人の小説家や画家の独自性にかんする対話を通して、伝えようとしている。

そして、美しい描写も見事です。以下は本文より引用です。

すでにピアノで知っていたヴァントゥイユの交響曲の一ページは、今オーケストラで聴いてみると、夏の陽の光が暗い食堂にさしこむまえに窓ガラスのプリズムで分解されてしまうように、思いもよらぬ多彩な宝物にも似たもののヴェールを取りはらって、『千一夜物語』のありとあらゆる宝石をあばき出すのだった。

後半にドストエフスキーの長い長い言及が出てくるのですが、真ん中へんでもチラリと出てきます。以下引用。

しかし認めておかねばならないのは、王妃の考える共感をそそる人物が、私の書棚からアルベルチーヌが取り出して自分のものにしてしまったドストエフスキーの小説の場合とはちがっていることだった。つまり人におもねる居候、泥棒、酔いどれといった、腰が低かったかと思うと尊大になったりする連中、放蕩者だの、場合によっては人殺しだのといった種類の人たちではなかったのだ。

次回へつづきます。



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『失われた時を求めて9 第5篇 囚われの女 I 』その9 2008.12.16

巻末のエッセイは、今回は加賀乙彦でした。
いろいろUPしてます。こちらから。
私、加賀乙彦好きなんですが、この前清水さんが、加賀乙彦が書いているドストエフスキーに関しては、間違いだらけだとか悪口言ってた影響からか・・・(笑) いや、自分で判断してると思いたいですが、ちと最初の文を引用します。

 私はプルーストの研究家ではなく、一読者として永年小説を楽しんで読んできただけなので、作品の内容についての批評はできない。ただ、自分がどんなふうに彼の作品とかかわってきたかを、回想するだけである。

えー?研究家ぢゃないと批評しちゃいけないっつーんですかい??って気が・・・。
んで、実際に小説に書かれた教会や、プチット・マドレーヌの発祥の家に行った経験などが書かれているのですが、ほとんど感激するよりガッカリしたみたいで、その辺がまた『失われた時を求めて』のテーマのひとつと結びついちゃいますね。
そして、果たしてこの人は、ドストエフスキーよりトルストイ派だったの?とちと疑問にも思った一文を引用して終わります。

 この作品に私が心引かれたのは、緻密に閉じられた物語が現実の歴史と接触する、フローベールやトルストイの方法が、この二人の作家に心酔していた私の嗜好と一致したことが大きい。ドレーフュス事件や、第一次大戦に出征した話者の友人サン=ルーの存在、飛行船による空襲の光景、私には真偽の別を区別できないけれども、貴族やブルジョワのサロンの雰囲気など、時代と密着している小説の作り方が私には好ましかった。
 小説がある時代の実際の出来事を描けば、描かれた事実の真相は時を経るにしたがって変わっていき、小説はその部分から腐食していくので、こういう作り方を避ける小説家が多いことを私は知っている。ドストエフスキーには、実際の出来事をモデルにしながら、決してそれを事実として描かず、完全に小説の世界は現実から離れた形で完結する閉ざされた作品が多いが、それと対照的なトルストイの開かれた小説、たとえば『コザック』や『戦争と平和』のような小説にプルーストが手を差し伸べているのが、嬉しかったのである。


『戦争と平和』はしんどかったなあ。感想こちらにUPしてます。



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『失われた時を求めて9 第5篇 囚われの女 I 』その8 2008.12.15

ちょいと豆知識を。
私、シリアルマーダーに関しては、詳しいつもりでいましたが、ランドリュって知りませんでした。
・・・とUPする前に調べてみたら、なんだあ、青ひげの事っすか。ちょいと拝借
訳注より引用です。

ランドリュ アンリ・デジレ・ランドリュ。稀代の殺人鬼と見なされている。十人の婦人と一人の少年を殺害したかどで逮捕された。訴状によれば結婚を餌に女を別荘に招き、これを殺して死体を焼却したという。被告は終始殺人を否定したが、結局一九二二年に死刑に処せられた。

次にUPする巻末エッセイについてが長くなったので、次回最終回です。



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『失われた時を求めて9 第5篇 囚われの女 I 』その7 2008.12.14

*ネタバレあり

もうココまで読んだら目的を果たしたようなものなんで、でもココまで読んだのだから、なんとか最後まで読むゾと頑張っている訳でして。
ひっじょおに重要な、ベルゴットの死のシーンです。
オランダでフェルメールの「デルフトの眺望」を見たということは、自分にとって凄い出来事でした。(こちらを。)
その事が、この長大な小説を再読するハメに・・・・いや、きっかけになった訳でして、そのベルゴットの死のシーンを、長い長い引用をしちゃいます。

 彼が死んだときの状況は次のとおりである。軽い尿毒症の発作のために、彼は安静を命じられていた。ところが某批評家がフェルメールの「デルフトの眺望」(オランダ展のためにハーグの美術館から貸与されたもの)、彼の大好きな、そして隅々まで知っているはずのこの「デルフトの眺望」のなかに、黄色い小さな壁が実に見事に描かれており (それが彼には思い出せなかった)、その壁だけをじっと眺めるとすばらしい中国の美術品のように自足した美を備えていると書いていたので、ベルゴットはジャガイモを少し食べてから外出して、この展覧会場に入った。階段を数段上がったとたんに、彼は目まいに襲われた。彼は多くの絵の前を通りすぎながら、どれもこれもわざとらしい、かさかさした無用な芸術だという印象を受け、ヴェネツィアの宮殿 (パラツツオ) を吹きぬける風や太陽、いやそれどころか海辺の質素な家を吹きぬける風や太陽の光でさえ、これよりずっとましだと考えた。ようやくフェルメールの前に来た。彼の記憶ではもっとはなやかな、彼の知っているあらゆるものとかけ離れた絵のはずだったが、それでも批評家の文章のおかげではじめて青い小さな人物たちに気づき、砂がバラ色であることを認め、最後にちょっぴり顔を出している黄色い壁の貴重なマチエールを発見した。彼の目まいは徐々に増大した。彼は目をすえて、ちょうど子供が黄色い蝶をとらえようと目をこらすように、この貴重な小さな壁を眺めた。「こんなふうに書かなくちゃいけなかったんだ」と彼はつぶやいた、「おれの最近の作品はみんなかさかさしすぎている。この小さな黄色い壁のように絵具をいくつも積み上げて、文章 (フレーズ) そのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ」。しかしながら、ひどい目まいは彼をとらえて離さなかった。彼の脳裏には、天上の秤の一方の皿にのっている自分の生命があらわれ、それに対してもう一方の皿には黄色にみごとに描かれた小さな壁がのっていた。彼は自分が軽卒にも、後者のために生命を犠牲にしたように感じた。彼は考えた、「それにしても、夕刊の三面記事に、展覧会で起こった事件などと書かれたくないもんだ」。彼は心に繰り返した、「庇のついた黄色い小さな壁、黄色い小さな壁」。そうつぶやきながら彼は半円を描いているソファにくずれ落ちた。



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『失われた時を求めて9 第5篇 囚われの女 I 』その6 2008.12.10

◆嫉妬◆
以下の文には、にゃるほど!という感じもあり、何か別のものもあるんでねーか?って感じもありでした。

 嫉妬のためになんと多くの人や町や道が、無性に知りたいものになることだろう! 嫉妬とは知りたいという渇望であり、このために人は互いに何の脈絡もないさまざまな点について、次から次へと考えられるすべての知識を獲得してゆくのだが、ただ本当に欲しい知識だけは得られない。

しかし、この嫉妬が語り手の恋のほとんどを占めているんですよね。
そして、それは、周りの友人たちをも、ないがしろにします。わたしゃ理解できましぇんっっ。
今フと思ったのですが、「嫉妬」というのは、もうほんっっとに辛い感情じゃないっすか。自分にとっては。でも相手には自分に対して嫉妬してもらいたいという気持ちがないでしょうか。
って訳で、もうひとつ引用しておきます。

彼女は私に肉の満足を与えたし、おまけに頭のよい女でもあった。だがこんなことは何もかも蛇足である。私の心を占めていたのは、彼女の聡明な言葉ではなく、彼女の行為に疑問を抱かせるようなひと言だった。

語り手とアルベルチーヌは一緒に暮しているのですが、それは2人で生活していくというのではない訳で、働きもせず、家事も何もせずにだらだらしていれば良いという環境でして、どーも暇がありあまっている人達ならではの悩みのようにも思えてしまいます。
まだつづきます。(^^;)



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『失われた時を求めて9 第5篇 囚われの女 I 』その5 2008.12.7

◆無名の主人公◆
まずは引用です。アルベルチーヌが眠りから目覚める時の話です。

 口がきけるようになると、彼女は「あたしの」とか「あたしの大事な」とか言って、いずれの場合もその後に私の洗礼名をつけるのだったが、もし仮にこの本の作者と同じ名前を語り手に与えたとしたら、それは「あたしのマルセル」「あたしの大事なマルセル」ということになっただろう。

この文を目にすると、そう言えば、この主人公には名前がなかった!とはっきりと気付く訳です。
この無名性というのは、ドストエフスキーの影響じゃないかと思うんです。『地下室の手記』ですね。(感想こちらから)
・・・と言いつつ、直接的な影響というと、いまいちピンと来なかったりするんですが、ドストエフスキーの影響を、いちばん正当に受け継いでいる作家はカフカではないかと思います。
(カフカ作品の感想こちらから)
『地下室の手記』や『審判』『城』などとは、この小説の無名性というのは、微妙に意味合いが違う気もします。
次は、なんとなくわかる気がする~と思った文を。

だからこそ人間は自分に寄せられた女の好意を得意になって吹聴するとき、他人にもまた自分に対しても真実を語っている気になりうるのだが、しかしよく考えてみるとその関係のなかには、他人には明かされない秘密の形で、あるいは質問や調査により知らず知らず暴露されるといった形で、たえず苦しい不安が流れているものだ。

その6に続きます。



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『失われた時を求めて9 第5篇 囚われの女 I 』その4 2008.12.4

その2で「愛とはそういうものじゃないでしょ!という箇所が、この先いくつかありましたが、それは後々引用します。」と書きましたが、そんな箇所を引用です。

愛とは多くの場合私たちの感情にとって、若い娘のイメージが胸のときめきと結びついたものにすぎず、その胸のときめきは、果てしない空しい期待や、「待ちぼうけ」をくらわされた経験と切り離しえないものなのだ。

それは愛じゃないと思うんですが。もうひとつ。

選ばなければならない、苦しむのをやめるか、愛することをやめるか。というのも、愛は初めは欲望によって形成されるが、やがては苦しい不安によってのみ続けられるからだ。

うう、あまりにも悲しいじゃないっすかっっ!
勿論苦しい不安もいっぱいあるでしょう。でもそれだけじゃあ続かないんでねーの?と。
ほんっっとに理解不能な訳でして。わかる~って方いらっしゃいます?
その5に続きます。



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『失われた時を求めて9 第5篇 囚われの女 I 』その3 2008.12.3

自分の発言にも書く事にも責任を持ちたいと常々思っておりますが、ついさっき言った事と矛盾した事を言いつつ、全く気付かないっつー人もいる訳でして。ゲルマント公爵がまさにコレ。
では引用していきます。

もしだれかフランス人が盗みや人殺しをした場合、私と同じフランス人だからその男の無実を信じなくちゃならんなんて、私にはとても考えられたものじゃない。ところがユダヤ人ときては、仲間の一人が売国奴だってことをちゃんと承知しているくせに、それを認めたがらないんだ。おまけに仲間の犯罪がどんなに恐ろしい結果をもたらすか、まるで気にもしないのだから……。

と言いつつ・・・

あの恐ろしい犯罪は単なるユダヤ人問題じゃなくって、紛れもなく国家的な一大事件なんだからね。その結果フランスにとっちゃあ途方もなく恐ろしいことが起こりかねないんだ。ユダヤ人は一人残らずフランスから追放すべきだろうね。

う~~ん、なぜユダヤ人全員を追放すべきなんだ?って気が。
仮に1人のユダヤ人が犯罪を犯したとして、ユダヤ人全員に罪があるっつーのは、最初に言ったフランス人うんぬんと同じことですよねえ。



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ドストエーフスキイの会189回例会 清水正氏「マンガ版『罪と罰』二種」その3 2008.12.2

こちらから続きまして、そんな清水さんが高く評価されているのが、落合尚之氏の漫画『罪と罰』です。
楽天で買えるよ~~こりゃ買うしかねーかな、と。んで、注文しちゃいました。

   

私は読んでないので、批評出来ませんが、ロシアの『罪と罰』を現代日本に置き換え、その名前の付け方には、びっくらこきました。
黒澤映画『白痴』をさらにひねったような。(黒澤『白痴』の感想こちら)
江川卓の『謎解き罪と罰』(感想こちらから) の、ラスコーリニコフの名前は666になるという謎解きを意識した「みろく」という名前!
彼は例会に来ていまして、二次会でお話する事も出来たんですが、黒澤の『白痴』は見ていないそうです。
まだ連載中の漫画ですが、要注目ですね。

休憩をはさんで質問コーナーへとうつりましたが、私、この会に長年、と言っても頻繁ではありませんが、見てきて思うのは、とにかく皆しゃべりたすぎ!!
どの人も質問が長過ぎます。どーか短くまとめてもらえないでしょうか。
もっと短くて鋭くておもしろい意見をお持ちの方がおられると思うのですが、そういう人達のしゃべる機会をどうか、奪わないように、お願いしたいです。

最後に、死にたいような辛い思いをした時には、思い出そうと思った言葉を。死にたくなっても死ねないけどさ。
「復活を信じるか」というご質問だったかと思うのですが、それは信じる、と。ただし、聖書的な意味ではなく、です。
今生きていること事態が奇跡なのだから、命がつきるまでは頑張って生きようと思う、とおっしゃっていました。

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ドストエーフスキイの会189回例会 清水正氏「マンガ版『罪と罰』二種」その2 2008.12.1

こちらから続きまして、「天才」の話に戻りますが、二次会で「清水さんの考える「天才」についてはわかりました」と言ってた方がおりましたが、そうじゃないんですよねえ。
モノホンがわかる、わからないは、個人の考えるモノホンではなく、全世界共通ですから。
例会でニーチェやハイデガーの話をされましたが、実に難しく分かりにくく書いてあるにもかかわらず (多分ハイデガーの方ね。ニーチェはわかりやすいと自分は思うんですが…)、普段から自分が考えていた事が書かれていたから、わかるんだ、とおっしゃってました。
この「わかる」というのは、理屈じゃないので、説明できないんですけどね。わかる人にはわかります。(笑)
私はハイデガーは背伸びして読んだ事がありましたが、もうさっぱりで脳みそ疲れまくりだったんですが、ニーチェは、これは自分の事だ!と夢中で読みました。いくつか再読もしてますし。


ツァラトストラかく語りき(上巻)改版
ツァラトストラかく語りき(下巻)改版

自分にとっての本の読みやすさ、読みにくさも、これと関係あるでしょうね。
分かり合える人間同士だと、すんなり頭に入ってくるんです。
その3に続きます。

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Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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