ドストエフスキー『未成年』その3 2009.3.29
神の話に、にゃるほど!ちと長くなりますが、アルカージイとの会話を引用します。
「あの人は――今あなたが言われたように、ひじょうに傲慢な人間です、ところがひじょうに傲慢な人間は、えてして神を信じるものなのです、わけてもいくぶん人々を侮蔑している者には、特にその傾向があります。強い人間にかぎって、どうやら、そのまえに跪拝すべき誰かを、あるいはなにかを見つけたいとする――一種の自然の要求があるようです。強い人間はときとすると自分の力を堪えるのがひどく苦しいことがあるものですよ」
「なるほど、それは大いにそうかもしれません!」とわたしはまた叫ぶように言った。「ただぼくが知りたいとねがうのは……」
「その理由は明白です。彼らは人間のまえに頭を下げたくないから、神を選ぶのですよ――むろん、自分の気持ちがそんなふうにうごいていることは、自分では知らんのですがね。神のまえに跪拝することはそれほど恥じゃありませんからねえ。彼らの中からきわめて熱心な信者がでるものです――もっと正確に言うと、信じたいと熱望する者というべきでしょう。ところがこの熱望を、彼らは信仰そのものととるのです。だからこうした連中には、最後に失望する者が特に多いというわけです。
もうひとつ、その2で書けば良かったと思ったヴェルシーロフが言ったセリフを一部。
愚か者は常に自分の言ったことに満足し、しかも常に必要以上にしゃべる。選ばれた者は貯えを愛するものだ
次回へつづきます。
ドストエフスキー
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