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ドストエフスキー『作家の日記』2巻 その2 2009.4.30

二月の第二章は、最も興味深かったです。まずはにゃるほどと思った一文を。

才能の所有者はほとんどすべて多少とも詩人であり、才能に恵まれていれば、建具職人であっても例外ではない。詩情というものは、言ってみれば、あらゆる才能に恵まれた人間の内部に燃えている火なのである。

クローネベルク事件に関しての説明文を引用します。

 事件はつぎのようなものである――父親が子供を、七歳になる娘を手ひどく折檻した。起訴状によれば――それ以前にも娘にひどい仕打ちを加えていた。平民出のある婦人は他人事ながら、折檻されている小さな女の子が、(起訴状によると) 十五分もむちの下で「パパ! パパ!」と泣きわめく声には、どうにも我慢がしきれなくなったとのことである。そのむちというのは、ある鑑定人の証言によれば、ただのむちではなく、「シュピッツルーテン*主として軍隊で兵士懲罰のために使用する数本の枝を束ねた長い笞。(訳注より)」つまり、七歳の子供に私用するなどとはもってのほかの代物であることが判明した。とは言うものの、それは証拠物件のひとつとして法廷に並べられていたので、誰でも、当のスパソーヴィッチ氏ですらも、自由にそれを見ることができたのである。それはともかくとして、起訴状は、折檻する前に、せめてこの小枝だけでも折り取るべきだと注意を受けた父親が、「いいや、かえってこのほうが威力があるんだ」と答えたという事実に言及している。それにまた父親自身も罰を加えたあと、気を失ってほとんど倒れそうになったこともよく知られている。

その父親が、敏腕弁護士の力で無罪になったそうです。
最初に引用した文は、弁護士に対して、皮肉的に書かれたことなのですが、私達も普段ニュースを見ながら、弁護士に対して憤るという事が時々あると思うんです。裁かれるべき極悪人を何故助けるんだ?とか。
仕事なら真実など関係なく、そいつを無罪に導くのか?とか。
ここに書かれているドストエフスキーの気持ちは、まさに現代の私たちの気持ちと同じなんです。
私の最も好きな小説『カラマーゾフの兄弟』の中でも、最も好きな登場人物がイワンなのですが、次の文は、そのイワンの「大審問官」を思い起こしました。

小さな子供が、誰にも見られないようにこっそりと隅にかくれ、そこで、小さな手をもみしぼり (そうだ、手をもみしぼるようにしてなのだ、わたしはそれをこの目で見たことがある) ――そして、ちっちゃなこぶしで胸を叩きながら、自分でもなにをしているのか分からないままに、ただ自分が愛されていないことを、いやというほど身にしみて感じながら泣いているところを、あなたはご覧になったことがおありだろうか?

そして、この父親を無罪にする為に、七歳の女の子を、肉体的にあれほど痛めつけられた女の子を、こうまで精神的に理不尽に痛めつけて許されるのだろうか?と、次の文など読んでいて非常に憤ったのでありました。

どうか、スパソーヴィッチ氏よ、もういい加減にしていただきたい、このような小さな女の子について、彼女は金に手をかけようとしたなどと、はたして言えるものだろうか? こうした言いまわしとそれに付随する観念は、金とはなんであるかということとその使用法を心得ている、大人の泥棒に対してのみ適用できるものなのだ。第一こんな小さな女の子がかりにお金を取ったにしても、それはまだ決して窃盗などと断定できるものではなく、干したあんずの実と同様に、単なる子供のいたずらにすぎない。なぜならば金とはどんなものであるのか、彼女にはぜんぜん分かっていないからである。それなのにあなたは、今度は遠からず銀行紙幣に手を出すに相違ないと、われわれに説教し、また「これは国家に対する脅威である!」と絶叫している。となると、このようないたずらに対して、この少女が受けたようなひどい折檻は正当であり申し開きの立つものであるという考えを、はたして許すことができるだろうか、はたしてそのままにしておいてよいものであろうか。しかも彼女は金を探りもしなければ、金などはぜんぜん取りもしなかった。彼女はただ金のはいっていたトランクの中を探してみて、編み針を一本折っただけであり、そのほかにはなにひとつ取らなかったのである。それに金を盗む必要などぜんぜんなかった。とんでもない言いがかりだ。金を持ってアメリカへでも逃げるつもりだった、それでなければ鉄道の利権でも手に入れようとしたと言うのだろうか? あなたは銀行紙幣のことなどに言及して、「砂糖から銀行紙幣への道は遠くない」などと言っているのだから、鉄道の利権と言われてもなにもいまさらひるむことはないだろう?

つづきます。



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ドストエフスキー『作家の日記』2巻 その1 2009.4.28

まずは引用です。

チーホン・ザドンスキーについてすらも、ここで言及するのはやめにする。ついでにここで言っておくが、チーホン・ザドンスキーのことを知っている人がいったい何人いるだろう? なぜこのようにぜんぜん知ろうとしなかったり、一切そんなものは読むまいと固く心に誓ったりしなければならないのだろう? 暇がないとでも言うのだろうか?

このチーホンさんが、どんな方なのかと言うと、訳注に書いてありまりす。

ヴォロネージュの主教で、のちにザドンスキー修道院の院長 (一七二四ー八三)。ゾシマ長老のモデルと言われている。

ちなみにこの本、章ごとに訳注がついているので、章が読み終わるごとに探して栞を挟むっつー事をやらなければならない訳で、2コ先まで行っちゃって意味がわらんにゃい…ってな現象もあった訳でして。
ちと今回短めですが、次回引用が長いので、次回へつづきます。



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ドストエフスキー『作家の日記』1巻 その5 2009.4.26

◆予言者ドストエフスキー◆
小説を読んでいてもそうですが、何故こんなに先の事が見えているの?とびっくらこく事があります。
先を見る力、ほんっっとにスゴイです。今現在の事を鋭い目で正しく見る事が出来ればこその、先見の明なのでしょう。
以下引用です。

 今日ではほとんど十年ごとに、いやもっと頻繁に兵器が変わっていく。あと十五年もしたら、ことによると、もう小銃で射ち合うようなことはなく、なにか稲妻のようなもの、機械から発射されありとあらゆるものを焼きつくす電流かなにかで戦うようになるかもしれない。

もうひとつ。
これは即連想したのが、やはりオウム真理教の事件です。

くどいようであるがわたしは自分の長篇『悪霊』の中で、この上なく清い心を持ったきわめて純粋な人たちでさえもこのようなグロテスクな悪行の遂行に手を貸すことになりかねない、あの多種多様でそれぞれ様相の異なる要因を描き出そうと試みたのであった。つまり恐ろしいのは、わが国ではどうかすると決して根っからの悪党でもなんでもないのに、この上なく汚らわしい卑劣な行為を平気でやりかねないということなのである! だがこれはなにもわが国だけのことではなく、世界じゅうどこへ行っても、この世がはじまって以来、過渡期には、人間の生活に大変動のあった、懐疑と否定の時代、スケプチシズムの時代、そしてまた社会の基本的信念に動揺をきたした時代には、つねにそのとおりだったのである。

1巻の終わりの方では、あの、死刑直前に助かった時の気持ち、その事件に対する思いなども書かれているので必見です。



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ドストエフスキー『作家の日記』1巻 その4 2009.4.25

今こういう作家っているんだろうか、て思ってしまった箇所を引用です。しかしどこで切ったら良いのか…長いです。

さまざまなタイプを書き分けて文学の世界である種の領域 (つまり、商人とか、百姓とかの生活を描き出すこと) を自分の専門分野と定めている現代の「作家・芸術家」は、一生涯たいてい鉛筆とノートを手にして歩きまわり、他人の話に聞き耳を立てては特徴のある言葉をいちいちノートに書きつけることにしている。それで結局、何百という数にのぼる特異な言葉を集めることになる。やがて小説を書くことになり作品の中で商人なり聖職者なりが口をききはじめることになるというわけである。読者は大笑いをしてこれを褒めそやす。なにしろどの言葉も実際に聞いたものを書き取ったわけであるから、これこそ本物のように思われるのだが、その実ただの嘘よりももっと始末が悪いことになる。と言うのは作品の中の商人なり兵隊なりはエッセンスだけで話をしている。つまりどんな商人でも兵隊でも実際には決してそんな話し方はしないからにほかならない。早い話が、彼が耳にして書きとめておいたような言葉が口に出されるのは、実際には、当人がフレーズを十もしゃべったあとで十一回目にやっとといったところである。この十一番目に口に出されるちょっとした言葉はなるほど特徴的で不体裁なものではあるが、その前の十の言葉は誰でも口にするようなもので、別に変わったものではない。ところがタイプを描き分けるのがお得意の芸術家の手にかかると、彼は書きとめられた台本どおりに、典型的な言葉でのべつ幕なしにしゃべりまくることになり、――結局は嘘になってしまう。描き出される典型はまるで教科書にでも書かれているような話し方をする。

「大部分は看板描きの、ペンキ屋仕事である」と書かれてますが、こういう努力さえ今してるんだろうか、と思ってしまう訳です。
だいたい目が自分にしか向いてなくないでしょうか。私小説はもういいよ!ってな現代な気がします。



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ドストエフスキー『作家の日記』1巻 その3 2009.4.24

◆ディケンズ◆
実は…ディケンズ読んだことないかも。^^;
ドストエフスキーがここまで言及しているなら、こりゃ必読かもしれないと慌てているところです。以下引用です。

あのディケンズにしても――風俗画であり、それ以上のなにものでもない。だがディケンズは「ピクウィック」や「オリヴァー・トゥィスト」や長篇『骨董店』の中に出てくる「祖父と孫娘」を創造した。そうだ、わが国の風俗画がそこまでいくのはまだまだ遠い先のことである。

訳注によれば「骨董屋」は、ディケンズ的人物の宝庫と呼ばれる作品で、『虐げられた人々』にはこの祖父と孫娘 (ネル) が大きな影響を与えているそうです。
映画になってるんだ~~しかし、本は絶版ですか?_| ̄|○

 



この章でもうひとつ、また訳注から引用ですが…

ワシーリイ・グリゴーリイェヴィッチ (一九三三ー八二)。レーピンと並び称されるロシヤ移動派の巨匠で、肖像画としてもピーセムスキー、ルビンシュテイン、ドストエフスキー等のすぐれた肖像画を残している。

旧新潮文庫の表紙などの絵は、この方なのでしょうか。
つづきます。



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ドストエフスキー『作家の日記』1巻 その2 2009.4.22

ドストエフスキーのイエスに対する愛は、作品の所々に表れていますが、キリストこそはなんと言っても人間美の理想であり、今後も二度とふたたび繰り返されることのない、人間の手には及びがたい典型であると感嘆して立ちすくんだと書かれていると紹介されている、ルナンの『イエスの生涯』。
もしかしたらこの本からの影響があったのだろうか、とか思ったり。たまたま共感する事が書かれていたのかもしれませんし、その辺はちと知識不足なのですが、ちょっと読んでみたいですよね。
訳注から引用しておきます。

フランスの宗教史家 (一八二三ー九二)。『キリスト教起源史』『イスラエル民族史』などの著者があるが、その『イエスの生涯』は、二十五年間にわたる文献学的研究と実地踏査の成果であり、イエス・キリストに科学的解釈をほどこしたものとして最も有名である。


イエスの生涯

◆分離派◆
「七 途方にくれたお顔つき」の所で、こちらなどで言及している「分離派」が出てきます!
訳注に分離派誕生の事が書かれていたので、引用しておきます。

モスクワの総主教であったニコン (一六〇五ー八一) は、ロシア教会の改革を試みたが、民族精神にこりかたまった信者の不信と疑惑を招き、数百万の信者は高位聖職者とともに教会から分離し、いわゆる分離派が発生し、教会は弱体化した。

こうやって次々と分派が誕生するんでしょうか。
基になっている聖書などに対する解釈の仕方の相違から、次々と分派されるのでしょうかね。

つづきます。



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ドストエーフスキイ全作品を読む会『未成年』から『カラマーゾフの兄弟』 2009.4.21

ドストエーフスキイ全作品を読む会ってのがありまして、この前『未成年』を読んだところなので、(感想、時間のある時にこらちにリンクしておきます) テーマ的に興味があったので行ってきました。
当然『未成年』の話が中心だと思いますよね?
ところが、ほとんどが『二重人格』の話で、『未成年』に関しては、『カラマーゾフの兄弟』に関して大変重要だという言及のみという感じ。(-_-;)
もうずっと不満に思いつつ聞いてました。いつ『未成年』の話になるんだをい、と。
もしかしたら、この日の為に『未成年』を読んで準備してきた方だっておられるかもしれないし、こーゆータイトルに偽りありってどうなんでしょうか??

しかし質疑応答になったら、質問者がちゃんと『未成年』の話に持って行ってくれまして、にゃるほどな発見もあり、おもしろかったです。
いそがしい時間をさいて、千円ばかし払って聞きに来てるんですから、何も得る所ナシに帰る事になったら悲しいですよね。

ヴェルシーロフの分裂性というのは、『二重人格』のゴリャートキンとは全く違うって話でしたが、ヴェルシーロフが聖像を壊すシーンの話が出た時に、これはきっと何か深い意味があるんじゃないか?と私は思ったんです。
そこの箇所はこちらで引用していますが、分離派の像を壊すんです。この〈分離派〉の像を壊す所に、何かあるな、と思ったんです。
そして、自我の分裂に悩んだヘッセも、ドストエフスキーの分裂に共感したんじゃないかな、なんて事に考えはおよび、『荒野のおおかみ』あたりを再読して確かめてみようかな、なんて事も思っています。

んで〈分離派〉の像の話ですが、尊敬する清水先生と飲む機会があったので、こりゃ是非とも聞いてみなければ、と思っていたのですが、ひっじょおに有益なお話をお聞きする事が出来ました!!
『罪と罰』のラスコーリニコフが、ばーさんの頭を「割る」訳ですが、(この辺の意味は江川卓の『謎とき罪と罰』(感想書いてます。ココから飛んでくだせえ) に詳しく出ています) ラスコーリニコフのこの行為と、ヴェルシーロフの聖像壊しって、おそらく繋がってますよね。
〈分離派〉の事も詳しく調べれば、おもろい事実が浮かびあがるかもしれません。ちと時間があるか、わかりませんが。^^;

偶然なんですが、明日UP予定の「ドストエフスキー『作家の日記』1巻 その2」でも〈分離派〉に言及してます。

*ってな感じで、時間は足りないまま、やりたい事ばかり増えていく~~私にの1クリックを~~~。


 

ドストエフスキー『作家の日記』1巻 その1 2009.4.20

全6巻。
現在2巻の最後の方まで読んだところで書いています。
第1巻は、1873年に雑誌『市民』に発表されたものだそうで、まず思ったのは、よほどのドストエフスキー好きでないとキビシーかも。(^^;)
時事ネタはその時に読まないと…ってな感じもするし、よほどのドストエフスキー好きな私も、かなり眠気が襲ってくる状態。
しかし読み進むにつれ、ネタによっては、そんなこたあ関係ナシにおもしろかったり、現代的でもあったり、新聞記事などをマメにチェックし、作品のヒントにしていたドストエフスキーですが、これってあの作品の元になったニュースだ!という発見も実に楽しいです。
特定の人への批判、というか、反論が結構多かったり。
勿論ドストエフスキーの思想もわかるし、あらゆる意味で退屈だったり、おもしろかったり、ってな感じで読み進んでおります。
1巻巻末の「解説」には、「当面の時事問題の中で最も強い衝撃を受けたありとあらゆるものについての自分の印象を語りたい」「この興味深い、しかもこの特異な時代に自分の意見を述べてみたいという、どうにも抑えがたい欲求にかられ」て、作家である自分自身と、自分の思想と見解について直接、しかも率直に読者と語り合うための「作家の日記」の刊行が実現されたと書かれています。

小沼文彦訳、ちくま学芸文庫で読んでます。絶版みたい?楽天ブックスで品切れ状態です。(涙)

次回へつづきます。




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ドストエフスキー『未成年』その10 2009.4.16

『未成年』が書かれた背景がわかる「あとがき」は実に興味深いです。
引用です。

 一八六七年『罪と罰』を完成すると、ドストエフスキーは第二の夫人アンナと結婚して、ヨーロッパへ旅立った。はじめは三、四ヶ月の予定が四年にわたる異国放浪になったが、ドストエフスキーにとっては実りの多い時期であった。この間に彼は『白痴』を書き、トルストイの『戦争と平和』に刺激されて、『無神論者』と『偉大な罪人の生涯』の構想を組み立て、さらに『悪霊』の執筆に着手している。一八七一年七月、彼はパリ・コンミューンの荒れ狂うヨーロッパをあとにして、「西欧ではキリストは失われてしまっている、だから西欧は破滅するにちがいない……」と深い悲しみを抱いて帰国した。そして彼が見たのは、トルストイの言う「何もかもひっくりかえってしまった」ロシアであった。当時のロシアは、農奴制度の廃止とともに、社会を支えていた古い制度と道徳が急激に崩れ去り、資本主義の発達につれて、全般的な貧困化が急速に進み、新しい指導理念がないままに、国じゅうが混沌と無秩序の中に突き落されていた。この「科学的に分析しつつある」ロシアを最終的崩壊から救うものは何か? ドストエフスキーはこれを『未成年』にさぐろうとした。

 

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ドストエフスキー『未成年』その9 2009.4.14

前回予告した通り、無神論についてのマカール・イワーノヴィチのセリフを引用します。だいぶ長いです。ってか、どこで切っていいんだか~~

無神論者というものにわしはまだ一度も出会ったことがないのだよ、わしが出会ったのはせかせかと空まわりしてる人間ばかりで――これももっとうまく言わにゃならんのでしょうがな。そりゃいろんな人々だよ、一口には言えんほどだが。えらい人もいれば、くだらん人もいるし、ばかもいれば、学者もいる、どん底の階級から出た者もいる、それがみんなせかせかと空まわりばかりしているのだよ。それというのも、本といううまいものを腹いっぱい食べて、年がら年じゅうああでもない、こうでもないと講釈ばかりしているが、そのくせ疑ってばかりいて、なにひとつ解決できないからだよ。中には店をひろげすぎてしまって、どれが自分なのかわからなくなってしまったのもいるし、また石よりもかたいみたいなことを言って、そのくせ心の中では甘い夢を見ているようなのもいる。そうかと思うと心にうるおいというものがまるでなく、考えも上っつらだけで、人を嘲笑してさえいればいい者もいる。またある者は本の中から花だけを選びだすが、それも自分の気に入った花だけで、というのも本人がせかせかしていて、ひとつの定見というものがないからだ。というわけで、また同じことを言うようだが、退屈なことが多すぎるよ。貧しい人間はないないづくしで、パンもなけりゃ、子供たちをまもってやるてだてもなく、やせ藁の上に寝てるようなしまつだが、それでも心は陽気で、軽い。罪つくりもすれば、乱暴もするが、それでも心は軽い。ところがえらい人はたらふく飲み食いして、金貨の山にとりまかれているが、それでも心の中には退屈があるばかりだ。

引用文ってのは、自分でも読み返すのが大変でして(^^;)、やっぱ紙で読むのより読み難いっすよね。
しかし上の文は、結構耳が痛い方もおられると思うんです。自分も含めて。是非是非読んでみてくださいませ。
次のヴェルシーロフのセリフもわかるなー。鋭いっす。

高度の知識人というものは、高い思想を追求しているうちに、ややもすると現実からすっかり遊離してしまって、滑稽で、気まぐれで、冷淡になってしまうことがある。しかも遠慮なく言うと――ばかになってしまう、それも実際生活においてばかりでなく、しまいには自分の理論においてさえばかになってしまうんだよ。

多分次回で最終回です。

 

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ドストエフスキー『未成年』その8 2009.4.11

新潮文庫旧版下巻の118ベージあたりから、マカール・イワーノヴィチの長い話が始まります。
ヘッセはコレを読んでいたのでしょうか? ちと調べてないのですが、全体的に、かな~~りヘッセを思い浮かべました。
ヘッセ小説そのものと言っても良いかも。
『車輪の下』なんかも思い出すし、〈荒野〉というキーワードにもヘッセは影響されたのではないか、と思います。
次のセリフなんて良いじゃああーりませんか。

年寄りはあとくされなく去らにゃいかんのだよ。おまけに、不平を言ったり、不服に思ったりして死を迎えたら、それこそ大きな罪というものだよ。だが、心の楽しみから生活を愛したのなら、きっと、年寄りにでも、神はお許しくださるだろうさ。人間がすべてのことにわたって、これは罪だ、あれは罪じゃないと、なにもかも知るのはむずかしいことだ。そこには人間の知恵のおよばない秘密があるのだよ。年寄りはどんなときにでも満足して、自分の知恵が咲き匂ってるあいだに、感謝しながら美しく死んでいかにゃならんのだよ。毎日々々を満足しきって、最後の息を吐きながら、喜んで、麦の穂がおちるように、自分の秘密を補って、去ってゆくのだよ」

もうひとつ、無神論についてのセリフを引用したいのですが、長くなるので次回へ続きます。

 

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ドストエフスキー『未成年』その7 2009.4.8

◆笑いについて◆
〈笑い〉というのは、時にとても滑稽だったり醜いものだったりします。
ドストエフスキーも、こんな風に書いています。

 人が笑うと、たいていは見ていていやになるものである。笑い顔にはもっとも多くなにかげびたもの、笑っている本人の品位をおとすようなものがむきだしにされる。

この新潮文庫『未成年』下巻工藤精一郎訳 (改訂版では同じページかわかりません) 115ページからの、笑いについての言及は、実に興味深くおもしろいです。
そして、こう結んでいます。

赤んぼうを見たまえ、赤んぼうたちだけが完全に美しく笑うことができる

次回、マカール・イワーノヴィチについて、ちと長くなりそうなので、今回はこの辺で。

ドストエフスキー

 

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ドストエフスキー『未成年』その6 2009.4.6

◆カフカ的な◆
その1でカフカ的と書きましたが、ルーレットの場面はほんっっとにカフカぽいと思いました。
泥棒と間違えられる所なんて、ほんとそうですね。
そして「下男になってやる」と卑屈になる気持ち、なんだかとってもわかるんだなー。以下引用です。

『ぼくを下男にしたいなら、さあ、すすんでなってやるぞ、人間の屑になれ――そらどうだ、りっぱな屑じゃないか』。こうした類いの消極的な憎悪と潜在的な怨念を、わたしは長年にわたってもちつづけることができたのである。そして、どうだろう? ゼルシチコフの賭博場で、わたしは完全に激昂して、ホール中にひびきわたるような声で、『ルーレットは警察に禁止されているんだ、貴様らぜんぶを密告してやるぞ!』とわめいたのである。まちがいなく、ここにはなにかこれに似たような卑屈さがあった。わたしは辱しめられ、体中をさぐられ、泥棒とののしられ、人間的に葬られた――『よし、じゃ正体を見せてやる、貴様たちの思ったとおりさ、おれは――泥棒どころか、そのうえ――密告者なのさ』。

もうひとつ。

『釈明がもうぜったいにできないし、新生活をはじめることもできないのなら、いっそ負け犬になってやるか、うじ虫になり、下男になり、密告者になる、もうほんものの密告者になってやるのだ、そしてひそかに準備して、そのうちに――不意にすべてを空中に吹っとばし、すべてを、罪のあるやつもないやつも、すべてのやつらをたたきつぶしてやるのだ、そしてそのときはじめてやつらは、これが――あのときみんなで泥棒呼ばわりをしたあの男だ、と知るだろう……それを見とどけたうえで、しずかに自分の生命を絶つのだ』

ドストエフスキーの小説は、時々ドキッとするんですね。
これなんて現代の犯罪に結構あるじゃないっすか。
「罪のあるやつもないやつも」って。
自分をすごく卑下して、卑屈になり、「誰でも良いから」世の中に復讐してやる~~ッ!って。
アルカージイは想像するだけで決してこういう事を決行は出来ない訳ですが、そんな人の方が多いと思いますが、やってしまう人もいるのが怖いです。

そして、ドストエフスキー作品は、まさに現代小説であるのです。

ドストエフスキー

 

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ドストエフスキー『未成年』その5 2009.4.3

*かる~~いネタバレあり

◆分離派◆
予告したようにカラマーゾフ関連もうひとつ。
下巻の終わりの方まで飛びます。とりあえず引用です。

おや、この聖像はなんだね? ああ、故人のか、思い出したよ。これはあの老人の父祖代々のものだ、うん、故人はこれを一生涯肌身はなさずもっていたんだよ。知ってるよ、覚えてるよ、老人はわしにこれをゆずると遺言したんだ。よくおぼえてるよ……たしか分離派のものだった……どれ見せてごらん」

出た!分離派!
これは江川さんの謎ときで詳しく出てたはず、と自分の日記を確かめましたらこちらに。
スメルジャコフが去勢派と書いてありますが、さらに『謎とき罪と罰』の感想のこちらを見てみますと、去勢派ってのは分離派の分派だと書いてあります。
私が即連想したのは、カラ兄弟のグリゴーリイなんですが、確か彼もそうだったと記憶してるんですが…。
んで、引用したのは、主人公アルカージイの戸籍状の父であるマカール・イワーノヴィチが亡くなった時のヴェルシーロフのセリフなので、こりゃ関連あるだろ、と思うわけです。
マカール・イワーノヴィチとグリゴーリイの立場って、なんとなく似たような位置と言えるんでないかと。
異端の宗教で、なじみのないものと思っている分離派が、こうまで何度も出てくるとなると、果たして当時のロシア人には身近なものであったのか、ドストエフスキーがこれに拘る理由があるのだろうか、などなど、いろいろ知りたくなってきますね。

ドストエフスキー

 

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ドストエフスキー『未成年』その4 2009.4.1

◆カラマーゾフの兄弟を連想◆
読んでいて、おおっ!これはっっ!と思ったのですが、服のどこかに縫い付けてずっと持ってるって、もしかして昔のロシア人ではフツーな感覚ですか?
その辺はちとわからんのですが、ドミトリー・カラマーゾフを即連想したのでした。以下引用です。

その手紙はヴェルシーロフににぎられているのではない、わたしがもっていたのだ、わたしのこのわきのポケットの中に縫いこまれていたのだ!

次のも、なにげに終盤のアリョーシャと子供たちの感動シーンを思い出しました。リーザとアルカージイの会話です。

「いいかい、約束や契約ぬきだぜ、――ただぶっつけに友だちになろうや!」
「そうよ、ただよ、ぶっつけによ、でも一つだけ約束があるわ。もしいつかあたしたしがお互いに責め合ったりしても、なにか不満なことがあったり、自分がわるい、よくない人になったりしても、またたといこんなことをすっかり忘れてしまうようなことがあっても、――決してこの日この時を忘れないということよ! こう自分に約束しましょうよ。あたしたちがこうして手をとり合って歩いて、こんなに笑い合って、こんなに楽しかった今日のこの日を、いつも思い出すことを誓いましょうよ……ね? いいでしょ?」


カラマーゾフ関連、もう一つご紹介したいのですが、長くなりそなので次回のお楽しみにっつー事で。

ドストエフスキー

 

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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
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