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大塚ひかり全訳『源氏物語第一巻 桐壺~賢木』その6 2009.5.29

私、前回寂聴訳で読んだ時には、光源氏ってぜんっっぜん良いと思えなくて、嫌なところばかり目がついちゃったのですが、今回大塚ひかり訳で読んでみると、こんな良い所もあるのだな、と思えた箇所が時々ありました。
そして、紫式部のどこが凄いかも良くわかります。
とんっっでもなく進んだ小説だったと思います。
『ジェーン・エア』よりも、ずっとずーーーっと昔ですもんね。驚きです。
以下「ひかりナビ」より引用です。

美人に惹かれるのが常道の当時の物語において、源氏はブスでもしとやかな空蝉のほうに心惹かれるという設定です。彼は容姿だけで女を選ぶ男ではないことがここで示されるのです。これは美男美女がくっつく物語を見馴れた当時の読者には新鮮な驚きを与えたはずです。多くの美しくはない女性読者の共感をも得たことでしょう。

末摘花にしたって、その醜さに驚愕しつつ、自分以外の男は我慢できまい、と結婚を決意するって言うんですから、凄いです。
そして、関わった女の面倒を最後まで見る所なんぞも、責任感があるんだなあ、と。まあモテるのも納得、みたいな…。
でも嫌な所、身勝手さ、ずるい所もちゃーんと描かれている所が、唸らされるのですね。
大塚ひかりのこれら↓の本も読んでみたくなりました。ううっ、また読みたい本が増えてもーて…。

      



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大塚ひかり全訳『源氏物語第一巻 桐壺~賢木』その5 2009.5.26

*18禁?

ひかりナビは、かなり露骨にハッキリと書かれていますので、こうハッキリ書いてあると、全くいやらしくないよなーと私なんぞは思うのですが、シモネタ苦手な人は苦手かも…。
昔の歌についての豆知識です。

 風俗歌や催馬楽はかなりダイレクトにエロいことが多く、「陰名 (くぼのな)」という女性器の名ばかりを並べた歌もあります。『源氏物語』を生んだ一条帝の時代、この手の歌が流行っていたのは注目すべきで、日本古典文学の校注に「王朝的典雅の対極には諧謔的猥雑の存することを忘れてはならない」と言い、同感です。露骨な性表現のない『源氏物語』は一つには、こうした歌を多用して性描写をしています。「セックス政治」が行われていた当時の性愛の重さを考えても、歌の文句一つとっても、現在以上にエロい意味が込められていると考えるのが自然ですが、下ネタが酒宴で歌われるのは、まぁ今の酒の席とさほど変わらないのではという気もします。

次回につづきます。



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大塚ひかり全訳『源氏物語第一巻 桐壺~賢木』その4 2009.5.24

寂聴訳で呼んだ時も「雨夜の品定め」は大変おもしろく読めた記憶があります。
そして、ココって、こんなに役立ちそうな事が書かれていたんだ!と以下の「ひかりナビ」を読んで思いました。

 雨夜の品定めは白熱しますが、改めて読むと、女にとって役立つことが満載。まず女には階級がある。「雨夜の品定め」では、最初に身分と育ちで上中下に女を分かちます。ところが左馬頭は「もう身分でも顔でも判断するのはよそう」と断言する。これは身分と顔で女の価値がほぼ決まっていた当時、現代人が思う以上に斬新な結論だったでしょう。いい女がいないと嘆く左馬頭のセリフからは逆に、男を惹きつける女の手練手管も学べます。手紙を出す時は差し障りのない内容で、墨つきほのかにという下りは、今なら、意中の男からメールが来てもすぐに返信しない。返信しても好意を丸出しにせず、次はもっとはっきりとした返事をほしいと思わせる。会っても自分を小出しにする。要はじらしのテクニックです。

上のように、今現在の恋にとっても役立ちそうな記述が多かったです。
いやー自分なんてもう、この点ぜんっっっぜんダメっすね。テクニックねえ…、身につけといた方が良いのかしらん……。真正直なもんだから、とっっても苦手です。_| ̄|○



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大塚ひかり全訳『源氏物語第一巻 桐壺~賢木』その3 2009.5.22

またまた「ひかりナビ」からの引用ですが、こう書いてもらえると、どのくらいの年齢で何をやってたかが、実にわかりやすく、おもしろいです。

女は生理がきて一人前、男は女を知って一人前と、考えられていたのだと、私は思います。妻は四歳上の十六歳。四歳ていど年上の妻は当時は珍しくもありませんが、数えで十二歳というと今なら小学五年生。十六歳は中学三年生です。中学三年女子から見たら、五年生男子はあまりに子供で「釣り合わない」と思うのも当然です。けれども源氏が焦がれる藤壷はこの頃、十七歳。今でいうなら高校一年生です。小五の男子が中三の妻をもち、高一の継母に憧れる。ませた世界ではありますが、現代の男子とて小学高学年ともなると、新卒の女教師に憧れたりすることもあるのですから、気持ち的には分かります。

この「ひかるナビ」は、実に公正かつ冷静な感じがしますし、今で考えると反感を買いそうな事にも、これもフツーの事なのかも、とか、そうだよなあ、と納得出来たりする部分もあります。
それでいながら、源氏のずるい所も、エラい所も、偏らずに解説されている所が好感が持てました。
オールひかるナビの引用になるかもしれませんが ^^; 、今後も是非おつきあいくださいませ。



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大塚ひかり全訳『源氏物語第一巻 桐壺~賢木』その2 2009.5.20

前回予告したように、早速「ひかりナビ」からの引用ですが、例えば平安時代の「結婚」とはどういうものだったのか。ってな事も説明してくれていて、大変興味深く勉強になります。

貴婦人が父や同腹の兄弟、夫以外の男には顔を見せなかった当時、女を「見る」ということはすなわち「セックス」するということで、ひいては「結婚」を意味してもいました。結婚を含まぬ、もっと軽いセックスを表わす語としては "語らふ" があります。『源氏物語』にはダイレクトな性表現がまったくといっていいほどありません。しかし十九頁ナビでも触れたように、娘を東宮・ミカドとセックスさせ、生まれた子供を帝位につけて一族繁栄をはかる「セックス政治」が行われていた当時、性愛のもつ意味は重く、『源氏物語』は、催馬楽や風俗歌や、自然や天体等、あらゆるものに託して性表現をします。歌に宿、戸、山 (月が入る) など何かを容れるものが出てくれば女性器や女、月 (山に入る) など何かに入るもの、傘のようにさしたり、形状がそれらしいものが出てくれば男性器や男を暗示すると見ていいほど。それだけに "見る" や "語らふ" といった普通に性愛を表わす語はとくに見逃しにできません〉

なにげにフロイトの『夢判断』とか思い出しました。
豆知識もうひとつ。同じく「ひかりナビ」より引用です。

当時の結婚は、意中の女に男が手紙を出し、女は初めはじらしつつ、その気があれば返事をし、それを数ヶ月続けたあと、簾ごしに会って、やがてじかに会い、セックスする。翌朝「後朝の文」を男が出し、三日続けて通えば結婚成立し、女の実家で披露宴という流れでした。

次回へつづきます。



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大塚ひかり全訳『源氏物語第一巻 桐壺~賢木』その1 2009.5.17




いやーおもしろいっっ!!
何がって、とにかく抜群にわかりやすいし、「ムカつく」「イタい」「マジかよ」「超ラッキー」などなど、めちゃ今風な言葉遣いが出てきて、マジかよ?と思います。(笑)
今の皇室でも、こういう言葉遣いはしないと思うので、気になる人はめちゃ気になるかもしれないし、風情もへったくれもねーなっつー感じではありますが、私は楽しめてます。
亀山某も、今風にわかりやすく書くなら、このくらいの言葉遣い使ったらいいんでね?と思ったのを、大塚ひかりはやってくれてる訳でして。
それと、間に挿入される物語へのナビゲーション「ひかりナビ」が、ほんっっとにおもしろいです。
よく本の後ろの方にある訳注と行ったり来たりってな事をやらされる本は多いのですが、これは行ったり来たりせずにスラスラ読めて、見事にわかりやすくなってます。
それも、本文をバシッと切られて興ざめな感じにもならず、実に上手い。
「はじめに」によれば、原文のリズムやことばの妙や時代背景をカラダで感じてほしい、原文を一部だけでも味わってほしい、原文重視の遂語訳でいて「分かる」もの、自分が欲しかった全訳を目指したそうです。
その「はじめに」から少し引用します。

 ただし「分かる『源氏物語』」を目指したといっても、「分からない」からこそ面白いということもある。「分からない」ところ、諸説あるところは無理に訳さず、ナビに記して読者の想像に任せた。

エロも描かれていると聞いて期待が膨らんだものの(笑)、原文で読んでいる母に聞いたら、エロい表現はうまくぼかしてあったり、最後まで書かずに切れていたりして、露骨に描かれてはいないという話だったので、ちと心配だったのですが、ココを読んで安心しました。
やはり、あくまでも「訳」であるなら、書かれていないものを勝手に埋めたりしては良くないと思うんですよ。
そんな所も共感しつつ、読み進む事が出来ました。

また引用などしながら、感想書いていきますね。
今の所、ほとんど「ひかりナビ」の所に付箋を貼っているので、その辺の引用になりそうです。

源氏物語



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門田隆将『甲子園への遺言』その5 2009.5.16

終盤の、剣道部員との交流がめちゃ涙腺に来ました。
高畠さんが亡くなった後、彼女たちは腕に「氣力」という字を書いて、福岡予選大会で見事優勝を勝ち取りました。
次の文は印象に残りました。

 高畠の書く気力の「気」という字は、気の中が "メ" ではなく"米" である。
「気力の "氣" という字は、メじゃなくて米を書くんだぞ」
 高畠は生徒たちにそう言いながら、黒板に何度も大きく「氣力」と書いている。


高畠さんが座右の書とした『氣力――きょう一日を精いっぱい生きよう』(三浦道明著 日新報道 昭和五一年刊) の一節が紹介されてました。一部引用します。

 人生をより豊かに、より有意義に、また生甲斐をより高めるためのバックボーンになるのが "気力" である。
 "気力" は一朝一夕に出来るものではない。まず、心の中に燃えるような熱意をもつことである。そして、その熱意を意識している必要がある。無意識の世界、ただなんとなくという意識からは、決して "気力" は生まれてこない。(中略)
 誰も決めることができない人生、未知なる可能性を秘めた人生なるが故に、生甲斐もある。そして、その人生を豊かにするのが、"気力" なのだ


この本も楽天ブックスで探してみたら…ないんですかいっっ。ことごとく絶版で悲しいです。 (´;ω;`)

めちゃ有望なホームランバッターだったのが、怪我でコーチに転身し、人間ってここまで出来るものなのか?ってくらいに努力に努力を重ねて、選手をサポートし育てながら通信教育で教師になる夢を果たし、やっと高校生たちに野球指導が出来るって所まで来たら、病気で断念させられるなんて、なんて人生は酷なんだ、と思いつつも、人間を超えてしまったからなのかな、なんて事も思いました。
しかし、そんな努力も決して無駄にはなってないと思います。次の世代に受け継がれて行くんです。
巻末の小久保選手による解説文「絆」を読んで、嬉しくなりました。
何が書かれているかは、読んでみてくださいね (^^)

  

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門田隆将『甲子園への遺言』その4 2009.5.13

◆高畠流練習法◆
これがめちゃおもしろいんです。
例えば田口壮は、両腕の使い方のバランスを取らせるために、「グリップを切ったバットを投げる」練習をしたんですって。
その切ったバットは、後にサブローがバットをこねないようにスイングする為の練習用に田口から送ってもらって、五セットづつ投げるっつー事をやったり。
「チンチンブラブラ打法」なんてのも出てきたり~~
小さな刀で木を叩く練習なんてのもあったり~~

ちなみに、なにげに出てきた2000年の選手名鑑をチェックしてみたら…オリックスのコーチの所に名前がありました!しかし「高畠康真」って書いてあって、名前が違うんです。
なんでだろーオモて調べてみたら…登録名はこちらだったんですね。でも、なんでだろ。
Wikipediaです。
選手名鑑には「無類のアイデア指導者として定評。イチローの7年連続首位打者をサポート」と紹介されてました。
多分、次回で最終回です。

  

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門田隆将『甲子園への遺言』その3 2009.5.12

◆データ野球◆
今ではスコアラーってのは当たり前に存在しますが、そのスコアラー第一号が、毎日新聞の記者だった尾張久次さんだそうです。昭和二九年ですぜ。
南海ホークスの監督、鶴岡一人が招聘したそうです。この監督もスゴイと思いますね。後にいろいろ問題はあったようですが。
『御堂筋の凱歌 栄光と血涙のプロ野球史』に書いてあるそうです。いろんな本が紹介されていて、読んでみたいものがまた増えてしまいました…。
エッ?売り切れですかいっっ (涙) この際再販しようぜ。



ノムさんの本もいっぱい紹介されてました。こちらは絶版になってないのが多いと思いますが…。
野村克也
こちらも良かったら読んでみてくださいませ。
NHK知るを楽しむ 人生の歩き方 野村克也逆転の発想 その1
NHK知るを楽しむ 人生の歩き方 野村克也逆転の発想 その2
NHK知るを楽しむ 人生の歩き方 野村克也逆転の発想 その3
NHK知るを楽しむ 人生の歩き方 野村克也逆転の発想

それから、データ野球の非常に重要な基礎になった、もうひとつが、ドン・ブレイザーの「シンキングベースボール」です。
昭和四二年に来日して南海に入団、以後選手として、コーチとして、監督としても日本のプロ野球に貢献した方だそうです。
データ野球と言えば野村監督。そのノムさんと、ドン・ブレイザー、広島カープから移籍した古葉さんの3人が、情報収集、分析、観察、戦略という面で、これまでの日本野球にはなかった合理的な野球を目指したのだそうです。
そして、南海に鳴り物入りで入団し、大きな期待の中で怪我により、まだ20代のうちにコーチになった高畠さんも「シンキングベースボール・チーム」とも言える頭脳集団の一員となっていったとか。
ピッチャーがボールを投げる時の、わずかな手首の広がり、その時に手首の腱に出る微妙なシワから、フォークが来ると読むなんて、凄すぎです。

南海がシンキングベースボールで戦っていた頃、巨人の強さの根源となったのが「ドジャース戦法」だそうです。
以下引用です。

 ドジャースは一九六〇年代、貧打戦を補うために、数少ない得点チャンスをバントやエンドランを多用して確実に一点をもぎ取り、投手力で凌ぎ切るという戦法を取っていた。

野球指導者のバイブル的存在となっている、今も読み継がれているベストセラーがこの本。
ええっ、これも絶版なんすか?ガ━━ΣΣ(゚Д゚;)━━ン  

 

次回へつづきます_| ̄|○

  

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門田隆将『甲子園への遺言』その2 2009.5.11

まずは59歳の新任教師、高畠導宏さんの新任の挨拶です。

「私は、教師になりたい、という夢を持っていました。コーチは選手を育てます。教師は生徒を育てます。夢を持って突き進めば、あきらめずにやっていけば、夢は達成できるものです。コーチ時代、通信教育をやって、挫けながら、数年かかって私はやっとその夢を実現しました。
 プロ野球の世界は表面的には華やかですが、ほとんどの選手が厳しい状況の中で懸命に努力しております。努力を継続することは、簡単なようで本当に難しいものです。しかし、好奇心を持ち、疑問を追求する積極的な気力があれば、必ずよい成果を生み出します。継続は力なり、です。
 私はプロ野球とはきっぱりと縁を切って、ここで骨を埋める覚悟で君たちと一緒にやっていきます。みなさんの将来の糸口を探す手助けをするために、命をかけてバックアップさせてもらいたいと思います」


元々高畠さんは、コーチをしながら突き当たった、選手の心理の問題から、心理学を勉強しようと通信教育を始めた事から、高校野球を教えたいと思うようになったのですが、青年心理を学んでいた頃のノートが残されているそうです。
これがもう、あらゆる面で、常に覚えておきたい事ばかり。
以下、そのノートに書かれた事を引用します。

〈理解とは、新しい情報を古い知識と関連づけて受け入れること。足し算を知らないと引き算は理解できない。掛け算を知らないと割り算を理解できない〉
〈一度覚えたことを忘れないようにするには、理解をともなわない短期記憶はたちまち忘れてしまう。理解し、記憶したつもりの中期記憶も又失われてしまう。長期記憶として定着させるための方法論は、反復すること。このたった一つの方法は、反復。ようするに復讐すること〉
〈早期練習法 時間の経過と忘却率の関係 「記憶の保持率は時間幅と対数曲線を描いて低くなる」
記憶して9時間までの間に保持率は急速に低下する。覚えたつもりの中期記憶がどんどん消えていく。したがってこの中期記憶が残っている間に反復学習すると記憶の保持率が飛躍的に高まることがわかっている→しつこく復讐する〉
〈人に話す、人に教えることは記憶を強化する次のメリットがある。記憶の強化。思い出すことで記憶が整理され、自分の言葉が聴覚を刺激する。教えることは、理解型記憶になっているかどうかチェックできる。記憶の出力確認になる (すなわち) 自分がコーチになったつもりで自分をコーチする。よく打った投手 なんで打てたかを話させる。たまたまです、という人はいない〉


勉強になりますでしょ?
次回につづきます。

  

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門田隆将『甲子園への遺言』その1 2009.5.9



いやーこんな凄い人がいたとは!
田中一村伝を読んだ時に、あまりに神に近い人柄にびっくらこきましたが、この本の高畠導宏さんにも同じ事を思いました。
ここまで純粋に人の為に努力出来る、ここまで野球が好きになれるって、本当にスゴイです。
常識にとらわれず、独自の豊富な、そして正しいアイデアで選手を育てる天才ですね。
野球のコーチから高校教師への転身は、コーチに失敗しての転身かな、とか思いません?
ところが、ずっとずっと優秀なコーチでオファーも来ていた時の、50代にしてコーチをやりながら通信教育で勉強しての、教師への道だったと知ってブッたまげました。
すごく勇気のある方です。

そして、データ野球が日本に浸透していった経過も描かれていて、すっっごくおもしろかったです!
データ重視なのは日本の野球の特徴かと思いましたが、元々はアメリカから来てるのか!とか。

あらゆる球団を渡り歩いている方なので、どこのチームのファンでも楽しめる内容だし、野球ファン以外の方にも是非是非読んでいただきたい本です。
実際、私、この本職場の同僚から借りたのですが、野球はほとんど知らない人なんですぜ。
野球の技術以上の大事なことを教えて、亡くなっていった方のお話です。
ちょーーー強力にオススメ!!読んでくださいっっ!!
涙腺の弱い方は、家で読むことをオススメします。

またまた引用しながら感想UPしていきます。

ドラマ見てないんだ~~またやんないかな。



  

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ドストエフスキー『作家の日記』2巻 その6 2009.5.7

この巻の終盤は、ジョルジュ・サンドの死を悼む文で、私もいろいろ読んでみたくなりました。引用です。

したがって全世界の婦人がこれを機会に彼女の死を悼んで喪服を着用すべきであることは、いまさら言うまでもない。なぜならば最も気高く最もすばらしいその代表者のひとり、いやそればかりではなく、頭脳と才能の点でほとんど前代未聞と言ってもいい婦人、――すでに歴史的なものとなった名前、ヨーロッパの人間のあいだで忘れ去られたり消え去ったりすることのない運命をになわされた名前の持ち主が死去したのだからである。

もうひとつ。

これらの彼女のヒロインたちは犠牲と、英雄的行為を渇望していた。その初期の作品の中で、その当時とりわけわたしの気に入っていたのは、たとえば、そのころヴェニス物語と呼ばれていた (『ウスコック』も『アルディーニ』もこれに属する) 作品に登場する、何人かの少女のタイプであった。これらのタイプはその後、文句なしに天才的な作品であり、ジャンヌ・ダルクに関する歴史的問題の明晰な、そしておそらく、疑う余地もない解明である、長篇小説『ジャンヌ』となって完成されたのである。現代の百姓娘の中に彼女は突如として歴史上の人物であるジャンヌ・ダルクの姿をわれわれの面前で復活させ、この壮大で奇跡的な歴史の現象が現実に可能であることをはっきりと実証して見せたので、――これこそまさにジョルジュ・サンドにうってつけの課題であった。なぜならば、その同時代の詩人たちの中で、彼女以外には、おそらくひとりも、汚れを知らない少女のあれほど清らかな理想、――清らかであると同時に、汚れを知らないだけにあのような威力をそなえた理想を、自分の心の中にいだいていたものはいなかったに相違ないからである。

『ジャンヌ』是非とも読みたいです。

  

ジョルジュ・サンド『棄子のフランソワ』



ドストエフスキー 作家の日記

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ドストエフスキー『作家の日記』2巻 その5 2009.5.5

宗教 (ってか無神論か) に関しての引用です。

ところでヨーロッパで特にこうした風潮に注目しているある観察者が、イギリスにおけるもう完全に無神論化したある種の学説や流派の特徴について、たとえば、つぎのような事実をわたしに伝えてくれた――「教会に足を踏み入れると、――荘厳な礼拝式が行われている。豪華な祭服、手さげ香炉、おごそかな雰囲気、静寂、祈りをささげる人たちの敬虔な態度。聖書が朗読される。すべての人が進み寄って、涙をたたえ、愛情をこめて聖なる書物に口づけをする。ところがどうだろう? これが――無神論者の教会なのである。祈っている人はみな神を信じていない。この教会へ入るために絶対に必要な教理、必須的条件――それは無神論である。それならばなぜ彼らは聖書に接吻したり、その朗読にうやうやしく耳を傾けたり、その上に涙をそそいだりするのであろうか? それはほかでもない、神を拒否し、彼らは『人類』の前に頭をさげたからである。

ここは、つい最近読んだ『未成年』を連想しました。
ドストエフスキー小説によく出て来る、とても大事かもしれない「分離派」がありますが、イギリスやアメリカに存在した宗派の名前がずらずらと出てくる所は興味深いので、訳注と共に引用します。(読み辛くてスミマセン (汗))

イギリスやアメリカには、おそらく、わがロシヤの「愚民」のあいだに見られるよりも、宗派の数はもっとずっと多いかもしれない。ジャンパー派 (十八世紀ウェールズ地方のカルビン派のメソジスト教徒。霊感による宗教的興奮と陶酔のために、飛びはねたり、からだを揺り動かしたことによって「はねる人」と呼ばれた。)、シェーカー派 (十八世紀の中葉にマンチェスターに起こったキリスト教の一派。礼拝式にからだを振りながら踊るためにこの名で呼ばれた。)、コンヴアルショナー派 (同じくキリスト教の一派で、同様の理由から痙攣派と呼ばれた。)、至福千年期 (いずれ近い将来にキリストの再臨があり、千年間の統治ののち、世界は週末を迎えると信ぜられる期間。)を待ちわびているクェーカー派 (十七世紀の終わりに、「主の言葉にふるえる」という噂から、フレンド会につけられたあだな。)、そして最後に、鞭身派 (十七世紀の中葉にロシヤに起こったキリスト教の一派。苦行のため自分のからだを鞭打ったことからこう呼ばれるようになった。) (全世界にひろまっている最も古い宗派) にいたるまで――とてもいちいち数え上げられるものではない。

次回でこの巻終わりです。そして3巻はまた未読です。間にいろいろ入ってしまいまして…。だいぶ後になるかも。



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ドストエフスキー『作家の日記』2巻 その4 2009.5.3

◆フランス◆
まずは引用です。

どうしてフランスはベルリンに打ち負かされたにもかかわらず、依然としてヨーロッパの主要国としての立場を保ちつづけているのだろう? これまでヨーロッパではフランスのどんな些細な出来事でも、どうかするとベルリンのどんな大事件よりも、ずっと多くの共感と注意を喚起してきた。それは疑いもなく、この国が――つねに最初の第一歩を踏み出し、最初のテストを試み思想的にイニシアチブを取る国であるためにほかならない。すべての人たちが疑いもなくこの国が「最後の結果の最初のきざし」を見せてくれるものと待ち望んでいるのは実はそのためなのである。フランスでなくて、いったいどこにすべての人にさきがけてこの運命を賭けた最後の一歩を敢然と踏み出すものがいるだろう?
 そこに、この「進歩的」な国に最も融和しがたい「孤立化」がどこよりもしっかりと根をおろしたのは、おそらく、そのために相違ない。


「この国が――つねに最初の第一歩を」の所など、確かにそうかもしれない、と思いました。

◆ドン・キホーテ◆
ドストエフスキーは「ドン・キホーテ」について、以下のように書かれています。

世界じゅうどこを探してもこの作品より深遠で力強いものはない。これはいまのところ人類の思想の最も偉大な、そして究極の言葉である。これは人間が表現しうるかぎりの、最も辛辣な皮肉である。そこでもしもこの世に終わりがきて、まあ、あの世のどこかで、「どうだね、地上でのお前たちの生活が分かったかね、それについてお前の引き出した結論は?」とたずねられたならば、「これがわたしの人生についての結論です――こんな結論を引き出したということであなたはわたしを非難することがおできになりますか?」と、黙ってドン・キホーテを差し出すこともできようというものである。

ドストエフスキーが、ムイシュキン公爵やアリョーシャに描きたかったのは、ドン・キホーテではないのか?と、キリストとの関連性を思いました。
まだ続いちゃいます。^^;



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ドストエフスキー『作家の日記』2巻 その3 2009.5.1

三月の第一章に移りまして、あなたの時代もそうだったんですか!と思った、作家に関しての文です。
またちと長くなりますが、引用します。

わが国の純文学の現代作家、と言ってもいわゆる新しい人たちの仲間などはそのいい例である。彼らは文学活動をはじめて従前の文学のことなどはなにひとつ知ろうとしない。あくまでも自分が中心で自己本位である。新しいことを唱道し、いきなり新しい言葉と新しい人間の理想を前面に押し出してくる。彼らはヨーロッパの文学も知らなければ、自国の文学も知らない。彼らはなにひとつ読んだことがないし、また読もうともしないのだ。彼らはプーシキンやトゥルゲーニェフの作品を読んだことがないばかりか、実際のところ、自分たちの仲間、つまりベリンスキーやドブロリューボフの作品に目を通したことがあるかどうかも、すこぶる怪しいものである。彼らは新しいヒーローや新しい女性像を丹念に描いているが、その新しさは一にも二にも、はじめの九歩を忘れて、一足飛びにいきなり十歩目から歩き出すことにある。それゆえに思いがけなく想像しうるかぎりの、とんでもないどっちつかずのあぶなっかしい状態におちいり、結局は自滅して読者に教訓を与えたり誘惑したりすることになる。つまりこの立場の欺瞞性が教訓のすべてというわけである。こうしたことの中には新しいものはきわめてすくなく、それどころか、むしろすっかりぼろぼろになった古くさいものがすこぶる多い。しかし問題は決してそんなことにあるのではなく、自分は新しい言葉を口にしたのだ、自分こそは一匹狼であり、孤立しているのだと頭から信じ込み、言うまでもなく、そのことに非常に満足している点にあるのである。

まあ確かに、私たちが今この時代でも読む事ができる古典というのは、わずかに残った、とてつもなく良い物なのであって、大量のクズのような小説が消えていったのでしょうから、今も昔も状況はそう変わらないのかもしれません。
しかし、そのほんの僅かに残るものさえ、今存在するのかどうか、ひじょうに疑問だったりします。
まだ続きます。



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Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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