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清水正『ドストエフスキー『罪と罰』の世界』その5 2009.6.28

◆スヴィドリガイロフ◆
私がこの小説の中で、最も好きなキャラが、ポルフィーリイとスヴィドリガイロフです。
こちらで引用したセリフなんて大好き。
清水さんも指摘されてますが、事実だけを追ってみますと、誰がいちばんエライって、スヴィドリガイロフなんですよ。実際に何人もの人を助けているのですから!
どれだけ善行を行なっても、こうまでうさんくさがれて嫌われるって、実に悲しいキャラです。
世の中結構こういうことってあるんですよね。
そして、読んでいて思ったのは、もしかしてラスコーリニコフは凡人ゆえに愛され、スヴィドリガイロフは非凡人だから愛されないのかもしれない、ということでした。
第十四章 スヴィドリガイロウの謎、冒頭を引用です。

 スヴィドリガイロフとは何者か? この問いを最初に発したのはラスコーリニコフである。ラスコーリニコフにとってスヴィドリガイロフとポルフィーリイの二人は謎である。彼はついに二人の謎をとくことはできなかった。もしも仮りにラスコーリニコフにこの二人の存在の秘密が明らかになっていれば、『罪と罰』は今日のわれわれが考えるよりはるかに平板な物語になっていたはずである。論点をかえれば、スヴィドリガイロフとポルフィーリイの二人物のみが現代においても存在のリアリティを保持しているということである。

にゃるほど!ですね。それから…

スヴィドリガイロフを前にしたラスコーリニコフが殺人者でありながら、"善玉" の姿勢を崩そうとしないことに変わりはない。こういった手合、つまりポルフィーリイのことばでいえば「人を殺しておきながら、自分を潔白な人間だと思って、他人を軽蔑し、青ざめた天使のような顔をして歩きまわっている」手合こそ "卑劣感" と呼ぶにふさわしいであろう。

いやはや、このポルフィーリイのセリフはほんっっとに見事で、小説内で既にラスコーリニコフの正体暴いているんですね。
そして、スヴィドリガイロフ=幽霊説が印象的でおもしろかったので、そういう視点で、また再読しなきゃならないかな…と思っています。(もうキリがにゃい~~)
次の「第十九章 スヴィドリガイロフと『オルフェ』の死の女神」もおもしろかったです。
コクトーの『オルフェ』もまた見ないと。
(コクトーは小説『大胯びらき』の感想だけ書いてました。)

  



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テーマ : エッセイ/随筆
ジャンル : 本・雑誌

清水正『ドストエフスキー『罪と罰』の世界』その4 2009.6.24

◆ラスコーリニコフの正体◆
前回予告したように、ラスコーリニコフを暴いている箇所を、いくつか引用です。

 ボルフィーリイの紹介によればラスコーリニコフのいう非凡人は「あらゆる犯罪を行ない、いかなる法律をも踏み越す権利を持っている」ということであった。つまり、そこでは "良心" など一顧だにされていなかった。それをラスコーリニコフの言葉で換言すれば、非凡人には「許可も禁止もありゃしない」ということである。許可も禁止もない、つまり「すべてが許されている」非凡人をこそポルフィーリイはラスコーリニコフの犯罪論文に見たわけだが、ラスコーリニコフ本人は非凡人の踏み越えにわざわざ "良心" の照合を必要不可欠なものとしているのである。はたして非凡人に "良心" など存在するのか、といった根本的な懐疑はラスコーリニコフには生じなかったのである。

犯行前において、犯行 (踏み越え) は「魅力の強い大胆不敵な妄想」「空想のために空想」「自慰」「玩具」であり、それ以上のものではなかった。

だが自分の犯行に "罪" を発見することのできないこの男は、何故これほどに苦悩しなければならなかったのであろうか。"無罪" の意識のまま、ただただ持ちこたえることができず、闘いを放棄して警察当局に自首してでたという、その焼けつくような屈辱のためであろうか。否、求めても求めても、遂に見出すことのできなかった "神" の像のためではないのか。

ラスコーリニコフは、あくまでも狂気的様態を生きざるを得なかった正気の人であることを忘れてはならない。


次作『手塚治虫版『罪と罰』を読む』には、もっとハッキリ書かれていたかも。



ラスコーリニコフに言及している『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』その2 金嬉老で恥をかいた人々 日本を征服した五日間の言行録も是非読んでみてください。



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テーマ : エッセイ/随筆
ジャンル : 本・雑誌

清水正『ドストエフスキー『罪と罰』の世界』その3 2009.6.21

いやーほんとだなあ、と感心したのが、以下の箇所です。

ドストエフスキーの人物達は、突然新しいキャラクターを具備した存在として作品世界に登場してくることはない。必ず、その前身的な人物が存在する。

ドストエフスキーの読者は、おそらく最初は有名どころの大作から入ると思うのですが、ハマるとだんだん小品にまで手を出すようになって、そして発見するのが上のような事です。
おお、このキャラって、あのキャラの元になってるんじゃねーか?っつーおもしろさがあるんです。
早く全作品制覇したいっす。ちとどれを読んで、どれを読んでないか、わかんなくなってるんだけど。^^;

話かわりまして、
例えば映画『太陽がいっぱい』(感想こちら。ぬわんと『罪と罰』に言及してました。) なんてのは、ほとんどの人が犯人の方に感情移入すると思うんですが、おそらく『罪と罰』もそうなのではないかな?と思います。
私は、だいぶ大人になってから読んだせいか、犯罪を犯した時のドキドキ感や、その後の心理状況がとんでもなく凄い!と驚愕して読みましたが、ラスコーリニコフに対しては、あまり同情的ではなかったと思います。
とにかくこの人は若くて愚かだな、と。どちらかと言えばポリフィーリイ的視点 (彼ほど鋭くないですが) でしょうか。
ラスコーリニコフの苦悩に共感・同情する読者は多いと思いますが、少し客観的視点で見てみると、或いはテレビや新聞のニュース記事に置き換えて考えてみると、ほとんどの人が、このラスコーリニコフってのは、なんてヒドイやつだ!許せない!って事になるんですね、コレが。
そんな事も清水さんの本には書かれていて、ラスコーリニコフの正体を暴く!みたいな所が大変おもしろかったです。
その辺の引用を次回したいと思います。



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テーマ : エッセイ/随筆
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清水正『ドストエフスキー『罪と罰』の世界』その2 2009.6.18

*『罪と罰』のネタバレあり

◆スヴィドリガイロフ◆
もしかしたら『罪と罰』の中で、いちばん好きなキャラかもしれないこの人。
とりあえず引用です。

 多くの評家が指摘するように、スヴィドリガイロフこそラスコーリニコフにとってかわって主役を演じるのに相応しかったのであり、ドストエフスキーは自分が自殺するのでなければ、決して自殺させないという覚悟をもって飽く迄も生きのび続けるスヴィドリガイロフを描く必要があったのである。生きのび続けるスヴィドリガイロフ、決して復活厚生しないラスコーリニコフ、一種独特の諦観の境地に生きる <おしまいになってしまった人間> ポルフィーリイ、彼らの鼎談こそ私は聴いてみたい。現代に生きる私にとって最も興味深く思われるのは、復活厚生するラスコーリニコフでも、自殺するスヴィドリガイロフでもないからである。

おおっ!と思いましたよ。私、自殺する点だけが気にくわないっつーか、悲しかったっつーか。
これだけの人物がなんで?って思うんですよね。
だからスタヴローギンにもガッカリしちゃった訳で。
スヴィドリガイロフに関しては、後にいっぱい出てくるので、今回はサラッと流しておきますが、ひとつだけ。
『罪と罰』でいちばん偉いのってスヴィドリガイロフなんですよ。ドゥーニャもソーニャも彼に助けられるんですから。それにしては、あまりな扱いなんですよね。(悲)

*いちいち書きませんが、ドストエフスキーの小説『罪と罰』のネタバレは、今後もちょくちょく出てきます。



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清水正『ドストエフスキー『罪と罰』の世界』その1 2009.6.17



実は私、家で読書をするのが苦手です。
家だと気が散る要素が多いんですよね。なのであまり集中出来ず。
主に通勤電車と職場で読んでます。なので文庫本中心なんです。
このハードカバー本、最初から共感しまくりで読んだものの、家で少しづつ読んでいたので、だいぶ時間がかかってしまいました。後半は意を決して重い思いをしながら通勤に持って行って、読了しました。
続けて『手塚治虫版『罪と罰』を読む』も読了し、『罪と罰』について、かなり知識がつきました。もう、すんごい細かいんですよ~。



続けて読んだので、どちらに書かれていたか、ごっちゃになってたりするんですが。(汗)
まずは、とても共感したこの文を引用です。

もちろん一方では、ドストエフスキーは聖書の文学化を企図したのだという指摘もあるが、私の場合は飽く迄も、一義的断定を不可避的に拒否するディオニュソス性のみを彼の文学に見てしまうのである。

私、ドストエフスキーを読む前から、ニーチェとか大好きだった訳でして。(実はドストエフスキー読んだのは、結構遅いんです。)
ネットやリアル世界で、ドストエフスキーの好きな方と接してきて、非常におもしろく思うのは、例えば『カラマーゾフの兄弟』で言えば、アリョーシャに共感する人とイワンに共感する人とでは、180度違うんですね。
ドストエフスキーというのは、キリストと反キリストとの両方に引き裂かれていたのが、よくわかります。
上の文は、次のように続きます。

信仰はドストエフスキーの精神の一方の極を担うにすぎないと見た私は、否応もなく精神の分裂を引き受けなければならなかった。ドストエフスキーを読むということは、常にその精神の分裂を確認するようなものであった。そして、その分裂を超克する手段が徹底して奪われているのであれば、その分裂を分裂のままに肯定するディオニュソス的実存を生きる他はないと考えたのである。

ドストエフスキーの分裂性に強く共感したのがヘッセだったんではないか、と思います。



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『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』その3 気をつけろ「佐川君」が歩いている 2009.6.15

第五章の「この国のおかしなかたち」のラストがコレでした。
私、なぜこの人いつも「君付け」で書かれるのかわからんのですが。
ご存知「パリ人肉殺人事件」ですが、わたしゃサカキバラだったか何やらの時に、何度かこの人が雑誌か何かにコメントしてんのを見てびっくらこいたっすよ。
あれだけの殺人事件をおこしておいて、のうのうと無罪放免、メディアにまで顔出すずうずうしさっていったい何なんだ?と。
都立松沢病院は「これ以上治療する手だてはない」として彼を退院させてしまったとか。「人食い願望」は病気ではないから治しようもないからだそうです。
人肉を食べた時の詳細が、佐川自ら執筆した小説『霧の中』から引用されています。
この本はちょっと読んでみたい…あら、あるじゃない。



パリ警察に逮捕された佐川は当初サンテ刑務所に勾留されていましたが、精神鑑定の結果「幼児期の病気が原因で、脳に異常が見られる」として、パリ郊外にあるビル・ジュイフ精神病院の保安施設に入院させられ、殺害時、心神喪失状態にあったからと無罪になり、日本に送り返され都立松沢病院へ入院させられたのだそうです。
松沢病院としては、カニバリズムは異常ではあるけれど病気とはいえないから治療できないし、見込みがないものは置いといても仕方がないから出て行ってもらった、と言ってます。
オランダ人の被害者のご両親は、唐十郎の作品『佐川君からの手紙』のフランス語版とオランダ語版の出版禁止と、佐川をフランスかオランダの精神病院に入れて日本へ帰すな、と訴えていたそうです。



「佐川の家は裕福だから、帰国させて一年もすれば世の中へ出てしまう。あんな恐ろしい男を外に出さないで欲しい」と言ったそうなのですが、その心配通りに恐ろしい事になってしまうなんて…。
一年と三ヶ月でシャバに出たっつー話です。

さらに、日本に派遣されたフランスの調査員が、非常に重大なミスをおかしてるんです。コレにはビックリ。
佐川が一歳の時にかかった腸炎 (ENTERITIS) を脳炎 (ENCEPHALITIS) と読みちがえたらしいんです。
そのために、佐川は精神異常者と判定され、無罪になったのです。
そして、日本の警察が動かないのはフランスの決定をひっくり返すことになると外交問題に影響があるからだとか。
佐川がもう一度、何かやってくれなきゃ逮捕できないのが現状なのです。



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『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』その2 金嬉老で恥をかいた人々 日本を征服した五日間の言行録 2009.6.8

第七章「われわれは見た」の「金嬉老で恥をかいた人々 日本を征服した五日間の言行録」(昭和四十三年三月九日号)で、ちょびっとドストエフスキーに言及があったので、引用します。

「おれがやった二人は、暴力団なんだ。 "朝鮮野郎" といったから殺したまでだ。あんなダニみたいな野郎は殺してもいいんだ。おれはほんとは優しいところのある人間なんだ。もともとおれは暴力団に憎悪をいだいていたんだ。だいたい、暴力団の世界なんかに義理人情なんてないからな。ベトナムじゃ罪のない人が殺されてる……」
 城所記者は、「あんなダニみたいな野郎は殺してもいいんだ」という金の言葉に、「ドストエフスキーの小説を連想した」そうである。


当然これは『罪と罰』のラスコーリニコフですね。
レビューいっぱいUPしてます。↓↓↓
ドストエフスキー

ドストエフスキーを読んでいると、近年のあらゆる事件を想起します。
ラスコーリニコフも、最後まで被害者に対しての反省ってないんですよ。
彼の苦しみは、あくまでも利己的なもので、殺人に対しては悪いと思ってないんです。
こういう点なんかも、最近の殺人者の多くと同じなんですよね。



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『「週刊新潮」が報じたスキャンダル戦後史』その1 近来の大型恋愛と囃される若尾文子さんと黒川紀章氏 2009.6.6



会社の人に借りて読みました。
ネタによって、おもしろかったり、そうでもなかったり。
最初の心臓移植のとか、第六章の「男と女の世の中」は全体的におもしろかったです。
なんと言っても興味深かったのが「気をつけろ「佐川君」が歩いている」(昭和六十年十一月七日号)!

「男と女の世の中」の中の「近来の大型恋愛と囃される若尾文子さんと黒川紀章氏」(昭和五十二年十月六日号) に書かれている、黒川紀章の口説き文句?がスゴイっす。流石建築家と言うか。以下引用です。

「しかし、私は、彼女の美こそバロックだと思っているんです」
 と、黒川氏がいきおい込んだ。
「ドールスというスペインの美術史家が、その"バロック論"を説いた本の中で、"バロックとは否定と肯定を同時に併せ持つものだ"と書いている。この概念は、元来のヨーロッパの美学にはなかったものです。ヨーロッパの概念は、シロとクロ、個人と公共というふうに常に対立がハッキリしている。善悪が明確に区別される。ところが、バロックの世界だけが情念と理知の二つの様式を併せ持っている。ヨーロッパの美意識の中でバロック時代だけが東洋の美意識と共通するのではないかと私は考えた。私は現在、そういう哲学に裏付けされた建築の仕事をやっているんです。女性の魅力もまたバロックにあると思う。相矛盾したものを併せ持つ魅力。竹を割ったような理知的な性格の美ばかりではない。かといってマリリン・モンローのような、ただ女という美だけでもない。二つが渾然一体となっている姿――私は若尾さんの演技力とかフンイキとか人間性にそれを感じる。そのことを永年、私は彼女に感じてきたんです」




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大塚ひかり全訳『源氏物語第一巻 桐壺~賢木』その8 2009.6.4

"月" も "山" に入ってしまったのか、胸打つ空をながめては、恋の恨みを訴えるので、御息所は積もり積もった辛さも消えてしまいそうです。
「ようやく、これで最後」と諦めたのに、案の定、かえって決心が揺らいで思い乱れます。


とあるのですが、ひかりナビでお勉強できていたので、意味がわかりましたよん。
六条御息所の伊勢下り前のシーンです。
以下ひかりナビより引用です。

「"月" も "山" に入ってしまった」とは、月=源氏が山=御息所の中に入った、つまりセックスしたことを表すのでしょう。直後、御息所の決意が揺らいだと描かれるゆえんです。手に入らぬ距離になると惜しくなって、すがる源氏の男心は残酷です。

そんな源氏を振り切って下向した御息所は立派です。
出来た女は幸せになれないのか…と考えてしまいました。以下の所も涙涙。 (´;ω;`)

御息所は、源氏を振り棄てながらも、どんな慌ただしい折にも即レスしているのが印象的です。返事の早さは『源氏物語』では思いの深さと比例しているようなところがあって、源氏が惹かれるのはこういう即レス女より、紫の上のように新枕の後朝の文の返事をしなかったり、藤壷や朝顔の姫君のようにめったに返事をくれない女であるのは確かです。

これって源氏に限らずな気がしてならないのですが、そんな所もこの小説が見事なところですね。
自分ももっと早く、こういうNO即レス的なテクを身につけておくべきだったと悔やまれます。 (´;ω;`)
『失われた時を求めて』の恋にも通じるところが多々ありますので、是非比べてみてください。



大塚ひかり

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テーマ : 古典文学
ジャンル : 小説・文学

大塚ひかり全訳『源氏物語第一巻 桐壺~賢木』その7 2009.6.1

『源氏物語』で見事だと思うのが、これだけ長く登場人物が多いながらも、把握出来るっつーのは、1人1人のキャラが皆個性的でおもしろいんですよね。
源典侍なんてキョーレツすぎ!!
ずーずーしいオバさんぶりを発揮しつつ、五十七、八にもなるのに源氏と頭中将ともエチーしてしまう所は、やるぢゃねえか!と感心してしまいます。スケベおばさん万歳!
これ↓もおもしろそうですよねー。



そして、前回寂聴訳で読んだときには、生き霊にまでなって出てくるなんて、スゴイ~おもしろい~オカルトだ~と大変おもしろく読んだ六条御息所。
今回私、この人に共感し、めちゃ可哀相に思ったんです。
入内を勧められたのを断って、源氏と関係したのに愛されず、その上化けて出て正妻を殺したような噂が立ったり。
この六条御息所、名高い教養人であり、文化サロンの女王だったんです。
彼女の歌を見ても、やはり流石だと源氏も認めている訳で。
以下、またまた「ひかりナビ」より引用です。

年上の優れた女として尊敬はしている。けれどメスとして愛でることはできない。今もありがちな男心です。それにしても源氏の「女の顔を立てる」姿勢には感心します。女の面目をつぶさぬために、嫌な手紙の返事もする。こういうことができない男のなんと多いことか。一言一句、訳していると、源氏って、ずるいけれども、やっぱり偉いと痛感します。

まあ、だから六条御息所も断ち切れないっつー事もあるかと思うんですけどね。
辛いですよねえ。
次回も六条御息所について、つづきます。



大塚ひかり

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Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

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