澁澤龍彦『スクリーンの夢魔』その9 ◆恐怖映画への誘い◆その2
この章、吸血鬼の関する言及が多くて嬉しいです。
結局、ストーカーの「ドラキュラ」と、レ・ファニュの「カーミラ」が、その後の吸血鬼映画の方向を大きく決定したもののごとくである。と書かれていますが、カール・ドライヤーの『吸血鬼』もカーミラだったのですね!
再見して原作も再読したいです!
そしてテレンス・フィッシャー監督、クリストファー・リーの『吸血鬼ドラキュラ』、ロジェ・バディムの『血とバラ』が、何と言っても圧倒的に美しく素晴らしいでしょう!!
ここでもドラキュラが恐怖の対象であるとともに、女たちにとってエロティックの対象でもあると書かれていますが、私がドラキュラを好きな理由もまさにソレでして、是非こちらも御覧下さればと思います。
『血と薔薇』(昔は漢字表記だったのですね。漢字の方がずっと素敵!) について書かれている所は当然引用しなければいけないでしょう。って訳で引用です。
注目すべきは、フランスの鬼才ロジェ・バディムが、やはりカラーで撮ったレ・ファニュ原作の『血と薔薇』(一九六〇年) であろう。時代を現代に設定しているが、これも昔ながらの「カーミラ」ものであって、女吸血鬼の同性愛が、舞踏会やら庭園やら仕掛花火やら温室やらといった、夢のように美しい舞台装置のなかで妖しく展開する。そして突然、白黒の超現実的なシーンが挿入されるが、そこでは犠牲者の血だけが効果的に赤いのである。……
それにしても何故DVD出てないんでしょうね。(-_-;)
それから、あの存在にも言及されてました! 引用です。
モンスター映画によく登場するグロテスクな存在には、一度死んで墓に入り、魔術師の力によって生気を吹きこまれ、ふたたび墓を出てくるといわれる、ヴォードゥー教の「ゾンビ」がある。魂のない、死せるゾンビは魔術師にあやつられ、魔術師の意のままに、生きた人間を襲うのである。
ロメロ以降「ゾンビ」はあのようなものになりましたが、元々はこういうものだったのですね。
クリックよろぴくー。

結局、ストーカーの「ドラキュラ」と、レ・ファニュの「カーミラ」が、その後の吸血鬼映画の方向を大きく決定したもののごとくである。と書かれていますが、カール・ドライヤーの『吸血鬼』もカーミラだったのですね!
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そしてテレンス・フィッシャー監督、クリストファー・リーの『吸血鬼ドラキュラ』、ロジェ・バディムの『血とバラ』が、何と言っても圧倒的に美しく素晴らしいでしょう!!
ここでもドラキュラが恐怖の対象であるとともに、女たちにとってエロティックの対象でもあると書かれていますが、私がドラキュラを好きな理由もまさにソレでして、是非こちらも御覧下さればと思います。
『血と薔薇』(昔は漢字表記だったのですね。漢字の方がずっと素敵!) について書かれている所は当然引用しなければいけないでしょう。って訳で引用です。
注目すべきは、フランスの鬼才ロジェ・バディムが、やはりカラーで撮ったレ・ファニュ原作の『血と薔薇』(一九六〇年) であろう。時代を現代に設定しているが、これも昔ながらの「カーミラ」ものであって、女吸血鬼の同性愛が、舞踏会やら庭園やら仕掛花火やら温室やらといった、夢のように美しい舞台装置のなかで妖しく展開する。そして突然、白黒の超現実的なシーンが挿入されるが、そこでは犠牲者の血だけが効果的に赤いのである。……
それにしても何故DVD出てないんでしょうね。(-_-;)
それから、あの存在にも言及されてました! 引用です。
モンスター映画によく登場するグロテスクな存在には、一度死んで墓に入り、魔術師の力によって生気を吹きこまれ、ふたたび墓を出てくるといわれる、ヴォードゥー教の「ゾンビ」がある。魂のない、死せるゾンビは魔術師にあやつられ、魔術師の意のままに、生きた人間を襲うのである。
ロメロ以降「ゾンビ」はあのようなものになりましたが、元々はこういうものだったのですね。
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