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『カフカ 実存と人生』その2 2005.6.21

コレのつづきです。
1914年の日記で、マックス・ブロートとドストエフスキーについて語った話が出ています。

 あんまりたくさん精神異常者を登場させすぎる、というドストイェフスキーに対するマックス (マックス・ブロートのこと) の異議。完全な誤りだ。彼らは精神病者ではない。病気であるとすることは、ただ性格づけをする一つの方法であるにすぎないし、しかもそれは、非常に繊細で効果的な方法なのである。たとえばある人物のことを、あれは単純でおろかな人間だ、とくり返しくり返し言ってさえいればいいのである。そうすれば、ドストイェフスキー的な核心がそなわっている以上、その人物はいわばその最高の効率にまでつきあげられてゆくのである。ドストイェフスキーの性格づけは、この点で、友だちどうしのあいだの罵り言葉と、だいたい似たような意味をもっている。友だちどうしがおたがいに、「ばかだなあ、きみは」と言っても、彼らは相手がほんとうにばか者で、その友情関係で自分たちが品位を落とした、などと思っているのではない。たいていの場合そのなかに含まれているのは、それがたんなる冗談でないかぎり、いや、冗談である場合でさえも、いろいろな意図のかぎりなくまじりあったものなのである。だからたとえばカラマーゾフの父親は、けっして愚か者であるわけではなく、悪くはあっても非常にかしこい、ほとんどイワンに匹敵するほどの男なのだ。とにかく例としてあげてみても、作者から攻撃されていない彼の従兄弟や、彼にくらべてずっと高尚なつもりでいる甥の地主などより、ずっとかしこい男なのである。

いやーん、また『カラ兄弟』再読したくなってしまうではありませんか。このカフカの視点で。

次のも実におもしろいです。

 人が探している者は、たいてい隣に住んでいる。これはかんたんに説明できることではないので、まずは経験的な事実として受け入れなければならない。この事実は、きわめて深い根拠をもっているので、たとえそうしようと目ざしたところで、それを阻止することはできないのである。なぜそういうことが起こるかというと、それは探している隣人のことを、人がなにひとつ知らないからなのだ。つまり人は、自分がその隣人を探しているのだということも知らないし、その隣人が隣に住んでいるのだということも知らないわけで、そうなればしかし、その探している者はまちがいなく隣に住んでいるのである。こうした一般的な経験的事実自体は、もちろん人が知っていてもかまわないのである。そういう知識は、ぜんぜん妨げになるものではないからだ。たとえ人がその知識を、意図して始終心に思いうかべていてもである。

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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
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