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プーシキン『オネーギン』(再読) その2 2005.7.26

*映画のネタバレもちょびっと。

これの映画の感想をココにUPしてますが、この映画観た時に疑問だったのが、決闘シーン。オネーギン、それはねーだろと・・・。ココすんごい気になってたんすよ。んで原作読んだら、違うんですね、やっぱ。原作の方がぜんぜん自然です。なんでだろなー、映画。後から撃つんならハズせばいいじゃないっすか、と思いますよね。オネーギンの嫌なやつぶりを強調したかったんでしょうか? 原作は映画ほど嫌じゃないので。

古本で読んだのですが…ちょうどこの決闘シーンの所で、「ここを読んでいた時、地下鉄日比谷線銀座で高校生の暴力沙汰があった」とのメモが。1975.4.11だって !
古本に線引いてあったり、関係ない落書きがあったりするのは嫌だけど、こーゆーのはおもろいっすよね~。
以前、なかなかの詩が書いてあったのもありました。

わかるな~と思った一文を引用。実に見事な文です。池田健太郎の訳がいいのかもしれません。

 だがどうだろう ! 眼は読みながら、思いは遠くへ飛んでいた。空想、希望、悲嘆などが、深く魂へ食い入っていた。魂の眼は印刷された行と行とのあいだに、もう一つの行を読んでいた。彼が没頭したのはその行である。それはなつかしい、ほの暗い古 (いにしえ) の秘かな語り伝えや、何のかかわりもない夢や、脅しや、噂や、予言や、あるいはまた長いおとぎ話の生き生きした一節や、若いおとめの手紙だった。

<後記> に、またまたドストエフスキーに関しての記述がありました。以下引用。

また、オネーギンが後の <<余計者>> の原形であること、ドストエフスキーがこの韻文小説の道徳的な意義を評して、タチヤーナのオネーギンに対する勝利は、信仰と確信の喪失から生じる知的空虚さに対する、ロシア人の正義感の勝利の象徴だと言ったことは名高い。

岩波文庫、池田健太郎訳で再読しました。





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60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
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