スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

加賀乙彦『ドストエフスキイ』その3 2006.1.11

◆ドストエフスキーの性質・性格◆

ドストエフスキー作品の登場人物の特徴として「過剰である」と言う事がまず言えると思うのですが、これは、おそらく、ドストエフスキーの癲癇性の性格と密接に結び付いているのでしょう。
以下p.89より引用。

---前略---弟アンドレイが言うように「なにをやらせても、ほんものの火のように燃えあがる魂の持主」であったのだ。適当にとか、我身を傷つけない程度になどという生温い生き方は彼にはできない。彼はたとえ自分が火傷を負っても、熱くならざるをえなかったのだ。金を使えば、それは浪費となり、ルーレットにふければ、とことんまで賭けてすっからかんになり、ロシア民衆を擁護すれば、ついには極端な皇帝崇拝になり、信仰に走れば、ロシア正教の正統的信仰を超えた熱烈なものとなり、反対に無信仰を研究すれば、イヴァン・カラマーゾフの造形にまでいたる無信仰の極限を見ざるをえない。
 あまりにも強く現実に密着した生活をおくる反面、現実から強烈な力で離脱したいとはかる。この接点にあるのが、彼の癲癇であり、文学創作なのである。


カラマーゾフの兄弟(上巻)改版
カラマーゾフの兄弟(中巻)47刷改版
カラマーゾフの兄弟(下巻)48刷改版
謎とき『カラマーゾフの兄弟』

作者と作中人物について、p.124より引用。

 ブールソフは、ドストエフスキイが自伝的作家であること、主人公たちがすべて作者自身に起源をもっていることを指摘している。この点はトルストイが作中のある人物にのみ自分を投射したのとは大いに異なるという。
 たしかにドストエフスキイの小説を読んでいるといたるところ他の作家には断じてあらわれぬ風変りな人物が次々と登場する。また多くの作品をくらべてみると、同じような性格や思想を持った人間が再三登場し、<<ドストエフスキイ的>> というような形容詞をつけたくなることも事実である。人物がドストエフスキイ的であるということは、作者が自分をモデルにして作中人物に分与したこと、つまりすべての人物が作者の分身であることを推測せしめる。


そしてドストエフスキイの作中人物は多少とも作者に似ているけれども、作者にそっくりな人物は一人もいないとも書かれています。
ジイドは、ドストエフスキーは自分の著作の登場人物のひとりびとりのなかに、われを失って書いているからこそ、それらひとりびとりの中に彼が見出されると言っています。
夢中で他人を描こうとしたら、自分を描いていた、という訳です。

まさに加賀乙彦にしか書けないドストエフスキー論なのでありました。

ドストエフスキイ (中公新書 338)ドストエフスキイ (中公新書 338)
(1973/01)
加賀 乙彦

商品詳細を見る


クリックよろぴくー。
人気ブログランキングへ

スポンサーサイト

テーマ : 読書感想文
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

来訪者数:

現在の閲覧者数:

検索フォーム
プロフィール

吉乃黄櫻

Author:吉乃黄櫻
ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
峰不二子、デボラ・ハリー、ウエンディー・O・ウィリアムスが憧れの人!

メインブログ黄櫻御殿
映画の部屋も( `・∀・´)ノヨロシク

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR

アフィリエイト・SEO対策


国内格安航空券サイトe航空券.com


FC2ブログランキング


[PR]アクセスカウンター
[PR]東京 税理士

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。