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マルキ・ド・サド『閨房哲学』その2 2006.2.16

まず『道楽者へ』と題された序文がやたらとカッコイイ。
そして、詭弁の中にもキラリと光るい目というのがサド文学の特徴の1つであると思うのですが、おお、ほんまや ! と思った1文を。

この地球が遭遇した数々の大きな不幸のあとで、人類は近親相姦による以外に、どうして子孫をふやすことができたかね。その実例や、はっきりした証拠までが、キリスト教徒の崇拝する書物のなかに、ちゃんと書いてあるじゃないか。アダムやノアの家族が、はたしてそれ以外の方法で、存続することができただろうか。

徹底的に神の存在を否定しているのに、都合のいい時だけこうやって聖書から取り出してきちゃう所はやはりとんでもない詭弁家でありますが。(^^;)

次のがこりゃまた真実。ただし最初の視点はって事ですが。(笑)
サドったら、どうやっても悪の正当化に結びつけちゃうんだから。

残酷は自然のものであって、僕たちはすべて、残酷の一定量をもって生まれてきたのであり、これを修正するのは教育のみである。しかし教育は自然のものではなく、栽培が樹木を害するように、自然の神聖な効果を害するものだ。果樹園のなかで、自然の管理にゆだねられた樹木と、人為的に手を加えられ、強制的にねじ曲げられた樹木とを比較してみるがよい。どちらがより美しく、どちらがより立派な果実を生ずるかは一目瞭然であろう。

ジュネにかかれば盗みは美学になるわけですが (ココまたはこちらから飛んでくださいませ )、サドはあくまでも強引に、これまでをも正当化するのであります。

 盗みは、われわれの吟味しようとしている第二の道徳的犯罪である。
 古代史に一わたり目を通すならば、われわれはギリシアのすべての共和国において、盗みが許可され奨励されていたことを知るであろう。スパルタおよびラケダイモーンは公然と盗みを援助していた。また別の国民は、これを兵士の美徳の一つと見なしていた。盗みが勇気や力や器用さや、一言にしていえば、共和国政府すなわちわが国に有用なあらゆる美徳を培うものであることは、これをもってしても明らかである。ここにおいて、余は偏見を去って敢えて問う、いったい富を平等化するはたらきをもつ盗みは、平等を目的とする国家においても、やはり大きな害悪であろうか? 言うまでもなく、否である。なぜかと言うにそれは、一方においては平等を維持することになり、また他方においては、各自にその財産を厳重に守らせることになるからである。かつてある国民は、各自にその所有物を大切にすることを教えるために、盗んだ者をでなく、盗まれた者を罰したということである。これこそ、われわれをより深い反省に誘うものである。


次回、最終回です。



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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
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