小川徹『失われた〈愛のコリーダ〉その再現とポルノ映画論』その2 2007.8.14
*18禁でお願いします
こちらのつづきですが、後半の「ポルノ映画論」より、いくつか引用です。
ちと笑えてしまった一文を。
私たちは趣味や性的教養として知的にもたのしんでいるが、むしろポルノ映画を本当に見なければならないのは、セックスの相手がいないとか夫婦間がうまくいかない性的不満者とか、あまりにも性欲が強すぎてそれを沈静させなければならぬ清水正二郎氏のような人の見かたの方が、もっと面白くみるのではないか? そういう性の趣味人とか芸術家ではなく、性が生活必需品である人たち、常食が食えない人たちのポルノ映画の見かたが、基準になるのではないか?
趣味や知的教養としてポルノをたのしんでいるって!!
ポルノ見るのに何カッコつけてんの~~?って感じなんですが。(笑)
それからこれ~~!
なぜ日活は女性用ポルノをつくらないのか? そして女性用映画館をつくれば、裁判官や検事たちの心配する事情はなくなるはずだ。
女性用ポルノってどんなのだ?いったい。
これ↓は結構言えてる気も。
わいせつはおそらく、検事個人においても科学的に知りえぬ不安に対して投げられる手袋のように思われる。それ以外のわいせつは第三者の嫉妬である。
これも。
すなわち「わいせつ」よばわりする方に、顕在化されたいやらしい欲情があることを指摘しているのだ。
『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』って観てないからわからないのですが・・・
『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』は、田舎の博物館用の遺物や性の祭りなどに、目もくれないで、現代との結びつきのみをとらえて見せたのは気持よかった。同じような意図でつくられた大島渚の『新宿泥棒日記』が、既成のセックス映画や芸術をまね、それをとりいれながら、他方ではカメラの偶然性による実写をあらっぽくいれながら、うえからの「押しつけ」で、なにかしきりと観客を挑発し、感得させようとして失敗した例とくらべてみると、性を外からカメラでとるということのむなしさと、ナレーション、すなわちことばによる性の描かたの、これまたべつの無意味さが感じられる。
『新宿泥棒日記』は結構好きなんですけどね。こちらに感想書いてます。
以下は『家畜人ヤプー』の苦手な方はご注意を!
『セックス猟奇地帯』で、映画的に、おもしろかったのは、第一は《マゾヒズムの男》の部分である。かれは、バーのカウンターのむこう側の床に伏し、ホステスが何人も注文をとるたびに、体のその上を靴のまま踏みつけるのに快感を感じる。また、ある女性の部屋でも、犬のように首輪をつけて、ときどき彼女の足でふまれ、食事も皿にカレーライスの食いのこしとミルクをまぜたものを喜んでたべ、便器で顔を洗い、そして驚いたことには、彼女がおしっこをするのを、股の間で口をあけて飲みとろうというのであった。
これを読んで即ヤプーを思い出したのですが、そのちょっと後でこんな文が!
おしっこを飲んだ男は中島監督にあったとき、沼正三という男だと教えられ、まもなく「ヤプー」パーティーが真夜中の銀座で行われ、その実演を見たのであるが、
ひゃあ!ヤプーの感想こちらに書いてます。
家畜人ヤプー
クリックよろぴくー。


こちらのつづきですが、後半の「ポルノ映画論」より、いくつか引用です。
ちと笑えてしまった一文を。
私たちは趣味や性的教養として知的にもたのしんでいるが、むしろポルノ映画を本当に見なければならないのは、セックスの相手がいないとか夫婦間がうまくいかない性的不満者とか、あまりにも性欲が強すぎてそれを沈静させなければならぬ清水正二郎氏のような人の見かたの方が、もっと面白くみるのではないか? そういう性の趣味人とか芸術家ではなく、性が生活必需品である人たち、常食が食えない人たちのポルノ映画の見かたが、基準になるのではないか?
趣味や知的教養としてポルノをたのしんでいるって!!
ポルノ見るのに何カッコつけてんの~~?って感じなんですが。(笑)
それからこれ~~!
なぜ日活は女性用ポルノをつくらないのか? そして女性用映画館をつくれば、裁判官や検事たちの心配する事情はなくなるはずだ。
女性用ポルノってどんなのだ?いったい。
これ↓は結構言えてる気も。
わいせつはおそらく、検事個人においても科学的に知りえぬ不安に対して投げられる手袋のように思われる。それ以外のわいせつは第三者の嫉妬である。
これも。
すなわち「わいせつ」よばわりする方に、顕在化されたいやらしい欲情があることを指摘しているのだ。
『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』って観てないからわからないのですが・・・
『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』は、田舎の博物館用の遺物や性の祭りなどに、目もくれないで、現代との結びつきのみをとらえて見せたのは気持よかった。同じような意図でつくられた大島渚の『新宿泥棒日記』が、既成のセックス映画や芸術をまね、それをとりいれながら、他方ではカメラの偶然性による実写をあらっぽくいれながら、うえからの「押しつけ」で、なにかしきりと観客を挑発し、感得させようとして失敗した例とくらべてみると、性を外からカメラでとるということのむなしさと、ナレーション、すなわちことばによる性の描かたの、これまたべつの無意味さが感じられる。
『新宿泥棒日記』は結構好きなんですけどね。こちらに感想書いてます。
以下は『家畜人ヤプー』の苦手な方はご注意を!
『セックス猟奇地帯』で、映画的に、おもしろかったのは、第一は《マゾヒズムの男》の部分である。かれは、バーのカウンターのむこう側の床に伏し、ホステスが何人も注文をとるたびに、体のその上を靴のまま踏みつけるのに快感を感じる。また、ある女性の部屋でも、犬のように首輪をつけて、ときどき彼女の足でふまれ、食事も皿にカレーライスの食いのこしとミルクをまぜたものを喜んでたべ、便器で顔を洗い、そして驚いたことには、彼女がおしっこをするのを、股の間で口をあけて飲みとろうというのであった。
これを読んで即ヤプーを思い出したのですが、そのちょっと後でこんな文が!
おしっこを飲んだ男は中島監督にあったとき、沼正三という男だと教えられ、まもなく「ヤプー」パーティーが真夜中の銀座で行われ、その実演を見たのであるが、
ひゃあ!ヤプーの感想こちらに書いてます。
家畜人ヤプー
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