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埴谷雄高『ドストエフスキイ その生涯と作品』その1 2008.7.29

これ、当然絶版かと思ったら、まだあるんですね!↑
実は、読もう読もうと思いつつ、埴谷雄高は1冊も読んでいないのですが(^^;)、なにげに難しそうなイメージが。ところがこの本は実にわかりやすく、ドストエフスキーの生涯、作品が書かれた背景、その時の周りの人達のこと等々、実に実に興味深く有り難い本でした。

近代アナーキズムの祖述者であり、また、ロシア文学の柔軟な理解者であったと紹介されているピーター・クロポトキンという人に、以下のような記述があると紹介されています。

「かれは非常に迅速に書いたからして、ドブロリューボフの指摘したとおり文学形式は多くの点で批評以下である。主人公は冗長な話し方をし、絶えず独語を繰り返し、主人公が小説で話している場合にも、作者が話していると感じる。(殊更に『虐げられし人々』はそうだ)。のみならず、これらの重大な欠点に加えて、極端に浪漫的で陳腐な形式のプロット、無秩序な構成、事件の不自然な連続―後年の作品に瀰漫した癲狂院の雰囲気について触れないにしろ―を数えなければならない。それにもかかわらず、ドストエフスキイの作品には非常に深い現実観が浸透していて、もっても非現実な性格とならんで、われわれが熟知している現実的な性格を感じ、以上のあらゆる欠点を救っているのである。」

いやはや、なかなかきびしい意見なのでありますが、かなり適確な感じがします。
このドブロリューボフとドストエフスキーは、しばしば論争をしたそうです。
ドブロリューボフの「芸術は人生に奉仕しなければならない」という意見に対し、ドストエフスキーはこう述べています。

「芸術はつねに現代的である。それ以外のものとして存在したことはなかったし、これが重要なことだが、存在することができないのである。もし芸術が、古い作品、古典文学にふけっているとすれば、その古典文学は今なお必要だということの証明なのである。それゆえ、最も肝要なことは、芸術にはいろいろな法則を押しつけないこと、人生の必要とか、制作上の必要とかいうことを押しつけないこと、芸術独自の道を歩かせること、そのことが必要である。もし芸術が自分の道を失うとしても、直ちに引き返えして、人間の最後の要求に応ずることは間違いない。美は基準であり、健康であり、つねに人類の理想の部分なのである。」

次回へつづきます。

その他ドストエフスキー作品、関連本の感想こちらから~



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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
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