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清水正『ドストエフスキー『罪と罰』の世界』その1 2009.6.17



実は私、家で読書をするのが苦手です。
家だと気が散る要素が多いんですよね。なのであまり集中出来ず。
主に通勤電車と職場で読んでます。なので文庫本中心なんです。
このハードカバー本、最初から共感しまくりで読んだものの、家で少しづつ読んでいたので、だいぶ時間がかかってしまいました。後半は意を決して重い思いをしながら通勤に持って行って、読了しました。
続けて『手塚治虫版『罪と罰』を読む』も読了し、『罪と罰』について、かなり知識がつきました。もう、すんごい細かいんですよ~。



続けて読んだので、どちらに書かれていたか、ごっちゃになってたりするんですが。(汗)
まずは、とても共感したこの文を引用です。

もちろん一方では、ドストエフスキーは聖書の文学化を企図したのだという指摘もあるが、私の場合は飽く迄も、一義的断定を不可避的に拒否するディオニュソス性のみを彼の文学に見てしまうのである。

私、ドストエフスキーを読む前から、ニーチェとか大好きだった訳でして。(実はドストエフスキー読んだのは、結構遅いんです。)
ネットやリアル世界で、ドストエフスキーの好きな方と接してきて、非常におもしろく思うのは、例えば『カラマーゾフの兄弟』で言えば、アリョーシャに共感する人とイワンに共感する人とでは、180度違うんですね。
ドストエフスキーというのは、キリストと反キリストとの両方に引き裂かれていたのが、よくわかります。
上の文は、次のように続きます。

信仰はドストエフスキーの精神の一方の極を担うにすぎないと見た私は、否応もなく精神の分裂を引き受けなければならなかった。ドストエフスキーを読むということは、常にその精神の分裂を確認するようなものであった。そして、その分裂を超克する手段が徹底して奪われているのであれば、その分裂を分裂のままに肯定するディオニュソス的実存を生きる他はないと考えたのである。

ドストエフスキーの分裂性に強く共感したのがヘッセだったんではないか、と思います。



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テーマ : エッセイ/随筆
ジャンル : 本・雑誌

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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
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