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清水正『ドストエフスキー『罪と罰』の世界』その6 2009.7.1

清水さんの本には、共感する事が実に多いのですが、ココなんてまさに、全く同じことを思いました!

 私が最初に疑問を感じたのは、ラスコーリニコフのように自意識過剰の青年が、殺人などという大胆な一義的行動を起こせるだろうか? ということであった。しかし、この行動がなければ『罪と罰』という物語は成立しなかったはずである。

それから、本気で調べてみなければ、と思っている「分離派」!
「第二十七章 帝王の被袍 (道化) 」はポルフィーリイです。以下引用です。

ピョートル大帝によって築かれたペテルブルグは、同時にロシヤ正教の "光" に充たされた世界でもあったが、ポルフィーリイは、その "光" の届かぬ "闇" の領域の統治者でもあるということである。それでは、光=ロシヤ正教に対する "闇" の領域とは何であろうか。言うまでもなくそれは "分離派" (ラスコール) である。ソーニャとリザヴェータが分離派の一派である鞭身派に属し、老婆殺しの嫌疑をかけられたペンキ屋のミコールカが、これまた分離派の一派、逃亡派に属していたとなれば、名前自体が分離派教徒 (ラスコーリニク) であるラスコーリニコフをはじめ、主要人物の大半が "闇" の領域 (分離派) に関係していたことになる。

次の章が、ぬわんと「ポルフィーリイと『オルフェ』」!
こりゃまた『オルフェ』見なきゃですね。

 

その次の第二十九章が「おしまいになってしまった男の信仰」で、ポルフィーリイが続きます。
この「自分はおしまいになってしまった人間」のセリフの意味が、いまいちわかってなかったんですが、清水さんの本を読んで、スヴィドリガイロフ=幽霊と共に、ちょびっとわかったような気も…。
とは言え、また『罪と罰』を再読してみなければ、よくわからない訳でして。もー大変。
以下の文は、全くその通りだと思いました。

ドストエフスキーは「不信と懐疑の時代の子」であると同時に、熱烈に神の存在を希求して止まなかった芸術家である。いわば彼は救いがたいほど深く "分裂" したディオニュソス的芸術家であった。

おそらく、この分裂にヘッセは強く共感したのではないか、と思います。
次回で終わりです。(多分)



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テーマ : エッセイ/随筆
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ハードロックギタリストで作詞作曲家(まだアマチュアだけどな)吉乃黄櫻の読書ブログ。
60~70年代のロック、サイレント~60年代あたりの映画、フランス・ロシア・ドイツなどの古典文学が好きな懐古趣味人。
西武ライオンズファン。
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